エリート学生の男子寮では何が起きているのか?写真が明かす、闇の文化

    「不愉快な親密さ。これこそ、私がこの本で捉えたかったものだ」

    コーネル大学の美術史教授であるアンドリュー・モイジーはかつて、7年間にわたって、アメリカのフラタニティ(訳注:大学男子寮の学生のための社交団体)を取り巻く、テストステロンが刺激されるようなカルチャーを撮り続けてきた。

    これらの写真は2000年代に、名前は伏せるが、カリフォルニア大学バークレー校にあるギリシア文字名の社交団体で撮影されたものだ。将来のエリート層を多く生み出す環境における、親密で、時に不快な一面を捉えている。

    デイライト・ブックスから2018年11月に発行される、The American Fraternity: An Illustrated Ritual Manual(アメリカン・フラタニティ:儀礼の図解マニュアル)』は、モイジーの写真に捉えられた若者たちの姿と、良くも悪くもアメリカ合衆国をかたちづくってきたリーダーたちとを平行させて見ることで、アメリカ史という文脈のなかで作品をまとめている。

    クラウド・ファンディングサイト「Indiegogo」で本書を宣伝するページには、次のように記されている。「現代の米国大統領、上院議員、裁判官、重役の75%は、騎士道精神と献身の謎めいた誓いを立てている」。モイジーが撮影した写真の内容を考えると、75%というのは考えさせられる数字だ。

    以下の文章は、モイジーがBuzzFeed Newsのために、本書を刊行したいと思った動機について記してくれたものだ。写真は、掲載されることを前提に選定されたものだが、背景の文脈はなく、出版物の実際のページも入っている。

    他の国々がアメリカやアメリカ人に対して抱く印象は、アメリカの「フラタニティハウス」や「フラタニティボーイズ」に抱く印象と酷似している。そう気づいたことはないだろうか。傲慢、偽善、堕落、盲目的愛国主義。世界においてアメリカがこうした点で際立っていることを考えると、このつながりはもっと探求されるべきではないだろうか。

    本書が焦点を置くのは、米国大統領、最高裁判事、国会議員、CEOといった、アメリカのリーダーたちだ。『アメリカン・フラタニティ』には、アメリカのリーダーたちの若かりし頃の本当の姿が描かれている。同時に本書には、より絞り込まれた焦点がある。それは、「内部のカルチャー」だ。これまで一般の人にとっては、映画の中でフィクション化されたり、新聞雑誌のなかで読んだだけだったであろう世界の、親密な真実を見せる機会を得たのだ。

    私がこの本で捉えたかったもの。それは、不愉快な親密さだ。

    この一連の写真は、私が大学3年のときに弟がバークレーに来て、フラタニティに入りたいと言ったことから始まった。当時私は、写真入門講座を取っていて、ロバート・フランクやロイ・デキャラバ、ドロシア・ラング、ウォーカー・エヴァンスに傾倒しており、どこに行くにもカメラを持ち歩いていた。あるときふと、もしフラタニティハウスのような秘密めいた、問題の多い、しかも重要な場所で、彼らのような写真家になれたら、いつの日か相当価値のあるプロジェクトになるのではないかと思い始めた。

    弟が入る前から、私はフラタニティハウスの仲間をたくさん知っていた。弟がメンバーになったことは、私の存在をさらに正当性のあるものにした。フラタニティハウスでは、何人かの男性と親しくなった。多くの人になぜ写真を撮るのか尋ねられると、私はこう答えた。「いつか本にするため」。何人かは、「僕らについてのアートブック」だと言った。最後の写真を見ると、巨大なダイニングテーブルの上で、彼らが撮影を楽しんでいる様子がわかるだろう。

    数年後の私は、何か面白いことが起こったら、撮影のために電話で呼ばれる存在になっていた。フラタニティの名前も、誰の名前も、一切表に出さないことをみんなには約束していた。弟の卒業後も私は写真を撮り続け、私は、他の誰よりもそのフラタニティハウスを知っている第三者となった。周囲からは一目置かれている、と感じていた。

    読者には、まるで予期せぬ内容の本を手にしていると思ってほしい。それは、よくある写真集のような、装丁されたアートギャラリーとは正反対のものだ。また、本の中では詳しく説明しなかった、あることにも気づいてほしいと思っている。クライマックスとなる章では、もしフラタニティ文化がなくなったら、あるものを失ってしまうことがわかる。それは、われわれが住む、微小なレベルで管理され、微小なレベルでの攻撃性が横行する現代社会において、失われつつあるとニーチェが気づいたもの、すなわち「野性」だ。

    現代のギリシア(つまり、ギリシア文字をグループの名前とする各フラタニティのことだ)には、古代ギリシアと共通した特別な祭典がある。つまり、酩酊や演劇、余興、あらゆる社会規範(特に品位)の無視、という意味での人間の側面を信奉する祭典だ。古代ギリシアでは、それは酒神ディオニュソスの祭りの一部だった。アメリカのフラタニティは、ディオニュソスが見出される、現代世界で最後の文化的制度といえるだろう。私は自分が、ディオニソスの祭典への敬意を見出すようになるとは思っていなかった。ニーチェを読んだ後で初めて、その意味がわかったのだ。

    ただし、フラタニティハウスで学ばれたことが、そこだけに留まってくれればよいのだが、それは無理だ。

    私にとっては、写真集のなかにある「犬の写真」が特に印象的だ。犬の扱われ方は、男子の秘密クラブの中で起きたことは男子の秘密クラブの中に留まるというあらゆる望みを消し去るものだ。

    犬の虐待シーンは、秘密の誓いによって促進されながら、絶え間なく写真を出たり入ったりする正弦曲線のようなものを思い出させる。その正弦曲線は、犬に入りこんだり、外の世界に入りこんだりして、止まることがない。この写真は、フラタニティが抱える問題を完璧に捉えている。

    若者達には、この本を見てこう思ってほしい。「うわぁ、こういうふうにはなりたくない」と。他の人たちには、少なくとも、私が取り組んだこのプロジェクトが真実のためになると思ってほしい。そして学者には、この本を発見する遠い未来の同業者に思いを馳せてワクワクしてほしい。私が切に願うのは、過去のどの文化にも、この本のようなものが存在してほしかったということだ。

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    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:古森科子、合原弘子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan