刑務所に収監された経験がある人たちは、「釈放後も長いこと刑務所が追いかけてくる」とよく話す。
刑務所での「生態系」は、それぞれが「生き残ること」を前提としている。刑務所に長くいればいるほど、その社会的な構成概念が深く体に染みこむ。
釈放後、精神障害、薬物乱用障害を経験する受刑者も多い。収監による精神的なダメージを受けていることも多く、これは、PTPD(心的外傷後プリズン障害。プリズンは、刑務所の意)と呼ばれている。
PTPDの症状には、不信、感情麻痺、フラッシュバック、自己肯定感の低下、従属関係の問題などが含まれる。このように、刑罰は続くのだ。
写真家のアニー・グロッシンガー氏は、2018年からニューヨーク市で、出所して家に帰る人たちを記録に残している。
「出所後の社会復帰を支援している非営利団体『フォーチュン・ソサエティ』の週1回のミーティングを傍聴するところから始めました。対処されていない問題は何であるか、出所した人たちから聞きたかったのです」
グロッシンガーさんは、BuzzFeed Newsのメール取材にこう答えている。ニューヨークでは、10万人に443人が収監され(全米では、10万人に689人)、年間約2万5千人が出所している。過去40年間で、収監率は急速に増加している。
「話を聞けば聞くほど、心の健康の問題がいまだに深刻な影響を及ぼしていて、常習的犯行の主要因としてきちんと対処されていないことが明らかになりました」とグロッシンガーさんは話す。
有色人種のコミュニティの場合、社会復帰が白色人種の場合よりも難しい場合がある。警察による攻撃的な治安維持活動が、PTPDの発現のきっかけとなることがあるからだ。個人だけでなく、その家族、コミュニティの健全性にも影響するサイクルだ。
「ほぼ全員の処遇に大きな欠陥がありました。社会復帰プログラムや社会復帰訓練所に問題があって、リハビリよりも維持取り締まりを行っていたり、ウェブサイトに書いてあるプログラムがなかったりしました」
フォーチュン・ソサエティでのミーティングを通して、グロッシンガーさんが写真を撮った人たちの体験を、ここで紹介する。
「羞恥心は、密かに育ちます」ダレル・ベネットさん
ベネットさんは、5年間の刑期を務めた。出所したとき、社会がさらに二極分化していて、ショックを受けたという。
刑務所での緊張状態と、現在の政治情勢における社会での緊張状態を区別するのが難しいと、ベネットさんは感じた。無力感を覚え、過敏になり、穏やかな状態がいつでも悪化しそうで、もしそうなったら、自分が責められると怯えていた。
「羞恥心は密かに育ちます。もし私が自分の物語を認めて、本当に受け入れることができたら、他の人も同じことができます」とベネットさんは話す。
「パンデミックの間、すべてが剥ぎ取られたとき、みんな自問する必要がありました。『本当に自分は誰なのか?』」
「その点では、私は経験があります。深掘りする必要があるのです。葛藤しますが、素晴らしいことです」
ベネットさんは、ハーバード大学法科大学院を卒業後、3年間収監された。出所後ベネットさんは、この経験を本にして出版した。
「不当な行為が心的外傷になっている」クローバー・ペレスさん
ペレスさんの録音スタジオの外で、この写真は撮影された。ここでペレスさんは、収監経験がある人を取材し、刑務所改革を提唱するポッドキャスト番組を収録している。
「言葉を完全に失ったかのように感じました。はっきりと物を言うことをまた学ばなければなりませんでした。不当な行為が心的外傷になっているからです」
「出所すると、すぐさま圧力がかけられます。すぐに仕事に就き、子どもを取り戻し、住む家を手に入れろ、とせかされます。でも、出所したら話をして、ゆっくりと社会に溶け込む時間が必要なのです」
アーヴィン〝イージー〟ハントさん
ハントさんは、1972年から2002年にかけて、刑務所を出たり入ったりしていた。
罪状は主に、麻薬がらみの罪だった。刑期を終えるといつも、同じ誘惑がある同じ地域に戻された。依存症の者として、ハントさんにとっては、外の世界よりも刑務所の中の構造の方が対処しやすかった。
刑務所では薬をやめられて、友人もいた。支援プログラムもあった。外の世界では、頼れる人は誰もおらず、ハントさんは、何も持っていなかった。
ハントさんは2012年以降、薬をやっていない。現在役者として働いており、毎夏ニューヨークで行われる演劇イベント「シェイクスピア・イン・ザ・パーク」では、2つの作品に出演した。
ドリアン・ベスさん
ベスさんは、2度目に10年の刑を受けているとき、セラピーを受けていた。だが出所すると、いきなり治療から切り離されてしまった。
プログラムがいくつかあると言われていた社会復帰訓練所では、実際にはひとつもなかった。
ベスさんは、パニック発作を起こすようになった。出所して6カ月、「メルトダウン」を経験した。
今は状態が良くなってきてはいるが、社会復帰は真っ直ぐな道ではないことをベスさんは理解している。取材時もまだセラピーを受けられていなかったが、社会復帰に励む女性たちの支援に注力しているという。
ベスさんは現在、2つの仕事を掛け持ちしており、ニューヨーク市ラガーディアで学期を終えたばかり。州の薬物乱用カウンセラーの試験を受ける予定だ。
「常に自分に問いかけ続けました。『刑務所に戻りたいのか』と」グレッグ・ピアスさん
ピアスさんは、街の生活からひと息つく必要があるときはいつも、ハーレムにあるリバーサイドパークに足を運ぶ。
グレッグさんは21年間刑務所で過ごし、2005年に出所した。
初めグレッグさんは、忙しいニューヨークの通りと地下鉄になかなか慣れなかったという。
「刑務所では、誰かがぶつかってきたら、その行動には意味があります」
「ここ(刑務所の外)では、他の人が自分に何を伝えようとしているかが分かりませんでした。でも常に自分に問いかけ続けました。『刑務所に戻りたいのか』と」
「釈放されたときには、すべてが変わっていました」シャワンナ・ヴォーンさん
ヴォーンさんがはいているスカートには、収監される前に亡くなった兄の写真が印刷されている。ヴォーンさんは、5年間を刑務所で過ごした。
「釈放されたときには、すべてが変わっていました。人が死に、人が生まれ、ポケベルがスマホになるくらい長く入っていることもあり得ます」
出所後、シャワンナさんは、PTPDの認知度を高めるための活動を始めた。ニューヨークにおけるメンタルヘルス・サービスに資源が割り当てられるよう、法案を起草した。
「刑務所の中では、まったく異なる生き残り方法を学ばなければなりません。でも、精神的に安定しない状態で、どうやったら社会復帰できるのでしょうか」
「私は簡単に仕事を見つけられました。白人であることの特権だと分かります」デイヴ・コールマンさん
「本当かどうか分かりませんが、私はこう感じています。私は白人で、分別があるように思われます」
「隣に引っ越すこともできるし、それで人を怖がらせてしまいます。武器なしで、人を傷つけることもできます。それで人を怖がらせてしまいます」
「でも、私は簡単に仕事を見つけられました。白人であることの特権だと分かります。他の人よりも先に『中』へ入れるのです」
「刑務所のことを思い出したり、刑務所の中にいるように感じたら、(思考回路が)受刑時のように反応し始めます。頭の中で、どう行動するか分析していました」
「いちばん近い出口はどこか、誰が最もやっかいか。どこに人がいるか。いつも確認する必要がありました」
「でも出所後、(新型コロナウイルスのパンデミックには)対応しやすかったです。ひとりでいるのは苦ではありません。自分のことは分かっています」
「刑務所へ行く人は、最も傷つきやすい人たちです」エロボス・アブズ・ラマシュトゥさん
ザ・キャッスルの前にて撮影。ザ・キャッスルは、フォーチュン・ソサエティが運営する社会復帰施設だ。ラマシュトゥさんは、ここで7年間過ごした。
「支援もなく、極度の特有のストレスにさらされていました」
「刑務所へ行く人は、最も傷つきやすい人たちです」
「(今の社会復帰システムは)常習的な犯行を生むやり方です。私の経験では、これは動物的な生き方を人間に続けさせるやり方です。意図的で野蛮な文化です」
「家に帰るとき、最高の状態の自分を見せようとして、仮面をかぶってしまう。心の傷は見せられない」アイザック・スコットさん
スコットさんは、芸術プログラム「Confined Arts(閉じ込められた芸術)」を設立した。写真は同氏のスタジオにて撮影。
「この場所では、心の健康に烙印が押されています。私が投獄の傷痕を見せたら、それを元に判断されてしまいます」とアイザックさんは話す。
「家に帰るとき、最高の状態の自分を見せようとして、仮面をかぶってしまいます。心の傷は見せられない。これでさらに苦しむのです」
幸いなことに、スコットさんにとって芸術は、感情を表現する場所となった。