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「日本は難民を受け入れない国」 内戦逃れたシリア人が高裁でも認定得られず、上告も断念

シリア人の難民認定が、東京高裁でも拒否された。法廷闘争に疲れたといい、上告はしない考えだ。弟2人は英国で難民認定を受けた。しかし兄は、パスポートがなく出国もできない。日本での暮らしを続けるという。

内戦などで状況が悪化したシリア北部を2012年に脱出し、日本にたどり着いたヨセフ・ジュディさん(34)が難民認定などを求めた訴訟で、東京高裁(村田渉裁判長)は10月25日、ジュディさんの控訴を棄却した。

一審の東京地裁は3月、ジュディさんの訴えを認めない判決を出した。ジュディさんは控訴して見直しを求めていたが、地裁の判決が維持された。

司法記者クラブで会見したジュディさんは「日本の法に基づいた判決ではあるが、世界情勢を鑑みて正義に基づいたものではない」「日本の法律自体が、難民を受け入れないということだ。そうなのであれば、これ以上訴訟は続けない」と語り、上告しない意向を示した。

弁護団は、先の見えない法廷闘争に疲れたジュディさんの考えを尊重するという。

難波満弁護士は「国際的に見ても、このような判断が残ることは将来に禍根を残すと思っている。しかし、ジュディさんは2015年3月から3年以上にわたり裁判を続けてきた」と語った。

シリアへの逆送を恐れ、成田で難民申請

ジュディさんはシリア北部の出身で、少数民族のクルド人だ。反アサド政権デモなどに参加していたが、情勢の悪化や治安部隊員が自宅を訪れてジュディさんを探そうとしたことなどから2012年8月、シリアを逃れ、すでに弟が避難していた英国を目指した。

とはいえ、ビザがなければ、飛行機に搭乗することもできない。自力での移動は難しく、ブローカーの手助けが必要になる。

しかし、ブローカーが必ずしも信用できるとは限らない。ジュディさんの場合もトラブルが起きた。ブローカーに連れて行かれたのは、英国ではなくパリ空港。ブローカーはパリで、ジュディさんのパスポートを持ったまま姿を消した。

フランス入管当局はジュディさんを、一つ前の経由地だった成田空港に逆送した。このままではシリアまで戻されてしまうため、ジュディさんは成田で難民申請をした。

2人の弟は英国で難民認定済み

しかし日本の入管当局は、ジュディさんの難民認定を却下した。

ジュディさんの弟2人は英国への脱出に成功し、すでに難民として認定されている。弟たちと似たような状況でシリアを脱出したジュディさんが、もし英国にたどり着けていた場合、同様に難民認定されていたと考えるのが自然だ。

つまり、それだけ日本の難民認定制度は国際的に見ても壁が高い、ということなのだ。

高裁判決は、ジュディさんがアサド政権に迫害を受けることが書類などで十分に立証されていない、として、入管当局による難民申請却下を追認した。

弁護団は「この判決は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民認定基準とも異なる。シリアから逃げてくる時に証拠を持ってこられるかどうか、残してきた家族に書類を届けてほしいと言えるかどうかを考えてほしい」と批判した。

日本から出ることができない

ジュディさんはパスポートがないため、日本から出ることもできない。

とはいえ、反体制活動に関わったジュディさんがアサド政権の管理下にある在日シリア大使館に出頭しても、すんなりとパスポートなどを発給してもらえるとは限らない。シリアでは日本の常識は通用しない。大使館の敷地内は治外法権で、日本の法律も適用されない。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルなどよると、アサド政権は2011年以降、反体制派の国民7万5千人以上を強制失踪させた。その多くは政権の施設に拘束されたか、殺害されたとみられる。

ただし、ジュディさんには「人道配慮による在留許可」が出ているため、1年ごとに資格の更新を続けるかたちで、日本に滞在することはできる。

とはいえ、難民認定されれば受けられる福祉制度や、パスポート代わりとなる難民旅行証明書の発行などなどの支えはなく、立場は不安定だ。2017年5月には日本で次女が生まれたが、無国籍の状態だ。

ジュディさんは「まずは日本にいるしかない。パスポートもないし、子どもたちもここにいる。日本で生きていく」と語った。

ジュディさんはさいたま市のJR与野駅近くで、カフェ「ドバイ・アンティーク&カフェ」を経営。アラビア書道やアラビア語レッスンなどのイベントを開き、日々の糧にしている。

シリアは、いまだ戻れる状況にはない。むしろアサド政権が勢力を盛り返しており、反体制派への締め付けがさらに強まりそうな情勢だ。

ジュディさんは、カフェを拠点に、日本での暮らしを続けるという。