イスラム過激派「イスラム国(IS)」による過酷な性暴力の被害者となったナディア・ムラドさんのノーベル平和賞受賞をきっかけに、日本でもクルド人の女性に注目が集まりはじめている。
クルドの女性が置かれた状況とは。日本で相次いで公開された映画と本から考える。
ナディアさんの悲劇と誓い
クルドはトルコ、シリア、イラク、イランにまたがって暮らす民族だ。人口は4ヵ国計で推定3000万人。シリアの総人口を上回る。しかし、独自の国家を持たないため、「国家を持たない世界最大の民族」と呼ばれる。
ナディア・ムラドさんは1993年、イラク北西部シンジャル地方のコーチョ村に生まれた。
コーチョはクルド人のヤズディ教徒が多く暮らす村だった。ヤズディ教はこの地域独特の宗教。ヤズディ教徒は、イラクでは少数民族のクルド人の中でも、さらに少数派だ。
夢は美容師だった
美容院を開くことが夢だったナディアさんの人生は、2014年8月3日に一変した。ISが村を包囲したのだ。
村人を守ってくれるはずのイラク軍も、後述するクルド人の軍事組織ペシュメルガも周囲にはおらず、ISは村を占領した。
ISはイスラム法解釈を極端な方向に曲げ、「イスラム教徒でなければ奴隷にすることが許される」という主張を掲げていた。ナディアさんら若い女性は「性奴隷」として「奴隷市」で売られた。母は殺された。
捕らわれの身だったナディアさんはある日、ドアの鍵が開いていることに気づき、決死の覚悟で逃げ出した。近くにいた地元住民の助けを得て、クルド地域にたどり着き、難民キャンプに逃れた。
「悲劇は私を最後に」
その後、ドイツに難民として迎えられたナディアさんは、ある決意を固めた。
このような経験をする女性は、自分を最後にすべきだ。そのためには、自分の経験を語り、ヤズディの悲劇を世界に伝え、ISに裁きを受けさせなければならない。
それが、日本で翻訳が出版されたナディアさんの自伝「私を最後にするために」(東洋館出版社、吉井智津訳)のタイトルの意味だ。
20代前半の女性が、顔をさらして自分が受けたレイプと人身売買の被害について世界で語り続ける。その勇気が高く評価され、2018年のノーベル平和賞を受賞することになった。
2月1日から東京など各地で順次、公開されているドキュメンタリー映画「ナディアの誓い」(アレクサンドリア・ボンバッハ監督)は、その誓いを立ててから各国で自分の体験を語り続けるナディアさんの姿を、克明に記録している。
ナディアさんは、国連安全保障理事会をはじめとするあらゆる場所で、自らが受けた性暴力の被害を何度も何度も繰り返し、淡々と語り続ける。
時に涙を浮かべ、思い出すことのつらさに耐えながら語り続けるナディアさんの姿を繰り返し見ることで、映画を見る人も、彼女が受けた傷の深さと、「それでも語り続ける」という誓いの意味の大きさを感じることになる。
ナディアさんは、ノーベル平和賞発表後の会見でも笑顔を見せなかった。
淡々とした姿勢を維持する理由がある。「正直に、淡々と伝える私の話は、テロリストに対して私が持っている最良の武器だ」からだ。ナディアさんは、自伝でこう語っている。
クルド人戦闘部隊の反攻や米軍の空爆などで、シンジャル地方からはISが駆逐された。しかし、イラク政府の支援はほとんどなく再建は進まない。住民の多くは今も、イラク内外で難民生活を続けている。
そして、連れ去られた女性や子どもたち3000人以上の行方は分かってない。
クルド人女性の闘い
クルド人女性を巡る映画が、もう一つ公開されている。1月19日から公開が始まった映画「バハールの涙」(エヴァ・ウッソン監督)だ。
実在するクルドの女性戦闘部隊をモデルに、過酷な運命に耐え、そこから立ち上がろうとするクルドの女性たちを描いた映画だ。
シリアには、北部を中心に総人口の1割にあたる200万人ほどのクルド人が暮らしている。内戦の混乱と無政府下のなかで事実上の自治を始めた。そこに各国から流入したISなどのイスラム過激派が侵攻し、こうしたイスラム勢力との戦闘が続いている。イラク北部でも2014年に激しい戦闘が起きた。
シリアとイラクのクルド人地域には、女性だけの戦闘部隊がある。
シリアのクルド民主統一党(PYD)やイラクのクルド民主党(KDP)などクルド人の政治組織は、イスラム教ではなく民族主義を基盤としている。各地のクルド運動に大きな影響を与えてきたトルコのクルディスタン労働者党(PKK)がもともと、宗教に基づいた伝統社会の打破を目指すマルクス主義を基盤と、女性も男性とともに社会をかたちづくる存在と位置づけていることも、理由の一つだ。
この映画は、その女性部隊をモデルとしたドラマだ。ナディアさんらイラクのヤズディ教徒クルド人の悲劇も、ストーリーの土台となっている。
「太陽の女たち」
映画は「太陽の女たち」と呼ばれる女性部隊の戦闘員バハールと、その取材に訪れたフランス人ジャーナリスト、マチルドの2人の姿を軸に、物語が進んでいく。
バハールはもともと弁護士だった。しかし、侵攻してきたISに夫を殺されたうえ、現実のナディアさん同様に奴隷として扱われ、過酷な性暴力を受けた。
息子はISの手によって連れ去られ、「宗教学校」で戦闘員となるべく極端な教育を受けさせられた。
バハールは隙を見てなんとか脱出した。しかし、息子はISの手のうちのままだった。
彼女が我が子を取り戻すために行った選択は、銃を手にすることだった。そして闘うバハールたちの後ろを、カメラを手にしたマチルドがついて行く。
マチルドは複数の女性記者をモデルにしている。2012年2月、シリアの反体制派支配地域に潜入取材中、アサド政権の砲撃で殺害された米国人記者マリー・コルビンさんが、モデルの一人だ。
ウッソン監督によると、バハールには特定の個人という意味では、モデルはいない。造形のもとになったのは、監督が2016年にクルド地域を訪れた際に出会った、ISの侵攻で難民となった多くの女性たちだという。
ウッソン監督はBuzzFeed Newsにこう語る。
「クルドを巡る問題は人類史で最も複雑な問題の一つと言える。私の祖父は、1936年にスペイン内戦でフランコ政権軍と戦った義勇兵だった」
「失った理想を取り戻そうという思いと各国の思惑が絡み合った第2次大戦直前のスペイン内戦の様相と、今のクルドの状況が重なった」
現地を取材してドラマに
監督は、クルドを題材に何かできないかと考えていた時に「太陽の女たち」を紹介する記事を読んだ。そこで、現地に向かったという。
「出会った女性の1人は、14回もISの手で奴隷として転売された。息子は行方不明となり、捕らわれているうちに出産することになったが、くじけず前を向いて生きていた」
「こういう人々の思いを集めて、バハールという人物を造形した」
私は2015年1月、当時勤務していた朝日新聞の記者としてシリア北部のクルド人の街コバニを取材した。クルド人部隊と米軍の空爆でISがコバニから敗走して数日後のことだった。
【コバニ⑮】報道陣を集めて会見する「コバニ再建委員会」のメンバーら。奥には、紛争の激しさを物語る建物が並んでいます。(矢)
コバニで当時、一緒に取材したカメラマンが撮影した写真を紹介するツイート
そのときに見た荒廃した街の様子が、映画の中で克明に再現されていた。人々の思いや言葉、振る舞いもそうだった。ウッソン監督が綿密な取材のうえに映画をつくったことが、よく分かる。
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「バハールの涙」予告篇
良質なフィクションは、ノンフィクションを超えて現実に迫ることがある。それを改めて感じた。
映画のなかで、過酷な運命に翻弄されて涙も枯れ果てた状態で闘うバハールが、ついに大粒の涙を流す場面がある。それがいつなのか。なぜのか。映画のタイトルにつながる、印象的なシーンだ。