「結婚式ダイエット」をきっかけに、これまでを振り返ってみた

    私はこれまで、人生の節目が訪れるたびに、自らの体を忌み嫌い、恨めしく思ってきた。いまになってそれをやめるのは難しい。

    ネット上での私は、男性との議論で負けたりしない。私は賢く、口が達者で、頭の回転も速い。傷つくこともほとんどない。だから人々は、私の発言や文章で何か気に食わないことがあると、おおかた、私が太っていることを指摘する。単純だが卑劣な攻撃、どんな状況でも使えるやりくちだ。

    私は、オンラインハラスメントや、一般的に女性として生きることの危うさを頻繁に取り上げて文章を書いている。しかし、私個人の自尊心に、体重がどう影響を及ぼしているかに触れることはしない。友人や家族に話したりもしないし、書くことに至っては皆無と言ってもいい。あまりに私に密着しすぎた話題だからだ。それに、他人からのそうした残酷なひと言で、本当は自分が傷ついていることを、徹底攻撃してくる人たちにはけっして知られたくない。

    その点を除けば、さほど頑張らなくても、私は自分に自信が持てる。下手くそなライターだと言われたって、ちっともたじろがない。それが真実でないことを知っているからだ。ばか呼ばわりされたり、自己満足だと言われたりしても動揺しない。それもまた、真実ではないからだ。

    私はこれまで、「くそったれ」「嘘つき」「自己中」「うすノロ」「無礼者」「偏屈」などと呼ばれてきたが(デートアプリのプロフィール欄だとしたら完璧だ)、私が何よりも気にするのは、太っていると指摘されることだ。

    人々がなぜそう言うのかはわかっている。私が傷つくからだ。そして、どうでもいいひと言、それ自体は侮辱とは言えない言葉なのに、傷ついてしまう自分に屈辱感を抱く。

    太っていると言われて傷つくのは、フェミニストにあるまじきことである感じがする。そうした言葉をかけられたときに平然としていられないのは、攻撃者の思う壺だし、自分に負けるだけでなく、フェミニストのコミュニティも傷つけてしまうように感じる。罠があると知っていながら、自分が愚かすぎてそれを回避できず、まんまとそれにかかってしまうような感じだ。

    ここ5年間で私は、ベストセラー本を1冊書き、婚約し、昇進して、テレビ番組にも出演した。同時に、9キロほど体重が増えた。これらの事柄のうち、私がいつも考え続けていることはどれだと思うだろうか?


    今日、いやな通知メールが届いた。結婚式が34日後に迫っているという通知だ。34という数字に慌てているわけではない。慌てた本当の理由は、490日間もかけて結婚式の準備をしてきたことに気がついたことだ。

    私は1年4ヶ月ものあいだ、招待客の誰がどこに座るのか、ヒンドゥー教の女性が眉間の上につける丸い印「ビンディ」はどうしたらいいのか、髪の毛はどのくらい伸ばしたらいいか、といったことに頭を悩ませてきた。おまけにあろうことか、椅子に蝶結びのリボンを付けるか否かを母と言い争ってきた(リボンなんか付けるべきではないし、そんな話をしなければならないことさえ信じられない)。

    私は、結婚式なんてどうでもいいと思っている。幼いころから、妻になることはもとより、「夢のような」結婚式を挙げることさえ、思い描いたことがなかった。結婚式の準備はおおかた、母がやってくれている。母の思い描く、ヒンドゥー教の伝統的な結婚式のあるべきかたちがあまりにも複雑で、私には口をはさむことさえなかなかできない。私自身は無関心なので、そうした諸々に煩わされずに済んでいるのはありがたいことだ。時間の無駄遣いをひとつ回避できていたと思っていた。

    けれども、結婚式には、私がのんきに無関心を装っていられない側面がひとつある。いくら頑張ったところでだ。490日という日数は、結婚式に向けて減量してスリムになるために、私が試行錯誤すべきだった時間の長さでもあるのだ。

    私はこれまで、人生の節目を迎えるたびに、自らの体を忌み嫌い、恨めしく思ってきた。いまになってそれをやめるのは難しい。高校卒業を控えたときには、卒業式までに痩せてみせると誓った。そのあとも、大学の授業初日に向けて、友だちの結婚式に向けて、著書出版に向けて、独身最後の女友だちとのパーティーに向けて、そしていま、自分の結婚式に向けて、痩せるんだと決意してきた。そうした努力はかならず失敗に終わったけれど、それでも諦めず、何度も挑戦してきた。少なくとも、努力しようとする姿勢が大事だと思えたからだ。

    だから毎回、胸のなかで秘かに誓った。「その日」のため、「その写真」を撮るため、今度こそは「ふさわしい」サイズになり、「ふさわしい」ドレスが着られるようになって、「ふさわしい」見た目になるぞ、と。

    結婚式を控えた人が痩せようとするのは、別に新しいトレンドというわけではないし、女性に限った問題でもない。私の婚約者も、同じように焦りを感じているようだ。もう少しかっこよくなりたい、「晴れの日」のためにマシな見た目になりたい、というように。

    世のなかには、花嫁や花婿のための減量プログラムがいろいろあり、ブライダル・ダイエット、ウェディング・ブートキャンプ、ウェディング・ダイエット用アプリ、催眠術を使った結婚式前ダイエット、1年で痩せる、半年で痩せる、6週間で痩せるダイエット、式当日のダイエット、などと銘打っている。

    いっぽうで、インドからの移民である私の母は、人に食べさせることを生きがいとしている。湯気の立つおいしそうな白いごはんを差し出し、私におかわりさせようとする母を諦めさせるには、「ママ、ウェディングドレスが着られなくなったら困るでしょ」というひと言が効果的だ。

    ところが、そうした何もかもが、私にとっては根本的にストレスになっている。自分は痩せなくてはと誓ってから、ダイエットする期間は1年以上あった。なのに、達成できていない。痩せられない自らのふがいなさのせいで、あるいは、おそらくはそもそもダイエットしようと思いたくないところがあるせいで(それは、自己嫌悪に陥っていることや、あれこれ気に病むのに嫌気がさしていることが原因だ)、自分がますますダメ人間に思えてしまう。

    痩せようと思えば、痩せられるはずだ。昔の自分の写真をInstagramに投稿したとき、ちょっとした知り合いの男性がそれを見て、こうコメントした。「前は痩せてたんだね」

    たしかに痩せていた。私は涙ぐみながらそう思った。それは「摂食障害が役にたっていた」からだ。痩せようと思えば痩せられるのはわかっている。事実、いろいろな方法を試して成功してきた。ダイエットプログラム「ウェイト・ウォッチャーズ」、炭水化物を減らす「ケトジェニック・ダイエット」、原始時代の食生活を模した「パレオ・ダイエット」、低糖質・高カロリーの食生活、カロリー制限、絶食。どれも効果があった。

    16歳のときの私の体重は58kgだった。当時の私にとってはぞっとするほど重い体重だったので、お昼ご飯を抜き、朝ご飯にはけっして手をつけず、夕食を半分残すようにしていたら、びっくりするくらい体重が落ちた。そこで私は母に、以前履いていたズボンがどんなに大きかったかを見せて、満面の笑みを浮かべた。ほめてもらえるはずだった。だって、母のほうこそ、ダイエットには余念がなかったのだから。

    ところが、母は私を見てひどく仰天し、それから、夕食を無理やり食べさせるようになった。でも私は、体重を減らす方法なら知っていると考えていた。夕食後に食べたものを戻して、体重を減らした経験があったからだ。

    いったん痩せても、体重はかならず元に戻った。私が試していたような減量法は不健康で、危険で、長続きしないものだった。私は吐くのをやめた。自分自身に過酷な行為を強いるのは本当につらかったし、そんなことはもう続けたくなかった。そうして私は、食べることを楽しみ始め、恋に落ちた。そして、「食べないこと」を娯楽のひとつにするような人たちとのつきあいがない生活を築くように努めた。

    その間に、「ありのままの自分の体を受け入れる」ことが、新しい文化的スローガンとして叫ばれるようになった。それは、自らの外見をひたすら忌み嫌ってきた、多くの女性たちからの明確な反応だった。セレブや著名な女性たちが、カーブを描いたふくよかな体を堂々と見せ妊娠線などモノともしない態度をとるようになった。ビヨンセが超有名ファッション誌のなかで、出産後のふっくらとした下腹部の話を打ち明けたことは、まさに画期的だ。

    それなのにどういうわけか、痩せることはいまだに、夢見るべき成功のようなものだとされている。

    私自身もまだ、ありのままを愛せる境地に至るほど、自分の体と折り合いをつけていない。時間がかかるプロセスであるのはわかっている。でもはっきり言って、自分の腕や脚のことは、できるだけ考えたくない。ビーチに行ったときに、気を抜くと背中の脂肪が折り重なってしまうことも、だ。

    私はとにかく無関心になりたいのだ。自分の体について何も感じないようになりたい。必要なだけ機能してくれる体、(必要なときに)服を着ることができ、必要なときに食べ物を摂取する体に、ただ感謝できるようになりたい(もっとも私には、食べ物を必要とする時が、驚くほどたくさんあるのだ!)。愛は憎しみと同様、あまりにもたくさんのエネルギーや行動を必要とする。たとえ自分が関わりたくない事柄であってもだ。

    というわけで私は、今年に入ってからも、ダイエットには乗り気ではなかった。体重を減らすために体を酷使するようなことは、もうしたくなかったのだ。そうは言っても、ほっそりかつ優雅に腰をくねらせながらヴァージンロードを歩くために、多少なりともぜい肉を落とそうと努力をしないことについては、罪の意識を感じている。

    つまり、私のダメなところは、太っていることだけではない。自らを変えようとしない、自らを変えられない、というところもダメなのだ。私は、悲劇的なまでに長い人生におけるたったの一日に大金をかける結婚式に、心からリラックスして無造作にクールに臨む花嫁でありたいと思うと同時に、いまよりもスリムな花嫁になりたいとも思うのだが、そうはできないのだ。

    結婚式の準備をし始めたころ、私はやっきになって、譲歩することを何度も拒んだ。3000km以上離れた故郷のインドで結婚式を挙げることを拒み、母が望んだ衣装を着るのはイヤだと言い、飲み放題のオープンバーでなければ納得できないと言い張り、女性のみが参列を許されている儀式の場から男友だちを締め出すことを拒否し、夫となる男性の子どもを産むことをみんなの前で誓うように求める僧侶のアドバイスを拒んだ(最後の点については、少しでも事情を知っている人ならわかると思うが、私の言い分が通ったとは言い難い。僧侶はなおも私に誓いを立てさせるつもりでいるのだから。声に出して誓う代わりに、心の中で誓うと断言した私に、仕方なく同意しただけなのだ)。

    私はやがて大いに学習し、結婚式にやってくるほかの人のことで、とやかく文句を言わなくなった(ヴィーガン向けのオプション・メニューがないって? そんなことどうでもいい!)。私がまだ成し遂げられていないのは、私の頭の中で聞こえてくる、私を恥ずかしがらせる声を黙らせることだ。「これは私の結婚式であって、あんたたちは招待さえされていない」のに。

    私のウェディングドレスは、「レヘンガ」という、2ピーススタイルのインドの民族衣装で、深紅の生地にはたくさんのビーズが施されている。特注品でとても美しいが、私の体に合っていない。トップのファスナーを上まで引き上げられないのだ。それどころか、胸が締めつけられてつぶれ、窒息しそうになる始末だ。体形に合わせてお直しする布の余裕はあるものの、そうしたら、「私は痩せてスリムになるはずだったのに」ということを思い知らされてしまう。

    ドレスのことを考えたくないのは、自分のダメなところを2つの方向から実感するからだ。1つめは、そもそも自分の体がこれだけ重いこと。2つめは、体形についての悩みなど忘れて、大きめのサイズを着よう、と腹をくくれないこと。そして、自分の体について劣等感を持っていること。その劣等感を何とかすべく行動を起こそうとしない自分がイヤであること。そして、そうしたさまざまな感情をそもそも持っていることに罪悪感を抱いていること。こうしたことすべてが、自己嫌悪を招く終わりのないループであることを、私は知っている。いずれは、「こうした感情を抱いてもいいのだ」と自分に許すか、こうした感情をそもそも感じないようにしなくてはならない。私としては後者がいい。


    私の知っている、元々痩せているわけではなかった既婚女性はみな、自分の結婚式を、この上なく「最高」な自分、つまり一番痩せている自分を披露する機会として利用していた。

    以前の同僚だった女性は、1日2回、通勤の行き帰りにジョギングをしていた。自分の結婚式に向けて数週間走った彼女は、当日は、すっかり痩せて無駄のない体型になっていた。ブライダルの本には、サンプルサイズの女性やスリムな女性ばかりが登場する。フォトショップで加工されたせいでひどく痩せて見えるため、その体格でそんな豪奢な衣装を着るのは無理なんじゃないかと思うほどだ。

    結婚式までに体重を落としたいという考えは広く受け入れられているようだが、その傾向が強すぎるあまり、ほとんど義務に等しくなっている。ある友人は冗談でこんなメールをよこした。「あなたの結婚式までに9キロ痩せるの手伝ってくれない?」私はこう返信した。「 "私" の結婚式までに "私" が9キロ痩せるの手伝ってくれない?」私たちは笑い合った。笑い事ではなかったのだが。

    一方で、私のおばたちは私に、痩せすぎないよう注意した。私のいとこが痩せすぎたせいで、結婚式当日には、ドレスがお尻までするりと脱げてしまうため、落ちないようピンで下着にとめなくてはいけなかったからだ。

    私の家族の中では昔から、結婚式ダイエットは、結婚する当の本人だけではない問題になる。11年前に兄が結婚したとき、母は、結婚式までに短期間で急激に体重を減らす奇妙なクラッシュ・ダイエットを始めた。朝食はスティックパン2本だけ、昼食は少量の蒸し野菜とチキン、夕食は魚の切り身がほんの少しだけだった。

    母は栄養不足で体調が悪くなり、明らかに極度の空腹が原因で、当時16歳だった私に、何ヶ月もきつい言葉を浴びせた。母は、ダイエットで食物摂取量を制限しすぎたため、医師の許可が必要となり、結局、壊血病を防ぐためだと思われるが、サプリメント注射を受けることになった。

    4日間に及ぶ結婚式の初日、腑抜け状態で疲れきっていた母は、電話の子機を地下の大きな冷蔵庫の中に置き忘れ、そのことで私を責めてひどい言葉をわめき散らした。彼女に悪気はなかったとはいえ、その言葉に傷ついた私は、いまだに当時を思い出そうという気になれずにいる。結婚式の写真を見ると、母はやせこけ、所在なさげだ。あたかも、両腕が抜け落ちそうで、それを支えるかのように、腕を組んでいる。

    母も、今では60代半ばだ。ダイエットをしていないわけではないのだが、体重もかなり増え、健康的なサイズに戻っている。彼女の薬物療法と遺伝子は、彼女の憧れる細い体型にとっては不利に働いている。

    母は、今では私と似ている。「普通のサイズ」で、それが気に入ってはいないが公言してはいない。私は、今のような母のほうが好きだ。骨ばっていないし、それほどイライラしていない。私が勧めると、アイスクリームを食べるときもある。母をハグすると、彼女の全体がそこにあって、温かくていい匂いがする。ごつごつした背骨と鎖骨だけではなく。

    ある時、例の大きな冷凍庫の中を片付けていて、兄が置いていってずっと忘れられていたマリファナ入りブラウニーを見つけたことがある。母は、それが精神状態に影響を及ぼすとは知らずに、食べてしまった。その後何時間もハイになっていたが、私にとってその件の面白さは、母がブラウニーを食べたということだった。お菓子を問題だとは思わず、カロリー計算もせず、はっきりとした罪悪感もなく。この件で私はますます母が好きになった。

    数週間前に実家を訪ねたとき、私は体重を測るために両親のバスルームに行った(私は何年も前から、自宅で毎朝、体重を測っている。努力にもかかわらずジワジワと上がる数字を見つめているのだが)。しかし、27年間ずっと同じ場所にあったはずの実家の体重計は、そこにはなかった。私は台所に行って、父に、体重計はどこか尋ねた。「地下にしまったよ。母さんが体重ばかり気にしていたからね」

    「母と、母の身体との関係」と、「私と私の身体との関係」に、はっきりとしたつながりがあると考えるのは、安易すぎるかもしれない。しかし私に、他に何ができるだろう。母はいつも、「家の娘たち」のお尻とももと腕が太くて残念だと話していた。まずまず満足できるサイズにするには、「もっと必死に」働きかけなくてはいけないと話していた。「あなたの骨は幅が広すぎるのよ」と母はよく私に言った。それで私は、いっそう体について考えるようになった。

    私は、こうした表現を母から受け継ぎ、母は自分の母親から受け継いだ。さらに、こうした「自分は十分じゃない」と思い出させる声は、女性が取り囲まれる周りの声によって、さらに補充されてきた。

    私は母に似ている。丸い顔に、短い指。CMを見ているときに、無意識のうちにグリルドチーズサンドイッチや、チェダーチーズのはしっこに手が伸びるところも。私たちはどちらも、黙りこみ、食欲をそそられ、すぐにお腹が空くのだ。私は、自分が彼女に似ているという点は好きだ。できれば、自分自身の外見を気に入っている母親と共に育ちたかっただけだ。

    今、唯一はっきりしているのは、私が受け継いだ心理的トラウマを、誰に対しても引き継がないようにしたいということだ。

    数年前、私が母の料理をおかわりしたいと言ったたとき、父が私を叱りつけるという馬鹿げた選択をした(はしたない、というわけだ)。私は不機嫌になり、フォークを置いて、それ以上食べようとしなかった。両親が言い争っている間、泣くまいとするのに必死だった。それで、当時6歳だった私の姪が、食べない私をじっと見ていることにずっと気づけなかった。彼女もフォークを置いて、どうすればいいか、指示を待っていたのだ。私が再び食べ始めると、姪もおそるおそるフォークを持ち直した。

    食べることは私にとって、常にストレスであり続けてきたが、現在私の身体には、結婚式という「締切り」がある。旅行中に、1袋のチョコレートを食べてもいいだろうか? 私は旅行中は気持ちが不安定になり、手から口へ運ぶ動作を機械的に繰り返すことで、やっと落ち着くことができるのだ。それとも、私は結婚式の写真に素敵に写りたいのだろうか? もっと言えば、どうすればすっかり別人のように見えるだろうか?

    例えば、自分の身体ではなく、身体だけ他の誰かのような写真を作れないだろうか? 肌をもっと滑らかにして、首や腕をスレンダーに見せて、おへそを上にあげて、お腹をすっきりさせるのだ。何年か後、人々が私のウェディング写真を見たときに、いちばんすてきな時の誰かを見られないだろうか? 退屈で、ありがちな体型の私ではなく。ちゃんと健康な体なのだが、体型にはいまだに満足できていないのだ。表に出ない精神的ストレスをずっと抱えていても、私は感謝しているように見えるだろうか?

    母は、私の結婚式では、兄のときにやったようなクラッシュ・ダイエットはしないと決めている。あれから10歳以上も年を取った母は、いまの私と同じように、一大イベント前の決まりごとに疲れきっているのだ。「もうそんな気力はないわ」と母はため息まじりに言った。母は今でも、体型をすっきりさせたいとは思っているのだが、自分の身体との停戦協定に落ち着いたのだ(ところで、母がまだそうした願いから逃れられないのであれば、はたして私は逃れられるだろうか?)。

    そして、私が予想もしていなかったことがある。もうクラッシュ・ダイエットはしないという母の決意、一番理想とする人物や体型になろうとはしないという決意を聞いたことによって私は、母がこの結婚式という馬鹿げた儀式で望んでいることを、叶えてあげたいと思うようになったのだ。

    披露宴では別の衣装も着る? そうね。式のときに、ありとあらゆる金の装飾品を身につけるのは? もちろん問題ない。結婚式まであと1ヶ月というときに、私になんの断わりもなく、客を新たに6人招待したいから席順を大幅に変えなくてはいけないのは? あなたが何を言うのであれ、私はあなたが、あなた自身を愛せることを必要としている。その思いと同じだけ、あなたには自分自身を愛してほしいのだ。

    母が私に、ダイエットについては気力がなくなったと話した後で、私は、仕事帰りに友達とタコスを食べに行く話をした。「タコスですって?」母は優しく言った。「あなた、タコスを食べてもいいの?」だからもちろん、私はタコスではなくサラダを注文した。


    数ヶ月前、私は新しい減量アプリに参加した。体重が減らないだろうことは重々承知の上で、自分を責めつつも、「購入」ボタンを押したのだ。

    減らないだろうと思ったのは、本当は減らしたくないからだ。それなのに、ダイエットを止めることには抵抗を感じていた。

    しかし今回は、初めてのことがあった。このプログラムによって、幸せになったり人生が変わったり、あるいは、危険な自責の念にかられるというルートを避けることができたりする、とは思っていなかったのだ。私は、嬉しいと思うこともなければ、希望で満たされたりすることもなく、逆に、絶望したりすることもなかった。それは、捨てると決めた古い手紙や日記を、捨てる前に読むような気分だった。最後にもう一度だけやらせて? そうすれば永遠に止めることができるから、という感じだった。

    新しいアプリは、これまでやったことのあるアプリと、なんら変わりはなかった(忘れないでほしいのだが、こうしたアプリはどれも、ユーザーの失敗を糧に繁盛している)。ただしこのアプリは、ユーザーを、女性たちのグループと結びつけようとしていた。体重を落として、互いに支え合うために、個人の体験を共有しようとしている女性たちだ(正確にいえば、「ほとんどが女性たち」のグループだ)。

    参加者たちは、運動が増えたおかげで気分は良くなったが体重はあまり減っていないことや、パンを食べ過ぎたときにどれだけ自分にがっかりしたかとか、小さなお皿で食べるところから始めることや、少ししか食べないせいでどんなふうにフラフラになったかを話し合っていた。参加者たちは自分自身の写真を投稿し、私が自分自身に関して1000回以上、繰り返し言っていることを返事してくれた。

    そのアプリは私のスマホ上で、もっとも気が滅入って中毒性のある場所だった(Twitterもそうだ。Twitterもだ!!!)。それなのに、私はそこにいなければならないように感じていた。最後にさよならを言うために。私が人生の大半で少しずつ取り除いてきたものとの、最後の戯れのような気がした。私は自分がようやく、こうした特定の種類の努力を、ほぼ終えられる気がしている。

    私が結婚式の準備に費やした490日間は、失敗に費やした日々だと思われるかもしれない。だが、別の見方もある。それは、私が2年ぶりに炭水化物を食べ、友達とバーベキューをして、義務感からではなくやりたいから運動をした日々でもある。

    1年と4ヶ月の間、おかしなフィアンセと、丸々と太った私たちの猫と、裏庭に住みついて、今ではやっかいな子どもたちのようになってしまった15匹ほどの野生化したアライグマと過ごしてきた。そして、結婚式までの34日間で、達成できない目標をカウンドダウンする必要はない。むしろカウントダウンされるべきは、盛大なパーティ、豪華な食事、大好きな人たちと過ごす日、それに私が絶対に必要だと主張して実現したオープンバーティーまでの日々だ。

    私の結婚式は、人生で最も重要な日ではない。少なくとも私は、そうであるべきだとは思っていない。しかし結婚式は、これから続いていく一連の日々の最初の日だとはいえるだろう。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:遠藤康子、古森科子/ガリレオ 編集:BuzzFeed Japan