人は食べなければ生きていけない。シリアの人々に食料を届ける日本人女性の話

    戦時下の人々は何を食べているのか。シリアで働く日本人に聞いた。

    戦乱が続くシリアで、市民に食料を届けようと努力を続ける日本人の国連職員がいる。世界食糧計画(WFP)シリア事務所のプログラムポリシーオフィサー、竹之下香代さんだ。WFPシリアでは唯一の日本人職員だ。一時帰国した際、話を聞いた。

    竹之下さんは2007年にWFPに入り、ウガンダやスーダン、アフガニスタンに勤務してきた。シリア市民への食糧供給に携わるようになったのは、2013年にヨルダン事務所に転勤して以降のことだ。

    2014年から出張ベースでシリアに入るようになり、2015年からはダマスカスにあるシリア事務所に勤務している。自らも戦時下での暮らしを送りながら、同じ国に暮らす市民への支援活動を続けている。

    7割が極度の貧困

    8年目に入った内戦に引き裂かれたシリアの現状は、悲惨だ。

    多くの難民が国外に逃れただけでなく、人口約2200万人のうち610万人が国内避難民となった。安全な場所を求めて転々としているため、飢えが深刻になっている。10人のうち7人は極度の貧困状態に置かれているうえ、人口の3分の1にあたる650万人が食料支援を必要としている。さらに400万人が今後食料不安に陥る可能性があるという。この数は2017年の倍に増えた。

    そして、5歳以下の子どもたち1万8700人が、深刻な栄養失調状態にある。

    シリアでの食糧支援でまず大きな問題となるのは、孤立した市民に、どう食料を届けるのか、という点だ。国連の推計では290万人が到達困難な地域で援助を求めており、さらに全土で約42万人が包囲下にある。

    食料の投下も

    イスラム過激派「イスラム国(IS)」に包囲され、中に直接入ることできなくなったシリア東部デリゾールでは1年ほどにわたり、WFPが食料を航空機から投下した。回収と配布は連携する赤新月社(赤十字社にあたる組織)に依頼した。

    ISによる封鎖だけでなく、アサド政権軍による封鎖も起きている。
    反体制派が蜂起したことで2012年からアサド政権軍に包囲されたダマスカスのパレスチナ人難民キャンプ、ヤルムークでは、多くの住民が飢餓にさらされ、餓死者すら出た。

    今の焦点は、政権軍に包囲され、2017年末から激しい空爆や砲撃が続いてきたダマスカス近郊の東グータ地区の人々の暮らしを、どう支えるかだ。

    国連の安全保障理事会は2月、シリアで市民に人道支援を行うため1ヶ月の停戦を求める決議を採択した。だが、この決議は履行されないまま、戦闘が続いてきた。

    包囲下、食糧不足に苦しむ市民

    東グータ地区では、40万人の市民が閉じ込められた状態で、アサド政権軍はロシア軍の空爆支援を得ながら地域を掌握する反体制派への攻撃を続けた。

    アサド政権軍は東グータだけでなく、北部のシリア第2の都市アレッポなどで、まず一定の地域を長期間包囲し、住民と反体制派の離反を誘ったうえでロシア軍などの加勢を得て激しい空爆や砲撃などを加えるという戦略をとってきた。

    封鎖と攻撃で反体制派の反撃能力が衰えたところで、反体制派の戦闘員や反体制派支持の住民らが別の反体制派掌握地域に移動することを許し、空いた地域全体を「平定」するというやり方だ。

    国連の調査委員会は2014年の段階で、アサド政権が包囲戦を軍事戦略の手段として利用し、市民を飢餓に追いやっていると指摘する報告をまとめている。

    東グータでも反体制派と政権軍との間での撤退交渉が始まり、反体制派の一部は北部イドリブに移った。今の流れがつづけば政権軍が東グータの全域を掌握することになるが、そのあとに残るのは、破壊された町並みと、生活のすべを失った市民だ。

    反体制派の抵抗が弱まると政権軍の包囲も緩まり、市民らが周囲の崩れた学校などに避難し、臨時の避難所のような状況になっているという。

    こうした人々に食材を届け、なんとか食べていけるようにするのが竹之下さんらの仕事となる。緊急支援として配布されるのは、栄養強化ビスケットや豆の缶詰など、調理のいらない食品を中心としたキットだ。1世帯に10キロ分が配布される。

    WFPは3月5日に東グータに入り、26000人分の食料と、子どもたち300人分の栄養強化食品を届けた。

    「本当にパンぐらいしか食べるものがなかった、と市民たちは話していた。地下での避難生活を続けながら、日の当たらない状況に置かれ、子どもたちの栄養状態も悪化していた」と竹之下さんは言う。

    As the shelling and encirclement of Douma continues, children, women and the elderly are the most affected. More food and other humanitarian assistance are desperately needed to cover the enormous needs of the communities trapped inside. #Syria https://t.co/Y1sAfDJAFy

    WFP / Via Twitter

    ドゥーマへの食糧支援を伝えるWFPのツイート

    東グータの入ったWFPシリア事務所のプログラム責任者アフマド・ザカリアさんは「援助のニーズは膨大にあり、今回の援助物資は大海の一滴に過ぎない。さらなる支援が必要だ」と語った。ザカリアさんは、竹之下さんの上司だ。

    シリアの人々にとって、ホブスと呼ばれる丸いかたちをした薄いパンは、日本人にとっての炊きたてのご飯のような、食生活の基礎となる食品だ。すぐ堅くなるため、人々は毎日にように新しいパンを手に入れていた。

    地下で焼くパン

    ところが東グータの中心都市ドゥーマでは、激しい空爆や砲撃でベーカリーが次々と破壊され、地下でほそぼそと焼くベーカリーが残る程度だったという。

    戦闘が下火となり、一定の安定を取り戻して時間が経った地域では、食料の配布に加え、食料生産の復興も重要になる。中部の第3の都市ホムスやハマなどの地域では、小麦やコメ、豆類、植物油など1世帯に月55キロ分の食料配布を行うとともに、ベーカリーでのパン生産を支援している。

    国連食糧農業機関(FAO)によると、シリアの麦畑は2010年に315万ヘクタールあったが、2015−16年には216万ヘクタールに減った。流通経路も破壊されており、WFPの調査では、シリアの食料価格は内戦の間に800%上昇した。

    「シリアの人々は、ホブスを手にして初めて、食べ物を手に入れたという感覚になる。だから、ベーカリーの復興は重要なのです」と竹之下さんは言う。

    シリアでの食糧支援では、もう一つの課題もある。食は生きるために必要なものであると同時に、暮らしに彩りを与え、希望をつなぐためのものでもある、という点だ。

    日本でも東日本大震災などの災害時、この点がクローズアップされた。

    災害発生からしばらくの間は、カンパンや缶詰など、生き延びるための非常食でしのいでいける。だが避難生活が長期化していくと、それだけでは持たなくなる。日々のささやかな楽しみでもある食事が制限されれば、それだけでストレスがたまっていく。

    これを被災者のわがままと切り捨てることはできない。食事の大切さが広く理解されているからこそ、炊き出しなどのさまざまな支援が行われた。

    シリアでも人々のニーズは同じ。同じ人間だからだ。

    豊かだった食文化

    アラブ圏の文化の中心地の一つであるシリアは、豊かな食材と洗練された料理の数々を誇り、シリア料理は中東料理の代名詞となってきた。ダマスカスやアレッポのレストランは内戦前、中東をはじめ各国の観光客で賑わっていた。内戦前の2010年にシリアが集めた観光客数は、オーストラリアよりも多かったのだ。

    柿のように甘いニンジンや新鮮な青ネギ、ミントをはじめとする数々のハーブ類や果物が豊富だった。素材の良さを生かすため手を加えすぎないのがシリア流で、どこか和食に通じる部分がある。

    羊肉には臭みがなく、炭焼きのケバブだけでなく、新鮮な肉をハーブや香辛料、ナッツなどと合わせてたたき、生で食べる習慣もある。地中海の魚介類も豊かだった。

    和食でいえば醤油のような地位を占める基本食材は、オリーブオイルだ。調理に使うだけでなく、サラダやパンに垂らしたりと、あらゆる場面に登場する。オリーブオイルをつかったせっけんは、数千年の歴史を誇るアレッポの特産品でもあった。

    戦乱で、こうした食生活は人々から遠ざかってしまった。WFPの支援にも、予算などの面で限界がある。

    竹之下さんは「シリアはもともと食材も料理のレベルも高い国で、地域による食文化の違いもあり、例えばそれほどお米を食べない地域もある。WFPが配布する一般的な植物油ではなく、オリーブオイルを配ってほしいとよく言われる。気持ちはとてもよく分かるけれど、そうするとコストが上がり、難しいのが実情なのです」と語る。

    食料生産を回復させ、もとの暮らしを取り戻すために行われているのが、農家に対する支援だ。中部ハマなどで、農家に対して、作物のタネと、その収穫までの間に農家が食べる食料をあわせて配布したり、壊滅状態に陥った養蜂業の復興を支援したりしている。

    メニューから値段が消えた

    ダマスカスでの竹之下さんの暮らしも、戦争の影響を受けている。

    東グータを巡る攻防が激しくなったここ数ヶ月は、市中心部にあるオフィスの近くに着弾し、窓ガラスが揺れることも珍しくない。自宅では地元の食材に日本から持ち込んだ調味料などをあわせて食事をつくっているが、買い物の機会も場所も限られる。

    「地元には『もうトマトが高すぎて買えない。昔はタダみたいな値段だったのに』と嘆く人もいる」と語る。街中の食堂も営業を続けてはいるが、メニューから値段が消えたという。書き込んでも、物価高が激しく、すぐ値上がりしてしまうからだ。

    「つながりを持ち続けよう」

    竹之下さんは「シリアでは内戦前、JICAなどが積極的に支援し、日本に親しみを持つ人が多く、『むかしは日本企業で働いていた』という人に出会うことも珍しくない。ダマスカス大学には日本語学科もあります。だけど、内戦になってから急速に交流が減っています。これが切れてしまわないよう、シリアとのつながりを持ち続ける必要があると思います」と話した。

    そして、再びシリアに旅だった。

    WFPはシリアで2018年2月の1ヶ月で270万人に食料を届けた。

    だが、今年8月までにあと400万人に食料を届けるため、さらに1億3400万米ドルが必要で、各国の政府や市民の支援を求めているという。


    BuzzFeed Newsでは戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目にという記事も配信しています。

    BuzzFeed JapanNews