「お母さんにはお母さんの人生がある」。夫・ECDの闘病、母との決別…台風のような日々を抜けて

    闘病生活の末、夫だったラッパーのECDさんが亡くなったのは2018年1月末のこと。あの日から1年、2人の娘と支えてくれる人々と生きた日々の記録を写真家・植本一子さんは1冊の本にまとめた。最新刊『台風一過』を通じて伝えたかったこととは。

    いつも彼が持ち歩いていたボロボロのPASMOを形見に選んだ。

    チャージをしなければ残高は減っていく。どんどん小さくなってゆく数字がその人の不在を突きつける。

    彼は一生、57歳のまま。24も離れていた年の差も少しずつ縮まり、やがて追い越す日が来るのだろう。

    夫だったラッパーのECDさん(本名、石田義則さん)を癌で亡くして1年。写真家・植本一子さんは2人の娘と、そして支えてくれる周囲の人々と一緒に歩んだ1年間を1冊の本にまとめた。

    「もしかしたら、いまが一番付き合いやすいかもしれないですね。不在だけど」

    10年間夫婦として一緒に歩んできた石田さんとの関係性を振り返り、そうつぶやく。

    「死んでいるのに、関係性って変わるんですよね」

    夫がなくなるその日まで、「死んでしまったら関係性はそこで終わり」と思い込んでいた。

    「お母さんだって自分の人生を生きている」

    夫の闘病、実の母との決別、付き合っていた彼氏との別れ。これまでも、そんな「台風」の中にいるような日々について書いてきた。

    夫に対して、母に対して、そして何より子どもに対して、時に意図せず傷つけるような振る舞いをしてしまう。そんな生々しい出来事すら植本さんは本に記す。

    だからこそ、植本さんが書くものには否定的な感想や意見も寄せられる。

    そうした意見を目にして傷つくことはわかっている。それでも、本を出版した直後は感想が気になり、検索画面に自分の名前や本のタイトルを打ち込むのを止められない。

    本を読んだ人から、自分が「自由に生きている」と言われることに違和感があった。自由に生きよう、そう心に決めて振舞ってきたわけではない。むしろ「自分に嘘をつきたくない」。その一心で生きて、そして書いてきた。

    今のこの寂しさや辛さには既視感があった。石田さんが癌になった時も、この苦しみは誰とも共有できないのだ、と気づいた瞬間があった。私の気持ちなんて、誰にもわからない。だから私は、自分で自分を慰めるために、もう一度この日々を書くことにした。もう一度石田さんと向かうこと、そして自分と向き合うこと。私はそれをこれまで、文章でやってきたのかもしれない。書くことでやっと、自分が前に進める気がするのだ。(『台風一過』)

    締め切りは苦しい。正直、嫌いだ。だから締め切りが近くたび、辛さを吐露する言葉をTwitterに投げ込んでしまう。

    それでも「書いてよかった」と小さく笑う。

    いつか子どもたちが自分が育った家庭のことを思い返す日が来るかもしれない。その時、本を通じてお母さんはこういう理由でしんどかったのだと知ってくれれば。そんな願いが植本さんが書く文章には込められている。

    石田さんを亡くしてから、年下の男性と付き合いはじめた。彼の名前はミツ。「彼氏」よりも「同居人」という言葉の方がしっくりくる。暮らしを支える新しいパートナーだ。

    「お母さんにはお母さんの人生があるから」

    ミツとの関係を娘に問われたとき、そんな言葉が口をついて出た。こんな言動はあまりに「酷い」と自分でも思う。それでも、「お母さんだって自分の人生を生きている」ということだけは伝えたかった。

    「親が一番幸せそうに生きる。その姿を見せることが子どものためにもなると思うんですよね」

    たとえ、それが開き直りと他の誰かに捉えられたとしても。 

    石田さんがいなくなって、ようやく「お手上げ」と言えるように

    「本当に石田さんがいなかったら成り立たなかったし、感謝しています。大変だった0歳から10歳をなんとか一緒に乗り越えてもらった感覚があって…乗り越えてもらったっていうか、主にやってもらったみたいな」

    自分が不安定なとき、ダメだとわかっていても子どもに当たってしまう瞬間がある。だからこそ、子育てを成り立たせる上で、「菩薩みたいな」石田さんの存在は必要不可欠だった。

    そんな石田さんが亡くなって、家族を守らなくてはいけないことのプレッシャーと不安が途端に押し寄せた。

    「石田さんが本当にいなくなったらね…やっぱり負担も大きいし、怖くなっちゃった」。だから、自分一人では無理だと割り切った。

    「これまでは私が死んでも石田さんがいるみたいな気持ちがあったんですよね。闘病生活で家にいないことが多かったけど、生きていてくれた間はこの家族4人で頑張らないといけない、私が全部支えなきゃいけないって思ってたんですよ」

    「でも、もうお手上げ。とにかく1人で責任を持てないなって。半分くらいは頑張るけど、あとの半分はいろんな人にやってもらいたい」

    娘2人と自分。閉じた関係で子育てをすることは、きっと子どもたちにとってもあまり良いことではないと考えている。今も子育てが成り立っているのは、たくさんの友人・知人が手を貸してくれるおかげだ。

    「やっぱり、私みたいな人間ができちゃったらどうしようとは思うんですよ。私みたいな人間に育っちゃったらどうしようって…」

    多くの人の力を借りて子どもを育てる中で、子どもたちは様々な大人の生き方や考え方に触れることができる。子育てを自分一人で抱え込まないことは、自分の中に深く根ざす不安をかき消すためでもあった。

    過去に撮影したフィルムに、自分の「しょうもなさ」を突きつけられて

    「面白そうだから」石田さんと結婚した。結婚をして女は初めて一人前になると長年刷り込まれてきた。そうした世間の「普通」に従ってしまえば、少しは楽に生きられるのでは。そんな打算的な思いからの選択だった。今も昔も、結婚に夢を見たことは1度もない。

    いつも恋をしていた。でも、その相手は石田さんではなかったという。それでも、「子どもを育てるのであればこの人と」と思ったからこそ、結婚生活を続けてきた。

    「お父さんいなくなっちゃった……」悲しそうに言われ、とっさに、お父さんはいないけどいるよ、と答えた。何かあったら、心の中でお父さんに聞くんだよ。お父さんは必ず聞いてくれるから。

    「石田さんならどうする?」
    問いかければ、自然と答えが見つかる気がする。その時、石田さんは自分の中に確実に生きている。(『台風一過』)

    「なんか、何かに立ち止まったとき、やっぱり石田さんだったらどうするかな?ってことは考えちゃうよね…いろんなことがあったけど、尊敬していたっていう のはずっと変わらなくて」

    写真集を作るってなると、どうしてもこういう写真と向き合わなきゃいけなくなるわけで、それはいろんな意味で相当にしんどい…

    今年中の刊行を目指して、石田さんとの10年をまとめた写真集の編集作業が始まっている。

    膨大なフィルムから写真を選び出す作業中、出産に立ち会った石田さんの姿や、亡くなった直後の姿を写した写真を目にした。そのたび、「台風」のようなこの10年の日々が思い起こされる。

    ある時期のフィルムには、石田さんの姿も娘の姿もほぼ写り込んでいない。それは石田さんの他に付き合っていた男性がいた時期とぴたりと重なる。これまで撮ってきた写真たちに思わぬ形で、自分の「しょうもなさ」を突きつけられた瞬間だった。

    自分にとって不都合なことも、見て見ぬ振りをすることはできない。だから、一つひとつの出来事を思い出すことは「結構、しんどい」。それでも、子どものために、石田さんのために写真集をまとめようと心に決めた。

    「これをまとめて石田さんとのことは終わりだなって思ったから、頑張りますよ。写真集が出たら完結だね」

    あなたは今、誰と生きてる?

    「誰と生きてる?」
    そんな一言を前作・『降伏の記録』のサインには必ず添えていた。

    石田さんがいない今、植本さんは誰と生きているのだろうか。

    「ミツと生きてるって感じですね。もちろん、その周りのみんなとも生きているんですけど、一番近くにいるのは彼です」

    「一番近くにいる他人とやっていくっていうのが本当に大変。石田さんとの10年で、もうこりごりだった…でも、それでもやってみようと思って、もう1回挑戦している感じですね」

    少なくとも、子どもたちが18歳になるまでは結婚するつもりはない。その上で結婚という「縛り」を抜きにした関係を今も模索している。

    「『結婚』みたいに、名前の付いた関係性って楽なんですよ。でも、縛られるものがあるわけでもなく、お互いに縛り合うわけでもない関係でいたい。縛るものはない、それでも誰かと一緒にいることができるのか?という実験かも」

    そんないま、植本さんにとって家族とは「チームのようなもの」だと語る。

    「第一陣は私と子ども2人と、そしてミツ。その後ろの第二陣、第三陣に支えてくれる人がいっぱいいる。とにかく周りにいる人が多いんです」

    自分に嘘をつかずに生きる中で、結果的に結婚や家族、子育ての「普通」を静かに揺さぶってきた。きっと、植本さんの生き方はこれからも変わることはない。

    たとえどんな家族のもとに生まれるかを選ぶことはできなくとも、自分自身がどう生きるか、誰と生きるかを選ぶことはできる。いつだって人生の主導権は自分の手の中にあるのだから。