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「私、ノンバイナリーだと思う」彼に告白した。2人の性生活を振り返ると、無理ばっかりしていた

自分の性についてパートナーに告白した実体験。「パートナーに打ち明けるのは恐ろしかった。でも言ってよかった。私自身にとっても、ふたりの関係にとっても、互いの性生活にとっても」

何も言わずに、パートナーと向かい合って私はベッドに座っていた。話を切り出したのは私のほうだったが、実際にその場にいると、言葉を発することができなかった。

わざと秘密にしていたわけではなかった。自分の体の感じ方や、この世界での私の生き方について、それを言い表す言葉があると、つい最近になって知った。

ベッドの上に座るパートナーと私の間隔が、これまでにないほど広く見えた。自分たちのベッドで彼に近づけないと感じたことはいままでなかった。

家を買ったときに一緒に選んだベッド。自分が購入した初のベッド。毎晩犬たちと寄り添って寝て、カバーを取り合いっこしたり、父が亡くなったときに一緒に泣いたりしたベッド。

告白したら、パートナーは私を愛してくれないと思った

彼は私のほうへ手を差し伸べ、ふたりの間の空間を少し埋めてくれた。私も彼に手を伸ばしたかった。彼の手に触れ、伝えたいことを感じてもらい、言わなくて済むようにしたかった。

「君のことはいつまでも愛している」と彼は言った。

これまで数え切れないくらい聞いた言葉だった。落ち込みすぎてベッドから出られなかったときに囁かれた約束。性暴力を受けた経験から親密になるのが難しかったときに伝えられた安堵。

「私も愛してる」と私は言った。

「話したくないんだけど、私はノンバイナリーだと思う」。こんな言葉が私から転がり出た。ノンバイナリーとは、自分の性認識が、男性か女性の一方に当てはまらない人を指す。

「これまでと同じようには行為はできないと思う」

彼はベッドの上に置いた手を引っ込めた。彼が私の言葉を待つ間、私も彼の言葉を待った。「まだ俺としたい?」と彼は尋ねた。

びっくりした。「もちろん」と私は言った。

「もちろん、あなたとしたい。とても愛してる。私の問題なの、私が今こうだから」。私は泣き始めた。

「どうしたいのか分からない。でも、そばにいてほしい」

彼は私を抱き寄せた。「行為のしかたや、一緒にいる方法はたくさんあるよ」。彼は言った。

「俺はその全部を君としたい」。彼は彼らしいやりかたで私を抱きしめた。こんな抱きしめ方ができるのは彼だけだった。

3年前のあの冬の日、ベッドの上に座って、私たちは話をした。パートナーとは、今でもこの話を続けている。

重い言葉、気まずい沈黙、傷ついた気持ち、うめき声、喘ぎ、ため息が混じる会話。性行為は義務ではなく、愛情、欲望、そして連帯の表現。

ともになりたい状態を模索し、成長し、そのための連帯を表現することを私たちは一緒に学んでいる。


自分の性を自問自答し、弱さを見せられるコミュニティを見つけた

自分がノンバイナリーじゃないかと疑い始めた直後、私はダイエットするのをやめた。

体が変化し成長につれ、自分はどこも悪くないこと、そして私の責務は、これまで自分に強いてきたすべてのことに対し、自分自身と自分の体に償いをすることだと、私は学んでいった。

今、私は太っていて、トランスジェンダーで、ノンバイナリーな体をしていて、他の人たちが課した枠の中に収まりたくないと思っている。(訳注:トランスジェンダー:出生時に割り当てられた性別とは異なる性を自認する人)

私は基本的にはみ出し者で、定義できないものに対する嫌悪に満ちた社会には、理解されない経験を、ほとんど毎日大いに楽しんでいる。

ときおり、自分は本当にノンバイナリーなのか、ノンバイナリーでいることに価値があるのかを自分に問う。

でも、子どものころ、胸が大きくなったときに感じたことを思い出す。紐で縛ってぺっちゃんこにしたかった。切り取ってしまうか、いっそのこと死んでしまおうかと思った。

この感情は、AFAB(出生時の性別が女性)のトランスジェンダーやノンバイナリーの人たちにとって、いかに当たり前のことかまったく知らなかった。

いま電話できる友だちについて考える。パートナーやセラピストへの話し方とか、恥ずかしかったり後悔したりすることなく、こういう弱さを見せたことで見つけたコミュニティについて考える。

パートナーも自分と同じ恐れを抱いていた

でも、こういうことを私のコミュニティと共有する前は、こんないいことが待っているなんて考えてもみなかった。

分かっていたのは、自分に関して告白するのが怖い話、相手がもう私を嫌いになってしまうのではないかと思う話を、パートナーにしなければならないという事実だった。

彼もまた、私と同じ恐れを抱いていたことには気づかなかった。

私の性自認が体の性別と異なることで、性別と性自認が一致しているシスジェンダーではない人を、私が望むのではないかと彼は心配していた。(訳注:シスジェンダー:出生時の性別と性自認が一致し、それに沿って生きる人)

これに関しては、今ではふたりで大笑いする。

ふたりとも、私の変化がふたりにとって何を意味するのかを恐れていた。

これ以降、私たちは、変化は避けられないというだけでなく、ほとんどの場合は、よい方へ向かうものということを学んだ。

誰かと人生を築く選択をし、友人全員の前で「この人が、私の運命の人」と言うとき、生涯起こりうる数々の変化を受け入れる覚悟をする。

SF作家の故オクティヴィア・バトラーは、『Parable of the Sower(種をまく人)』の中で次のように書いている。

触るものすべてを、あなたは変える。

あなたが変えるものすべてが、あなたを変える。

唯一の変わらない真実は、変化だ。

神は変化である。

当然の成り行きで、私たちの関係が変わり、ふたりの性別が変わり、互いへの関わり合い方が変わって、性生活も変わった。


性行為での自分の役割が「カメレオン化」していった

付き合い始めのころ、パートナーと私は年中、行為をしていた。ふしだらなフェーズと堂々と呼んでいる最後の方では、最高に熱烈な性生活を私たちは送っていた。

ジェイは、大勢の(非トランスで)シスジェンダーの女性と寝ていたし、私はボストンの豊かなバイセクシュアルの世界で遊んでいた。

相手をへとへとにさせる腕前、行為へと、互いの性的能力に磨きをかけた。

ふたりとも、相手に快感を与える義務があると思っていた。気が遠くなるような行為を提供することが仕事だと思っていた。それが一夜限りであれ、付き合っているのであれ。

ジェイは、自分は他の「男たち」とは違う、自分はよく気がつく恋人だと示そうとした。それと同時に、「彼女」を満足させなければという自分の逞しくて強く有害な男らしさから、計り知れないプレッシャーを感じていた。

私の場合は、また別のプレッシャーがあった。たいてい、性別にかかわらず、相手にとって私は初めてのバイセクシュアルだった。(訳注:バイセクシュアル:両性愛者)

だから一晩中、いつでも行為ができ、いつも相手を満足させられるよう、床上手でなければならないと思っていた。

自分がカメレオンになったように感じた。

男性が望む従順な女性になったり、女性が欲する積極的な攻め役になったり、自分の体や感覚をゆがめるのだ。自分は何になりたいのか、問い続けることをやめられなかった。

どちらもこういう荷物を抱えて付き合い始めた。そして最初の行為は最悪だった。

怖いとか危険とか残忍とかじゃなくて、互いに想像していたのと違った。

あの夜、私たちの行為は、権力争いのようだった。

ジェイは自分が主導権を握る必要があると感じていた。私も仕切りたかったけど、彼が望んでいると思った従順な女性になろうとした。とても変な感じだった。

二度目は、この人だ、と思った。

薄っぺらく聞こえるかも知れないけど、私もパートナーも性的に活発で、性行為にいたることで破局を免れた経験が一度以上ある。

互いに共感できることが何もないとき、行為の相性がよいということで共感できる。

「義務感からの行為」は絶対にしない約束

まだ私たちが発情期のウサギみたいだった時期の、ある日の午後。

彼のアパートに2人きりだったときに、寝返りを打って、目で誘いながら、「やりたい?」と尋ねた。

「いつもね」。彼は答えた。

「それは嘘。いつもやりたい人なんていない」。私は笑った。

「それに、あなたは機械じゃない。いつもやりたがる必要はない」

彼はベッドの上に座った。その1カ月、ほとんど毎晩、私が眠っていたベッドだ。私は彼の隣へ座り、背中に手を当てた。

彼は頭を振った。彼が泣くのをみたのは初めてだった。

「そうだな」と彼は言った。「したくない」

何年も経ってから、私がこのエッセイを書くことになってからようやく、行為の誘いを断っていいと言ったのは、私が初めてだったと言われた。

あのあとすぐに、ジェイと私は、義務感から行為は絶対にしないと決めた。どちらかの返事が「もちろん!」以下だったら、絶対にしないことにした。

あの約束がその後何年も、物事がもっと難しくなったときの基盤を築いた。


性への違和感で、パートナーとの行為から遠ざかった

5年付き合って、私は自分の性別がしっくりこないことに気づき始めた。自分の中の恐怖と私が戦っているとき、ジェイは仕事が忙しく、行為の回数が減り始めた。

洋服を脱ぐたびに、性別違和感が醜形恐怖と一緒になって次から次へと打ち寄せ私を襲う。鏡で自分の体が目に入ると、自己嫌悪で打ちのめされる。

あれは新しい肥満線? 太った? 胸ってこんなだっけ? 

そもそもなんでそんなもの最初から必要だったのか。しかもこんなに大きく不格好なものが。ペニスがあった方がよかったのだろうか。いつこんなにお尻が大きくなったの?

質問が次々と私を襲い、私は泣きはじめ、涙が止めどなく溢れ、クローゼットからいちばんだぶだぶで、みすぼらしい服を引っ張り出してきて、いまいましい体を服の下に隠した。

このことをジェイから隠せていたと私は思っていたけど、彼にはばれていた。私の服装からではなく、私が自分の殻に閉じこもり、彼と性的な接触を持つことから遠ざかっていたからだ。

パートナーと向かい合ってベッドに座り、自分がノンバイナリーだと思うと伝える3週間前、私は探りを入れてみた。

ある土曜日の夜、ふたりとも酔っ払ってベッドに入るまで、私は待った。私はシャツを脱いで、できるだけさりげなく尋ねた。

「性別移行したら離婚する?」

飲んだあとでしか真面目な質問ができないのは、ジェイを信用するようになる前からの私の古い癖だ。

そんな子どもっぽい手を使うのはばからしく思えた。(でも酔った自分が同じ手を使うのをやめさせるほどではなかった。)

ジェイは笑い、私の手をとり、微笑んだ。「ずっと君のことを愛するよ」


行為は共有の喜びであり、相手を理解するためのもの

彼に打ち明けたあと、ジェイと私の行為は変わった。

以前は、互いの過去から引きずってきた癖が出ていたけど、どうすると気持ちいいかを私たちは探り始めた。

私たちはいつもベッドでのちょっとした猥談を楽しんだけど、今では行為も交わす言葉も単に長い会話みたいで、いくつもの「いいよ」や「だめ」に過ぎなくなった。「あ、そこいい」とか「もうちょっと優しく」とか。

付き合い始めのころ、行為への同意はほとんど契約的な会話に聞こえた。

でも今では、相手に何をしたいかを話すことで、互いを刺激する対話へと変わった。

いかれた性的な物々交換制みたいに同程度のオーガズムを与えることに注力する代わりに、私たちは相手が悦ぶこと、一緒にいるとどう感じるのかを気にかけた。

私が支配されて、挿入して欲しいときもあるし、支配して、挿入したいときもある。

でも大抵の場合は、互いに相手を包み込み、対等な立場で時間を共有できる。

この新しい関係は、私たちが常に行為をしていることも意味する。

奇妙に聞こえるかも知れないが、私のセラピストが言うには、「すべてが前戯」なのだ。

つまり、私が人前でパートナーのお尻を掴んだり、彼が私の手を掴んで、街頭の下で私にキスをしたりということだ。

スーパーで桃を見つけた彼が桃を私に見せ、私のお尻に見立てて桃に噛みつく真似をしたり。いい曲が流れてきて、私が彼の後ろに立ち、彼に体を押しつけたり。

そういうのがキスや行為や、互いの自慰行為に繋がることもあるけど、たいていの場合は、からかったり、触ったりと、悦びを生み出す気取らない時間なだけだったりする。

行為はもはや目的に達する手段ではなく、それ自体が目的なのだ。

ということは、絶頂に達することが行為の目的でなければ、なにが目的なのか。

ニューヨーク・タイムズ紙でベストセラーになっている『Pleasure Activism(プレジャー・アクティヴィズム)』の中で、著者のエイドリアン・マリー・ブラウンは次のように書いている。

「喜びの分かち合いは、それが肉体的、感情的、精神的、知的なものであれ、分かち合う人たちの間の架け橋となる。それが分かち合われなかったことを理解する基盤となり、仲違いの脅威を減らす」

絶頂に達することだけに気を取られてはいけない。パートナーとの行為からは、悦びや共有の喜び、言葉にできない互いの感情を理解する手がかりを得ることができるから。


今ではベットが遊び場に

ノンバイナリーだと打ち明けたときに予期しなかったのは、パートナーが変わる余地、有毒な男らしさに閉じ込められないアイデンティティを相手が見つける余地を生むことだった。

私たちの関係に心底求められていた、ひと息つける場所を生むことも分からなかった。

性的マイノリティのコミュニティを見つける手助けにもなった。

この世界は、性的マイノリティコミュニティを軽視したり、ときには罰しさえしたりする。

しかし、性的マイノリティやノンバイナリーやポリアモリー(互いに同意の上で複数の相手と恋愛関係を持つこと)である大胆さを私たちが持っているからこそ、性的マイノリティコミュニティは私たちを愛してくれる。

私たちのベッドは閉鎖的な場所になることもあるけど、ほとんどいつも天国で、今では実験の場になっている。革新と探求の場、仮説を試す場だ。

そして、安心してほかの人を招ける場ともなった。

最近、ジェイと私は、自分たちのベッドに裸で寝ている人をまじまじと見た。

私たちの新しい恋人が見ていないときに、「問題ない?」と私はジェイに尋ねた。

ジェイは頷いた。私たちは押しあったり、笑ったり、汗をかいたり、体が絡み合う空間へと潜っていった。夜が私たち3人を包み込んでいった。

昔だったら、私は一旦やめて、ジェイを脇に引っ張り、大丈夫だと言ってほしいと言葉を尽くして頼んだだろう。

でも私が打ち明けて、みんなも打ち明けて、私たちは互いの欲求に常に消費されるのではなく、互いを信じることを学んだ。

私たちは絶え間なく成長し、変化している。消耗することもあるし、胸を躍らせることもある。

でも確かなことがある。私たちの性生活は、まだ始まったばかりということだ。


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この記事は英語から翻訳・編集しました。
翻訳:五十川勇気 / 編集:BuzzFeed Japan