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「やっと一緒に暮らせる」ある男性が家族と17カ月も引き離されたその理由

入管に長期収容されていたクルド人男性が約17カ月ぶりに仮放免となり家族と再会しました。一方で、男性の難民申請は不認定となりました。

東京入国管理局で長期収容されていたクルド人男性、チョラク・メメットさん(38)が6月17日、約17カ月ぶりに仮放免となり、入管に迎えに来た家族と再会した。

メメットさんを巡っては3月、収容期間中に体調不良を訴えたが、到着した救急車で搬送されない事態が発生するなど、入管の対応が議論を呼んでいた。

メメットさんは、仮放免の知らせを受けて入管に迎えにきた妻のヤスミンさん(36)や8歳の三男と抱き合い、再会を喜んだ。

メメットさんは「支えてくれたクルド人の仲間、難民支援者やマスコミの方々にありがとうと伝えたい。私たちの声を届けてくれて本当にありがとう」と述べた。

妻・ヤスミンさんは「仮放免で出てくると聞いたときは本当に信じられなかった」と、弁護士から連絡を受けたときの心境を話す。

「信じているとこんな日もくるんだと思った。収容施設の中ではあまり食べられなかっただろうから、夫が好きな故郷のごはんをたくさん作って、家族みんなで食べたいです。他の家族と同じように、一緒に暮らし、子どもと遊んだりしたいです。やっと家族一緒です」

メメットさんとヤスミンさんの間には、息子が3人いる。この日は長男と次男は学校を休むことができなかったので、三男だけ親戚と共にメメットさんを迎えに来た。

三男は「お父さんが帰ってくるって聞いたときは泣いたよ」と話す。

「帰ってきたら一緒にゲームをしたりして遊びたいです。ディズニーランドに行ったことがないから、一緒に行きたいな」

再会時は笑顔でメメットさんに飛びつき、繋いだ手を離さなかった三男だったが、時間が経つにつれ我慢していた涙がこらえなくなり、入管施設内でメメットさんに抱きついて泣いていた。

メメットさんの難民申請は、また不認定

仮放免で17カ月ぶりに収容所から出ることができたメメットさんだが、仮放免の手続きが終わった後、入管はメメットさんの難民申請が「不認定」となったことを告げた。

メメットさんは2004年にトルコから短期滞在の在留資格で入国し、同年5月に難民申請をした。しかし入管は、これまでに計4回の難民申請を全て不認定処分としている。

妻のヤスミンさんと息子3人も同じく難民申請をしているが、これまで認められておらずに「不法残留状態」となっている。次男と三男は日本生まれ日本育ちだ。

仮放免に立ち会った大橋毅弁護士は「通常は家族全員同時に難民申請の判断が出るが、今回はメメットさんだけだった。仮放免という喜ばしいニュースの中『在留を許可する方向ではない』という入管の意思表示のようにも思える。非常に残念」と述べた。

仮放免の理由については「入管は理由はいくつかあるとしたが内容は明らかにしなかった」と説明した。

メメットさんは収容中、胸の痛みや息苦しさ、手足のしびれなどの体調不良を訴えており、入管が指定する病院で検査を受けていた。詳細な検査結果を待ち、治療をする予定という。

「難民は『犯罪者』じゃない」続く長期収容の問題


メメットさんは2018年1月に、東京入国管理局で仮放免の更新時にそのまま収容された。それから1年5カ月収容されたが、長期収容の問題を抱えるのはメメットさんだけではない。

難民申請者をめぐっては長期収容が問題となっており、東京入国管理局(東京都品川区)と東日本入国管理センター(茨城県牛久市)では1〜3年など年単位で収容されるケースも少なくない。

一度収容されるといつ仮放免で出て来れるかも分からない。長期収容者の中には健康問題を抱える人も多く、4月には心臓の疾患や躁鬱病など健康問題を抱える難民申請者ら7人が原告となり、国を相手取って集団提訴していた。

メメットさんの妻・ヤスミンさんは「難民は『犯罪者』じゃない。家族がいる難民を長期収容でバラバラにしないで」とメメットさんが収容されている間、長期間収容に反対の声をあげていた。

「僕はこれからも絶対日本で学びたい」

今回メメットさんの難民申請には不認定という判断がなされたが、一家は現在、国が2014年に出した「在留特別許可をしない」という処分の撤回を求めて訴訟を行なっている。

在留特別許可とは、チョラク一家のように不法残留状態となっている人たちなどに法務大臣から日本に留まる許可が下されるという判断だ。

4月19日に東京地裁で開かれた第一回口頭弁論の際には、メメットさんの中学生の長男が手紙を裁判所に提出し「僕はこれからも絶対日本で学びたい」と強く主張した。

「僕は2歳の時に日本に来ました。トルコのことはなにも覚えていません。僕は日本の小学校に入り、そこで学んで日本のことがわかり、今は中学校に通っています」

「もしトルコに行ったら、トルコ語を書くことも読むこともできないし学校生活が大変になると思います。僕はこれからも絶対日本で学びたいと思っています」

「僕の知識はすべて日本語で、勉強も日本語です。僕の友達もほとんど日本人です」

長男は2歳から日本で育ったためトルコでの記憶は全くない状態だ。ずっと日本の教育を受けて来たために、日本での進学を希望している。

数学が得意なので、高校進学後は大学で数学を学び、数学の先生になりたいという。また、自分の同じように海外にルーツを持つ子どもの勉強の手助けをしたいとの夢もつづる。

「小学校の途中から入学してきて、ひらがなや日本語が上手でない外国人の子供たちもしっかりと数学を教えたいと思います。これは僕が小学校で苦労した体験を生かして子供たちの気持ちを理解することができると思うからです。僕は子供たちを助ける教師になりたいです」

クルド人とは、トルコ、イラン、シリア、イラクにまたがって暮らす民族だ。総人口3000万人とされているが、民族分布と無関係に国境線が引かれたため、いずれの国でも「少数民族」として差別されたり、弾圧されたりしている。

トルコでは、人口の2割ほどをクルド人が占めるが、トルコ政府はクルド人に対して弾圧を続けてきた。クルド独立を求める組織PKKはトルコ政府に「テロ組織」に指定されている。

メメットさんは親族がPKKと関係していることを理由にトルコ政府から追われ、一家は日本に逃れて難民申請をしている。

日本で難民申請などをして滞在しているクルド人は約2000人と言われており、多くは埼玉県に暮らしている。日本政府は、トルコ出身のクルド人を1人も難民として認定していない。