「なぜ日本に閉じ込める」 イエメン取材を禁じた外務省の行動は妥当なのか

    関係者の話を元に、記者の出国を禁じるという政府の決定が妥当なのかを検証した。

    内戦が続き、市民の食糧危機が深刻になっている中東イエメン。そこを取材しようとしたジャーナリストの常岡浩介さん(49)が2月2日、外務省からパスポートの返納命令を受け、出国できなくなった。

    常岡さんは現地の情勢をどう判断し、何を取材しようとしたのか。BuzzFeed Newsは常岡さんと、常岡さんと同行するはずだった台湾人記者らに取材し、今回の返納命令の妥当性を検証した。

    取材に向かう経緯

    紛争地取材を専門とする常岡さんは以前から、2015年に始まった内戦で深刻な人道危機に陥っているイエメンの状況に関心を寄せていた。

    イエメンは日本の外務省が全土に退避勧告を出している。在イエメン日本国大使館も2015年2月から一時閉館している。

    取材のリスクはゼロではない。とはいえ、そこでは市民の暮らしが続き、危機が深まる。各国の記者や援助スタッフも活動している。

    伝手を頼って2018年暮れ、正規のイエメン入国ビザを取得した。

    隣国オマーンから陸路でイエメンに入るという計画を立て、現地での交通手段や通訳も確保した。経由地オマーンのビザも取得した。

    1月14日にマスカット空港からオマーンに入り、知人で台湾のテレビ局記者と現地で合流し、一緒にイエメンを目指す予定だった。

    取材の目的は


    イエメンでは、内戦で物流が寸断され、2000万人が飢餓の危機に瀕している。内戦に介入したサウジアラビア軍の空爆などによる市民の被害も深刻だ。そして、公共の医療体制はほとんど崩壊している。

    常岡さんは、市民が置かれた状況を取材しようとしていたという。国連機関「世界食糧計画(WFP)」と、国際医療NGO「国境なき医師団(MSF)」に連絡を取り、イエメンでの取材の約束を取り付けていた。

    イエメンで市民をなんとか支えているのが、食料配給を担うWFPや、医療を無料で提供するMSFだ。そして両組織とも、複数の日本人スタッフが現地に駐在し、活動を続けている。

    常岡さんは、厳しい状況に置かれた市民や、現地で汗を流す日本人の姿を日本に報告しようとしていた。

    なお、日本政府はイエメンへの食料支援には積極的で、2018年はWFPに17億円を拠出している。

    オマーンで強制送還

    常岡さんは計画通りマスカット空港についた。だが、空港の入管で入国を拒否され、送還の便を待つため出発ホールに連れて行かれた。そして、17日のスリランカ航空便で送還された。

    搭乗の直前、スリランカ航空の職員から「なぜ日本大使館の人が来ているのか」と尋ねられ、大使館員が空港の制限エリアに入り、常岡さんの様子を見ていたことを初めて知ったという。

    各地で警察が

    送還された後、今度はカタール・ドーハを経由してスーダンのハルツームに向かい、ハルツームからイエメンに向かう航空便に乗ることにした。

    2月2日に出発する予定で、極秘裏に準備を進めていた。だがその前日、警視庁から突然、「ご出張の予定はありますか」という電話が入ったという。返答はぼかした。

    「まだスーダンからイエメンに飛ぶ便の最終的な手配が終わっておらず、イエメンへの入国日は決まっていなかった」(常岡さん)

    さらに、仕事の都合で地方に単身赴任している常岡さんの妻のところにも同じ日、地元県の警察官が自宅を訪ねてきて「旦那さんはどうしていますか」と尋ねてきた。

    常岡さんは「警察が県域を越えて連携し、情報収集に乗り出していた」と考えている。

    羽田空港で「旅券を返納せよ」

    2月2日夜、常岡さんはカタール航空便に乗るため、羽田空港に向かった。

    カウンターでチェックインし、出国審査場の自動化ゲートでパスポートをスキャンした。「このパスポートは登録されていません」と表示され、ゲートが開かなかった。

    その場で入管職員に問い合わせた。入管職員は外務省と連絡を取り、外務省の担当者とつながっている電話を渡してきた。そこで「あなたには旅券の返納命令が出ている。命令に従いますか」と言われた。「拒否します」と答えた。

    いずれにせよ、すでにパスポートは外務省の手で効力を失っている状態で、出国することはできなかった。

    常岡さんはその場で、外務省から入管にファクスされた「一般旅券返納命令書」を渡された。

    返納を求める理由として「貴殿は平成31年1月、オマーンにおいて入国を拒否され、 同国に施行されている法規により入国を禁止されているため、 旅券法第13条第1項第1号に該当する者となったため」などと記してあった。

    常岡さんの氏名やパスポート番号などはきちんと印字されていたが、「2月2日」という文書の発行期日は手書き。返納期限も「2月2日午後11時20分」と手書きされていた。

    一方、ファクスに印字された送信日時は「2月2日午後11時15分」。5分以内に返納しろ、ということだ。文書は「外務大臣」名だったが、押印はどこにもなかった。

    「日付に関する部分を空けた文書を事前に準備して待ち構え、手で書き入れて送ってきたのではないか」と、常岡さんは推測する。

    なお、旅券法は、以下のように規定している。

    第十三条 外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。

    一 渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者

    第十九条 外務大臣又は領事官は、次に掲げる場合において、旅券を返納させる必要があると認めるときは、旅券の名義人に対して、期限を付けて、旅券の返納を命ずることができる。

    一 一般旅券の名義人が第十三条第一項各号のいずれかに該当する者であることが、当該一般旅券の交付の後に判明した場合

    常岡さんが取材先で入国を拒否されるのは、これが初めてではない。2011年にパキスタンで、2015年にはトルコで入国を拒否されている。

    しかし、それを理由にこれまでパスポートの返納を求められたことはなく、2016年2月にはパスポートを無事更新できた。

    シリアで拘束されていたジャーナリスト安田純平さんの解放につながる糸口を見つけ出そうと再びトルコに向かった2016年7月、また入国を拒否されたが、この時も旅券返納命令は出ていない。

    同行予定だった台湾人記者は「安全に問題はなかった」

    常岡さんと1月にオマーンで合流できなかったのは、台湾の大手ケーブルテレビ局、三立電視台の彭光偉記者だ。

    常岡さんが入国を拒否されたと連絡が入り、仕方なく1月19日、計画した通りのルートでイエメン国境に同僚の台湾人カメラマンと2人で向かった。国境でイエメン人の協力者と合流。首都サナアや西部の都市ホデイダなどを取材した。

    彭記者も、人道危機を取材の焦点とした。

    「多くの人が貧困に苦しんでいた。しかしそれでも日常生活が営まれ、サナアの街は賑わっていた。何があっても、生活は続いていくものだと感じた」。メッセンジャーを通じたBuzzFeed Newsの取材に応じた彭記者は、こう語った。

    彭記者はさらに「イエメンでの滞在中、危険を感じたことはなかった」という。

    「サナアを実効支配する反政府軍のフーシ派が、私がサナア市内やホデイダを取材する際、常に警護の係官を付けてくれた。係官は、事前に行き先の安全確認も行ってくれた」

    「フーシ派支配地域の取材を終えたあと、ハディ派(政府軍)の許可も取って南部の政府軍支配地域に入り、アデンから台湾に戻った。そこでも危険は感じなかった」

    そのうえで、彭記者はこう指摘する。

    「常岡さんに起きたことは不当だ。渡航と報道の自由が保障されるべきだ。正規のビザを保持している記者の行動を妨害するという日本政府の考えを、私は全く理解できない」

    一連の取材を無事に終えた彭記者らは、アデンから1月31日、空路で台湾に帰国した。取材内容は、3月中旬に台湾で放送される予定だという。

    筆者も新聞社の中東特派員時代に交流があり、2012年にイエメン取材のアレンジをお願いしたことがあるサナア在住のイエメン人ジャーナリスト、ナセル・アッラビエさんに現地の様子をメッセンジャーで取材してみた。

    ナセルさんは、以前から日本を含む各国の記者からの取材アレンジや通訳の依頼を受けてきた。このところ日本の報道機関からの依頼は途絶えているが、アメリカや欧州からは、今月も先月も、次々と記者が入り、取材しているという。

    中東などで外国人記者が出張取材する際、ナセルさんのような現地のジャーナリストに取材先を相談したり、アポ取りなどを頼んだりすることが一般的だ。常岡さんにも同様に、イエメン人の協力者がいた。

    「みんな、特に問題なく取材している。日本の記者?(反米感情の強いイエメンで)アメリカ人が大丈夫なんだから、日本人だって問題ない。日本の記者が来れば、いい取材をして帰国できるよう、しっかりアドバイスして支えられる」

    イエメンでの安全対策は

    イエメンでは、首都サナアなど北部の主要地域は、反政府組織「フーシ派」が実効支配している。

    フーシ派は、イエメンで人口の4割ほどを占めるイスラム教シーア派の集団だ。中央政府に虐げられているという感情が強く、2015年に蜂起して首都サナアを制圧した。同じシーア派の国イランが、フーシ派を支えている。

    イエメン政府軍はフーシ派の蜂起により首都を追われ、拠点を南部アデンに移した。サウジアラビアやアラブ首長国連邦など、イランと対立する国々が政府軍を支援し、フーシ派に対する空爆などを行っている。

    この内戦に加え、シリアなどで外国人の拉致や殺害を行ってきたイスラム過激派「イスラム国(IS)」や「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」も存在している。

    ISやアルカイダは、イスラム教スンニ派の過激派だ。これらは、同じイスラム教徒といえど教義が異なるフーシ派などのシーア派のことを「背教徒」とみなし、市民であれど殺害をいとわない。

    それだけにフーシ派は、実効支配地域へのスンニ派過激派の侵入を強く警戒し、あちこちに検問を設けている。

    また、ISやアルカイダが拠点とする地域は、主に南部などの比較的狭い範囲に限られている。そこに近づかなければ、こうした勢力に拉致される危険性は低い。

    今回、常岡さんが計画していた移動ルート上に、ISやアルカイダの拠点はなかった。

    そして、常岡さんが取材予定地の一つとしていた西部ホデイダでは2018年12月、国連などの仲介で両軍の地域的な停戦が成立している。

    最近、サナアではISなどによる大きなテロは起きていない。検問などフーシ派の治安対策は、一定の効力を示している。

    サナアでむしろ問題となっているのは、サウジ軍などの空爆による市民被害だ。

    WFPなどは誤爆を避けるため、スタッフが陸路を長距離移動をする際は、サウジ軍側に移動ルートや車種を事前に通告している。

    大きな組織の後ろ盾のない常岡さんの場合、サウジ軍に直接、連絡を取ることは難しい。

    だが、取材をアレンジした現地の協力者が目立たない車を用意したうえ、協力者の家族も同乗することにしていた。フーシ派民兵や政府軍に近づくつもりもなかった。攻撃の巻き添えを食らう可能性を避けるためだ。

    「むしろ問題になるのは、各地の警官が、私を記者だと知って難癖をつけてワイロをたかることだった。そう言って協力者が『家族を同乗させれば、客人と一緒に旅をしていると説明できるから、もっと安全だ』と私に持ちかけてくれた」

    問題は記者だけに留まるのか

    なお、「非武装の人道支援」を基本理念とするMSFは、警備の担当者はいるものの、丸腰だ。各派と入念な交渉をかさね、情報収集を行い危険を避けている。

    「ISなど交渉が成立しない過激派が勢力を強めたり、武力に頼らなければならないほど危険な地域では、進出を控えるか、撤退する」と、MSFの広報担当者は話す。現時点でイエメンから撤退する予定はないという。

    どんなに注意を払っても、リスクをゼロにすることはできない。だが、それを最小限に抑えることは、現状のイエメンではまだ可能だ。各国の記者や、国連機関やNGOの日本人職員が活動を続けている現状が、それを示している。

    常岡さんが出国を禁止されたことに、あるイエメン援助関係者は「日本に直接、イエメンの実態を伝えて頂く貴重な機会を失ってしまった」と話した。

    あるNGOの職員は言う。「日本人スタッフだけに全くビザが出なくなり、派遣できなくなった国がある。どうやら日本政府が、現地の政府に働きかけたようだ」

    常岡さんは「外務省の目的が私の安全確保ならば、事前に私と協議すべきだったと思う。その段階で旅券返納命令が出れば、今回は取材を断念せざるを得なくなり、航空券などを払い戻すこともできた」と振り返る。

    「だが、羽田でチェックインを済ませて出国ゲートに向かい、航空券の払い戻しもできない段階で初めて命令を出した。私に経済的損害を与えようとしていたのかとも感じる」

    「人道危機は世界に波及する」

    「国連すらも入れないシリア北部とイエメンの状況は全く異なる。細心の注意を払ったうえで現地で活躍する日本人を取材することに、どのような問題があったのだろうか」と常岡さんは語る。

    「世界の人道問題はつながっている。シリア内戦の深刻な人道危機を放置したことで、欧州は押し寄せる難民を抱え、欧州連合が崩壊する可能性すら出た。イエメンの人道危機も同じだ。日本を含む世界と、イエメンの問題は必ずつながっている」

    日本の隣の韓国では、イエメン人のビザ取得を免除していた済州島にイエメン人難民が押し寄せるという状況が生まれている。

    また、世界を震撼させた2001年の米同時多発テロの震源地は、アフガニスタンだった。

    1990年代にアフガンでの危機的な状況を国際社会が放置したことで、アルカイダがそこに根をはる土壌ができてしまった。そしてアルカイダは、アフガンでこのテロを計画したのだ。

    河野外相の説明は?

    日本政府が報道関係者に旅券返納命令を出すのは、2015年2月にシリア難民取材を検討していた新潟県の写真家杉本祐一さんに命じて以来、安倍政権下では2例目だ。

    杉本さんに旅券返納命令を出した理由について、政府側は当時、「邦人がシリアに渡航すれば生命に直ちに危険が及ぶ可能性が高いと判断される」と説明している。

    常岡さんへの返納命令について、河野太郎外相は2月5日の記者会見で次のように語った。

    2月2日午後11時16分、邦人男性に対し羽田空港において、旅券返納命令書を交付しました。それ以上については個別の案件であり、個人情報にかかわりますので、政府として明らかにすることは差し控えます。

    不利益処分に対しては不服申立、あるいは訴訟という手段がありますので、必要ならば(常岡さんが)そういう手段を取られると思います。

    「イエメンにジャーナリストが入ることにより(その惨状が)伝わるという面がある。いわゆる戦場ジャーナリズムと邦人保護の間でジレンマはあると思うが、どう整合性を取るのか」と問われると、外相はこう答えた。

    今でも多くの日本人ジャーナリストが海外で取材活動をされていると思います。それは安全なところだけでなく、様々な危険のあるところで取材をされているんだろうと思いますし、そういう、身の危険を顧みずと言うとちょっとあれかもしれませんが、そうした危険な場所で取材をされているジャーナリストに、私は敬意を表したいというふうに思っております。


    常岡さんは2月5日、弁護士と協議のうえ、東京都庁で新たなパスポートを申請した。すでに無効となり、返納命令が出ている古いパスポートは係員が預かった。

    申請書の渡航先と渡航目的欄には、こう書いた。

    「行き先はスーダンとイエメン。目的は観光および業務」


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