元収容者たちが語る、ウイグル自治区の強制収容所の過酷な現実。中で何が起きているのか

    中国・新疆ウイグル自治区では、数えきれないほどのイスラム系少数民族が拘束され、強制収容所に送られている。強制収容所での過酷な体験を世界に向けて発信できる人はほとんどいない中、BuzzFeed Newsは元収容者28人に話を聞くことができた。

    この記事は、新疆ウイグル自治区で中国政府により行われているイスラム教徒の強制収容に関して、BuzzFeed Newsが独自に実施した調査のパート2である。パート1はこちら、パート3はこちら、パート4はこちらから。

    このプロジェクトは、オープン・テクノロジー基金ピューリッツァー危機報道センターECFJ(Eyebeam Center for the Future of Journalism、ジャーナリズムの未来のためのアイビーム・センター)の協力のもと行われた。


    ことのはじまりは、警察からかかってくる電話かもしれない。あるいは警察が職場に現れて、話をさせてくれと上司に頼むかもしれない。実際に警察が拘束に来るのは、人が寝静まった夜が多いようだ。

    中国西端の新疆ウイグル自治区では、強制収容システムがひたすら拡大を続けている。そこにはウイグル人とカザフ人が拘留されており、彼ら、彼女らは手錠をかけられ、多くが頭に布をかぶせられ、何百人という単位で、高い鉄扉の奥へと連行されていく。

    拘留理由としての犯罪や違反は、あごひげを生やしていたことから、禁止されているアプリをダウンロードしたことなど、実にさまざまだ。

    政府は収容所を「教育・職業訓練を行うセンター」と説明。総領事館は「施設内では人権が守られている」と主張

    中国に関する事例の調査と分析を行なっている「ジェームズタウン・ファンデーション」が独自に調査した資料によると、推定で100万人を超える人々が、謎に包まれた施設に消えたことが分かっている。

    中国政府のこれまでの説明によれば、収容所の目的は「イスラム系少数民族に対して教育や職業訓練を行うこと」だという。BuzzFeed Newsはこうした収容所システムについて調査を実施し、収容所を上空から見た衛星写真を公開した

    写真からは監視塔や分厚い外壁、有刺鉄線といった収容所の外観が明らかになっている。ただし、その内部で日々何が起こっているのかについてはほとんど知られていない。

    BuzzFeed Newsは、新疆ウイグル自治区にある収容所に拘留されていた元収容者28人を取材し、通訳を介してその体験を聞いた。中国から他国へと逃れ、自らの体験談を話すことができた元収容者たちは、さまざまな意味で運が良かった人たちだといえる。

    28人全員が口を揃えて証言したのは、収容所から釈放されたときに、内部で起きたことを一切口外しないという誓約書に署名させられたということだった。

    写しを保管していた人はだれもいなかった。中国を出国するときに、国境で持ち物を調べられることを恐れていたからだ。

    今回の取材に対して、元収容者の多くは本名を明かさなかった。自分は他国在住でも、中国に残っている家族が報復を受けることを恐れているためだ。

    その一方で、取材に応じてくれた元収容者たちは、自分たちがどのような目に遭ったのかを世界に知ってもらいたいとも述べている。

    元収容者たちに拘留されたときの状況をたずねると、驚くほど同じような答えが返ってくる。

    パトカーで連行されるところから、何日間も、何週間も、何カ月間も、収容所内で非人間的な扱いを受けたこと。すべてを奪われた屈辱の日々を送り、最後に、ごくわずかな人しか許されない釈放にいたるまで、一貫して同じなのだ。

    元収容者たちはまた、収容所内の様子や日常を語ってくれた。トイレにまで監視機器が設置されていること、入所者は分類され、国に対する脅威度によって制服で色分けされていることなどだ。

    BuzzFeed Newsは、元収容者たちが語った体験談の全詳細について裏付けを取ることができなかった。新疆ウイグル自治区にある収容所や刑務所を訪ねることはできないからだ。

    元収容者たちの話を聞いていると、新疆ウイグル自治区に住むイスラム系少数民族を標的にした中国政府による強制収容が、どのような進展を遂げてきたのかを知ることができる。

    収容所の変化の一因には、国際社会からの圧力もある。強制収容が始まった当初、とりわけ2017年、2018年初めに拘留された人たちは、学校や老人ホームなど、政府所有の建物を転用した場所に強制連行されることが多かった。

    一方、2018年後半以降に拘留された人たちの多くは、収容所内に新たな工場が建設されるのをその目で見ていた。また、そこで強制労働させられた人もいた。労働は無給だったが、収容環境はまだましだった。

    記事執筆のためにBuzzFeed Newsが在ニューヨーク中国総領事館に質問リストを送ったところ、次のような回答があった。

    「中国の憲法ならびに法律にもとづき、それらのセンターでは人権の尊重ならびに保護という基本原則が厳守されています」

    「センターは寄宿舎として運営されており、実習生は帰宅したり、私用のために休暇を願い出たりすることが可能です。実習生は、母語で会話をしたり書いたりする権利が十分に守られています。(中略)異なる民族の風習や習慣は最大限に尊重され、保護されています」

    「実習生には、イスラム教徒が戒律で食べることができるハラル食が無料で提供されています。また帰宅時に『正統な宗教活動』に参加するかどうかは各自が決定できます」

    中国外務省にも何度かコメントを求めたが、回答は得られなかった。

    「健康診断に連れて行く」行き着いた先は、強制収容所だった

    2017年末のこと、ヌーサウルがイリ・カザフ自治州チョチェク市近郊で拘留されたとき、彼女の夫はテレビを見ていた。

    台所に立ち、夫の昼食のために羊肉入りの麺料理をつくっていたヌーサウルは、玄関が強くノックされる音を耳にし、ドアを開けた。

    そこには私服姿の女性が1人おり、両側には制服を着た男性警察官が2人立っていた。ヌーサウルは女性から「健康診断に連れて行く」と告げられた。

    ヌーサウルは、当初は喜んだ。カザフ人女性の彼女は60代で、数日前から脚が腫れており、医師に診てもらおうと考えていたからだ。

    そのとき、ヌーサウルのお腹が鳴った。やって来た女性は親切そうだったため、昼食後に迎えに来てほしいとヌーサウルは頼んだ。女性は「それでもかまわない」と言ったが、続けて意外なことを口にしたという。

    ヌーサウルは、当時の状況をこのように振り返る。

    「一緒に行くときには、イヤリングとネックレスを外すよう言われたんです。これから行くところには宝石やアクセサリーはつけて行ってはダメだと。そこで初めて、怖くなりました」

    警察官がいなくなると、ヌーサウルは成人した娘に電話をかけて事情を話した。娘なら、その状況が意味するところがわかるのではないかと考えたのだ。

    娘はヌーサウルに心配しないよう言ったが、その口調からは異変が感じられた。ヌーサウルは涙がこみあげてきて、昼食の麺料理がまったく喉を通らなかったという。

    それから何時間も過ぎ、警察から延々と取り調べを受けたあとに初めて、ヌーサウルは極度に空腹であることに気がついた。しかし、彼女が次の食事にありつけたのは、強制収容所の塀の中だった。

    ヌーサウルは、病院で一連の血液検査を受けたあとに別の部屋に連れて行かれた。そこでは内容が理解できない文書に署名するよう言われ、10本の指すべてをスタンプ台につけて指紋をとられた。

    過去について警察に取り調べられてから、何時間も待たされた。真夜中過ぎになってようやく、中国人の警察官に「教育を受けなくてはならない」と告げられたという。

    ヌーサウルは中国語が話せなかったため、カザフ人の警察官に通訳を頼んだ。しかし、教育を受けるのはたった10日間だから安心するよう言われただけだった。

    元収容者たちは全員、ヌーサウルと同じように、収容所に連行される前に徹底した健康診断を受けさせられたと述べている。病院では採血と採尿が行なわれ、警察の取り調べでは、渡航歴や個人の信仰、宗教的慣習について質問されたという。

    新疆ウイグル自治区北部のチョチェク市で、酪農を営んでいたカザフ人のカディルベク・タンペク(51)は、当時聞かれた質問を振り返った。

    「『イスラム教のしきたりを実践しているか?』とか『祈りは捧げているか』などと聞かれました。私は『信仰はあるけれど、祈りは捧げない』と答えました」

    タンペクはその後、警察に電話を取り上げられた。柔らかな口調で話すタンペクだが、2017年12月に強制収容所に送られたあとは、警備員として働かされたという。

    拘留された人たちは、健康診断と取り調べのあと、強制収容所へと連行された。2017年と2018年はじめに拘留された人たちの話によると、到着した収容所は大変混乱していたという。

    たいていは、数十人、あるいは数百人が列に並んでおり、巨大な鉄の門で守られた収容所内でボディチェックを受けていた。

    取材に応じた元収容者たちの多くは、連行された先がどこなのかわからなかったと話していた。到着が夜だったり、頭に布をかぶせられたりしていたからだ。

    一方、元収容者たちが連れて行かれた場所の多くは、元々学校や老人ホームだった建物だった。そのため、強制収容所に転用されたのだと気づいた人もいた。

    武装した警備員に警備犬。「脅威度」ごとに服の色で分けられる収容者たち

    ヌーサウルが建物に到着したときに最初に目に入ったのは、武装警察官が警備している施設の重い鉄製ドアだった。

    中に入ると、持っている物をすべて捨て、靴ひもとベルトも外すよう言われたという。実際の刑務所でも、自殺防止のために同じことが行われている。

    ボディチェックが済むと、別の部屋で収容所用の制服に着替えさせられたという。その部屋へと向かう通路は総じて網で覆われており、武装警備員や犬が警備にあたっていた。

    匿名希望の元収容者の1人は、「あのような犬には見覚えがありました」と語った。以前にテレビで放送された、第二次世界大戦のドキュメンタリー番組で見たことがあったという。

    「ナチスドイツが使っていた警備犬みたいでした」

    2018年2月に拘留されたカザフ人で薬剤師のパリダさん(48)は、当時の状況をこう振り返る。

    「列に並んで服を脱ぎ、青い制服を着ました。男も女も同じ部屋で着替えたんです」

    「家畜のように扱われました。泣きたかったです。ほかの人の前で服を脱ぐのは恥ずかしかった」

    十数人を超える元収容者たちの証言から、収容者たちは制服の色により3種類に分けられていたことを、BuzzFeed Newsは確認している。

    パリダやこの記事の取材に応じた大部分の人のように、青い制服を着させられたのは、脅威が最も低いと考えられている収容者だった。

    彼ら、彼女らの多くは禁止されているアプリを電話にダウンロードしたり、外国への渡航歴があったりと、軽微な容疑がかかっている人だった。

    イスラム教で礼拝の指揮を執るイマームや、反体制的だとされた収容者は、最も厳重な監視が必要な種類として分類された。それらの人々は収容所内であっても、常に足かせをつけられていた。その中間にあたる種類もあった。

    青い制服姿の収容者たちは、「危険度」の高い人たちとは一切のかかわりを持たなかったという。危険度が高い人たちはみな、別のエリアやフロアか、まったく別の建物に収容されていることが多かったためだ。

    しかし時には、外を行進する彼らの様子を窓から伺うことができ、たいていは手錠をかけられていたという。収容者の種類は、中国語で「通常の管理対象」「強い管理対象」「厳格な管理対象」と呼ばれていた。

    何人かの女性の元収容者たちは、長い髪をあごの長さまで切られてしまったことが、心に深く傷を負うほどの屈辱だったと語っている。

    新疆ウイグル自治区全域では、ベールやスカーフなどをかぶることは禁止されているため、女性たちは頭を覆うこともできない。

    ヌーサウルも被害者の1人だ。髪を切られた後、毛先を手で触れた際には涙を流したという。

    「髪を切りたくありませんでした。カザフ人女性にとって、髪が長いことはとても大切なことです。私は子どものころからずっと髪を伸ばしていて、一度も切ったことがありませんでした。髪は女性の美しさそのものなんです」

    「信じられませんでした。バッサリと切り落とされたんです」

    Barbed wire lines the top of a spiked fence in front of a large prisonlike complex

    常に監視されている収容所内。身勝手な振る舞いは「厳しい罰」の対象に

    BuzzFeed Newsの取材に応じた元収容者全員が証言していたのは、強制収容所の敷地内に足を踏み入れた瞬間から、収容者はプライバシーを完全に奪われるということだ。

    強い圧迫感を放つ警備員がいるうえ、監視カメラはトイレなどにも設置されており、各部屋に2台ずつはあったという。

    十数名を超える元収容者の話によると、宿舎によってはドアが二重に取り付けられていて、警備員がそのいずれかのドアを通過するには、虹彩スキャンか指紋スキャンが必要だったという。

    屋内のドアには小さな窓がついていることがあり、そこから食事の入ったボウルが渡されていた。

    収容者たちは、しばしば取り調べを受けた。各自が犯したとされる罪、つまりは宗教的な慣習を実践したり、外国に渡航したり、オンラインで禁止されている行為を行ったりしたことなどについて、何度も繰り返させられたのだ。

    取り調べのやりとりは、尋問者がすべて細かく文書にしていた。取り調べの最後には「反省文」を書かされることも多かった。読み書きができない場合は文書に署名をさせられた。

    BuzzFeed Newsの取材に応じた元収容者はだれひとり、脱走を考えなかったという。逃げられる可能性はなかったからだ。

    収容所の係官は日中、監視カメラで収容者の行動を観察し、話をするときはインターホンを使った。

    収容所は複数の建物で構成されており、宿舎、食堂、シャワー施設、管理棟のほか、場合によっては訪問者用の建物もあった。しかし、自分がいる宿舎の外を目にすることはほとんどなかったと、大半の元収容者は証言している。

    中国政府が大規模な強制収容を開始した当初、とりわけ2017年に収容所に連行された人たちは、施設がひどく混み合っていたと話している。ツインベッドを2人で使う場合もあり、新たな収容者がひっきりなしにやってきていたようだ。

    宿舎には2段ベッドが並び、各収容者には小さなプラスチック製の椅子が与えられた。元収容者の話では、その椅子にじっと座らされ、両手を膝に置いた姿勢で中国語の勉強を強要されたという。

    手を膝から離したり、姿勢を崩したりすると、インターホンを通じて厳しく注意された。

    トイレは共有で、シャワーはめったに使えない。使えたとしても、出てくるのは常に冷たい水だった。

    一部の元収容者によると、建物内には小さな診療所があった。ヌーサウルは、2018年にバスで地元の病院2カ所に連れて行かれたことを覚えているという。

    その際、収容者は互いに鎖でつながれていた。ヌーサウルがいた収容所では、人の出入りが絶えなかったようだ。

    監視していたのはカメラや警備員だけではない。夜間には収容者自身がシフトを組み、立ったまま同室者を見張るよう強要された。

    同室者とけんかや、中国語ではなくウイグル語やカザフ語を話したなど、同じ部屋のだれかが勝手な振る舞いをした場合は、見張り役の収容者も同様に罰せられる可能性があった。その場合はたいてい殴られ、女性ならば独房に入れられた。

    元収容者数人の証言によると、高齢の男女は何時間も立っているのが難しく、苦労しながら見張りをしていたそうだ。

    収容所の内部は人であふれており、緊迫した雰囲気が漂っていたため、収容者同士のけんかが時折発生した。その後は厳しく罰せられていたという。

    1人の元収容者はこう述べている。

    「独房へ連れて行かれて、殴られました。その部屋がどこにあったのかはわかりません。頭に袋をかぶせられていましたから」

    ヌーサウルは殴られたことは一度もなかったが、ある日、同じ部屋のウイグル人女性と言い争いになった。その結果、頭に袋をかぶせられて、独房へと入れられた。

    独房は暗く、金属製の椅子とバケツがひとつずつあるだけ。両足首は足かせでつながれていた。独房は約3メートル四方と狭く、床はセメントだったという。

    窓がなく、照明も消されていたので、警備員はヌーサウルの姿を確認するのに懐中電灯を使っていた。

    独房に入れられて3日後に、ヌーサウルは再び部屋に戻された。

    Adult students in matching jumpsuits sit in rows of desks

    政府の説明とは程遠い、収容所内での教育実態

    中国政府の説明では、収容所にいる「学生たち」は職業訓練を受け、中国語を学び、「過激な思想が改められる」という。しかし、元収容者から言わせれば、中国共産党のプロパガンダによって洗脳され、工場で無償労働させられることを意味した。

    中国の国営メディアは、収容所では教室で学習が行われており、収容者たちは実際に、そこでの学びで恩恵を得ていると強調する。

    しかし、BuzzFeed Newsが数人の元収容者たちから聞いた話によれば、実際は人が多すぎて教室に入りきらないので、宿舎の自室にあるプラスチック製の椅子に座り、教科書を勉強させられたという。

    実際に教室で授業を受けた人の証言は、どれも似たり寄ったりだ。教室の前にいる先生は、透明の壁か格子で収容者たちから隔離された場所に立ち、標準中国語や、中国共産党の教義について授業を行う。

    教室のまわりには警棒を持った警備員が配され、「学生」が漢字を間違うと、その警棒で叩くこともあったという。

    多くの元収容者たちが「施設を転々とした」と主張

    BuzzFeed Newsの取材に応じた元収容者のほぼ全員が、収容所を転々としたと証言した。収容されていた建物では、収容者の出入りがつねにあったと考えられている。

    移動の理由が説明されることはなかったが、収容者を詰め込んだせいではないかと、元収容者の一部は考えている。

    27歳のカザフ人女性であるディーナ・ヌルディバイも、収容所を転々とした1人だ。彼女は衣類製造業を営んで繁盛させていたが、2017年10月14日に拘束された。

    その後は5カ所の施設を転々としたという。行き先は、馬が飼育されていた村の施設から、警備の厳しい施設まで様々だった。

    最初に連れて行かれた収容所での記憶を、ヌルディバディはこう語っている。

    「毎晩、50人くらいの新しい収容者が到着していたようでした。収容者たちがはめている足かせの音が聞こえてくるんです」

    突然の釈放。契約書には「収容所での体験を口外しない」の記載も

    2018年12月23日のことだった。その時ヌーサウルは、釈放されるとは思ってもいなかった。

    「ちょうど夕食時でした。私たちはドアの近くに並んで立っていたんです。私と、もう1人別のカザフ人女性の名前が呼ばれました」

    ヌーサウルは恐怖で震え上がった。収容所内からは実刑判決を受ける人もいると聞いていたため、自分も判決を受けるかと思ったのだ。

    実際、中国政府は強制収容所を刑事司法制度の一部とはみなしていない。強制収容所の収容者には、正式に逮捕されたり、犯罪で起訴されたりした人はひとりもいない。

    刑務所の服役囚は、ウイグル人とカザフ人が異常なまでに大きな割合を占めている。ヌーサウルは、刑務所は収容所よりも悲惨な場所だという話を聞いていた。

    彼女は一緒に名前を呼ばれた女性に、「私たちは実刑を受けるの?」とささやいたという。

    2人は手錠をはめられ、大きな部屋へと連れて行かれた。プラスチック製の椅子に座らされると、係官によって手錠を外された。

    係官はヌーサウルに、「カザフスタンに行きたいか」と尋ねてきたという。ヌーサウルが「行きたいです」と答えると、係官はヌーサウルの前に数枚の文書を置き、署名するように言った。

    そこには、「収容所で体験したことは決して口外しない」という誓いの言葉が書かれていた。ヌーサウルが署名すると、釈放の許可が出た。出国するまでは自宅軟禁になったが、翌日、ヌーサウルの娘が着替えを持って迎えに来た。

    BuzzFeed Newsの取材に応じた元収容者のほぼ全員が、同じような証言をしている。収容所での体験を決してだれにも話さないことを誓った文書に署名させられたというのだ。中国語がわからなかった人は、何のための署名なのかさえ知らなかった。

    収容理由を知らされた人もいれば、結局、理由がわからなかった人もいる。

    ヌルディバイは自身が拘束された理由について、このように話していた。

    「私が拘束されたのは、中国で使用が制限されているメッセージアプリ"WhatsApp"を使ったからだと、最後に言われました」

    A massive Chinese flag which has been painted on a hill, with a large mountain range in the background

    体験を口外することで襲ってくる恐怖。それでも「話さなければ」という覚悟

    ヌーサウルの娘は20代後半の看護師で、新疆ウイグル自治区の病院で看護師として働いている。夜勤が多く、始業時間は夕方6時だ。

    看護師の仕事は大変な上に、娘もいつか拘留されてしまうのではないかと、ヌーサウルは心配している。

    自分が釈放された後は、娘のところに身を寄せるしかなかった。夫も収容所に入れられていたからだ。

    ほかのイスラム系少数民族と同様に、ヌーサウルの娘はパスポートを当局から取り上げられている。そのため、カザフスタンに来ることはできないという。

    ヌーサウルは母語のカザフ語で、今回の取材に対し、ゆっくり慎重に話をしてくれた。しかし、その口調にはときおり、悲痛さがにじみ出ていた。

    ヌーサウルが「記事ではフルネームを使わないでほしい」と言った瞬間、彼女は泣き始めた。

    夫に対しても話すことができず、心のなかに抑え込んでいた苦痛について語り始めた途端に、涙が引っ切り無しにこみあげてきたのだろう。

    収容所での記憶は、彼女にとって、思い出すことも、話すことも耐え切れないほどの苦しみだ。

    ヌーサウルは娘のことを考えていた。自分が収容所での体験を語ったことが中国当局にばれたら、娘はどんなひどい目に遭うのかと心配なのだ。

    だからこそ、多くの元収容者や元服役囚は、そこで起こったことを決して口にしようとしない。

    「今でも、あのときの話をするのは怖いんです。もうこれ以上は耐えられません。我慢できないんです」

    「この話をするのはつらい。でも、話さなければならないと思っています」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan