「どうせ助けてもらえない」あの頃、 私は諦めていた… 暴力を振るう親のもとを離れて

    彼女は中学2年生から高校2年生まで、父親に暴力を振るわれ続けていた。警察も、児童相談所も彼女を救ってくれなかったという。高2年の冬に一時保護、その後ファミリーホームを経て現在は1人で生活をしている。

    その夜もまた、彼女は震える手で110のボタンを押した。

    父親は酒癖が悪い。幼い頃から母親が殴られる姿を目にしてきた。中学2年生になった頃、そんな父親が失業。母親は家族を養うためにパートで働き、家を空ける時間が増えた。かわりに暴力を振るわれたのは島田希さん(仮名)と4歳年下の弟だった。

    「最初はほんの少しだけ期待していたんです。誰かに助けてもらえるんじゃないかって。でも、警察や児童相談所の人にも裏切られ続けて…期待することすらやめちゃった。弟とは今日の人も役に立たなかったね、なんて言い合ってました」

    家族とは二度と一緒に暮らさないと覚悟を決めた

    「時々、警察沙汰になってはいても、大怪我するほどの暴力は振るわれていなかったんですよ。それに、一時保護所もいっぱいでなかなか保護には踏み切れないって児相の人にも言われました」

    高校2年の冬に弟と一緒に保護され、高校卒業までの1年間をファミリーホームで過ごした。ファミリーホームは児童養護施設や里親経験を持つ養育者が、家庭環境を失った子どもを家庭に迎え入れて養育する仕組みだ。

    ファミリーホームを出てからは家族とは会っていない。いまも離れた場所で暮らし、どこにいるかは伝えていない。家族のもとへ戻る予定もないという。家族と同じ名前を名乗るのが嫌で、学校やバイト先では通称名の使用を認めてもらった。

    「完全に関係を絶っていきたい。これからも(実の家族とは)あまり関わることはないかなと思いますね。普通の家がどんなものかは知らないですけど、私の中では家族というのはそこ(ファミリーホーム)の人なので」

    弟はファミリーホームを出た後、家族のもとへと戻っていった。

    「保護された当時、弟はまだ中学生だったんです。親への希望みたいなものを持っているんだと思います」とつぶやく彼女の表情は、どこかぎこちない。それでも、机の上で握られた拳に意志の強さを感じた。

    就職に結婚、この先も様々な出来事がきっと起きる。嬉しいことも悲しいことも、彼女はファミリーホームで出会った第2の家族と分かち合いたいと考えている。

    仕方なく手放した、「教師になる」という夢

    保護のタイミングが高校2年生の終わりと比較的遅い時期であることは、その後の人生に思わぬ形で影を落とした。

    中学時代、夢見ていたのは教師になること。得意科目は社会科。大学へ進み、教員免許を取って教師になるのも悪くないと考えていた。

    だが、高校に入ると虐待の影響もあり精神的に不安定な日々が続く。学業に集中できず、成績は下がり続けた。

    通常であれば高校1年生からアルバイトをして卒業後の生活資金を貯めることができる。しかし、一時保護から卒業まで1年弱しか残されていなかったため4年制大学に通うためのお金を貯める十分な時間は残されていなかった。

    「最初はすぐに就職するつもりでした。でも、やっぱりやりたいことが諦められなくて…保育の資格を取れば子どもと接することができる。だから専門学校へ進学することにしました」

    選んだ専門学校に入学するため、4月までに払わなければいけない金額は10万円。ファミリーホームの職員にお金を借りて、なんとかチャンスを手にした。

    その後、条件付きで給付型の奨学金を支給してもらえることに。掴める機会は最大限に活用しながら、アルバイトと学校でカレンダーが埋まる忙しい日々を過ごしている。

    キャバクラでも自分の過去は隠さず、オープンに

    一時期はコンビニとアパレル、そしてキャバクラと3つの仕事を掛け持ちしたことも。

    「キャバクラの仕事は単純に面白そうだったからはじめましたね。どういう人が働いているのかも見てみたくて。最初の1年は指名も取れなくて、コンビニの夜勤の方がよっぽど稼げるくらい(笑)。でも、あの空間がなんとなく好きでした」

    誰かと喋るのはいまも昔も苦手。「男の人も超苦手だった」と笑って振り返る。

    キャバクラでは自身の生い立ちを積極的にネタにして話し続けた。施設に入ったことは島田さんにとっては決してマイナスなことではない。自分のような家庭で生まれ育った人もいると、ちょっとしたきっかけで知ってくれたらとも願う。だから重く苦しい過去も隠さず、オープンにした。

    「キャバクラは自分のためにお客さんが来てくれる。指名が取れるようになってからは仕事の楽しさも知ったかなって。その分、連絡もマメにしなくちゃいけないし、大変なこともあるけど」

    同じような施設出身者にも、必要に迫られてキャバクラをはじめ夜の仕事へ足を踏み入れる人がいる。なかには認められたい、注目されたいと承認欲求を満たすために夜の仕事の扉を叩く人も。

    キラキラと輝く華やかな世界へ憧れ続け、次第に飲み込まれていく同世代も目にしてきた。

    バラエティ番組などエンタメの話題に疎く、会話の幅も広いとは言えない。そんな自分にはキャバクラの仕事は向いていなかったと明かす島田さん。夜の仕事の世界に足を踏み入れてから1年半が経った頃、専門学校で実習がはじまったことを機にキャバクラを卒業した。

    卒業後は施設職員めざす


    「最終的には親に頼ることができない。だから、なるべく安定した道へと進もうとする友達が多いんですけど…自由になったらやりたいことがドンドンと出てきたんですよ(笑)」

    いつかはワーキングホリデーで海外で暮らすことに憧れている。これからの生活ついて話す、その顔は満面の笑みで溢れていた。

    専門学校卒業後は児童養護施設の職員として働くことを目指している。実習がはじまれば、2週間はバイトのシフトに入ることもできない。その日に起きたことを日誌としてノートにまとめるのも楽ではない。

    「無事に単位は取れたけど、成績はギリギリ」。それでも、少しでもやりたいことを仕事にできるように勉強を続ける。

    「どうせ助けてくれない」と諦めていた自分を変えてくれた大好きな職員の背中に、少しでも追いつけるように。