ファイナルファンタジーに息づく100年前の画家の「魂」

    Bunkamura ザ・ミュージアムで「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ-線の魔術」が7月13日から始まった。ミュシャが人々を魅了する理由と、彼の思いを探る。

    ファイナルファンタジーから与謝野晶子、アメリカ人気コミックのマーベルの作家にまで影響を与えた芸術家がいる。チェコの芸術家、アルフォンス・ミュシャだ。華やかな世界観を描く彼の作品は、100年を超えて愛され続けている。

    そんなミュシャの没後80年を迎えた今年、ミュシャが人々を魅了する理由と、作品に込めた思いを紐解く『みんなのミュシャ ミュシャからマンガへー線の魔術』が、渋谷の「Bunkamura ザ・ミュージアム」で始まった。

    華やかな想像の世界を見る人に感じさせるミュシャの作品は、これまで多くの人たちを魅了してきた。

    人気ゲーム「ファイナルファンタジー」でキャラクターデザインを手がける天野喜孝さんも、その一人だ。

    天野さんは、今回の展覧会に以下のようなコメントを寄せている。

    「ミュシャの描いたファンタジーの世界に触発されて、現実の世界でなく、想像の世界、神話性のある世界というものを描きたいと思いました。例えば美しい女性、それを取り巻く様々な魔物とか、モンスターとか、あるいは妖精も」

    会場には、天野さんの作品『ファイナルファンタジーXIV 嵐神と冒険者』が展示されている。こうして並べてみると、ミュシャの作品で連作<四芸術>の『舞踏』(1898年)と、よく似た構図をしていることがわかる。

    この構図が、ミュシャの特徴のひとつだ。後ろの円環と人物を合わせるとQの形をしているため、「Q型方式」と呼ばれる。

    安定感のある構図とされ、後世のアーティストたちのお手本になった。

    円環と構図が伝える感覚

    「円や渦巻き模様など、短い反復で繰り返される線の形を見ると、人々は目に心地いいと感じ、美として認識するーー。ミュシャが特に主張したのがそのことでした」

    そうBuzzFeed Japanの取材に話すのは、今回の展覧会を監修した、ミュシャ財団のキュレーター・佐藤智子さんだ。

    ミュシャは美しさを表現するために構図を研究していた。代表作『モナコ・モンテカルロ』(1897年)は、ミュシャの研究が反映された、重要な作品の一つだ。

    この作品は、フランスの汽車会社のポスターとして作られた。

    これまで同様のポスターでは、汽車に乗っている姿など、写実的な表現が多かったが、ミュシャはそれを変えた。豪華な旅に胸躍らせる若い女性を、構図を効果的に用いて表現したのだ。

    「渦巻き模様で目を引くなどのテクニックを使って強調し、さらに線路などを暗喩しています。花や鳥が飾ってある点景を見せながら、線路を走る汽車をイメージさせて、ウキウキ感を出します。こういった構図上の工夫をしながら、見る人たちと感情を共有します。それがミュシャ様式の重要なポイントです」

    女性は美の体現

    ミュシャの作品には、こうした円環以外にも2つの特徴があるという。まずは「女性」だ。佐藤さんはいう。

    「彼にとって女性というのは一つの理想。ミュシャ作品では、かたちそのものが、メッセージとして意味を持ちます。つまり、女性は美を体現する存在なんです。それは軽薄的な意味の『美しい』ではなくて、『内面も世界も美しい』ということです」

    実際、ミュシャの作品は女性が描かれたものが多い。これもまた、多くの作家へ影響を与えてきた。

    日本で言えば、与謝野晶子だ。彼女の最初の詩集『みだれ髪』(1901年)の表紙デザインも、ミュシャの描く女性と似たデザインになっている。

    1900年代初頭、ありのままの女性の姿が与謝野晶子らによって文学になり、新たな表現が模索されていた時代でもあった。

    そうした中で、女性の美しい内面まで描くミュシャに注目が集まったのだという。

    装飾は自分のルーツ

    そして3つ目が、「装飾」だ。

    「ミュシャの作品に散りばめられた装飾は、美の追求とは異なる意味を持つんです」と佐藤さんはいう。

    代表作の一つである『黄道十二宮』(1896年)。この作品に描かれた装飾は、ビザンティン風のファッションだ。

    スラブ民族であるミュシャは、自分のルーツがチェコにあると考えていたと、佐藤さんは説明する。

    「ミュシャがチェコ人としてのアイデンティティを自分のスタイルに取り入れるため、さりげない形で、祖国の色々な装飾モチーフを入れはじめたのが、この時期でした」

    ミュシャが自らのルーツにこだわった理由には、時代背景が深く関わっている。

    ミュシャは1860年に、オーストリア帝国下のチェコで生まれた。チェコ文化の復興運動が盛んだった時期だ。

    チェコは1620年にオーストラリア帝国のハプスブルク帝国の支配下に入り、1918年の独立以前は、宗教や言語の政策で抑圧されていた。

    民族感情がくすぶっていた時期に、ミュシャは少年時代を過ごす。祖国への愛国心から、独立への願いは芸術の柱となった。

    「祖国の独立を願い、ポスターにも祖国のモチーフを入れる。違和感のある形ではなく、溶け込むように、美しく。時には暗号も入れながら……」

    ミュシャが芸術に託したもの

    自らのアイデンティティを作品に交えながら、美の研究を重ねたミュシャにとって、芸術とは何だったのだろうか。佐藤さんは語る。

    「ミュシャにとって芸術はコミュニケーション。より良き世界を築くためのコミュニケーションを人々と共有していく、というのが彼の芸術の本質です。今回の展覧会では、そんなミュシャが『結局なんだったのか』を見せたいと思っています」

    みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ-線の魔術」はBunkamura ザ・ミュージアムで開催中だ。開催は9月29日(日)まで。

    「みんなのミュシャ展」が渋谷Bunkamuraで開催中! ミュシャ x ペコちゃんのコラボグッズが素敵♡ 9/29 (日)までだから、みんな行ってみて〜! #ミュシャ展 #ミュシャ