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そして日系4世は来なかった 日本は外国人が「働きたい国」であり続けられるのか

日本は外国人にとって今後も「働きたい国」なのか。そうではない可能性を示す兆候が、すでに出ている。

2019年4月から、外国人労働者の受け入れに舵を切った日本。これから何が起きるのか。移民問題を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」の編集長で、移民問題を巡る新著『ふたつの日本ー『移民国家』の建前と現実』(講談社現代新書)を出版した望月優大さんと考えるインタビューの最終回です(第1回はこちら、第2回はこちら)。

アジア各国で経済成長が続くうえ高齢化が忍び寄っています。日本の外国人労働者を国籍別に見ると、最も多いのは中国ですが、その比率は年々下がっています。代わりにベトナムとネパールが急増しています。

一方、韓国や台湾も外国人労働者の受け入れを強化しています。「外国人は日本で働きたがっている」と思う日本人は多くいますが、そういう状態であり続けられるのでしょうか。

将来を示唆する「日系4世受け入れ事業」

ーー日本にこれまで技能実習生を送り出してきた中国などで、経済成長が続いています。韓国や台湾も外国人労働者の受け入れを強化しています。日本は、これからも外国人が働きたい国であり続けられるのでしょうか。

2018年7月に始まった日系4世の受け入れ事業は、将来を示唆する話だと思います。

これは南米の日系人4世が日本で働けるという制度ですが、厳しい条件を付けています。年齢は18〜30歳までで、家族帯同は不可。滞在の上限は5年に限っています。

政府がここまで厳しい条件を設定した理由を、私は次のように推測しています。

90年代以降に入った日系の南米人で、日本に定住した方がかなり多くいました。家族を呼び寄せ、子どもたちも生まれました。しかし、政府は定住を促進するというようなかたちでの対応というのを積極的には取ってこなかった。

家族を呼べ、かつ更新回数に上限のない在留資格を与えると、こういうことが起きるんだという学習を、政府の側がしたのだろうと思っています。

だからこそ日系4世の人たちに対しては、単身限定で上限5年といった制約をかけ、「こんな人だったら、日本で働いてもらってもウエルカムです」と呼びかけたわけです。

日本政府が求めるような日系4世は、いなかった

ところが蓋を開けてみると、日系4世の2018年12月までの受け入れ人数は、4000人の枠に対し、わずか4人でした。

日本政府が求めるような日系4世は、実際にはいなかった、ということです。

そして、日系4世に対して課した条件と、技能実習生や特定技能1号に課している条件は似ているところがあります。特に単身で、数年で帰ることが前提という点です。

政府は、ドアの開け閉めを通じて、外国人労働者数に政策的な調整をかけようとしています。

「いつか帰国することが前提の外国人労働者をぐるぐる回していく」という、フランスやドイツにもできなかったことを、この国は自由民主主義を奉じながらも、実現できるんだと思っているのかもしれません。政策をうまくチューニングすれば、可能だと。

特に今の政策は官邸主導で動いていると思うので、命令を受けるそれぞれの役所の側は、必死になってとにかくかたちをつくったという部分はかなり大きいんじゃないかと思います。

外国人政策のインパクトの大きさを直視すべき

外国人に関する政策は、人間にかかわることです、だから、極めて長期にわたるインパクトがあるのですが、その政策を極めて短期的なロビイングや選挙対策などの中で、近視眼的な感覚の中で作ってしまっているのではないでしょうか。

こういうことの積み重ねが、学校に行けてない外国籍の子どもが出てくるという、取り返しのつかないインパクトを与えてしまっています。

仮に3年間、学校に行けなかったとします。それが例えば7歳から9歳の間だとすると、その子の人生全般に、極めて大きな影響が出ます。そういうことを本当に考えているのかは疑問です。

僕としては将来、問題が深刻化しても「知らなかった」とは言わせないぞというふうに思っています。

というのも、こういう形ですでに、30年やってきているわけです。それで、いろいろな問題は起きてきたことは、政府の側は知っているわけじゃないですか。

それでもなお、こういうご都合主義的な政策をとり続けるということが、あまりにも人権軽視というか、外国人を軽視しているような気がします。

人権を巡る建前と現実のずれは日本人にも

「人権」という建前と現実のずれが、外国人に対しては、露骨に出ています。私は、実は日本国民に対してもそういう側面があると思っています。

国家の合理性からすると、やはり低賃金で働いてくれる労働者がいたほうがいい。あるいはすごいコストのかかる医療は、できるれば削っていきたい。

特に最近、終末期医療の医療費の話が話題になってますが、国家の視点で見ると「無駄」に見えることに対して人権というものが制約になって言いづらいんだけれども、本当は言いたいことがいっぱいあると思うんです。

雇用の保障はコストがかさむ。できれば医療費や年金はカットしたい。こういうことが、移民・外国人の方たちに対しては、非常に露骨に表れていると感じます。

世界で深まる分断

これは日本だけの問題ではなくて本当は利害を共有してるはずの人々の間に楔を打つということが、世界で政治的にある種、流行していると感じます。

人々が互いに味方になりうるはずなのに、「敵」として煽り立てるようなことを、票集めや人気集めのために行えば有効性があるということが、欧州やアメリカで示されてしまいました。

ただし、今の日本では、そういうカードを使わなくても選挙で勝てる状況があります。

だからむしろ、政府の側には外国人の受け入れを、むしろ社会に気づかれないうちにやりたいぐらいという思いがあるのではないかと。これは、人気取りのためではなく、経済界からの現実的な要請に基づいたものですから。

とはいえ、日本で今、露骨な外国人排除の動きがないから、そういうことを考えなくていいんだ、寝た子を起こさないほうがいいんだという風には、思いません。

潜在的にリスクがあるのだからこそ、今のうちからしっかりことを受け止めて、そういうことが起きないように心の準備をして、「連帯」という考え方を身につけていくのは、すごく大事なことだと思っています。

大切なのは「連帯」を考えること

ーーご著書の『ふたつの日本』で、外国人を巡る問題は、「彼ら」ではなくて「私たち」の問題だと書いておられます。

それはもちろん、これは日本国籍の人の問題だという側面もあるのですが、それ以上に「私たち」の定義や境界線みたいなものの問題だという意味を込めてます。何が「私たち」なのか、ということです。

国籍でズバッと線を引いて、「こっちが私たちで、あっちは違う」という考え方自体をアップデートするというか、ほぐしていくことが、大切なのではないかと思います。

実際に日本で20年暮らしてる人が、なぜ「私たち」ではないのか、ということです。国籍に関わらず社会の一員として税金を納め、働いているわけですから。

日本社会の像を見つめ直す好機に

ーー日本には2018年度末で273万人の外国人が暮らしています。これは、欧州各国と比べても少なくありません。しかし日本の場合、総人口が欧州各国より遙かに多いという点で、外国人が相対的に目立たない部分はあるのでしょうか。

そうだと思います。しかし、総人口が減っているわけですし、割合だけを見て「まだ日本は日本人だけのピュアな国だ」「まだ外国人は2%しかいない」と言っていても、しょうがないと思います。

いま起きている変化は、サービス業に外国人労働者が入ってきて、生活動線のなかにあるコンビニや飲食店などで普通に外国人と接する機会が増えていることです。かつ、観光客も増えていますから、外国の人が増えているという感覚が、社会全体で共有されていると思います。

これはある種、チャンスとして捉えています。自分たちの国の自画像みたいなものを創造しなおして、更新するタイミングにすべきだと思います。

ーーこの本のタイトルにある「ふたつの日本」とは、どの「ふたつ」を意味しているのでしょうか。

これは、いろんな意味を掛け合わせています。建前の日本と現実の日本っていうのはもちろんあります。もう1つは、民族的に一体で、純血性が高く、同質性が高く、「一つである日本」ということと、それに対して、複数性とか複雑性みたいなものをはらみ、かつ、メンバーがどんどん入れ替わっていくような日本っていう意味も込めています。

そして、この国で暮らしている中での「安定か不安定か」、あるいは「上なのか下なのか」という意味での、ふたつという部分も込めています。

最後の「上か下か」で言うと、やはり外国人の方は多くが「下」に入れられています。

しかし、そこには外国人だけじゃなくて、日本人もたくさんいます。

だから、同じ構造に置かれた日本人と外国人が対立するのではなく、互いに同じような境遇にあり、かつ近いパワーバランスの中で働いているんだという認識を共有できるようになるといいな、と僕は考えています。