緊迫するウクライナ情勢。米ロの対立の深刻化で、前線での小競り合いや挑発行為の応酬に対する注目が、日本でも高まっている。しかし、現地はこの状況に陥って何年にもなる。何が起きているのか。現場から報告する。
ウクライナ東部に位置する小さな町、ニューヨーク。ロシアとの8年にわたる紛争の最前線にいる住民たちは、ぐっすりと眠れる夜を過ごしたことがない。
2021年12月27日。この夜は、兵士のイーホリ・ティキナさん(20)が見張り役だった。雪がチラついていた。第95空中機動隊に所属し、背が高いティキナさんは、首の高さまである塹壕の迷路を歩いていた。
午前2時をちょうど過ぎ、塹壕の浅い箇所に差し掛かった。足元はぬかるみ、びしゃびしゃと音を立てていた。
狙撃手が放った銃弾が立てる甲高い音は、ほとんど聞こえなかった。800メートル離れた絶壁からの狙撃で、ヘルメットのわずか2.5センチメートル下、頭部の左側を貫いた。
「映画『ミッション:インポッシブル』のような狙撃でした」とティキナさんの上官で将校のデニス・イワシェンコさん(21)がBuzzFeed Newsの取材に答えた。
「暗く、雪が降っていて、ティキナは動いていました。狙撃手はプロに違いありません」
イワシェンコさんはすぐにティキナさんを見つけた。前かがみになって倒れていた。頭蓋骨に穴が開き、降り積もったばかりの雪に血だまりができていた。
ティキナさんは近くの病院へ運ばれたが、1月1日に亡くなった。2022年に入ってから死亡した最初のウクライナ兵だった。2014年春に始まった紛争で死亡した、約1万4000人の1人となった。
3週間後、顎ひげをたくわえた兵士のアンドリーさん(21)が、ツルハシとシャベルを使って、ティキナさんが撃たれた場所を掘っていた。
「もっと深くないとだめだ」と塹壕を掘るアンドリーさんに向かってイワシェンコさんが言った。
アンドリーさんは土を掘り、掘った土を後ろへと放り投げた。ようやくヘルメットのてっぺんが、地面よりも30センチメートルほど低くなった。
最前線にいるのは、若い世代の兵士たち。
これが、ウクライナ東部ドンバス地方における、戦争の現状だ。
2014年に勃発して激しい戦闘が約1年続いたあと、2015年の冬に不安定な拮抗状態に陥り、この状況が続いている。過酷で、血だらけで、無分別。
もう何年も、ここでの攻撃はない。最近の戦場での死亡のほとんどは、狙撃か地雷によるものだ。毎月、ひと握りの兵士が命を落とす。
塹壕の曲がり角には、いまも危険が潜んでいる。決して警戒を緩めてはいけないことを、兵士たちは知っている。だが8年も続くと、ときおり気を緩めてしまう。
ウクライナで終わりなき戦いが続く中、兵士は代を引き継ぎ、成人する。2014年に銃を手にした父親たちには、いまではアンドリー、デニス、イーホリのような息子たちがいる。
アンドリーは軍人の家庭に育った。父親はデバリツェボで戦ったという。2015年にウクライナ軍は(親ロシア派の)重火器に包囲されて猛攻撃を受け、流れはロシア優勢になった。何百ものウクライナ兵が命を落とし、1回の戦いで失われた戦死者数は記録的だった。アンドリーの父親は幸運にも難を逃れた。
いまでは、アンドリーたちのような若者たちが、ウクライナの防衛の最前線にいる。8年前にモスクワがクリミアを併合し、ドンバスに侵攻したときにはティーンエージャーだった。
筆者は、ニューヨーク、アウディーイウカ、オピトネにあるウクライナ軍の3か所の陣営に従軍して1週間を過ごした。
この陣営は、400キロメートルを超える前線で戦略的に配置されている。
ここで兵士たちは何を見て、どう攻撃に備えているのか。確かめたかった。
ドンバスでの交戦は、これまで双方が伝えてきたものよりも、実際はもっと頻繁で激しい。小火器を用いた日々の小競り合い。狙撃手との争い。迫撃砲による挑発がある。
ロシアの支援を受けている敵陣では重砲が再配備されている、とウクライナ軍の3陣営の兵士らは指摘する。新たに塹壕が掘られた場所も、いくつか確認された。
アメリカと北大西洋条約機構(NATO)の同盟国は、ロシアがウクライナ侵攻と思われる準備をしているため、ロシア軍による全面攻撃が迫っている可能性があり、戦闘規模はこれまでの比ではない可能性があると警告している。
1月19日、ジョー・バイデン米大統領はウラジーミル・プーチン露大統領について次のように語った。
「私の推測だが、(プーチン大統領は)侵攻するだろう。(プーチン大統領は)何かせざるを得ない」
バイデン米大統領は、ウクライナへの全面侵攻は、「戦争と平和の観点から、第2次世界大戦以来、世界でもっとも重大なこと」になるだろうと述べ、(侵攻が)ウクライナの国境を越えて拡大するリスクがあることから、「手に負えなくなる」可能性があるとしている。
同日、ウクライナの諜報機関職員はBuzzFeed Newsの取材に応じた。何週間にもわたり、ロシアはウクライナの国境沿いに12万7千を超す兵士や大量の兵器を集結させ、ウクライナに対する偽情報を増やし、ウクライナ政府機関にサイバー攻撃をしたとも伝えられているという。
衛星画像やSNSへの投稿によって、ほぼリアルタイムでその集結ぶりを辿ることができた。
ウクライナ国境近く、ロシアのソロチの衛星画像を比較すると、3カ月での軍拡の様子が明らかだ。
ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領はテレビ演説で、国民に冷静さを保つよう呼びかけた。
「ウクライナは戦争を望んでいません。しかし、つねに備えておかなければなりません」
「私たちは恐れません。祖国を守るからです。私たちは諦めません。逃げ場はないからです」
ロシア側は、ウクライナへの侵攻計画の存在を否定し、自国内で軍隊をどうするかは自国の問題だとしている。一方で、アメリカとNATOに対して要求をいくつか出していて、要求をのまない場合は、ウクライナに対して軍事力を行使するとしている。
緊張状態が続いていたが、2月15日、国境付近のロシア軍が一部撤退したとの報道が出た。しかし、ウクライナ側はこれに懐疑的だ。バイデン米大統領も、ロシアによるウクライナ侵攻の可能性はまだ残るとし、引き続きロシアに戦争回避を訴えている。
これまで、外交を通じて状況を落ち着かせることはできていない。ロシアが平和的な解決を望んでいると信じる者はほとんどいない。
そしてウクライナは、新たな破壊的な戦争の可能性に備えている。
停戦の違反はないとの報道。しかし「ひっきりなしに撃ってくる」
最近のロシアの軍事的な動きには神経をとがらせている、と多くの兵士が話した。前線では明らかに不安が募っている。だがウクライナの兵士たちは近年、このときのために備えてきた。
「怖くはありません。強くなる時間がありました。もう立派な兵士です」
ワレンチン・トルソフ小隊長(24)はオピトネで話した。ここには、住民は28名ほどしか残っておらず、電気も暖房もない暮らしをおくっている。
私は、閑散とした道路を横切ってトルソフ小隊長に追いつく。撃たれないように急いで渡らないといけない。平和時では、この通りはのどかだっただろう。黄金色をしたひまわり畑と背の高い草が道に沿って広がっている。
いまでは兵士たちはここを「命の道」と呼んでいる。危険からの逃げ道だからだ。だがここは「死の道」でもある。2021年夏、補給に向かった兵士2名が、この道で対機甲ミサイルに撃たれて死亡した。
到着してまもなく、自動てき弾発射機から放たれた手りゅう弾がいくつも飛んできた。頭を下げているようにいわれ、トルソフ小隊長に前線にいる隊を案内してもらった。
破壊されたドネツク空港は、わずか600メートル先にあった。かつては荒々しい炭鉱の地における発展の微かな象徴だった。望遠鏡を通して見ると、7年以上も前の戦いで残された滑走路の爆弾穴を確認できた。
「ひっきりなしに撃ってきます」とトルソフ小隊長。2015年2月以降、名目上は存在している停戦の違反はないという最近の報道とは矛盾している。
最近では、82mmと122mmの榴弾砲で標的とされることが増えているという。親ロシア派が占拠している南東の空港のほうを指差しながら、並んでいる木々の陰に敵の戦車が何台も配置されていた、と小隊長はいう。
戦いもせずに2014年にロシア軍にクリミア半島を併合されたときよりも、現在のウクライナ軍はかなり強く、大きい。
クリミアのとき、ロシア軍は特殊部隊とウクライナの分離独立派を使って、ニュージャージー州と同じくらいの大きさがあるドンバスを占領した。
いまでは、20万人を超える現役兵がいて、ウクライナ軍はヨーロッパでも有数の規模に達している。西側からの武器の供給とNATOによる訓練も、ウクライナ軍の近代化を手助けした。
だがやはりロシア軍と比べると小さく、劣るように見える。ロシア側が、地上部隊、空挺部隊、近隣に配置している海兵隊を合わせると100にも達すると推定される大隊戦術群(BTG)によって総攻撃をしかけたら、ウクライナ軍にできることはほとんどない。
それでもなお、ウクライナの人たちは、祖国を守るために戦い、死ぬことさえ厭わないという。
アウディーイウカの外れにあるタイヤ工場だった廃墟で、私は第25空挺部隊とイヴァン・スクラトフスキー中尉(30)に合流した。中尉は既婚で2児の父親でもある。エンジニアの職を求めたが見つからず、戦争が始まる数カ月前に入隊するという不運だった。
2014年のときは22歳で、ブラッドレー戦闘車のウクライナ版に乗って砲手を務め、いくつもの激しい戦いを経験した。中尉は生き残ったが、兵士を7名と大隊を失い、同年8月から11月にかけてさらに25名が命を落とした。いまでは旅団の年長者のひとりだ。
第25空挺部隊は、2021年8月からアウディーイウカで任務にあたっている。プロムゾナとして知られているこの地域は、ここ何年も激しい戦闘が繰り広げられてきた場所だ。
ここではほとんどすべてのものに、砲弾、りゅう散弾、機関銃による傷跡が残っている。映画「マッドマックス」の1シーンのようで、焼け焦げた車の残骸があったり、そこら中に機械が捨てられていたりする。
荒廃した地を野犬がうろつき、犬の唸り声と鞭を打つような風の音以外は、ときおり聞こえる銃撃の鋭い音と迫撃砲の鈍い音の合間に、金属の不気味にきしむ音しか聞こえない。
「地獄は空だ。悪魔はみんなここにいる」
兵士の案内で塹壕の迷路を進み、地下壕に近づくと、オレフ指揮官(43)がいた。機関銃をいじっていた。入口には「地獄は空だ。悪魔はみんなここにいる」と書かれている。
オレフ指揮官は雪のように白い迷彩服に身を包み、小さく木を切り抜いた穴を通して、わずか50メートル先に敵が立っている場所を指さした。望遠鏡を通して、塹壕の上へと立ちのぼる敵の息が見えるときがあるという。
あまりにも近いため、武器がたてる音、自分を殺そうとしているまさにその人たちの会話さえも聞くことができるそうだ。
「挑発の準備をするのが聞こえてきます」とオレフ指揮官はいう。ロシアの支援を受けた兵士たちは、ウクライナ兵に向けて乱射することがある。応戦を狙ってのことで、オレフ指揮官いわく、「喧嘩を売って」こさせるためだ。
新しい塹壕を掘るよう命令されたり、ほかの命令を実行するようにいわれて、「悪態をついたり不満を言ったり」するのも聞こえるという。ロシアに支援された地元の軍隊の士気が低い印象を与える。
このことは、消息筋や占領されたドネツクにいまも住んでいる人のSNSの写真からも分かる。月収約300ドル(約3万5000円)で「ドネツク人民共和国軍」への入隊を募る広告が出ている。
同軍は、実質的にはロシア軍の一部隊だ。ロシア側を選んだ地元のウクライナ人で主に構成され、大きな戦闘では使い捨て要員とされ、死傷者の大多数を占める一方、ロシア軍の正規軍は惜しむように使われ、出てくるのは情勢が悪いときに好転させるといった時だ。
だが最近では、狙撃手による攻撃が増えており、偵察や破壊行為も増加している。
「今のところ、狙撃手による銃撃や機関銃によって(発砲音が紛れて)相手の位置が隠されてしまいます」とスクラトフスキー中尉は話す。
2021年12月31日午後9時、スタニスラフ・ボグスラフスキー下級軍曹(享年23)は巡回中、狙撃手に頭部を撃たれた。
「(ほんの一瞬、気を緩めたのが)間違いだった」と中尉は話す。
「腕のいい狙撃手でした。ライフルにはサーマルビジョンがついていたと思います」
クラブの用心棒のような体格をしていたボグスラフスキー下級軍曹のことを、おもしろいやつだったと戦友たちは話す。2021年に亡くなった最後の兵士だった。
この死を受けて、プロの兵士が新たな攻撃に備えて前線に戻ってきたのではないかという考えが、中尉の頭に浮かんだ。
だが攻撃されない限り、兵士たちは自由に応戦することはできない。ここ何カ月もの間、直接的な脅威に直面するなど深刻な状況を除いて、反撃しないように命令されているからだ。乱射であれば無視するように言われている。
ゼレンスキー大統領から軍の上層部へと下りてくる命令では、前線での戦闘の激しさを鎮静化させておく狙いがある。ロシアに攻撃の口実を与えないためだ。
兵士たちは、これにうんざりしている様子だ。みな歯を食いしばり、不平をいう。
「部下たちに理解してもらうのは大変です」。兵士たちの苛立ちを察した中尉はそう言った。
2021年9月と10月は、122mm砲弾などを含む「重爆撃」を受けた。これには反撃し、「意味はあった」と中尉は話す。
ほとんどの場合、撃ち返すよりも撃たれるほうが多い。最近では、自動やアンダーバレルの発射機を使った手りゅう弾が多かった。
「小型の迫撃砲のようなものですが、破壊力はあります」と中尉は言う。
丸太でできた掩蔽壕(えんたいごう)には、兵士たちの士気を高めるのにウクライナ中の子どもたちから届いた絵が飾られていた。コンピュータやプリンターが何台か置かれている。現時点では、引き金を引くよりも紙を処理しているほうが多い、と中尉は漏らす。
「こんなジョークがあります」と中尉は話す。
「兵士が電話をしてきて、こう言うんです。『指揮官、敵が攻撃してきます。撃ち返してもよろしいでしょうか?』そうすると、指揮官が、こう答えるんです。『待ってろ、まずは報告書を出さないと』」
アメリカとNATOの情報分析が正しく、ロシアがウクライナへ新たに侵攻しようとしているのであれば、兵士たちはまもなく応戦せざるを得なくなるだろう。
ミハイロ指揮官(25)は、父親でもあり、まもなく第2子が生まれる。前線の向こう側から何が飛んで来ようと、一歩も引かないと話す。
信心深い同指揮官は、盾にしたセメントの細長い柱に身を守られて、弾丸の雨を浴びても生き延びたときのことを話してくれた。子どもたちのために、ウクライナが残ることを願っている。
「祖国のすべてが解放されるまで、戦います。支配されないウクライナの国境に立つまで」と指揮官は話した。
取材協力:インナ・ヴァレニツィア
この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:五十川勇気