アップルパイの歴史を淡々と語る

    新石器時代、航海、大量消費主義を経てパイは今に至る

    As American as apple pie(非常にアメリカ的な) —このフレーズはアメリカ人のアイデンティティーを表している。

    アメリカのシンボルとしてバスケットボールやバーベキュー、ハクトウワシのように、アップルパイも並べられる。

    しかし、なぜシンボルとまでになったのだろうか?

    パイの起原は紀元前6000年の新石器時代まで遡る。

    中世にヨーロッパで定番の食べ物となった。カササギの巣作りや亀っぽく、肉を詰めて香辛料を効かせたパイが作られた。

    1600年はじめ、新しい世界を求めて旅人たちが海へ出た。りんごの種とほかの材料をヨーロッパから携えて、家族のパイのレシピを頭に入れていた。

    辿り着いたアメリカで、作り手はその地で採れたベリーや果物をパイに入れた。

    いつしかサンクスギビングデーの中心的役割を果たすようになった。

    記録を見ても、1621年の最初のサンクスギビングデーにはパイがあったとの記述はない。

    20世紀のはじめになると、大量消費主義が台頭した。

    マスマーケティング戦略が採られ、アメリカ人の価値観と合致した。パイは大量に生産され、製品が並べられた。

    りんごの生産者と焼き手、そして他の材料の生産者は、パイがアイデンティティーを支える不可欠な存在であることを表現していた。

    架空のベティ・クロッカー社の宣伝には、「もし私たちの国の紋章を作るなら、パイが紋章のシンボルになるだろう」とあった。

    第二次世界大戦の間、兵士たちが戦う目的を聞かれたとき、「ママとアップルパイのため」と繰り返し唱えられた。

    “As American as apple pie” は単なるキャッチフレーズではない。幸福を追求するアメリカン・ドリームへの期待も込められた。

    そして、あてにならないこと求めることは(chasing pie in the sky)、「ケーキを食べればいいじゃない(Let them eat cake)」よりも良い言葉だ。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:藤原哲哉