話題の最新作が公開、ブラッド・ピットは主演以外でこそ輝きを放つ

    クエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を検証しつつ、『ファイト・クラブ』をはじめ主役以外を演じてこそ輝くブラッド・ピットのこれまでを振り返る。

    今年4月、ブラッド・ピットが車にはねられる動画がSNSで拡散された。正確にいうと、1台目にはねられて宙に舞ったところへ、反対側からきたもう1台のフロントガラスにぶつかり、ゴムボール並みに弾んではねとばされる。

    あまりに直球で派手な展開は喜劇っぽくさえあるのだが、この場面が妙なのはそこではない。

    ここに至る前、ブラッド・ピットとクレア・フォーラニが別れを告げた後、別々の方向へ歩き出し、交互に相手を振り返りながら歩いていくシーンが延々と続くのだ。BGMはここが最高潮に胸に迫る場面ですよとばかりにメロディを奏でる。

    まずフォーラニ演じるスーザンが立ち止まって振り返り、次にピット演じる青年が振り返るが、相手は気づかない。互いに振り返っては歩きを繰り返し、スーザンが角を曲がって姿を消したあと、走ってきた車にピットがはねられる。

    この場面、振り返るフォーラニのしぐさと表情からは、名残惜しさや迷いをにじませた演技が見てとれる。一方ピットは、「ホールフーズはこの辺りだったかな」と考えながらぶらぶら歩いている人、といった雰囲気に近い。

    11分ほどのこの動画は、1998年公開の映画『ジョー・ブラックをよろしく』のワンシーンだ。

    今回拡散されたのは、かつての長尺ロマンチック・ファンタジーが大衆文化の記憶から忘れられ、ネット上で新たなネタとして再び注目された例だというだけではない。

    一流スターとしての長いキャリアの中で、不思議なことにブラッド・ピットは主演としてはエネルギーに欠ける場合があること、そして実際にそうだったことを再認識させる例でもあった。

    90年代にブレイクしたピットは、『ジョー・ブラックをよろしく』の他、エドワード・ズウィック監督のやりすぎだがシリアスな『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(1994年)、登山家の自伝を元にした『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)などでやや熱の足りない主役を演じ、(映画評論家のダナ・スティーブンスがキアヌ・リーブスを的確に評した表現を借りると)「ぼんやりした曖昧な」ところに欠けていた。

    アン・ライスの小説を原作にした『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994年)の吸血鬼役はまさにそうだが、生気にとぼしく、話題作だが傑作とはいえないこうした作品の核となる役でありながら、見事なまでに天使のような顔をした存在感のなさだった。

    だが同時に、主演以外を演じたときはもっとずっとのめりこんだ、観る者を引き込む演技を見せている。『カリフォルニア』、『トゥルー・ロマンス』(共に1993年)、『12モンキーズ』(1995年)、『ファイト・クラブ』(1999年)などがそうだ。

    8月30日から公開中の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では、レオナルド・ディカプリオ演じるTV俳優リック・ダルトンの付き人兼親友、クリフ・ブースを演じたが、今回のピットは過去最高と言っていいかもしれない。

    ブロンドがかった髪に青い目、角ばったあご、さらにはジムのトレーナーが理想として掲げる体格の持ち主でもあるピットは、映画界でも指折りの「スターらしいスター」だ。

    映画界を牽引する俳優であり、常にゴシップ誌の標的であり、(ライターのドリーン・セントフェリックスいわく)「最後の美形白人男性」。その30年にわたるキャリアで理屈に合わないのが、すばらしかった役が、ことごとく脇役である点だ。

    ピットが自身の外見と相容れず葛藤しているようには見えない。最新作も含め、主演以外の役柄の多くで存分にそれを楽しんでいるのがわかる。

    映画界におけるピットのキャリアで興味深いのは、他の男たちのねたみや怒りの対象として自身のルックスを自然に生かしているように見える設定が、男にとっての理想の男、男性的な(時にわざと危険な)野心や危うさを体現する文脈である点だ。

    ブラッド・ピットは映画スターの姿をした「性格俳優」なのだ。


    ブラッド・ピットは悪い俳優ではない。だが映画スターとしてはそうかもしれない。映画スターであることはまた別の(おそらく教えられて身につくわけではない)資質であり、素材が何かを問わず、観る人が自然と感情移入する人物にならなくてはいけないという意味で。

    『テルマ&ルイーズ』(1992年)ではジーナ・デイヴィスをベッドに誘いスーザン・サランドンの金をくすねるキュートなカウボーイハット姿の流れ者を演じ、端役ながら魅力的で記憶に残る存在感を放ち、注目を集めた。

    それに対し、主演を務めた役柄は、人をひきつけるあの魅力や観客を引き込む力はずっと限定的にとどまる。ピットには、スターに期待される出演作リストとは無縁のところで、観る人の心を動かすオーラがある。少なくとも女性向けの作品ではそうだ。恋愛ものの主役としてはどこか定まらなかった。

    前述の『ジョー・ブラックをよろしく』では、クレア・フォーラニとキュートな出会いをした直後に車にはねられる無名の青年役も、その肉体を借りて人間界に現れる死神役も、非常に生気に欠ける(映画自体、この設定からイメージされるほど面白いとは言いがたい)。

    ラブコメディとアクションの要素を併せもつ『ザ・メキシカン』(2001年)では、共演のジュリア・ロバーツともどもジェームズ・ガンドルフィーニの前にかすんでしまっている。

    ケイト・ブランシェットとの共演を果たした『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年)では、ブランシェットが生身の人間らしい人間として表れるのに対し、ピットはどこか概念ぽさが残る。

    アンジェリーナ・ジョリーと夫婦役で共演し、二人の関係の始まりと終わりにそれぞれ重なる『Mr.&Mrs.スミス』(2005年)と『白い帽子の女』(2015年)はいずれも高揚感が伝わるが、これはバトルもあると同時に交わされる愛もあるためだろう(第2次大戦が舞台でピットが好演した2016年の『マリアンヌ』は、この2本からジョリーを除いた「姉妹編」の感がある)。

    『ファイト・クラブ』では欲望の的になるが、恋愛対象ではなく、野心を抱き強さを追求する、過度にマッチョで自信家の別人格だ。

    エドワード・ノートン務めるナレーターの「僕」に、ピット演じるタイラー・ダーデンはこう語る。

    「おまえがこうなりたいと思うすべて、それが俺だ。俺はおまえがなりたい外見になり、おまえが抱きたいように女を抱く」。

    これを体現したのがブラッド・ピットなのだ。整った容姿、レトロなシャツを羽織った筋骨たくましい肉体、パンチをものともしない身体能力をもつ、人をひきつける不穏な人物である(その真に迫った演技で、このマッチョな解放者役はピットの代表的な役柄といえる)。

    同じことは『カリフォルニア』(1993年)にもいえる。ピットは完璧なまでのサイコパスを演じ、その気迫のこもった狂気と危険さで、刺激を求めるヤッピーな作家(デヴィッド・ドゥカヴニー)を引きつける。

    これをコミカルにしたバージョンと言えるのが、『スナッチ』(2000年)で演じた、あえてよくわからない訛りでしゃべるアイリッシュトラベラー(アイルランドの流浪の民)のボクサーだった。このときのピットは笑える。『オーシャンズ』シリーズでいつも何か食べている準主役級のラスティ・ライアンを演じたときもしかり。

    それより多少努力がうかがえるが、CIAを絡めたコメディ『バーン・アフター・リーディング』(2008年)の「筋肉バカ」チャド・フェルドハイマー役も同様だ。

    アウトサイダーな役か否かにかかわらず、ピットが特に輝きを見せるのは、物語の中心的人物が別にいて、その視点から描かれる役どころのときだ。『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年)では、奔放で光を放ちながらこの世を生き急いだ弟として、クレイグ・シェイファー演じる兄が回想する。

    『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)では、自身が思うあるべき男の姿を息子に伝えようとする厳格な父親を演じ、そんな父に敬意と恐れを抱く息子ジャックの人生に影響を与えるさまが描かれる。

    『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007年)で演じた、偶像化された伝説の強盗ジェシーは徹底して冷徹で、彼を熱烈に崇拝した末に暗殺するロバート(ケイシー・アフレック)を通じて屈折の道をたどる。

    最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で演じるクリフも男性的な男の典型だろう。雇い主であり親友でもある俳優のリックはTVの中ではタフガイを装っているが、それを地で行くのがクリフだ。

    常に冷静沈着で動じず、モカシンに履き古したジーンズが難なく決まっていて、わずらわしさとは無縁の独り身生活を愛犬とともに送る。華麗な身のこなしで屋根に上り、シャツを脱いで55歳の鍛えた身体を惜しげもなくさらす。ここで感嘆のため息をつく観客は一人ではないはずだ。

    そして意外なのが、ラストで史実も変える重要な事件に関わるのは別として、クリフが世界の中に役立つ居場所を持つ人物ではない点だ。相棒のリックも彼をとらえるカメラもクリフをこよなく愛しているため、一見そうとは気づかない。

    クリフは腕っぷしが強く、撮影セットで乱闘も演じるし、すごみもある(妻を殺した過去も噂される)。そんな彼に魅力を感じるのは男性の方が多いのだろう、クリフに興味を示す女性はヒッピーのプッシーキャット(マーガレット・クアリー)くらいしか出てこない。キャットはクリフの内面にひそむ暗い影を感じ取ったのか、恋愛対象というよりは自身が所属するカルト集団「マンソン・ファミリー」に誘うために近づいたのだとわかる。

    一方クリフとリックの関係は、優しくもきっぱりと、リックが遅まきながら大人への階段を上る途上に必要なステージとして描かれている。

    クリフ・ブースはある意味、『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンと対をなす位置づけにあるのではないか。

    それはあれから20年を経た今回の役柄が、ピットにとってタイラー役に並ぶ頂点だからというだけではない。クリフは、男はどうあるべきかという模範のひとつの形を体現している。彼は最終的に力ずくで乗り越える必要がない。確固たる楽観主義を基盤にもつがゆえに、素のままで乗り越えているからだ。

    主演を支える役どころなのも鍵で、そのおかげで多少あいまいな部分も許され、暗示的な批判もできる。主演のヒーローであれば、そうした扱いはぐっと難しくなる。

    2019年はブラッド・ピットにとってビッグ・イヤーになりそうだ。9月20日にはジェームズ・グレイ監督作『アド・アストラ』が日米同時公開される。宇宙で行方不明になった父親を探す宇宙飛行士の物語だが、ピットの今回の役は冷徹な父親の方ではなく、同じ宇宙飛行士になって父親を見つけ出そうとする息子の役だ。

    それでも、彼にとって『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のクリフを超える役は考えづらい。クリフはピットの強みをすべて生かし、かつその強みに複雑さを増すキャラクターだ。男たちが憧れ、あるいは恐れる男でありながら、時代に取り残されていく人物でもある。

    ピットが実にうまく演じてきた役柄に対する答えでもあり、自然に結実した形でもあるのかもしれない。クリフが主役以上の脇役なのは確かだ。だが彼は映画全体を明るく照らす脇役であり、それこそがブラッド・ピットに最もふさわしい使命なのかもしれない。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。