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だから、「居るのはつらいよ」と言葉にする。「ふしぎの国」の精神科デイケアで4年を過ごして

臨床心理士の東畑開人さんがまとめたのは沖縄のデイケアでの日々。「ただ、いる、だけ」の価値を説く本が生まれたのは、なぜか。

大学院を卒業したどり着いたのは、沖縄にある精神科デイケア。「とりあえず座っている」。それが最初の仕事だった。

多くの人が、デイケア室でただ座っているだけなのだ。話をするでもなく、何かを読むでもない。ときどきお茶を口に含むことはあったけど、基本彼らは何もせずに、ただただ座っていた。

こんな風景見たことない。僕はそれまで、誰も彼もがセカセカと何かをしている世界にいたからだ。
(『居るのはつらいよ』)

臨床心理士の東畑開人さんはそこで繰り広げられている日常を、このように表現する。プログラムを通じて支援する100倍の時間を、ただ座って過ごす。

そんなデイケア生活4年間を通じて知った「いること」の価値を、軽快な物語調でつづることに挑戦した。

生産性や効率性が重視される現代社会で、なぜ「ただ、いる、だけ」は、ここまで軽んじられてしまうのか。2019年2月に出版された『居るのはつらいよ』(医学書院)は、そんな問いに向き合う。

ページをめくるほどに「居るのはつらいよ」という言葉の悲痛さが増していく。ケアとセラピーについて書かれた学術書であるはずが、読めば読むほどにそこで繰り広げられている出来事が他人事でなくなる。

読み終えて初めて読者は気付く。これはどこか遠くのケアの現場の話ではない、他でもない自分の物語だと。

5年間学んでも、臨床心理学が何かわからなかった

「5年間大学院にいたんですけど、臨床心理学というのがどういうものなのか、どうしてもよくわからなかったんです」

人の心に寄り添うとは、支えるとは何か。心の問題に向き合い、考えていくのが仕事だが、どこからどこまでが心の問題なのかがわからない。博士号を取得しても、その問いに答えができることはなかった。

「カウンセリングという閉じられた空間で行われていることについては、饒舌に語られています。もちろんそこは大事です」

「でも、実際のところ、カウンセリングって、それぞれの人がこの社会で生きていくことを助けるものなわけですが、じゃあ生きるとはなにかとか、助けるってどういうことなのかが、考えれば考えるほどよくわからなくなってしまった」

研究者となり、やがては大学教員として学生を指導する。そんな一般的なキャリアへは進まなかった。わかっていないことをわかったふりをして教えることはできない。それでは、学生に対して嘘をついているようだとすら感じたという。

「これはもう臨床心理士として実際に現場で働くしかないと思いました。臨床経験を持たなければ、自分が何をやっているのかがわからないという切迫感があったんです」

東畑さんはこうして、世間とはまったく違う時間の流れる「ふしぎの国」へとたどり着いた。

「それでいいのか? それ、なんか意味あるのか?」

臨床の現場に身を置いたのは、セラピーを行うため。でも、期待されている仕事の大半はセラピーではなかった。車を運転し、メンバーさん(通っている患者)たちを送迎する。麦茶がなくなれば補充した。

東畑さん自身、当初は「ただ、いる、だけ」の日々にひどく戸惑ったのだという。

セラピーという自身の専門と現場で求められるケアの間で葛藤を強いられた。そこに「ただ、いる」時間を過ごすたび、「それでいいのか? それ、なんか意味あるのか?」という言葉が頭をかすめる。

最初は、そこで「すること」を探し続けた。だが、あるとき焦ってセラピーを施したことが裏目に出る。ある女性に自身の傷と向き合うことを強い、精神状態が不安定になっていった。こうしたセラピーが数週間続いたある日、彼女はデイケアから姿を消した。

この失敗を経験して、東畑さんはデイケアの流儀に従う覚悟を決めた。

とにかく「いる」。なんでもいいから「いる」。僕は「いる」を徹底することにした。となると、やれることは一つしかない。とりあえず座っている。これだ。
(『居るのはつらいよ』)

「僕のデイケアの思い出はとにかく退屈だけど座っていること。その風景でした。みんなデイケアでただ座っていることに戸惑ったと言っていました(笑)」

『居るのはつらいよ』は『精神看護』(医学書院)での連載がもととなっている。連載「ふしぎの国のデイケア」第1回目のタイトルは「『いる』と『する』」。

デイケアでの日々を振り返り、何かを書くならば、ただ座っていた日々のことについて言及することは必然だった。

なぜか「依存=悪」とされてしまう

書店へ足を運び、ビジネス書コーナーに立てば、そこにはいかにして自分の能力を最大限に生かし、生き残るかを伝える本が所狭しと並んでいる。属性や能力だけで見られてしまう社会はしんどい。

「ドラマ仕立てのビジネス書を読むのが趣味なんですけど、ビジネス書系の割り切りって説得力があるんですよね。その物語でイケてない奴って大体依存してる人なんです」

「一番悪者にされてしまうのは、会社に依存する人なんですよ。その対比として、起業できる私や転職できる私が描かれているんです。でも、果たして頼ることってそんなに悪いことなのだろうか」

多くの場合、こうした本の中では自立が善とされ、依存が悪とされてしまう。だが、本来は誰もが依存をしながら自立をしているはず。なぜ、単純な二項対立の構図に押し込められてしまうのだろうか。

依存は恐怖である、という感覚が人々の中にはあるのではないかと東畑さんは指摘する。

「俗にいう『依存』とは人に自然に頼ることができないことによって生じる問題、という意味で使われている言葉だと思います」

「『依存』とは本来、誰か他人を信じて頼ることだったはずです。だけど、いま、それがとても難しい。何か起きたときに自分で責任をとらないといけない社会では、他者は最大のリスクになってしまうからです」

「だけど、そうやって依存を排除していくと、僕らはとても孤独になってしまう。そして代わりに、モノに頼るようになってしまう。だからこそ、今、僕らはもう一度、どのようにして人に頼れるか、人とつながって生きていけるかを試されているのだと思います」

「僕らは現代のリスク意識と対峙しながら、依存についてもう一度きちんと考えないといけない」

物語だからこそ、描くことのできた葛藤

コーチングや自己啓発でも「doing」(すること)と「being」(あり方)といった対比で、「いること」については語られている。

だが、彼が感じた「いること」の価値はそれらとは異なるものだ。

「デイケアで座っている『いる』ことには、自己啓発にあるようなキラキラ感がないんですよ。それはもう、すごく退屈なんですよ。でも、この退屈な『いる』こそ、僕らの生きていることの根底にあるものなのではないかと思ったんです」

「すること」の価値ばかりに重きが置かれてしまう現代社会で、「いること」の価値を伝えたい。東畑さんはデイケアで目にしたもの、耳にしたことをエピソードを通じて紹介することを決めた。

ケアとは傷つけないこと、セラピーとは傷つきに向き合うこと。どちらも生きていく上で必要な成分だと東畑さんは説明する。

「僕はもともとケア寄りの人ではない。大学院で学んだことも、専門もセラピー寄りの人間ですから。でもね、世の中の人間関係のほとんどにセラピーもケアも両方含まれている」

「だから、あいまいで複雑なものを前に、すっきりできずに、ひたすら口ごもり続ける。つまり、葛藤する」

『居るのはつらいよ』が物語調でつづられている理由がここにある。

「論文ではバシッと二項対立にして書かなければいけない。でも、物語ならば2つの相反するものを白黒つけることなく描くことができる。だから葛藤を描く上で、物語というものはものすごく相性が良かったんです」

振り切れたときに、振りかざされる効率性の論理

2016年7月26日、神奈川県相模原市の福祉施設「津久井やまゆり園」の元職員による殺傷事件が発生。19人が死亡し、27人が負傷した。犯行に及んだ元職員は入所者を「心失者」と呼んでいたことなどが報道されている。

2018年7月には自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌『新潮45』への寄稿文の中で、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と持論を展開した。

いま、様々な人の「いる」が脅かされている。誰かを排除する言動が生まれる背景にあるものとは。

「僕たちって普段は葛藤しているはずなんです。与えられた条件の下で、目の前の現実を生きるために葛藤している。でも、生き残るために様々なことを割り切っていきますよね」

「こうした言動が酷くなるときって、効率性や合理性に振り切れてしまったときではないかと思うんです」

誰もが望んで葛藤を抱えるわけではない。できることなら、手放してしまいたいと思うこともあるはずだ。そんな中で、ふとした瞬間に振り子が振り切れてしまう。

「どこかでプツンと切れて、振り切れる。すると、すっきりわかりやすい効率性の論理を振りかざしてしまうんです」

「答えが出ないからこそ、僕たちは葛藤します。明らかな答えが存在しないとき、葛藤を抱えながら、悩みながら前に進むにはエネルギーが必要なんです」

誰かを生産性で計る言説を生む合理性や効率性の声は、誰の心にも根ざしている。その先の道を分かつもの、それは葛藤を抱き続けることができるかどうかだ。

「葛藤を抱え続けためには、自分が葛藤を抱えていることを知ってくれていて、その葛藤を抱えることに意味があるとわかってくれる誰かが必要です」

「その誰かとは、家族かもしれないし、同僚や上司かもしれない。あるいは友達です。そう、友達が葛藤することを支えてくれます。僕らは一人でいると葛藤していることが辛くなって、すっきりしたくなってしまう」

この本がアジールになれば…

社会を変えることの大切さ、そのために声を上げることの重要性は理解している。だが、東畑さんはそうした現実と戦う術ではなく、逃げる術をあえて提示した。

「カウンセリングの仕事って、様々な問題を抱えた人を一時的に保護して、変容していくことを支えるモデルなんです。最終的にはみんな、もといた世界へと戻っていく」

本の中では、現実世界とは違った論理が展開されている。こうした論理が読んだ人の捉え方を変え、自分が抱える辛さを語る言葉を手にする支えとなる。これこそが果たすべき役割だと考えた。

だから「居るのはつらいよ」と誰もが抱えうる辛さを、あえて言葉にしてみせる。

日常の中の「アジール(逃げ場)」として、この本が機能してくれればという願いを込めて。