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「自分らしく生きることを決意した」カミングアウトした歌手が今伝えたいこと

自身のセクシュアリティを公表している歌手・清貴さんは「自分らしく生きると決めてから、自分の気持ちに素直になれた」と話します

自身がゲイであると、セクシュアリティを2015年に公表した歌手の清貴さん。

LGBT当事者だけでなく全ての人の愛を歌った新曲「虹の向こうへ」は、日本のセクシュアル・マイノリティのポートレート撮影プロジェクト「OUT IN JAPAN」で、第1弾に引き続き第2弾でもテーマソングに選ばれた。

OUT IN JAPANは、写真家レスリー・キー氏が中心となり、セクシュアル・マイノリティ1万人のポートレート撮影を目指すプロジェクト。セクシュアル・マイノリティの可視化や正しい理解を広めることが目的だ。

セクシュアリティを周りに隠し続け、一度は死のうとも思いつめた過去、米国での音楽活動や東京レインボープライドでのカミングアウトーー。

BuzzFeed Newsは、カミングアウトをして続ける歌手活動について清貴さんに聞いた。

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テーマソングの「虹の向こうへ」。5月17日配信スタート、31日シングル盤リリース

ーーOUT IN JAPANのテーマソングを歌うことになったきっかけは?

2015年、OUT IN JAPANの第1回目のメイキングムービー作成時に「WE ARE ONE」という曲を書いて提供させて頂きました。2000年にデビューしてから自分の気持ち(セクシュアリティ)を隠していたんだけど、アメリカで5年間音楽活動をして「自分らしく日本で再スタートを切ろう」という時に、ちょうどOUT IN JAPANに出会いました。

「今作っているWE ARE ONEっていう曲がOUT IN JAPANのコンセプトにぴったりかもしれないから聞いてくれる?」と関係者に話し、聞いてもらったら「この曲しかない」と言ってくれた。今回もまさにそうだった。第2弾のOUT IN JAPANの動画を作るという時に「またぴったりの曲ができている」となりました。



「音楽で何かできることがあれば」と活動している中、タイミングがあって何か道が交差するように話がまとまりました。全部つながっているんだなと思いました。

「虹の向こうへ」

僕ららしい色で描くんだよ 誰かと少し違って見えたっていいよ
手を取り合い 駆けていこう あの虹の向こうへ

ーー「虹の向こうへ」に込められた思いは

「人が人を愛する気持ち、その尊さ」というのがテーマ。「虹」というのは多様性の象徴とされています。その虹のさらに向こうというのは、壁をとっぱらった世界。それが曲で表現したいことです。

今「LGBT」という言葉だけが1人歩きしているというところもあると思います。人を愛する気持ちというのは皆どんな人でもあって、何が「良い」「悪い」「間違っている」そういうことではない。そういう思いを込めて作ったので、LGBT当事者じゃない方にも届いてほしいと思います。

僕自身がセクシャル・マイノリティということもあって「誰かを好きになる気持ち」というのをずっと否定し続けてきたんですね。例えば、誰かを好きになっても「それは人に言ってはいけないことなんだ。心の中にしまっておかなければいけないこと」と思っていました。

学生時代、それからデビューしてからもずっと、人を好きになることに対して素直になれなくて、むしろ罪悪感もありました。

今はそこから人生紆余曲折あり、カミングアウトして、自分らしく生きると決めてから、自分の気持ちに素直になれました。自分の気持ちに素直に生きるって、こんなに清々しい気持ちなんだと分かり、自分のことを受け入れてもっと好きになることができました。そんな今の自分が伝えられることを曲にしました。

自分が悩んでいる時のような思いを抱えている人に、今の自分が伝えられるものをようやく4年かけて完成させました。

1人で悩み、苦しんだ学生時代

ーー小学校、中学校など学生の頃は自身のセクシュアリティとどう向き合っていらっしゃいましたか?

男の子が好きだということがいけないことだと思っていました。周りでも「ホモ」とか「お前気持ち悪い」とか、男性が男性、女性が女性を好きになることがいけないという、社会的にそういう空気がありました。

テレビを見てもそれが嘲笑の対象になっていたりして、世の中それは間違っていることなのかなと思ってしまいます。子供心に「いけないこと」と思ってしまいました。
小学校の時、純粋にまだよく分かっていなかった時は、好きになった男の子に手紙を書いたら「ホモだ」と言われました。

「これは間違ったことなのかな?」と思い、皆と違うと思いセンシティブになり、隠し、皆に合わせていくようになりました。けれど、合わせている自分が辛くなっていって、その苦しみを自分は全て音楽に向けていくようになったんです。

ーー地元の宮城県では当時、LGBTを取り巻く環境はどのようなものだったでしょうか?

東京にいたらなんとなく(セクシュアル・マイノリティの方を)町でも見かけるかもしれないけど、地方に行けば行くほど、誰にも言えない人がいます。子どもだけでなく、大人も「言えない」という人がいるから、そういう人に僕は伝えたいなと思います。


地方で小さいコミュニティになればなるほど、親や周りにも言えないという環境があると思うので。

自分の場合は「隠そう」という気持ちが強いあまりに、「女の子大好き」というように自分を演じていました

。小学校で転校が多かったこともあり、事あるごとに「おまえちょっと女っぽい」「気持ち悪い」と言われたりしました。

ーーデビューしてから状況は変わりましたか?

17歳でデビューし、半年もしない間にミュージックステーションに出て、CD店に等身大の自分のポスターが並んだりして、めまぐるしい状況でした。

そんな中、テレビに出た時にインターネット上で「あいつはホモだ」などと誹謗中傷を書かれたり、スタッフの間でも噂になったりしました。僕の中ではすごく気にしました。壁をに二重三重にして人と接していました。

今までの自分をすごく否定された気持ちになり、ネットでは誹謗中傷やセクシュアリティについて書かれたものを不特定多数の人が見て、それを自分の友達らが見るかもしれない。今まで自分を知っている人が違う目で見るんじゃないかとか、当時はいろんな葛藤がありました。

ゴスペルと多様性の渦の中で変わった価値観

ーー米国での音楽活動について教えてください

2010年、27歳の時に渡米して、環境がガラッと変わりました。プロとして9年間活動していましたが(セクシュアリティを)隠している自分がいて、そういう自分と決別するためにアメリカに行きました。


スティーヴィー・ワンダーなど、子どもの頃からゴスペルが大好きだったから、その気持ちを思い出したくてニューヨークに行って教会で歌い始めました。


ゴスペルは「救済」を求める音楽。僕自身も小学生と中学生の時に大きな手術をして、入院している時に病室で2カ月、寝たきりの状態の時に真夜中の病室で「これからどうなっちゃうんだろう」と怖かった。その時に音楽に救われました。

その経験が根本にあるから、同じように音楽を必要としている人に「次は自分が届けたい」という思いがあります。

ーーキリスト教会では同性愛はどのように捉えられていたのでしょうか?

ニューヨークではプロテスタントのペンテコステ派の教会で歌っていました。ある日、聖職者が「同性愛はイエスは良いとは言っていない」「聖書では禁じられている」と言い、そこにいる人たちが「そうだ、そうだ」と返した時がありました。

僕はそこで歌わせてもらっていて、皆ファミリーのように良くしてくれていたけど、宗教という中での価値観の違いを感じました。その時は自分を全否定されているように思って、その後1ヶ月くらい教会にいけませんでした。悲しい気持ちと、何か少しでも変えていきたいという気持ちがありました。

教会の友人には「あの時はああいう反応をしたけど、心の中では認めている人たちもいる」と言われて、教会に戻ることができました。

キリスト教の中でも同性愛を認めている人もいるので、一概には言えません。一方、イスラム教国では同性愛で極刑になってしまう国もあります。

音楽で僕が全てを変えることはできないけど、何かそのような人たちに愛のメッセージを届けられたらいいなと思っています。

ーー米国での経験により、考え方などが変わりましたか?

アメリカでは多種多様な人種の方がいて、僕も人種的にもマイノリティとして生きていました。生活する中で、自分のバックグラウンドについて毎日聞かれます。「自分はいったいどういう人間なんだろう」と自問しました。

米国では「あなたゲイでしょ」とフランクに聞かれたりして「ノー」と言えなくなりました。日本でそこまでフランクに聞かれたことはなかったので「全然気にしてないんだこの人たちは」と思いました。

そういう環境の中で、隠す必要があるのか、自分らしく生きていいんじゃないかと思ったんです。



オバマ政権の時に米国にいて、オバマ前大統領はマイノリティに優しい人でした。同性婚を認めようという動きのさなかにいて、友達もみんな認めていこうという人が多かった。でも日本に帰ってくると、隠して生きている人が多くて、僕が米国で経験してきたことを生かして「何かできれば」と思いました。

「自分らしく生きていく」決意したカミングアウト

ーー東京レインボープライドでカミングアウトすると決めた理由は?

「自分らしく生きていく」という決意表明、それまで隠していたものを表現した「WE ARE ONE」という曲を作ったけど、発表していいのか迷っていました。これまでついてきてくれたファンの方を「裏切るんじゃないか」と思って。

色々な人に相談しました。20年近く親友のイギリス人に言われた言葉が大きかったですね。



「これからの長い人生を考えた時に、今の自分を隠して生きていくのか、ここで素直に自分のことを言って生きていくのか。それは自分自身が決めること。けど清が自分らしく生きることで希望をもらう、勇気付けられる人がたくさんいるよ」という風に言われました。



「自分らしく生きたい」と願う人たちが集まる、東京レインボープライドという大きいステージで言えたら、僕自身も心に残る瞬間になるだろうと思い、そこで言わせて頂きました。

本当に温かい拍手で、笑顔で、中には涙されている方もいました。両親も呼んで、ステージにもあがってくれて、すごくあったかい気持ちになりました。

ーー家族や周りの人へのカミングアウトはどのようにしたのですか?

両親には21歳の時に伝えていました。その頃は自分の中で葛藤があったけど、ようやくその1年くらいで自分のセクシュアリティについて話せる友達もできて、自分を少しづつ打ち明けられるようになりました。

今だったら両親には話せると思った。両親も受け入れてくれて、母は「あなたはあなたの生きたいようにすればいい」と言ってくれたんです。

男子校に通っていた高校生の時、いつも彼女いるの?とかばかり聞かれて、同じようにしなきゃという思いがありました。当時、同じ歌手という夢を持っている、人としてとても素敵な女性と付き合っていました。

心から応援してくれて一緒に上京もしました。でも彼女に対して言えない思いがあるということをずっと罪悪感を抱えていました。いつか言わなきゃいけないという思いがあったのに3年半、言えなかったんです。

でもある日、これ以上隠していくことはよくないと思い打ち明けました。彼女は「なんで言ってくれなかったの?」と泣き叫びました。それが生まれて初めてカミングアウトした時だったのに、すごく自分を責めてしまって、こんなに人を傷つけてしまったという罪の意識がありました。このまま死のうと思いました。

そういうことがあったので、余計人に嘘をついているという罪悪感が強くなっていたんです。

ーーWE ARE ONEの曲中には「もし君が言い出せずにいるなら、全然急がなくていいから」との歌詞があります。カミングアウトについて、どういったメッセージを伝えたいですか?

カミングアウトするしないということに関しての選択はその人それぞれのもの。僕の場合は、自分が他の人に言えずにいて悩んでいた期間、その期間もとっても尊いものです。今の自分がいるのはその時の自分がいたからと思えます。

でもカミングアウトした後にある「人生を自分らしく生きる喜び」を伝えたい。なのでそれを押し付けるのではなく、見た人が、隠して悩んだりして生きるより、自分の好きなものを好きと言って生きていける人生の方がいいのかなと、ちょっとでも思ってもらえれば良いと思います。