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あれは別れのハグではない 元大使を女性外交官が刑事告訴(アップデートあり)

「あの出来事がなければ」という思いを今も拭いさることができないという。

外務省の女性職員が2012年10月の在イラン大使館勤務時代、当時の駐イラン日本大使から性暴力の被害を受けたとして、駒野欽一・元大使(72)を強制わいせつ容疑で警視庁に刑事告訴した。外務省は「セクハラ行為があった」として元大使を口頭で注意していた。

女性の告訴を受理した警視庁は5月30日、駒野元大使を、強制わいせつ容疑で書類送検した。東京地検は11月5日、不起訴処分とした。その理由は詳しく明らかにしていない。

女性職員は被害を受けてから7年近く苦しみ、「急性ストレス反応」の診断で休職している。

BuzzFeed Newsの取材に「できれば告訴はしたくなかった。本当は誰かを訴えたくないのに、被害届が受理されず、外務省も公表してくれないため、自分で告訴しなければならなくなった」「被害者のほうが頑張らなければならない苦しさを一生忘れてはいけないと胸に刻んだ」と語った。


元大使は毎日新聞の取材に対して、事実関係を大筋で認めた。ただし「セクハラをしたという意識はない」としている。女性が休職していることについては「心が痛む」と答えた。

一方、BuzzFeed Newsの2回の取材に対して元大使は「事実関係はほかのメディアに話したので、これ以上話しません」と繰り返した。

「雲の上の人」からの夕食の誘い

警視庁に3月20日に受理された告訴状と女性の話によると、事件が起きたのは2012年10月14日夜のことだった。

女性は、2009年に外務省に入省した。イランに語学研修生として派遣され、ペルシャ語を学んだ。2012年6月からは、首都テヘランにある日本大使館に書記官として勤務した。

大使館の最高責任者は、駒野欽一・駐イラン大使だった。

駒野対しの専門もペルシャ語だった。大使になる前に複数回、在イラン日本大使館に勤務し、日本のイラン外交を支えてきた中心人物の1人だった。アフガニスタンの臨時代理大使や駐米公使、駐エチオピア大使などを歴任してきたベテラン外交官だ。

女性は、駒野大使の秘書担当として、イラン政府関係者ら外部と大使のアポイントメント調整や、大使館員と大使のつなぎ役などを務めた。

駒野大使は同じペルシャ語畑なうえ、周囲に気配りができるこの女性を評価し、外部での会合などにも、よく同行させていたという。

駒野大使は2012年夏ごろ、定年となり退任することが決まった。2012年10月15日にテヘランから離任し、帰国することになった。大使は女性に対し「最後に一対一で食事会をしたい」と伝えてきた。

女性はまだ社会人3年目。大使館館員となって数カ月の新米だ。一方、大使は40歳近く年上で、上司としても外交官としても、はるか雲の上のような存在だった。

その大使がテヘランでとる最後の晩餐に招かれたことを、女性は素直に「光栄だ」と感じた。

10月14日夜、大使と女性は公邸1階のダイニングルームで会食した。イラン人のスタッフが給仕した。

大使は女性にペルシャ語の言葉を添えた色紙を贈った。「御健勝と御活躍、何よりも幸せを祈ります」と書いてあった。

食事を終えると、大使に2階の執務室でコーヒーを飲まないかと誘われた。女性は特に不審に思わず応じた。

大使はコーヒーを飲みながら「あなたは特に優秀だった。働きぶりに感謝している」と語りかけた。そして「明日で帰国するから、ハグをしたい」と言った。

海外では、お別れのあいさつとして軽いハグをすることは珍しくない。女性は、その程度の話だろうと思って応じた。

それは「お別れのハグ」ではなかった

しかし告訴状によると、そこからの大使の動きは違った。

大使は女性を壁際に連れて行き、ハグをしただけでなく、そのまま口づけして舌を入れてきた。さらに衣服の下に手を入れて体をまさぐりはじめた。

遙か目上の上司が、人目のない場所で突然そんな行動をとった恐怖で、女性は体がこわばり、しばらくの間、身動きできなくなった。

スカートの中に手が入ってきたことから、このままではまずいと感じ、なんとか「止めてください」と声を出した。大使はしばらく体を触り続けたが、女性が続けて強く拒絶したため、ようやく動きを止めた。

女性はカバンを持って公邸を出て、タクシーで帰宅した。大使は翌日、帰国した。

食い違う認識

駒野元大使は毎日新聞の取材に対し、ハグをしたことは認めたが、「頬にキスはしたが、口にはしていない。服の下に手を入れてはいない」「いやという声を聞いたからやめた」と答えており、女性の認識とは違いがある。

また、「自分の好意を示したが、結果として(女性の)心が痛んだならば、私の心も痛む」と述べた。

BuzzFeed Newsも2度にわたり元大使にコメントを求めたが、応じなかった。

「告発したら日本のためにならない」

元大使は帰国後も女性にメールを送ってきた。旅行に誘うことも、仕事を頼んできたこともあった。女性は恐怖を感じ、急ぎの公務だった2通を除いては、返事をしなかった。

女性は間もなく、館内の直属の上司に問題を報告した。上司は「忘れて休め」と指示した。

間もなく、省内で進路希望や個人の状況を書き込んで上司に伝える、定例の「身上書」を記入する時期が来たため、起きたことを書き込んだ。しかし、別の上司から、その記載を削除するように求められた。

女性は、その後着任した後任の駐イラン大使にも相談した。しかし、当時は女性自身がそれ以上あちこちに訴えることは避けたかったこともあり、対応は曖昧なままにおわった。

女性は当時の心境を、こう振り返る。

「特命全権大使とは、天皇陛下から認証を受けた、日本国の代表です。特に元大使は長く対イラン外交の中核を担ってきました。その人が『悪い人だった』ということになれば、私のせいで、これまでのイランに対して日本が積み上げてきた外交努力を無にしかねない」

「そこを自分なりに悩みました。しかし当時は、自分たちは国のため、国民のために働いているのだから、日本のためにならないことはすべきではない、と思いました。それにあの行為が、刑法上の『犯罪』に当たるということにまで、当時は頭も及んでいませんでした。あちこちに訴えて『クレーマー』と思われるのも、いやでした」

もう一つ理由があった。外務省から国費で語学研修に出た場合、その後5年以内に退職すれば研修費用を返還する義務がある。もしすぐに辞めれば、数百万円単位の借金を背負うことになるのだ。

セクハラ事件でよみがえった痛み

女性は、自分の気持ちよりも仕事を選んだ。「しっかり仕事をしていこう」と思った。数年後、東京の本省に転勤することになった。

転機が来たのは、2018年6月のことだった。

外務省のロシア課長が6月4日付で停職9カ月の懲戒処分を受けた。ロシア課長は、北方領土問題でロシアとの交渉の実務を担う、極めて責任の重いポストだ。

外務省は「プライバシーの問題がある」などとして国会議員からの質問にも詳細を明らかにしていないが、複数のメディアが「背景にセクハラがあった」と伝えていた。

女性は「これで外務省がロシア課長を処分するのならば、同じような被害を受けた自分の件は、どうなるのか」と感じた。

人事課に問い合わせると、当時の文書での記録は残っていないといわれた。そして「口頭で引き継ぎがあったが、あの件は済んだということになっている」「元大使はすでに辞めて私人だから、何もできない」と聞かされた。

さらに、元大使が2017年9月に「日本イラン友好協会」の会長に就任していたことを知った。

外務省にもペルシャ語を話せる人は少なく、イラン外交を巡る人間関係の輪は、狭い。

元大使が外務省を退職してもイランとの関係を維持している以上、イランを専門とする自分が、いつどこで元大使と顔を合わせてもおかしくない。そうなれば、自分の心はもはやもたない、と思った。

休職に追い込まれる

心身が悲鳴を上げ始め、当時のことがフラッシュバックした。警察署にも相談に行った。

6月29日、外務省の診療所で医師の診察を受けた。「急性ストレス反応で、不安等の症状が強く、休養が必要である」との診断書が出た。医師に休職すべきだと言われ、診断書に「7月20日までの自宅療養が必要」と書き添えられた。

指示通り休職し、その後は別の部署に異動となった。ちょうど異動の時期でもあった。仕事に励もうとしたが、思いは晴れないままだった。改めて担当部局に問い合わせた。

2018年8月22日付の回答文書で、いくつかの点が新たに分かった。

  • 女性が後任の駐イラン大使に相談した直後の2013年2月、外務省で人事などを担当する官房長が元大使に口頭で注意した。本人からは「先方が自分に気があると勘違いしていた」との弁明を受けていた。
  • 2017年9月、元大使が日本イラン友好協会長に就任するという情報を得て、官房長(2013年とは別の人物)が元大使に電話し、女性と接触しないように求めていた。同時に、2012年に問題が起きたこと自体は外務省として認識していることを、元大使に伝えていた。元大使は「(女性と)接点が生じることはない」と答えていた。

いずれも、それまで自分には知らされていなかった。不信感が深まった。

外務省に処分と公表を求めた

2019年1月に内部で希望などを伝える上申書に「①元大使を処分して公表する②イラン側にもその内容を伝える③将来にわたり、元大使をイランとの交渉役などで使わないこと」と書き込み、対応を求めた。

その後、女性の体調は再び悪化し、2019年2月上旬から再び休職を余儀なくされた。

休職し始めてから、外務省から連絡が来た。

2月18日付の内部文書にある主な内容は、以下の通りだ。

  • 2月1日に官房長が元大使を外務省に呼び出し、女性が今も処罰を受けず活動している姿を見るたびに苦しい思いをしていることを伝えた。そのうえで「イランとの対外的な活動を一切、行わないように求める。日本イラン友好協会からも退任してほしい」「いかなる形でけじめをつけるかを、ご自分で考えてほしい」と言った。元大使は「もともと自分は彼女と認識の違いもあり、彼女のことを忘れようと努めてきた。けじめとして、どうしてよいか見当がつかない」「少し時間を頂きたい」と答えた。
  • 数日後、元大使から官房長に電話があった。「友好協会長を辞任した。駐日イラン大使館のレセプションには行かない」と伝えてきた。

元大使に「けじめ」を求め、役職から退かせたという結果から見れば、「一件落着」のようにも思える。しかし、女性の受け止め方はそうではなかった。

「私が求めていたのは、問題の公表です。私が生きてきた外交の世界では、一方的に既成事実を作り上げたうえで、相手に譲歩を求めるという交渉術が使われることがあります」

「公表を求める私に対して、外務省がその術を使い、元大使に接触して既成事実をつくり、内々に収めてしまおうとしたとしか思えませんでした」

女性は、弁護士と相談のうえ、改めて警視庁に告訴することを決めた。

なお、外務省人事課は一連の経緯について毎日新聞に対し「プライバシー保護のため申し上げることは控える」としている。

「あなたは何も悪いことをしていない」

女性はこのことを親に話すと、励まされた。

「あなたは何も悪いことはしてないのだから、恥ずかしがることはない。自信を持って、正確な状況をみんなに知ってもらいなさい。未来の子どもたちのためにも、日本を変えて」と。

女性は言う。

「性暴力は、上下関係の有無によるものだけでなく、専門的な研鑽を求められる少人数のコミュニティでも起きやすいのではないでしょうか。積み上げてきたキャリアや蓄積が否応なく破壊されるので、被害を受けた側にとっては厳しいです。それまでの人生を傾けてたどり着いた場所なのに、そこからすぐに方向転換はできませんから」

「今回の件に片が付いたら、自信を持って、これと思う活動をして生きていきたいです」

アップデート

女性からの刑事告訴を受けた警視庁が2019年5月30日、元大使を強制わいせつ容疑で書類送検したため、アップデートしました。

アップデート

東京地検が11月5日、元大使を不起訴処分としたため、アップデートしました。