トルコ南部・シリア国境付近で大規模な地震が発生して、およそ1カ月。
死者数は両国で5万人を超え、トルコの物理的被害額は4兆6500億円あまりと見積もられている。
トルコ在住で現在はアメリカに一時帰国中の学生のディルバー・ベックさんは、この震災を「純粋なカオス」だと説明する。
「がれきの下からまだ発見されていない人もいれば、10日後に生存が確認された人もいます。寄付は本当に助けになります。大きな違いをもたらします。だから私たちはできるだけ地震について話し、意識を広げていくべきだと思います」
ベックさんは2022年6月、祖母の面倒を見るため、アメリカからトルコ中南部のアダナに移住した。アメリカのコミュニティ・カレッジに籍を置き、オンラインで授業を受けていた。アダナで子どもたちに英語を教える仕事もしていたという。
「トルコでの生活を見てみたかったんです。トルコの文化にとても親しみを感じるし、トルコの人々も大好きです」
1回目の大きい揺れを感じたとき、ベックさんはアパート10階の祖母の家にいた。おばも一緒だったという。
外に避難したものの行くあてがなく、近隣の住民の厚意で翌日の朝まで車中泊をした。
翌日、安全だと思ったベックさんたちはアパートに戻った。しかしすぐに、2回目の揺れが襲った。1回目よりも大きかった。
「私のベッドは文字通り放り投げられて、壊れました。私はベッドの中にいて、ただただ掴まっていました」とベックさんはその瞬間を振り返る。
「ベッドはまっぷたつになって、ドレッサーも倒れました。ものが落ちる音だけが聞こえていました」
「おばは床に倒れて、祖母はソファーに掴まっていました。アパートはぐらぐら揺れていました」
外に目をやると、あたりの建物がバラバラに崩れていた。向かいのアパートは完全に倒壊していたという。
「私が見えたのは砂埃だけでした。これは深刻な事態になった、早くここから出なければと思いました」
避難先のホテルに向かう途中、ベックさんは地震の被害を目の当たりにした。助けを求めて叫ぶ人々、がれきの中から引き上げられる人々…。この体験はトラウマになったと語る。
「『子どもが見当たらない』と叫んでいる人たちもいました。がれきの下に取り残された家族やペットを助けるため、戻ろうとする人たちも」
「あの瞬間が、頭の中で何度も再生され続けています。あの人は、子どもを見つけられたのか。あの人は、家族に会えたのか…」
AP通信によると、トルコでは18万5000棟の建物が倒壊した。被害を受けた家屋は、125万戸にのぼる。地震発生から1週間以上経過してからも、がれきの下から生存者が発見されていたが、トルコ当局は2月18日、多くの地域で捜索と救助活動を終了したと発表した。
ベックさんにとって地震後の日々は、精神的にすり減るようなものだという。まだ16歳だった生徒1人をはじめ、多くの人を失ったことを悲しんでいる。
「何にも集中できなくて、ただぼーっと何かを見つめているだけの時間がありました。まったく眠れない日もありました。眠れたとしても、夜中に何度も目が覚めてしまうんです」
地震後、ベックさんはバスで15時間かけてイスタンブールに行き、ニューヨーク行きの飛行機に乗った。祖母とおばはトルコに残っているが、安全な地域に移動した。
ベックさんはトルキスタン系アメリカ人協会と協力して、被災者に救援物資を送る活動をしている。悲しみやトラウマを抱えながらも、自分が生きていることに感謝の気持ちを見出しつつあるという。
「あの状況から無事に生還できたのは、幸運だったと思います。生き延びられたのは、本当にありがたいこと。今は人生の見方が大きく変わっています」
この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:髙橋李佳子