韓国生まれ。だけど「正真正銘のアジア人とは言えない」。白人家庭の養子たちが抱える葛藤

    「養子である自分たちは、正真正銘のアジア人だとは言えない」「アジア人へのヘイトクライムに、自分たちが声をあげてはいけない気がする」10人が葛藤を語った。

    A woman lying on a series of stools

    「あなたのアイデンティティを決めるものは何ですか?」

    ミネアポリスを拠点に、写真家とアートディレクターとして活動するダイアナ・アルブレヒトは、この問いを土台にしてプロジェクト「Placed」に取り組んできた。

    2年近くかけて取材したのは、韓国で生まれ、アメリカの主に白人家庭で養子として育った10人だ。それぞれの体験がアイデンティティにどう影響してきたかを聞いた。

    その多くが語ったのが、自身の非白人としてのアイデンティティと、ルーツである韓国から切り離された孤独を自分の中でどう消化するかについての葛藤だ。


    「コミュニティとは同質なものではなく、一人ひとりの多様な実体験から自分たちを超えるものを作り上げようと意識する取り組みのこと」。プロジェクトに参加した一人、ベンはそう語る。

    自身を「気分屋でロマンチスト」と称するアルブレヒトにとって、Placedは極めて私的なプロジェクトだったという。自身も韓国からの養子であり、父親と兄も同じ境遇だ。

    そのため、「自分の居場所はここだ」と思える感覚と「疎外されている」と感じる孤独感の狭間という流動的な場所に人は身を置く場合があること、そしてそれが物理的な場所と同じくらい、気持ちの面での位置づけにも影響されることを痛いほどわかっている。

    家族のような小さな単位であれ、国のように大きなものであれ、コミュニティにはさまざまな多くの体験が存在することを鮮やかに示してくれる、Placedはそんなプロジェクトだ。

    A guy behind a series of lights

    韓国系の養子というアイデンティティを持つことが何を意味するのか、話してもらえますか?

    自分を韓国系の養子と受け入れ、韓国系の養子として生きていく。私にとってそれはつまり、自分がアジア系であることに対する恥の意識を捨て、その羞恥心に対して今まで自分がとってたたくさんの行動(同化、アジア系であることの抹殺、内面化した人種的な差別心など)をようやく許してあげられることを意味します。

    自分が自分に与える赦しですね。自分のルーツである文化を、完全には手にできないだろうとはわかっています。それでも、自分と他の養子の人たちの多様な体験にしかない文化とコミュニティを築いていくことはできます。

    そして最後に、これが重要な点ですが、私自身は非白人でありながら、白人と近い位置にいるせいで、これまで本当に多くの点で恵まれてきたんだと認めることでもあります。

    養子をはじめ、周縁に追いやられた人を低く見るような抑圧するシステムを解体していく責任を、自分はこれからも持ち続けるべきだと思っています。

    A woman looking up at balloons

    企画の着想はどこからきたのでしょうか?

    3年前、現実世界からの逃避が必要だなと気づいたんです。それでミシシッピ川を見下ろせる小さな島の隠れ家のようなところで過ごしました。

    ひっそりして心地よくて美しい、そんな環境でたっぷり自分の内面を見つめて、癒されていきました。そこで、他の人もこんなふうに、ある場所から影響を受けることがあるのかな、と考えました。

    父(同じく韓国系養子)と兄(2つの人種をルーツにもつアジア系人アメリカ人の養子)からざっくばらんな意見を聞いて、他の非白人や、場合によっては同じように自分のルーツから離れた場所に生きる同胞を支援しないようなイデオロギーに対して、非白人の人がどう受け止めるのだろうと疑問を抱きました。

    養子として育ったこと、そしてそれによって自動的に白人に近い立ち位置にあることが関係してくるのだろうか、と思ったのです。

    この2つの疑問を仮定にPlacedの方向性が定まっていきました。

    プロジェクトは映像ベースで記録していくことにしました。参加してくれる人が初対面の他人に心の傷を打ち明け、傷つきやすい部分をさらけ出すときにどう感じるのか、注視したかったからです。

    映像にしたことで自分もゆったり構えて、耳を傾け、よりじっくり考えることができました。

    A woman laughs in the woods, and a woman wearing a bandana in front of a record collection

    取材で出会った人の中に共通するテーマは何かありましたか?

    みんなが今も答えを探している途中だということです!

    こう言ってしまうと、養子がたどる道のりを単純化してしまいますが、この長い道のりで既にゴールにたどり着いた人は今回会った中で一人もいませんでした。

    今回、話を聞いて本にまとめた人の中で私が一番若くて、中には20歳年上の人もいます。参加してくれたみなさんに敬意を感じていますし、みなさんが「答え探し」に強い思いを持っているのだと思いました。

    3月にアジア系女性6人が亡くなったアトランタでの銃撃事件の後、プロジェクトに参加してくれた何人かと話した際、このいたましいできごとを受けて覚える無力感に思いを寄せました。

    「AAPI(アジア系・太平洋諸島系アメリカ人)のコミュニティとは理解し合うのが難しいと感じる、養子である自分たちは正真正銘のアジア系だとは言えないんだと巧みに言い聞かせてきたから」

    「そして時にはAAPIコミュニティから実際にそういう扱いを受けてきたから」。こう話す人もいました。

    あるいは「昨年以来アジア系へのヘイトクライムが増えてきた件に自分たちが声をあげてはいけない気がする」「ブラックやブラウンの人たちの体験の重みを損なってしまうから」と話す人もいました。

    白人である家族や友人の多くは、手を差しのべて私たちの助けになろうとしたことはなく、それが私たちをさらに戸惑わせ、孤独にしました。

    私たちもかなり前進して、韓国系養子としてのアイデンティティを表明できるようになりましたが、だからといってその複雑さを無視はできません。

    A woman sitting on a bed with an asian figurine

    「モデルマイノリティ」(アジア系を「模範的なマイノリティ」と位置づける概念)の神話と、それがあなたと家族、このプロジェクトにどう影響したかについて説明してもらえますか?

    モデルマイノリティ神話(アジア系のマイノリティは勤勉で優秀な人が多く、努力すれば成功するという先入観)は、目に見えるアジア人の成功事例を挙げていきます。

    それが本質的にアジア系のステレオタイプを作り上げています。白人にとってアジア系は脅威ではないとみなすステレオタイプ、つまり裕福で頭がよくて従順、などです。

    これはアジア系と他の非白人との間に溝を作ることにもなります。

    アジア系を理想化して祭り上げる一方で、ブラックやブラウンの人たちに対して、人種差別や貧困や抑圧の問題を抱え続けているのは本人のせいなんだ、として片づけてしまうのです。

    モデルマイノリティ神話のせいで、アジア系コミュニティ自体も同化や文化的アイデンティティの消失という形の犠牲を払っています。モデルマイノリティとされることが、私たちを黙らせてしまうのです。

    「マイクロアグレッション(無意識での、またはちょっとした差別的、侮蔑的な言動)や暴力や差別にさらされても文句を言ってはいけない。だって自分たちは白人に近い立場にいて恵まれてるんだから」と。

    人種をめぐる誤ったとらえ方に陥っている例であって、異人種家庭で育った養子に強い傾向だと思います。

    私自身、長い間、白人の世界に同化していました。実際には白人でないのは頭でわかっていた一方で、自分を非白人とみなしていなかったし、自分のルーツである文化に関連することには一切触れたいと思いませんでした。

    白人しかいない環境で育ったこと、そして両親がその文化の優れた面を私に触れさせるすべを持ち合わせていなかったことも背景にあります。

    話を聞いた養子の多くが、自分の立場と向き合い、自分は「非白人」なんだと認められるようになるまでの道のりで格闘しています。

    今は誇りをもってその称号を掲げていても、トラウマや痛み、抑え込んできた感情に向き合い、分析していく変遷の日々に終わりはありません。

    A woman sitting on a rooftop looking out

    若い世代の養子と年長の世代の養子とで、目立った違いはありましたか?

    養子として最初の世代とされる55歳以上の人に出会えればと思っていたのですが、その年代の養子の人で接触できたのは3人だけでした。そして3人とも、自身の養子縁組やアイデンティティについて話すことはあまりない、と言っていました。

    もちろん3人で結論を出すのはサンプルが少なすぎますが、おそらく今の私たちの世代はアイデンティティをめぐる複雑さについてよりオープンに語れる言葉を持ち合わせていて、それが関係しているのではないでしょうか。

    私の本に出てもらった若い世代の養子と年長の養子の人たちには、自分の歩んできた道のりを語るにあたって目立った違いはみられませんでした。

    ただひとつだけ、養子が白人に同化するいろいろな手段について話していた流れで、白人を演じていたかとたずねてみたんです。

    するとパフォーマティビティ(ある規範に合わせて行動するうちにそれが実体化していくこと)という概念は否定していました。彼らの青春期を語るには、この言葉は現代的すぎる、というのです。

    全体としては、上の世代の養子の人たちが私や若い世代の養子と近い価値観を共有する機会になったと思っています。お互い、率直で弱みをさらけ出すような会話を歓迎してくれました。

    10人の勇気ある、すばらしいみなさんに参加してもらい、私を信頼してそれぞれの体験を聞かせてもらえたことは本当に光栄です。

    A woman holding adoption papers

    プロジェクトを目にする幅広い人たちに、この企画から受け取ってほしいことは何でしょうか。

    養子がみずから語る物語の多くが、明るい太陽や色とりどりの虹、満足できる結果にたどり着いた話です。

    でも養子の全員がそうではありません。養子の家族はカラーブラインドなアプローチ(肌の色で人を区別しない、人種的な違いを認識しない態度)をとることが多いのですが、これは生産的なとらえ方とはいえません。

    アジア系の養子である私たちは、どんなにアメリカ人として、または白人として育てられたとしても、非白人の身体をもってこの世界を生きているからです。

    養子はこうした対話から置き去りにされがちで、そこには「養子縁組で結果的に『いい経験』をしているんだからそれでいいじゃない」という考えがあるんです。養子の中にもそう考える人もいますが、私はそうは思いません。

    こうしたとらえ方を内面化しているからこそ、私たちは沈黙させられてしまうし孤独になります。韓国系でもそうでなくても、養子の人たちにはあなたのストーリーは大切なんだと知ってほしい。

    養子としてのアイデンティティを表明することが称賛をもって受けとめられる、そんな社会であってほしいです。

    A man walks towards a wall with grafitti

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan