• lgbtjpnews badge
  • lgbtjapan badge

50年前、LGBT解放運動で武器になったのは「写真」。フォトジャーナリストと運動の軌跡

「社会はただ自然に変わったわけではなく、人々がアクションを起こしたから変わったのです」

1960年代から70年代、アメリカでは公民権運動が盛んになり、政治と社会を大きく変えるうねりが起きた。同時に、全米のLGBT社会も自分たちの存在を可視化し、変化を起こすために結束した。

ニューヨークのLGBTコミュニティが差別に抗議の声をあげた1969年の「ストーンウォールの反乱」をはじめ、プライドの旗印のもとに集まったLGBTの若者たちが数々のデモや抗議行動を通して立ち上がり、こうした動きを後押しした。

当時、彼らの姿をカメラに収め、それまでになかった革新的な写真を通じてLGBTによる公民権運動を大衆に知らしめたのが、ケイ・トビン・ラフセンとダイアナ・デイヴィスに代表されるフォトジャーナリストたちだった。

ストーンウォールの反乱から50年の節目を迎えた昨年、ニューヨーク公共図書館は企画展「Love & Resistance: Stonewall 50(愛とレジスタンス:ストーンウォール50年)」を開催した。二人が手がけた写真をはじめ、当時の関連雑誌やイベントのチラシ、実際に運動に加わった当事者の声などを通して、LGBTの歴史において重要な意味をもつ時代を振り返る企画だ。

キュレーションを担当したニューヨーク公共図書館のジェイソン・ボウマンは、同館のLGBTイニシアチブを統括する。BuzzFeed Newsはボウマンに話を聞き、写真という手段が現代のLGBT権利運動にどんな役割を果たしたか、50周年を迎えたストーンウォールの反乱が今に伝えるものは何かを語ってもらった。

二人の女性写真家、ケイ・トビン・ラフセンとダイアナ・デイヴィスについて簡単に教えてください。

ボウマン:ラフセンはアメリカでLGBTを撮ったフォトジャーナリストの草分けの一人で、LGBTの権利運動を進めたコミュニティを写真に収めました。1960年代初め、米国初のレズビアン向け雑誌だった「The Ladder(ザ・ラダー)」で写真家としての仕事を始めています。

それまでは、同誌で女性を登場させる場合、イラストで描くのが通例でした。写真を載せるとしてもシルエットか後ろ姿にとどめていたんです。その人が特定されないよう、プライバシーを保護するためでした。

ラフセンは雑誌の表紙にレズビアン女性の写真をもってきて、この慣例を破りました。彼女が撮ったカバー写真の多くは、アメリカのカルチャーシーンで初めてレズビアン女性を肯定的にとらえたイメージだといえます。

それ以前は、笑顔を浮かべて楽しそうにしている、社会で普通に生きている存在としてレズビアンの女性を描いた像はありませんでした。1970年代には、ラフセンは当時の主要な運動やデモを実質すべて現場でカメラに収めていたと言っていいでしょう。

ダイアナ・デイヴィスも1960年代、反戦運動や公民権運動、ジャズやブルースなどの音楽シーンを題材に、写真家としての腕を磨いていきました。

そして69年に同性愛者解放団体「ゲイ解放戦線」に加わり、ニューヨークをはじめ全米で活動するゲイ、レズビアン、トランスジェンダーを被写体とするようになります。

LGBT解放運動の中で写真はどのような形で武器になったのでしょうか。

ボウマン:企画展の中で「Love」というセクションがあるのですが、ここに収めた写真がその答えになると思います。最初のころの写真はどれも、後ろから撮ったか、人物のシルエットだけがわかる形で撮ったものです。つまり、人物を撮ってはいますが、身元が特定されないようにしているわけです。

これは、当時米国では同性愛が違法とされていたことが背景にあります。

ニューヨークでは3カ月刑務所に入れられることもありましたし、州によっては終身刑にもなりました。施設へ収容されたり、「治療」と称して電気ショックを与えられたり、仕事を解雇されたりもしました。ですから、公に顔を出そうという人はほとんどいなかったのです。

ストーンウォールの反乱の後、ゲイ解放運動の一環として、彼らの生きる姿を記録しようとする機運が高まります。同性愛者が公共の場を使える権利を取り戻すことを目指し、同性愛者を可視化しようとする動きが広がりましたが、二人の写真家の試みはそれに重なります。

60年代、同性愛者やトランスジェンダーの人たちが受けた抑圧の一つが、公共の場への立ち入りを禁じられたことです。バーはゲイの客を断ることができたし、警察は異性装の人を逮捕できました。

ですから、当事者をこうして写真に収める取り組みには、一人の人間としての彼らの姿をとらえる意図もあったのです。

ストーンウォールの反乱について、事実と違う理解がされている点があるそうですね。

ボウマン:舞台になった店「ストーンウォール・イン」はグリニッジ・ヴィレッジにありますが、当時は裏にマフィアがついていて、たびたび警察の捜査が入っていました。反乱が起きた1969年6月28日も、酒類販売の許可がない店に対する取り締まりの一環として強制捜査が行われました。

また、同性愛者やトランスジェンダーの客を入れていたことも捜査の理由にされました。当時、こうした人は罪を犯しているとみなされたからです。

強制捜査の手が入り、多くの客が抵抗を始めました。ただ、よく見過ごされているのは、警察に抗議した人の多くが、そのとき店の外にいた人たちだった点です。グリニッジ・ヴィレッジ周辺をはじめ市内に住み、満足に公民権を認められていなかったLGBTの若者たちです。

性的指向や性自認が従来の社会通念と合わないのを理由に、家族から家を追い出されたり、仕事が見つからなかったりした人が多くいました。この日、警察に抵抗した人の中心がそうした若者でした。

ストーンウォールの反乱に加わった人の多くが若い世代でした。彼らはアメリカのカウンターカルチャーや反戦運動に影響を受け、こうした政治的な運動に対して上の世代とはかなり違う期待をもっていました。

対決姿勢をより強く出し、アナーキズムやマルクス主義、公民権を求める抗議運動から影響を受けた、異なるイデオロギーの枠組みがそこにはありました。

ストーンウォールの反乱について間違っているのは、これが発端となってLGBTの権利運動が始まったと考える人が多いことです。実際は違います。

ストーンウォールが最初ではなく、同様の抗議活動やデモは60年代に全米各地でいくつも起きていました。ストーンウォールはそうした運動のターニングポイントだと言えます。

これをきっかけに、各州で10人か20人集まる程度だったのが、それまで表に出てこなかったLGBTが数千人規模で加わって、アメリカ社会を変えようとする大規模なムーブメントへ発展したのです。

この企画展を通してどんなことを知ってほしいですか。

ボウマン:これは公民権運動の一つだったんだと認識してもらいたいと思います。私たちの社会は決してただ自然に変わったわけではなく、市民が政治的な運動を起こしたから変わったということです。

ストーンウォールの件が語られるときに気になるのは、あの日バーで反乱が起きて、その結果、同性愛者の権利が降って湧いたように手に入ったと思われてしまう誤解です。

きちんと語られていないのですが、こうした不屈の公民権運動が半世紀にわたって粘り強く続けられたからこそ、社会が変わったのです。

これらの記録を見て力をもらい、先人たちがこうして社会を変えてきたことを知って、今の自分たちも変化を起こせるんだと感じてほしいですね。

企画展「Love & Resistance: Stonewall 50」はニューヨーク公共図書館で2019年2月14日から7月13日まで開催された。


BuzzFeed Japanは、世界各地でLGBTQコミュニティの文化を讃え、権利向上に向けて支援するイベントなどが開催される毎年6月の「プライド月間」に合わせ、2020年6月19日から、セクシュアルマイノリティに焦点をあてたコンテンツを集中的に発信する特集「レインボー・ウィーク」を実施します。

【配信中】オトマリカイ@ BuzzFeed News Live あなたのお悩み一緒に考えます🏳️‍🌈 LGBTQの当事者から寄せられた相談について、りゅうちぇるさん(@RYUZi33WORLD929)&ぺえさん(@peex007)と一緒に考えます。 視聴はこちらから👇 #PrideMonth #虹色のしあわせ🌈 https://t.co/H3uXcYtszu

記事や動画コンテンツのほか、LGBTQ当事者からの様々な相談を、ゲストのりゅうちぇるさん、ぺえさんと一緒に考える番組を配信します(視聴はこちらから)。


この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan