アイス・バケツ・チャレンジの中心人物、ALSのピート・フレーツ氏が死去

    「ピートは、私たち全員に自分の才能と強みを、他人への奉仕に使うように促した高貴な戦士でした」とフレーツ氏の家族が話している。

    頭から氷水をかぶり、筋委縮性側策硬化症(ALS)の周知と患者への支援を促す「アイス・バケツ・チャレンジ」が数年前に流行した。

    この運動の中心人物で、ALSのため数年間、闘病生活を続けていたピート・フレーツ氏が、12月9日に死去した。34歳だった。

    元ボストン大学所属の野球選手であったフレーツ氏は、2012年にルー・ゲーリッグ病としても知られるALSと診断された。

    2014年7月に、フレーツ氏はALSの研究を支援するため、SNSでの募金活動の一環としてアイス・バケツ・チャレンジを始め、そして数百万ドル(数億円)がALSの研究のために集められた。

    フレーツ氏の死去を発表した声明の中で、家族は彼を世界中の人たちへの「インスピレーション」だったと話した。

    「ピートは生まれつきのリーダー、そして究極のチームメイトで、すべての人、特に若いアスリートたちのロールモデルであり、逆境に直面する勇気と揺るぎない前向きな姿勢が尊敬されていました」とフレーツ氏の家族が話している。

    「ピートは、私たち全員に自分の才能と強みを他人への奉仕に使うように促した、高貴な戦士でした」

    タイム誌によると、ALSに関与しているとされる遺伝子の発見につながったこのアイス・バケツ・チャレンジに最初に取り組んだのは、プロゴルファーのクリス・ケネディ氏だ。2014年7月にALSであるいとこの夫、アンソニー・セネルキア・Jrを支援するため、バケツを使って氷水を頭からかぶり、これをALSのチャリティーとした。

    数週間後、SNSで多くのフォロワーを持ち、ALSコミュニティに深く関わっているフレーツ氏も、このチャレンジに注目することとなった。

    フレーツ氏が #StrikeOutALS のハッシュタグを使ってFacebookに自身のビデオを投稿した数日後、キャンペーンは始まった。

    筋力がだんだん衰えて麻痺し、死亡することも多いALSと診断されたにもかかわらず、フレーツ氏は自分の病気について不平を言うことはなかった、と家族は話している。

    自分が病気になったことを、他の患者とその家族に希望を与える機会だと考えていたそうだ。

    「ピートは自分が生きている間、治療法がなかった病気の軌跡を変えようとしていたのです」と家族が話している。

    「2014年8月、アイス・バケツ・チャレンジはSNSを使った資金集めの草分けとなり、そして世界中で寄付を集め、ALSのケア、遺伝子的な発見へと繋がりました。そしていつかは、治療法へと繋がるかもしれません。ピートはすべての人にとって希望の光でした」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。