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高額な手術代、家族とのわだかまり...親と同居するトランスジェンダーの若者たちの事情

実家暮らしを続ける若い世代のトランスジェンダーが増えている。必ずしも理解してくれない親との生活は悩みもあるが、ホームレスになるよりは、ずっといい。

手術費の貯金、精神的な安定... 彼女が今も親と住む理由

「こっちに聞こえないようにドアを閉めようか?」キッチンで野菜を切っていたジェニー・トマシェフスキが声をかける。

2019年4月、私はトマシェフスキの娘ピア・クルスの話を聞くため、カリフォルニア州サンノゼ郊外にある彼女の家を訪れていた。きれいに掃除のされたリビングには私たちふたり、そして足元には愛犬コアが寝そべっている。

「大丈夫だよ、ママ」。クルスが答える。クルスはこれまで歩んできた道のりをひと通り語ってくれていた。母親のトマシェフスキもすべて知っている話だ。

自分がトランスジェンダーだと気付いたのは、18歳の誕生日だった。三つ子の兄弟2人と、メイン州へ家族旅行に行った時だった。

10カ月間兵役に就いていたとき、持っていた女性向けの服が上官に見つかったこともあった。「これ、あなたの彼女の服だよね?」と問い詰められ、その時は話を合わせたことも話してくれた。軍では当時も今も異性装を禁じているのだ。

そして、2019年夏には脱毛のためシカゴに行くという。

クルスはいま、両親と同居中している。一度は家を出たが、手術の費用を貯めるため、また精神的な安定を得るために、1年前に実家へ戻ってきた。

両親としては想定外だったが、おかげでサンノゼ市内に部屋を借りていたら払っていたはずの家賃分(少なくとも月額86,000円から130,000円はかかる)を手術費にあてることができる。

シカゴには何回か足を運ばなくてはならず、初回の脱毛だけでも約54万円ほど必要だ。
「私が両親と一緒に住む理由は、この高額の費用を払うためです」とクルスは言う。

「今自分がこうしていられるのは、ママのおかげ」

「ママのおかげでホームレス状態から救われてるので。まあホームレスになったのもママのせいなんですが(笑)」クルスはこう語った。

クルスと家族との間には、衝突もありながらも、ある程度の絆が築かれている。ここまでたどり着くまでには、クルスが女性として生きる選択を巡って、何年にも及ぶ衝突があった。

今あるのは、娘のゴミ出しについての不満のような、22歳になった子どもが親と同居していればどこの家でもありそうな衝突だ。

「この子は料理は本当によくやるんです。でもキッチンをありえないくらいめちゃくちゃに散らかしてしまう。それでいらだってしまいます」

ホームレスに陥ってしまうトランスジェンダーの人々

全米では、若年層のホームレスの4割がクィアかトランスジェンダーだ。サンノゼがあるサンタクララ郡は平均よりやや低い約29パーセントだが、それでもホームレスの4人に1人以上にあたる。

この一帯は家賃の中央値が月約35万円と高く、また簡単な理由では家主から家を借りることはできない。

そのため、この過酷な住宅事情の中ではトランスジェンダーはホームレスになるリスクが特に高い。サンノゼではこの2年でホームレスの数が42パーセント増と急増した。

連邦住宅都市開発省(HUD)は2019年、ホームレス用のシェルターがトランスジェンダーの受け入れを拒否するケースも認められるべきとする見解を示した。

HUDは2012年、公営住宅や国が資金援助するシェルター、国が支援する住宅ローンなどの利用を性的指向を理由に制限する差別を禁じる、平等アクセスの規定を定めている。しかし、今般の見解はこれを覆す形になる。

実際に適用されれば、ただでさえ弱い立場にある若年のトランスジェンダーはとりわけ厳しい状況に置かれるだろう。そんな背景もあり、トランスジェンダーの中には、決して両親が協力的でない場合でも、実家で暮らす道を探る人もいる。

自分が何を必要としているのか、自分のアイデンティティは何なのかを、悩みながらも親にわかってもらおうと努めながら、実家で折り合いをつけて生きているのだ。

わだかまりや葛藤 LGBTの若者と家族間の関係性

10年前、私が知るニューヨークのクィア仲間の誰かが性別適合手術を受ける日が近づくと、みんなで手分けしてそれぞれができるサポートをしたものだ。私を含め友人たちは、食事を届けたり洗濯をしたり一緒に映画を観たりした。

また、手術を受ける仲間が一人ぼっちにならないよう、いつも誰かがそばにいるスケジュールを組んだ。そこで両親の話にふれることはなかった。

私が知るクィアやトランスジェンダーの大部分は、絶縁状態とまではいかないとしても、家族との関係に何らかのわだかまりやストレスを抱えている。

従って、金銭的な支援や必要なケアを家族から受ける選択肢は難しい(性別適合手術の費用の多くは、昔も今もクラウドファンディングでまかなわれている)。

2017年、私は西サンノゼに向かい、適合手術を終えたばかりのフランク・ペーニャを訪れた。ラザニアの差し入れを手に自宅を訪ねると、出迎えてくれたのは思いがけず彼の母親だった。

母親は私からラザニアを受け取るとキッチンへ行き、電子レンジで温めてお皿に移した。そしてフォークを添えて、私とペーニャが座るソファへ持ってきてくれた。

28歳になるペーニャは、子ども時代を過ごしたこの家に今も暮らしている。両親と23歳の妹アレハンドラ、3匹の犬も一緒だ。

話のわかるお母さんだ、やはり時代は変わったのだな。私はそう思った。

ところが現実はもう少し複雑だった。このとき、母親は術後間もないペーニャのシーツを替え、夜も4時間ごとに起きて痛み止めをのませていた。

それから2年がたつ今も、母親はペーニャに「he/him(彼)」ではなく「she/her(彼女)」を使い、フランクという男性名ではなく生まれたときからの女性名で呼んでいるという。

家庭内の平和を保つため、あまり多くを期待しないことにしたとペーニャは言う。

「うちの母親はプライドパレードに参加するようなタイプではないとわかっていたので」

完璧ではないが、とりあえずはそれでいいという。

実家で暮らすかホームレスになるか 貧困とLGBT

最近、米国各地の大都市での賃貸料高騰を受け、ペーニャやクルスのような若者が苦しい選択を迫られるケースが増えている。

実家に身を寄せ、トランスジェンダーに対する親の偏見と何とか折り合いをつけるか、文字どおりホームレスになるか。非営利シンクタンク「Movement Advancement Project(一歩踏み出すあなたを応援プロジェクト)」の研究員であるローガン・ケイシーはこのように述べた。

「若いLGBTの人々は、『家族にカミングアウトをしたら住んでいた家を追い出された』といった話では留まりません」

もちろんそのようなケースもあるが、LGBTの若者たちとその家族は、長年のあいだ関係がほころびているという側面が大きい。差別をしない職場や医師を求めてすでに苦労しているトランスジェンダーにとって、親元を離れて住む部屋を確保するのは二の次になりがちだ。

「実家から出て暮らすとお金がかかります」とトランスジェンダーのジャーナリスト、サマンサ・アレンは言う。

アレンは昨年、アメリカの保守的な地方に暮らすLGBTの姿を追ったノンフィクションの本『Real Queer America(アメリカのクィアたちの現実)』を出版した。

「家族と住んでいれば、資金の蓄えはできます」

「LGBTの人はあらゆる面で経済的に不安定な状態に陥りやすいといえます」。自身もトランスジェンダーであるシンクタンクのケイシーはそう説明する。

「そのため、例えばトランスジェンダーを支援する医療体制や手頃な住宅にもっと手が届けば選んでいないような選択肢でも、やむを得ず選ぶしかないのです」

高額な手術費用も負担に

加えて、性別適合には高額な費用がかかる。性別適合にかかる医療処置をカバーする保険はなかなかない。

アイオワ州は2019年、トランスジェンダー関連の医療行為への公的保険の適用を禁じる法案を可決した。アイオワ州のトランスジェンダーにとって、性別適合手術を受ける道が遠のくことになる。

医療行為としての性別適合を希望しない人もいるが、希望する場合、多くはホルモン治療のため継続的に年間約16万円支払わなければならない。

トランス男性とノンバイナリーの乳房切除は約33万~110万円、トランス女性の性別適合手術として多い睾丸切除と膣形成には最大約330万円を要する。

トランス男性が陰茎形成術を受ける例は少ないが、これには約220万円が必要になる。

見過ごされがちなのが旅費と交通費だ。米国の場合、性別適合手術ができる専門の医師は特定の地域に集中している。一般的には、LGBTQに対する社会福祉サービスが早いうちから整備された大都市が中心だ。

「トランスジェンダー向けの医療サービスが充実している場所というのは、国内でも生活費の高い地域が多いのです」と、臨床心理士のマット・ゴールデンバーグは指摘する。

ゴールデンバーグはワシントン州オリンピアでクィアやトランスジェンダーとその家族からの相談を受けている。

州の健康保険で性別適合手術がカバーされるワシントン州のような地域でも、施術を希望する人が州外へ出向くケースは多い。その場合、旅費は保険でカバーできない。

生殖器の形成などを伴う手術では、術後も数週間は経過をみるため医師の近くにいる必要がある。ホテルに滞在すれば、多額の費用がかかる。また、回復までにはやはり数週間かかり、その間は仕事ができず、収入も減る。

必要な処置を受ける費用を捻出するため、ペーニャは仲間と共に第3の道を進もうと模索している。家に帰ったら心の扉を閉め、じっと耐えるときもある。

偏見のない家族が一人でもいたり、地域にLGBTQコミュニティがあれば、そのおかげで実家暮らしが楽になるときもある。あるいは、両親がトランジェンダーのわが子をサポートしてくれるようになる場合もある。

高騰する家賃 低所得住民の排除

よくあるストーリー展開はわかりやすい。自分のセクシュアリティを親が理解してくれなければ、バスに飛び乗って都会へ出る。そこで同じ立場の仲間を見つけ、批判的な親の目という足かせから解放され、本当の自分になれる。

親に家を追い出されてしまえば、本当の自分を探すこの旅路も、自分の意志による選択とは言えないかもしれない。

いずれにしても、家を出て都会の一部に取り込まれ、一人の無名の人間としてゼロから新しい自分を築いていく。パートナー候補も大勢いるし、親のサポートがなくても支えてくれるコミュニティがある。

詩人オードリー・ロードがいた50年代のニューヨーク、グリニッチ・ビレッジ。作家アーミステッド・ノーピンがいた60年代のサンフランシスコ、カストロ地区。作家ミシェル・ティーがいた90年代、サンフランシスコのミッション地区。

これらのストーリーが、ダンスフロアやデモ行進や仲間たちの存在があるから決して一人ではないのだと約束してくれた。

ただこれも、西洋世界のメインストリームの話だ。1960年代初頭または半ばから1980年代に生まれた白人層は、家を出れば状況はよくなると考えていた。

コラムニストのヘザー・ハブリルスキーは最近、ある人生相談でこのように答えていた。

自身のジェンダーアイデンティティに悩む25歳に「親と住んでいる家を出なくてはいけません」と。抑圧されてるのがいや?だったら出て行けばいいじゃない、というわけだ。

しかし生活環境を根こそぎ変えるのも、先立つものがなければ難しい。LGBTQの聖地は生活費が高騰し、資金はなかなか貯められない。親のサポートがない若年層にはとりわけ厳しい。

実際、20世紀の豊かなクィアカルチャーを生み出したのは、そうして大都市へ移った人々だ。

主にアフリカ系やラテン系のクィアによる「chosen family(自分から選んだ家族)」が、ニューヨークやデトロイトにいわゆるボールカルチャー(クィアコミュニティ内で「ハウス」と呼ばれる家族のような共同体グループを形成、互いにダンスや衣装を競う)を築いた。

代表的なハウスの1つ「House of LaBeija(ハウス・オブ・ラベイジャ)」のメンバー、トミー・ラベイジャは、当時の若者にとってのハウス・オブ・ラベイジャをこう振り返る

「自分がゲイであることを母親や父親が知って家にいられなくなった若者たちを、われわれコミュニティの家に迎えたんです」

一方、白人のクィアやトランスジェンダーたちも都会へ移り、できる限り安い部屋を見つけて身を寄せた。こうした部屋は多くの場合、異性愛者の白人は寄りつかない、アフリカ系やラテン系の低所得者層が住む地域にあった。

そこで、都市開発業者はひそかに機会をうかがった。

白人の住人が増えれば、IT系で働く男子や颯爽とベビーカーを押す母親などの白人層にとって「安全な」地域になる。地域の白人率が上がれば、物件の持ち主は家賃をつり上げられる。

私自身も同じ理由でハーレムに、ブルックリンのクラウンハイツやサンセットパークに、住んできた。

今、サンセットパークには、コーヒー1杯を18ドル(約2000円)で提供するインダストリー・シティと銘打ったスポットができている。白人クィアが新たな居場所を求めてやって来た結果、家賃が高騰して住めなくなったアフリカ系、ラテン系の人々が出てきてしまった。

西海岸のベイエリアはもともと多様性の牙城だったが、人種の再分断が進んでいる。

サンフランシスコでは、70年代に13パーセントだった黒人人口の割合が、今は5パーセントしかない。オークランドの黒人人口も4年間で4パーセント減少した。

かつてはLGBTQにとっての天国だった街 その面影はどこへ 

現在、サンフランシスコのミッション地区のアパート平均家賃は約39万円を超える。自由と解放を求めてここを目指す者はもういない。冒頭で紹介したクルスは、除隊後に初めてサンフランシスコへ戻った日に見た光景を思い出すという。

カストロ通りとマーケット通りの角でトランス男性のホームレスが紙を掲げていた。「陰茎形成手術のためにお金が要るんだと書いてありました」

稼ぎのいい仕事をしたければ、レストランで働こうと思うかもしれない。ベイエリアの飲食店は人手不足だ(ただし、トランスジェンダーを雇ってくれると仮定しての話だ。現実には断る店は多い)。

だが、チップに恵まれ、最低賃金が高くても、家賃を払うには十分ではない。セックスワークで働いても生活は苦しい。2018年に政府が性産業のオンライン広告を禁止する法を可決してからは、さらにそうだ。

住む場所の確保があまりにも厳しい現実を受け、2015年には国内初となるLGBTQのためのホームレスシェルター「Jazzie’s Place(ジェジーの家)」がサンフランシスコにできた。2019年にはサンノゼでも、郡の出資で同様の施設がオープンしている。

同様の問題はカリフォルニア州以外でも起きている。全米でいち早く公共の場でのトランスジェンダー差別を禁じたミネソタ州最大の都市ミネアポリスでも、この20年で家賃が急激に上昇している。

昔からゲイコミュニティで知られるマイアミでは、ミレニアル世代の45パーセントが親と同居というデータがある。

高い家賃にあえぐシアトルの若い世代は「深刻な事態」に陥っており、かつてゲイフレンドリーな地区して知られたキャピトルヒルの姿はもはやない。

アメリカでもっともゲイが暮らしやすい街とされたこともあるアトランタでは、クィアやトランスジェンダーのアーティストが急速に進むジェントリフィケーション(都市の再開発によって低所得者層が排除される現象)に直面している。

かつて、差別的で保守的な法を逃れてやってきたLGBTQにとって天国だったリベラルな都市の数々は、いまや裕福な白人の天国へと変わってしまった。

「窮屈な家なんて出ればいい」と言われても、簡単に実行に移せるものではないのだ。

「どの時代にもそれぞれの苦悩があります」みずからをトランスマスキュリン(男性寄りのトランスジェンダー)と位置づけるエリック・Cはそう話す。エリックはカリフォルニア州ギルロイで両親と暮らす。

「現実では、バスに飛び乗ってどこかへ行くことなんてできません」

家から飛び出した あの日の感情 

クルスは2015年に初めて家を出た。このできごとについて、親子はそれぞれかなり違う受け止め方をしている。

クルスは「家を追い出された」という。自分がトランスジェンダーだと気づいたしばらくは、何も行動を起こせなかった(「人生でこんなに長い9カ月はなかった」と振り返る)。打ち明けると、母親はいい顔をしなかった。

「はねつけたというんでしょうか、最初は否定したような感じでした」母親のトマシェフスキはそう説明する。

クルスは家を出るしかないと感じた。行くあてはなく、ホームレスになることを意味した。

「他に選択肢はなかったんです。頭にきていました」

両親のいる家にとどまる物理的な安全か、「心と身体の生物学的な激しい違和感」か。後者を何とかする方が大事だった。

受け入れられない現実 両親からのサポートの難しさ

過去をたどってみても、同居は言うまでもなく、トランスジェンダーが親からどんな形であれサポートを得るのは容易ではなかった。

「家族という存在を失う」のが前提だとゴールデンバーグは言う。

成人した若年のトランスジェンダーが適合手術の費用のために親と同居するようになったのは最近の傾向で、実態を検証した研究はまだ少ない。

若いトランスジェンダーにとって、親と暮らすのは経済的には最善の選択だとしても、精神的にはつらい思いをする可能性がある。トランスジェンダーの若者が自殺を試みる率が非常に高い事実を考えると、見過ごせない問題だ。

LGBTQの人権団体であるヒューマン・ライツ・キャンペーンによると、10代のLGBTの77パーセントは(自分がLGBTであるということから)うつ状態に陥るという。

一番の解決策は、親が受容することだ。親が受け入れてくれると、トランスジェンダーの若者の不安感は、それ以外の若者と同程度まで減少することが、複数の研究で示されている。

クルスが家を出ると、母親のトマシェフスキはショックを受けた。

「置き手紙がしてあって、パパとママは機能不全の人間だ、もう自分の人生に関わってほしくない、と書いてありました」

「そんなふうに出て行ったことに、私と夫は胸がつぶれる思いでした」

当時の自分の行動はあまりほめられたものではないと、トマシェフスキは思っている。

「もっと落ち着いて対処できたかというと、わかりません。でも恥ずべき態度をとる必要はなかった。たぶん、あのときの夫と私は…醜態をさらした気がします」

それでも結局のところ、家があり、強い立場にあったのは両親の方だったそのため、クルスは行き場をなくし路頭に迷った。

サウスカロライナでの入隊が決まっていたが、まだ数カ月先だった。それまでの間、知り合いの家に寝泊まりし、海辺で夜を明かした。

サンタクルーズ、モントレー、サンフランシスコで知らない人の家を転々とし、入手できる限り最大量のホルモン剤を使った。

だが軍の基礎訓練を前に、ホルモン剤を不意に断ち、入隊手続きに向かう事務所の外にあるごみ箱に残りをすべて捨てた。

兵役中に何度か自殺を試みたあとは除隊し、再びベイエリアで「危険」と評されるホームレス生活を送った。今度はホルモン剤をきちんと処方してもらって使い始めた。

東サンノゼの退役軍人用シェルターに身を寄せたのち、ダウンタウンで4人のシェアメイトと住む家を見つけた。

しかし、あまりいい環境とはいえず(同居人でしつこく近づいてくる人や、暴力的な態度を取る人がいた)、洗濯をしにたびたび実家へ戻った。

初めて集会に参加し、母親の心情が変化

2017年5月、転機が訪れる。サンノゼのLGBT支援団体が開いたトランス女性向けサポートグループの集まりに両親を呼んだのだ。

初めての参加だったこの日、クルスはスーパーでメーク用品を買い、少し遅れて会場に着いた。

「トランスジェンダーの女性が40人くらい集まっていて『あぁ、仲間だ、ハロー』という感じでした。最後に残っていた席に座ると、すぐ向かいに両親が座っていました」

この集まりまで、クルスは両親の前で完全に女性としての自分を見せずに時機を待ってきた。その方が安心できると思ったからだ。

ここで母親は「40人のトランス女性の中に身をおく」ことになる。「ママは今、私の世界にいるんだよ」と言い聞かせた。

意外なことに、母親は集まった女性たちに好感をもった。とりわけ、いいアドバイスをくれた年配の一人に親近感を抱いた。

「彼女も同じジェンという名前で、お互いに親しみを感じました」とトマシェフスキは振り返る。それでもクルスは不安だった。

こうして出会った仲間の前で、母親は私をなじったりしないだろうか。だがその心配は無用だった。

「ママは『すばらしい集まりだった』と言っていました」。クルスは初めて、両親の前で心の緊張を解くことができた。

「もう自分の中に、本当の自分を隠す必要は無くなりました」

トマシェフスキは腑に落ちた瞬間を覚えている。サポートグループの集会に出たのち、クルスがみずから精神科の病院に入院し、再び自殺をはかった後、ようやく訪れた瞬間だった。

「こう言われたんです。本当に切迫してなければ、こんなにばかみたいにつらいこと毎日繰り返してない、と。それを聞いて、そのとおりだな、と」

クルスが家へ戻って1年が経つ。子ども部屋を弟と共同で使い、頑丈な木製2段ベッドの下の段で眠る。頭上には電気を消すと光る星のシールが貼ってある。

「実質的には私の部屋ですね。ここへ来ては泣いて、愛についての詩を書いて、お香をたいたりしてるので」

そんなとき、弟は書斎で大学の課題に取り組んでいる。

「弟は完全にこの家の一員です。でも私は少し離れたところにいる一人というか」

自分が女性であることを、母親が100パーセント信じてくれているとは思えずにいる。

「どこかで私がはっと気づいて、自分は間違ってた、元のままがいい、と言い出すと思っているのでは」

それでも、母親が自分を守ってくれることはわかっている。事実、クルスが公園で見ず知らずの人に触られ、相手を引っぱたいた話を思い出すと、トマシェフスキは声のトーンを上げた。

「自分もそこにいて加勢してやりたかったですよ。自分の大切な人をそんな目に遭わせたくないですから。それが子どもならなおさらです」

理解しようとしてくれない親たち

形の上では家族が受け入れてくれて同居する場合も、対立する要素の均衡をうまく保たなければいけないかもしれない。なかでも、近くにトランスジェンダーのコミュニティがなく、家の中で孤立してしまう場合は注意が必要だ。

「やりとりのある人がごく狭い範囲に限られ、意見を聞く相手は主に親だけ」

「それで応援してもらえないとなると、その否定的なメッセージを自身の中に溜め込んでしまう恐れがあります。自分自身が揺らぐのです」

ゴールデンバーグはそう指摘する。

トランスジェンダーやクィア、従来のジェンダー規範に当てはまらない子どもに対する行動で、行き過ぎたケースもある。

親が学校に行かせず家に閉じ込め、インターネットも遮断して意図的に孤立させるなど、心理的な虐待に出る場合などだ。また、条件付きで受け入れるやり方も有害だ。

ゴールドバーグが警告してきたにもかかわらず、成績を上げたらホルモン療法を受けていい、名前を変えていい、と押しつける親はやはりいるという。これはうつ病の人に意図的に治療を受けさせないのに等しい。

それほど過激ではないトランスフォビア(トランスジェンダー嫌悪)の人々に対しても、折り合っていくには非常に骨の折れる慎重な計算を要する。

「トランスジェンダーの人たちが身を置くその場所では、自分たちの権利を守ってほしいと声をあげたいけれど、今もらえているサポートは失いたくないわけです」

「そうしてコストと便益の分析を日々考えて行動している人が少なくない。これは精神的にかなり疲弊します」とゴールデンバーグは説明する。

不法滞在、両親との対立、大学中退...そんな彼を救った場所

ギルロイで両親と暮らすエリックは、高校生のころからこの切り替えを日常的に何とかこなしてきた。

今はサンノゼのLGBTユース・スペースでスタッフとして働いているが、メキシコ生まれカリフォルニア育ちのエリックにとって、ここまでは長い道のりだった。

14歳のとき、それまでほぼ切らずに伸ばしてきた膝までの髪を切り、資金を貯めて27歳で性別適合手術を受けた。だが続くテストステロンの投与は、家を出て生活できるまで保留している。

「一度はテストステロンの投与をしたのですが、うぶ毛が生えてきて気が動転してしまって。無理だ、これは必死で隠そうとすることになる、と」

今は、少なくともある程度隠しておくことは避けられないという。両親を動揺させるリスクが高いからだ。

「かなり小さいころから自分をわかっていたし、自分の感覚もわかっていました。それを表に出そうものなら、必ず拒絶されました」

中学生で男子用の服を買ったあとは、寄付を受けた。髪を徐々に短くするたび、父親は失望したように首を振った。

「母親は言葉で激しくなじってくるタイプですね」

エリックの場合、親に頼らざるを得ない事情があった。長い間、不法滞在の状態だったからだ。

24歳のとき、DACA(Deferred Action for Childhood Arrivals、幼少期に親に連れられて米国へ不法入国した若者の強制送還を免除する救済措置)により合法的に滞在できるようになった。

それまで、警察にとめられて国外退去にさせられては困るからと、両親から車の免許をとらせてもらえなかった(カリフォルニア州では2013年まで、不法滞在者は運転免許が取得できなかった)。

大学の学資援助も受けられず、伯父からの経済的な支援を得て通っていたサンノゼ州立大学も、伯父が学費を出せなくなり退学を余儀なくされた。

続いて地元ギルロイのガヴィラン・カレッジに入学、学生の身分を確保するため特に目的なく授業を取り続けた。

クパチーノにあるディアンザ・カレッジがバスの無料パスを在学生に出すと聞くと、交通機関をただで使える機会だからと飛びつき、キャンパス近くに住む叔母の家で寝泊まりした。

ディアンザに在学中、サンノゼ中心地にあるLGBTユース・スペースを広告で知った。LGBTQの若者を対象にサポートグループやカウンセリング、クィアプロムのようなイベントを行う団体だ。

しかし実際にそこへ行く足を見つけるまでに1年がかかった。「小さいチラシをもらって帰り、折って財布に入れて、お守りか何かみたいに持ち歩いてました」

現在、エリックはユース・スペースのアウトリーチ・コーディネーター(必要な支援を届ける相談員)を務める。

ユース・スペースは心ない誰かの攻撃の的になったこともあるが、この場所こそが窮地にあったエリックを救ってくれた。

「あのとき、ああしてしかるべきところにたどり着けていなかったら、今の自分はありません」

「あのコミュニティがあって、あそこでカウンセリングを受けられたからこそ、今こうして家で暮らすことができています」

「LGBTを支援する拠点は全米でどんどん増えていて、そうした拠点が身近にあるLGBTの若者にとっては、生きづらさをかなり緩和してくれるよりどころになっています」と、先述のジャーナリスト、サマンサ・アレンは言う。

例として挙げるのはソルトレークシティだ。同じユタ州でもモルモン教の色濃い町プロボでさえ(アレンは高校時代をここで過ごしている)、LGBTの若者を支援する施設がある。

性別適合手術の計画を知った家族と、初めて性自認について語る

居候していた叔母が引っ越すのに伴い、エリックはカレッジの途中でギルロイにある実家へ戻った。適合手術の費用を貯め、健康保険に入り、術後の回復期に休みを取れる仕事が見つかるまでは何年もかかった。

そしてある日、サンフランシスコの医師の元へ向かう途中、怒った元恋人が母親に電話を入れ、エリックがそれまで黙って準備を進めてきた性別適合手術の計画が親の知るところとなった。

母親は怒りに震えて電話をかけてきた。「あんた、何考えてるの?どうかしてるよ!」母親がそう声を荒げたのを覚えている。

エリックの性自認について2人が直接話したのは、これが初めてだった。エリックはひるまず続けた。

「選択肢は2つ。ママが追い出せば、術後はサンフランシスコの粗末な安宿で回復まで過ごす。そのお金はあるから。もしくは、手術が終わったら家で身体を休めて、感染症になるのを防ぐ」

母親は態度を和らげ、「賛成はできないけど、受けるのなら回復まで家で身体を休めてほしい」と答えた。

手術当日、エリックはいとこが運転する車でサンフランシスコまで行き、術後の回復期は母親が面倒をみてくれた。あくまで何か別の、よくある手術を受けた後かのように。

エリックが家で過ごす時間は長くない。「両親と住んでいると、やっぱり今も耳に蓋をするような場面はたくさんあるので」

車を運転できるようになったため、以前のように家に帰りたくなくて「授業が遅くまであるから」とうそをつく必要もなくなったが、現状は理想とはほど遠い。

トランスジェンダーの人々が安心して暮らせる社会へ

一方、家族や親戚のつながりは密接だ。メキシコの文化だからだろうとエリックは言う。数カ月前、サンノゼにいた祖母がギルロイへ移ってきたとき、一家はそろって仕事を休み、家族総出で引っ越しを手伝った。

それまでは仕事と学校の合間を見つけて週に1、2回は祖母を訪ね、届いた書類などを英語に訳してあげていた。いとこたちとはしょっちゅう一緒に、ゲーム「大乱闘スマッシュブラザーズ」に興じている。

この記事でエリックは自身を「they」で書いてほしいと希望したが、両親や友人、職場の同僚にはそうは伝えていない。

(「They」は、男性としても、女性としても自認しない人、または、he/she/him/herとして呼ばれたくない人について書くときに使われる。詳しくはこちらを参照)

「まだ、3人称単数形(he)を使ってほしい、と周りに主張する段階まできていません。特に家族には」

正式に名前を変える手続きをとるのも論外だという。DACAで合法滞在できている立場が危うくなるかもしれないからだ。

不法滞在だったトランスジェンダーの友人が、名前を変更したせいで合法移民の資格を失った話は何度か聞いている。そんなリスクは冒せない。

どんな状況なら許容できるかの基準は人によって違う、とゴールデンバーグは言う。大事なのはトランスジェンダーの若者が家で安心して暮らせるかどうかだ。

カナダのブリティッシュコロンビア州の裁判所は昨年3月、ホルモン治療を希望したトランスジェンダーの少年(14)に対し父親が治療を受けさせなかった件で、少年の立場を支持する決定を出した

子どもを本人の希望と異なるジェンダーとして扱う、必要な医療を受けさせないなどの行為を虐待とみなすカナダ初の判断となる。少年は過去に自殺を試みており、医師らはホルモン治療をすれば再発を防ぐことにつながると証言した。

だがエリックやクルスは大人として、自分の未来をみずからの意志で選んでいる。

ジェンダーの移行か家族か、いずれかを選ぶのは嫌だった

フランク・ペーニャは、現在暮らしている祖父母の家にこれからもずっと住みたいと思っている。東サンノゼにあるこの家を祖父が買ったのは、70年代前半だ。

農場労働者向けの住居やプラムを干す小屋で寝起きする子ども時代を経て、ようやく持てたわが家だった。一家がアメリカへ来て初めて手に入れた物件で、これまで家族みんなで恩恵を受けてきた。

ペーニャと妹のアレハンドラが一組の布団にくるまってリビングで眠り、両親と祖父母、3人のいとこたちがそれぞれ寝室を使った時期もあった。

祖父母は仕事を引退しテキサス州南部へ移ったが、ペーニャと妹と両親は今もここで暮らす。

トランスジェンダーだから家族や生まれ育った家とのつながりが絶たれても仕方ない、とはペーニャは考えていない。それでも、実家で家族と暮らすのは複雑だ。

妹のアレハンドラはペーニャのいう「くだらない争い」を避けるため、家でペーニャのことを話す際は、性別を問わない「sibling(きょうだい)」などを使うようにしている。

「お互いを『brah(=brother、親しい友達や兄弟に対して使うスラング)』と呼んでるので、妹もそうしてます」

ペーニャは18歳のときに、親に黙ってテストステロンの投与を始めた。そして髪を短くした。

「ジャスティン・ビーバーがやってたマレット(襟足だけが長めのスタイル)みたいな感じで」

「あの髪は覚えてる。ひどかったよね」とアレハンドラは言った。

ペーニャの髪型を見た母親は、家を出て行けと告げた。

「母親は、この家を出て行くならきっぱり出て行きなさい、という態度でした。携帯電話も車も、何も持たずに出ました」

家を空けたのは結局1週間だけだった。母親がわが子の居場所がわからないのを嫌い、ペーニャはいとこの運転する車で帰宅した。

そして親子はペーニャのアイデンティティについて初めて話し合った。その後も繰り返される長い対話の始まりだった。

「どちらかを選ばなくて済むようにしたいという気持ちがありました」

ジェンダーの移行と、家族。いずれかを選ぶのは嫌だった。家族を捨てる選択をするつもりも毛頭ない。今も週末には毎週、親戚一同がギルロイの叔母の家に集まる。

幼い子どもたちが大勢走り回る中、バーベキューをし、ビールを飲んで、「髪が薄くなったとか白くなったとか、顔にしわが増えたとか言って」からかい合う。

トランスジェンダーであることを理由に、この輪を外れたくはなかったとペーニャは言う。

「家族の元を出て行くという文化は、ずっと白人的なものとされてきました」

そして母親はよくこう言った。「あんたは白人じゃないよ」

ペーニャいわく、メキシコの文化では「家族とはずっと一緒、この件はまあいいかと流すか、話し合って一緒に解決するか、でなければ今後はもう口に出さないか、なんです」

LGBTQのコミュニティでは、ペーニャのメキシコ人としてのアイデンティティを理解できない仲間もいるかもしれない。

家族や親戚の中には、ペーニャのジェンダーを理解しきれない人もいる。この二つのコミュニティの間を何とかうまく行き来しているのだ。

それでも着実に一歩ずつ、理解を深め合う家族

ここまでやってこられたのには、妹から多大なサポートを受けながら、一歩一歩、注意深く交渉を重ねてきた背景がある。

母親は当初、ペーニャには直接言わないことをまだ中学生だったアレハンドラに話すこともあった。「ママが私に『(ペーニャに)やめさせるように言ってよ』と言ってきたりもしました」

一緒にLGBTQユース・スペースに足を運び、ペーニャの仲間とも顔なじみになったアレハンドラにとって、兄を応援することには何の迷いもなかった。

「とにかく兄は前と変わらず、一貫してずっと同じ人間なんだという点を強く意識してきました。私にとってそこが大事な点でした」アレハンドラはそう言って涙ぐんだ。

「ごめんなさい。母親がすごくひどいことを言ったのを思い出したら泣いてしまって」

母親の心ない言葉は兄には伝えなかった。「兄を傷つけたくなかったので」

アレハンドラはペーニャの二つの世界の橋渡し役をしてきた。ペーニャのジェンダーを特に家の外でどう扱うべきか、母親に意見したこともある。

「他の人に『これがうちの娘たちです』とか言うのはやめるべきだよ。変だもん。ママがばかみたいに見えるよ。明らかに髭生やしてて髪も短いのに」

高校生だったペーニャに、母親があなたも目覚めて女らしくしてみたらどう、と促したことがあった。だが妹のアレハンドラにはそうした言動をとらなかった。

「だから私はそのままの自分でいるのが多少楽でした」とアレハンドラは振り返る。

自身は異性愛者でシスジェンダー(生まれもった身体的な性別と性自認が一致していること)だが、地域に新しくできたLGBTQ向けのホームレスシェルターで仕事を得た。ペーニャと共に歩み、積んできた経験が生かせた。

最近、兄と妹は、家の中で両親との役割交代をしつつある。2人が何年も前に家を出ていればあり得なかった変化だ。先日、家の電気が止められてしまった。

ペーニャが調べてみると、父親がオンライン支払で入力する数字を間違えていたとわかったので、訂正しておいたそうだ。

「滞納分を払って親の信用情報を回復しようとしているところです」

両親とのバランスを上手く取れるようになったことを、ペーニャは誇らしく思っている。

他のクィアやトランスジェンダーの仲間たちは、最初からあきらめずに親に十分なチャンスを与えているのだろうか。

「もしどうしてもうまくいかなったのなら、残念だね」ときどき、そんなふうに思う。

トランスジェンダーの子を無条件でサポートする親がもっと増えてほしいと、ゴールデンバーグは願っている。

「親としてあるべき姿を体現した親になれるいい機会です。この機会をうまく利用できたらすばらしいですよ」

ジャーナリストでシアトル在住のアレンは、安住の地を求めて海岸沿いの大都市へ逃れてきたLGBTQが、地元を去ったことに罪悪感を覚えるのを時折見てきた。

アレンが執筆のために取材したような、保守的な地域に残って暮らす同胞の話に接すると特にその傾向があるという。

ストレートのリベラル層は、共和党が強い生まれ故郷に戻ってリベラルの風を吹かせよう、と呼びかけたりする。だが拒絶されるのであれば、帰る場所である家も空虚な概念にすぎない。

アレンは言う。「それぞれの人が、自分にとってベストな選択をすべきです」


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世界各地でLGBTQコミュニティの文化を讃え、権利向上に向けて支援するイベントなどが開催される毎年6月の「プライド月間」。BuzzFeed Japanは2020年6月19日から、セクシュアルマイノリティに焦点をあてたコンテンツを集中的に発信する特集「レインボー・ウィーク」を実施します。

【配信中】オトマリカイ@ BuzzFeed News Live あなたのお悩み一緒に考えます🏳️‍🌈 LGBTQの当事者から寄せられた相談について、りゅうちぇるさん(@RYUZi33WORLD929)&ぺえさん(@peex007)と一緒に考えます。 視聴はこちらから👇 #PrideMonth #虹色のしあわせ🌈 https://t.co/H3uXcYtszu

特集期間中は、ハッシュタグ「#虹色のしあわせ🌈」を活用し、さまざまな記事や動画コンテンツのほか、LGBTQ当事者からの様々な相談を、ゲストのりゅうちぇるさん、ぺえさんと一緒に考える番組を配信します(視聴はこちらから)。

この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan

CORRECTION

この記事で当初、ピア・クルスさんについて「男性の体を持って生まれたが、心が女性だと気づいたのは18歳の誕生日だった」と記していました。「自分がトランスジェンダーだと気付いたのは、18歳の誕生日だった」に修正いたしました。