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夫はある日、女性になる決意をした。2人の”妻”の思い

母国・米国で性別変更をしたエリン・マクレディさん。変更までには妻・緑さんへの告白や話し合い、子どもへの説明など様々な葛藤や悩みがあったといいます。

「ジェンダーの専門医に診てもらおうと思うんだけど」

結婚18年の「夫」からある日、緑さんが突然言われた言葉だ。

パートナーはその後、通院を開始し、女性として生きることを決意。診断の末にホルモン治療をし、母国・アメリカ合衆国で性別変更もして、名前はエリン・マクレディとなった。

2人の間には3人の子どもがおり、今では息子たちの保護者会でも、エリンさんのことを「妻です」と紹介するという緑さん。しかし、初めからパートナーのホルモン治療や性別変更を受け入れることができたわけではない。

幼い頃から自身のジェンダーについて違和感を覚えていたエリンさんは、当時の心境をこう振り返る。

「自分の中での違和感はずっとあったけど、人に言うことはなかった。緑や友達にさえあまり言わなかった」

「でもジェンダークリニックに行こうと決意した時点で、自分のジェンダーに対する答えは出ていたと思う。それでも緑に言い出すのも、どう思われるかと考えると怖かった」

40年以上も抱えてきた自身のジェンダーへの答えを出すために、やっと一歩を踏み出すことができた。

「うすうす、ふんわりとは言っていたし感じていた」。そう話す緑さんだが、やはり突然のパートナーからの告白には「困惑した」。

悩みは解消された方がいいとジェンダークリニックへの受診は勧めた緑さんだったが、エリンさんからホルモン治療を始めたいと打ち明けられた時には「え、ちょっと待って」と思ったという。

「うちはお母さんが2人なので」

男性としてのエリンさんと結婚し「夫婦」として18年間過ごした後に、性別変更について切り出された緑さん。最初は「トランスジェンダーというものもよく分からなかった」が、エリンさんと話し合いを重ね、少しずつ受け入れていった。

「人間知らないものは受け入れにくい。けど慣れるんですね。最初は他人にどう紹介すれば良いのかと思ったんですが、今は『妻です』とすんなり紹介できます」

息子が通う小学校の保護者会でも「うちはお母さんが2人なので、そこらへん配慮をよろしくお願いします」と話すという。

3人の子どもたちは現在17才、16才、10才で、年齢の差もあるためにそれぞれ反応は違った。しかし反対したり口論したりすることなく、エリンさんの性別変更を「すんなり受け入れた」。

エリンさんは子どもに打ち明けた当時のことを大笑いしながら話す。

「3人ともなんとなくは私が抱える思いを以前から分かっていたと思うんです。でも遂に性別変更について子どもに打ち明けた時、特に当時9歳の三男の反応は可愛かった」

「わざと、目を丸くしてとても驚いた顔をしてみせて『女になったの?!そんなことできるの?!』って聞き返したんです」

「できるんだよ。大丈夫だよ」と笑いながら説明し、さらには両親や友人にも少しずつ治療や性別変更について話してきた。大きな反対などもなく理解を得たという。

次男と三男はエリンさんのことを「ダディ」(英語で父親を意味する)と呼ぶが、エリンさんは「気にならない。父親は役割のようなもので、呼び名は呼びたいように呼べば良いと思っています」と話す。

自分の気持ちに蓋をして生きた

エリンさんが自身のジェンダーについて悩み始めたのは、まさに三男と同じような年齢の時。当時すでに「自分は女なのかもしれない」という自覚はあったという。「けど体は男の子で。とにかく本を読むことで現実逃避をしました」。

エリンさんが生まれ育ったのは、米国の中でも保守派が多く住むテキサス州の郊外。今ではLGBTに対する理解も深まったが、70、80年代のテキサスでは「自分が女かもしれないなんて言い出せる状況でもなかった」

「とにかく男のふりをして、うまく生きようと努めていたように思う」

1994年に早稲田大学に留学し、留学終了後も日本へ戻り、英語を教えたりしながら、日本でロックなどの音楽シーンにも関わった。

そんな中で出会ったのが緑さん。友達としての付き合いからだったが、2000年にエリンさんが米国で博士課程を取るために帰国する際に、正式に籍を入れて共に渡米した。

米国では長男と次男が生まれ、東京都内の私立大での就職が決まったために家族全員で日本へ移住した。

立ちはだかる法律の壁

母国での性別変更を終えた今、エリンさんと緑さんが直面しているのは、日本での書類上の2人の関係性とエリンさんの性別表記だ。

日本では法律上で同性婚が認められていないが、エリンさんが米国で性別変更をしたために、2人は今、事実上の同性婚状態になっている。

エリンさんが住民票上での性別を変更しようとした際、区役所の職員に、緑さんの「妻」という項目を「縁故者」という表記に替えることなどを提案された。それは2人にとって受け入れがたかったため、表記変更はせず、総務省など国からの返答を半年以上待っている状態だ。

「前より幸せになった?」

緑さんは話す。

「トランスジェンダーについては私もまだ理解できない部分も少しはあるかもしれない。でもこの人以上の人はいないと思っているし、ずっと一緒に生きていきたい」

たまに性別変更にあたって体のことで配慮のない質問をされることもあるが、エリンさんにとって最も

印象的だったのは、ある知人に聞かれた質問。



「性別を変えて、前より幸せになった?」



幼少期から40年以上、自身のジェンダーに疑問を感じて生き、時にはその湧き上がる思いや葛藤を押し殺してきた。

家族や友人の理解も得られた上で治療をして性別も変更した今、その問いに対する答えはもちろん、

「うん。幸せになったよ」