• lgbtjapan badge

「性的欲求を持たない」アセクシュアルに話を聞いてみた

「アセクシュアルはどういう感じの人たちかって? 普通の人と同じだよ」

「私にとって、アセクシュアルであることは性的指向であり、選択ではありません。ありのままの自分です」

ライア・アブリルは、バルセロナを拠点に活動するアーティストだ。写真や文章、動画をミックスし、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)、メンタルヘルス、ボディイメージなど、繊細でときに非常に個人的なテーマを扱った作品を発表している。

現在取り組んでいるプロジェクト「Asexuals Project」で焦点を当てているのが、アセクシュアルと呼ばれるセクシュアリティだ。恋愛や性的指向を表すスペクトラムの中でも、取り上げられることが少ない概念だといっていいだろう。アセクシュアルを自認する人は、恋愛感情やプラトニックな愛情を抱くことはあるけれど、相手に対して性的欲求を持つことはない。どんなセクシュアリティでもそうだが、アセクシュアルも、一人ひとりそれぞれの感情面での欲求というスペクトラム上に存在する。そのため、単一の定義はあてはまらないし、そうすべきでもない。

ここでは、プロジェクトに参加したアセクシュアルの人々の写真と彼らの言葉を紹介するとともに、立ち上げ以来、プロジェクトがどう進化してきたかについて、アブリル自身に語ってもらった。


Asexuals Projectはもともと、アセクシュアルのコミュニティを目に見える形にしてみる、という考えから生まれました。アセクシュアルという言葉を聞いたことのない人に話すと、いつも聞かれるのが「どういう感じの人たちなの?」です。答えはもちろん「普通の人と同じだよ」なんですが。

「昔の偉大な名画を楽しむみたいなものです。誰かをじっと見つめたりもしたいし、すごく魅力的だよねと言ったりもしたい。でもそこに性的な感情はないんです」

最初の目標として、年齢、ジェンダー、背景が多様な人を取り上げたいと考えました。そしてアセクシュアルのコミュニティに接し、アセクシュアルであるとはどういうことなのかを知るにつれ、同じスペクトラム上でさまざまな違いがあることを示したい、と思うようになりました。グレーセクシュアル(アセクシュアルと他の性的指向の中間)やデミセクシュアル(感情的に強い結びつきがある相手にのみ性的欲求を抱く)、アロマンティック(恋愛感情を抱かない)等々です。さらに、一人ひとりがそれまでの人生で背負ってきた、さまざまなスティグマにもふれようと思いました。

被写体になってくれた人の多くは、ネット上で知り合いました。アセクシュアルのコミュニティがあって、活発な交流があるんです。よく使われているのがThe Asexual Visibility and Education Network (AVEN)のフォーラムで、ここで人と知り合ってつながったり、話し合ったり問題提起したり、自己紹介したり、ステレオタイプなしにできます。私もそうやってイタリア、イギリス、フランス、そしてアメリカのアセクシュアルコミュニティと関わっていきました。

「つい最近まで、メンタルヘルスの世界ではアセクシュアルを“障害”と位置づけていたのです」

「人はお腹が空いていれば食べます。空いていなければ食べません」

スペイン語では、性的指向と身体の状態が混同されている問題があります。リビドーの、もっとひどい場合は遺伝子の「問題」だ、というとらえ方です。アセクシュアルに対する一般の人の反応は、まず偏見が背景にあることが多いです。ゲイか、セックスが怖い人たち、とみなします。アセクシュアルの人がよく言われるのが、まず「ぴったりくる相手にまだ出会ってないだけだよ」。それから、本当にばかげた主張なのですが、どんな女性も魅了する「マジックペニス」にいずれめぐり合えば「救われる」はずだ、というんです。

実際には、セクシュアリティとはスペクトラムであり、私たちはそれぞれ自分がどこにあたるのか、自分で見つけていきます。一人ひとりみんな違っていて、その人が自分のセクシュアリティをどう生きるかに他人が口を出す権利はありません。

「これは明らかなのですが、アセクシュアルとは性的に不能とかセックスをするのが怖いとかではありません」

「恋愛感情を抱いて魅かれる」ことと「性的に魅かれる」ことを分ける概念について理解を深められて、認識が広がりました。私自身、現状を踏まえて理解し直す必要があったんです。アセクシュアルという言葉を最初に聞いたのは8年前で、今より8歳若かったわけです。性的指向を超え、その有無も超えて、性的に魅かれなくてもパートナーになれるという概念は、私にとってまったく新しいものでした。

ジェンダー・ニュートラル(ジェンダーが中立的)やジェンダー・フルイド(ジェンダーが流動的に揺れ動く)という概念も、今まであまり聞いたことがありませんでした。これは性的指向と完全に結びつくわけではないですが、今回出会った方にこうした性自認の人がいて、これもはっとさせられる経験でした。

「自分としては、特に何も感じません。嫌悪感があるとか不安になるとかはありません。トランプをしたり散歩に行ったりするのと同じです」

「40歳のとき、自分はもしかして不感症なのかなと思ったの。でも不感症の女性なんて存在しない。そういう人はアセクシュアルなのよ!」

リリーさんの話は特に心を動かされました。現在、80歳を超えた彼女は、自分の感覚と「自分が何者なのか」に名前がついたときの安堵を語ってくれました。その人を表すものが存在すること、そして自分が何者かを知ること、それがどれだけ重要か、涙ぐんだその目から読み取れました。「不感症で性行為ができない女性」という烙印を押されて生きることに、彼女がどれだけ苦しんできたのかを示していたと思います。

「恋人もほしいし、結婚もしたいし、庭付きの家だってほしい。ただセックスをしたくないだけ」

「人生はセックスの他にももっといろいろあります」

このプロジェクトを通じて、アセクシュアルの人も普通に同じ人間なのだと理解してもらえれば、と思います。年齢、ジェンダー、背景、外見を問わず、たまたまある性的指向があって、それが誰にも性的には魅かれない、というだけです。もちろん、グレーセクシュアルやデミセクシュアルならまた違いますよ。さっきもふれたとおり、明確な分類というよりはグラデーション、それがスペクトラムですから。

「残念ながら、カミングアウトしようとすると百科事典がいるんです。アセクシュアルであるというのがどういうことなのか、みんな知らないので」

「自分が何か欠落しているとはまったく思いません。私にとってセックスは時間のむだだけど、他の人は楽しいならすればいいと思いますよ」

ライア・アブリルの作品はこちら

この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan