家族と暮らせない子はかわいそうですか? 施設で育ったお笑い芸人を主人公に映画を撮った理由

    施設出身のお笑い芸人が主人公の映画『レイルロードスイッチ』を製作した西坂來人さん。彼自身、児童養護施設で幼少期を過ごした経験を持っている。

    「俺たちなんていくら頑張っても幸せになんてなれないじゃん」

    20分の短編映画の中盤、児童養護施設出身の主人公が同じく施設出身の友人にふと漏らしたこの一言が、映画を見る一人ひとりに重くのしかかる。

    「そんなことない」と、大して考えもせずに無責任な慰めの言葉をかけたくなる。でも、胸を張って「そんなことはない」と言い切ることはできるのだろうか?

    この映画の監督・西坂來人さんは施設で過ごした経験を持つ自分自身の弱い一面を主人公に背負わせたと明かした。

    「僕も将来に対して希望なんて持てなかったんですよ。社会の見えないところに隔離されてしまっているような気がして、諦めてしまっていました」

    進学をしたいという願いさえも、時に阻まれてしまうこともある。社会的養護のもとを巣立った人の多くは、誰に頼ることもできずに自分の力だけで生きていかなくてはいけない。生活費を稼ぎながら、専門学校や大学へ通うことは容易ではない。

    さらに、アパートを借りるときに必要な保証人を頼める人がいないケースも多い。家を借りることにも一苦労。銀行口座の作り方すらわからずに、戸惑ってしまうこともある。

    「もちろん誰かに聞けばいいということはわかってます。でも、聞くことすら恥ずかしいと感じてしまう人がいるのも事実なんです」

    あるとき、父の暴力で家族がバラバラになった。

    西坂さん自身、小学5年生の後半から中学校へ上がるまでを弟と妹と一緒に児童養護施設で過ごした。原因は父の家庭内暴力。母への暴力は日に日にエスカレートし、一家は離散した。

    母と離れて明かした最初の夜のことはいまでも覚えている。児童相談所の一室に布団を敷き詰め、3人の弟と1人の妹と5人一緒にぎゅっとくっついて眠った。必死で寂しさを堪えた。その日の夜は寒く、外では雪が降っていた。

    「当時、すでに小学5年生だった僕は、なぜ児相に保護されるのか、事情はだいたい理解できていました。でも、まだまだ小さい弟たちは何もわからずに不安そうにしていたんです。だから、自分が守らないといけないと思いました」

    「最初、児童相談所で保護されたときには母親と離れるのはあくまで一時的だと言われていました。母にもすぐに迎えに来るから、と声をかけられて」

    そうした大人の言葉を信じて、母と暮らせる日をまだかまだかと待ち続けた。1週間〜2週間くらいだと思っていた施設での生活は、気付けば1年以上になっていた。

    3ヶ月に1度は母が面会に施設を訪れた。聞こうとすれば、いつ一緒に生活できるようになるのか聞くことはできただろう。でも、聞けなかった。頑張る母を追い詰めるような気がしたから。当時は会いに来てくれるだけで、嬉しかった。

    その後、中学校へ上がると同時に母のもとに5人は引き取られた。生活保護を受けてなんとか生活していた時期もあった。決して裕福とは言い難い。でも、一生親と会えない友達や生まれたときから施設で育った友達に比べたら恵まれている、幸せだと思った。

    ずっと気がかりだった児童養護施設のその後を映画に。

    「施設で暮らしていたとき、一緒に住む子たちの受けてきた酷い虐待について聞く機会もありました。小学4年生なのに1年生くらいで成長が止まってしまっている子や、10歳になってもおねしょが治らない子がいたり」

    「夜眠っていると、隣の部屋からゴンゴンと鈍い音が聞こえてくることがあって、覗いてみたらある子が無意識のうちに床に頭を打ちつけていたこともありました」

    児童養護施設を出てからも、一緒に過ごした友人たちのことが心のどこかでひっかかっていた。

    彼が施設にいた20年前は、中学校の卒業と同時に施設を卒業して住み込みで働き始める子どもが多くいた。仕事を失えば、住む場所も失う。リスクの高い選択だが、こうした選択をする人が一定数いたことはデータからも明らかだ。

    全国児童養護施設協議会のデータによれば1998年当時の社会的養護のもとで育った子どもの高校進学率は78.6%、その他一般の中学卒業生の高校進学率は96.8%。そこには20%近くの開きが存在した。

    「正直、その仕事をやめたらどうするの?って心配になりますよね。彼らのその後について何度か耳にしたことはありましたが、残念ながら良い噂を聞くことはありませんでした」

    大人になったからといって、見て見ぬふりをして生きることはできなかったと西坂さんは語る。これまでにも3度、児童養護施設のその後を描いた映画を撮影しようと試みた。1度は脚本も仕上げ、お金も100万円貯め、あとは撮影するだけの状態になったこともあったが、頓挫してしまった。それでも、諦めることができなかった。

    そんな紆余曲折を経て、ようやく撮影できたのが今回の20分間のパイロットムービーだ。

    「かわいそうな存在」として描きたくはなかった。

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    児童養護施設に関連する物語はたいてい悲しいものばかり、どこか重く、暗い。そんなお決まりのパターンに抗うことは映画を撮影する前から決めていた。

    「正直、社会的養護出身の人をかわいそうな存在として描く映画が大嫌いなんです。悲しい物語を見せて、見た人に心を傷めてもらうことも一つのやり方ではありますが、大事なことは必要な人にサポートが行き渡っていないと伝えることです」

    だからこそ、施設出身のお笑い芸人を主人公に据えた。映画の中には主人公が自身の経験を笑いに変えるシーンも登場する。

    施設の食事を作ってくれていた職員のエピソードや一緒に施設で育ったかつての友達が性産業で働いていることを笑いのネタに盛り込むシーンに批判的な人がいることも理解している。それでもこれまで興味を持っていなかった人へ届けるために必要な表現を模索した。

    社会的養護のもとを巣立った女性のなかには、仕事を失い、住む場所も失った末に性産業へ足を踏み入れざるを得ない人々がいる。そうした現実を踏まえ、映画には施設を出た後、性産業で働く女性も登場させている。

    「施設を出たすべての女性が性産業で働くわけではありません。でも、残念ながら風俗で働く誰かの話を聞くのは "施設あるある" なんです。『彼女たちが自ら望んで性産業で働いていると思いますか?』と問いかけたかった。この状況をどう思いますか?と」

    「彼女たちが生きなくてはいけない現実や生い立ちを知ったら、自己責任なんて言えないと思うんですよ」

    一人ひとり抱える困難は異なるからこそ、様々な経験をした当事者の声を反映させたい。そんな思いから、これまで児童養護施設出身者を支える団体などに取材をしてきた。

    長編化へ向けて、取材は継続中だ。施設出身といっても様々な人生を歩んでいる人がいる。そうしたそれぞれの人生をグラデーションで描きたいと西坂さんはいう。

    「もちろん、全ての人が道を踏み外している訳ではなく、普通に生活している人たちも多くいます。一方で路上生活を送るしかない人や犯罪に手を染めてしまう人もいる。すべてを描くことはできないけど、できる限り人々の行動の背景まで含めて描きたいと思っています」

    映画のタイトル「レイルロードスイッチ」は線路の分岐点を意味する。同じ児童養護施設という共通の通過点を持ちながら、全く違う人生にたどり着いた児童養護施設出身者への思いがそこには込められている。

    人生における選択は必ずしも自分の意志で選べることばかりではない。それでも、どこかには人生の行く先を切り替えるスイッチがあるはず、と。


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