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【写真】1970年代。サンフランシスコのLGBTコミュニティの姿

私のような若者が、熱狂的なひとときを過ごしていた。当時のサンフランシスコは活気に溢れていた。

1970年代初め、当時10代だった写真家のダニエル・ニコレッタは、ニューヨーク州ユーティカにある故郷で得られる以上のものを求めて、カリフォルニア州に向かった。そして1970年代半ばまでに、ゲイ解放運動家のハーヴェイ・ミルクとそのパートナーであるスコット・スミスが所有していたサンフランシスコのカメラ店で仕事を見つけた。2人の指導の下でニコレッタは、サンフランシスコの活気あるLGBTコミュニティを記録し、LGBTが公民権を獲得していく時代の最前線に立って、写真家としての才能を伸ばした。

新著『サンフランシスコのLGBT(LGBT: San Francisco)』は、1970年代から現在までの40年以上にわたってLGBTの公民権運動を記録したニコレッタの注意深い仕事の集大成だ。そのライフワークと新著についてもっとよく知るために、BuzzFeed Newsはニコレッタにインタビューし、そうした時代の重要性と、新しく生活を始めた地で何とかやってきた若いゲイの男性としての個人的な体験について聞いた。

ニューヨーク州で育ち、18歳くらいの時に、大学に進学するために西に向かった。カリフォルニア州で生活したのはそれが初めてで、まったく新しい体験だった。大学進学はカリフォルニア州に行くための手段だったが、それが引っ越しを決意した主な理由だったかどうかはわからない。幼い子どもの頃からずっと、カリフォルニア行きを夢見ていたが、実際に足を踏み入れるのはそれが初めてだった。

当時、私のアイデンティティは変わりつつあったが、私が育ったユーティカの町はとても因習的なところだった。町の人々はいくらか支えになってくれていたけれども、私は実際のところ、できるだけ故郷から離れようとしていた。そして、カリフォルニアに到着した瞬間にわかった。そして声に出した。「ああ、これこそ、私が残りの人生を過ごす場所だ」と。

正直に言うと、カリフォルニアに初めて到着したとき、私はほとんど何も知らなかった。芸術には興味があったが、政治に関してはまったく意見を持っていなかった。私の故郷は何もかもはっきりしない感じで、そこの人々は無知だとさえ言ってしまいたくなる場所だった。だから、サンフランシスコにやって来て、目が覚める思いだった。私の政治的アイデンティティはサンフランシスコに来てから芽生えた。

ハーヴェイ・ミルクとそのパートナー、スコット・スミスの下で働いたときのすばらしいことの1つは、自分自身の道を進むように常に励ましてもらえることだった。彼らは人々に有権者登録を勧めていたが、「有権者登録をしないといけない。投票しなければ」と強要されることはなかった。そこは、多様な創造性が融合する場であり、私にとってはこの上ない場所だった。

70年代のサンフランシスコは、私が性的アイデンティティと政治的アイデンティティを形成のための通過儀礼をするのには適した場だった。あらゆる年代の人々、特に私のような若者が、熱狂的なひとときを過ごしていた。当時のサンフランシスコは活気に溢れていた。

サンフランシスコに移住し始めたLGBTコミュニティに反感を抱く人もいた。しかし、コミュニティは人目を引こうとして大々的な運動を行った。反対派はそれを選挙の争点にし、私たちも同じように反応した。このような出来事は、時には苦痛をともなうが、運動にはプラスになることが少なくない。

サンフランシスコには、ゴールドラッシュにまで遡る型破りな歴史がある。異端者が向かうべき場所であり、個人主義が称賛される場所だ。私たちが1970年代にやって来た頃には、こういった考え方がすでに明確なかたちをとっていた。1950年代に除隊した人々や、1960年代にサンフランシスコにやってきたヒッピーたちにとっては大きな魅力で、それが完全に相乗効果になっていた。

多くの人々が、ゲイ解放運動が始まったのは1970年代だと誤解しているように思う。誤解するのも当然だが、それは正確ではない。1950年代に始まっていたゲイ解放運動があるからだ。それを本物の起源と認めないのはおかしい。それにもちろん、ほかの国にもさらに多くの歴史がある。

突破口が開いたのが1970年代だったのは事実だ。それは疑う余地がない。1950年代から1960年代にかけて非常に危険な仕事をした人たちのおかげだった。ゲイ解放運動は1970年代に1つの理念となったが、自己認識を見直しつつある社会の文化という点では、この理念はすでに機が熟していた。そうした意味では、私たちにはすでに制御できない、重大な転機だった。私たちが選挙運動で闘ったから、今の私たちがある。

新著では、運動の始まりと、複雑になっていった経緯を回想している。それに、現代にも通じる内容だ。また、今でも激しい議論を巻き起こすような問題を扱った写真がいくつかある。私はジャーナリズム精神に従い、そういうやり方を示したかった。郷愁を誘う写真をただまとめるのではなく、旅が終わっていないことを示す形にしようと思った。


この記事は英語から翻訳されました。翻訳:矢倉美登里/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan