イラクで拘束され「自己責任」バッシングを受けた。今、再訪した理由

    2004年にイラク日本人人質事件で、武装勢力に拘束された今井紀明さん。日本で若者支援を行う今、イラクでの支援現場を訪れた理由を聞きました。

    2004年にイラクで日本人3人が武装勢力に拘束された「イラク日本人人質事件」。その被害者の1人だった今井紀明さん(33)が、事件から15年となる2019年4月、イラクを再び訪れた。


    当時まだ10代だった今井さんは人質事件の後、「自己責任だ」などといったバッシングに苦しんだ。対人恐怖症にもなった。そんな過酷な経験を踏まえ、今では「生きづらさ」を抱える10代の若者を支援するNPOを運営している。

    BuzzFeed Newsは今井さんにイラクを訪れた理由を聞いた。

    「事件があって、イラクでは何もできなかった。だから現地に足を踏み入れたいという気持ちはあった。自分の体の一部、過去の一部を置いてきたという感覚」


    今井さんは、15年ぶりにイラクを訪れた理由を、こう話す。

    あの時、今井さんは高遠菜穂子さんらと3人で、ヨルダンからタクシーで国境を越え、イラクの首都バグダットに向かった。

    しかし、バグダッドに到着する前に武装勢力に拘束されたため、イラク入りの目的だった劣化ウラン弾の現地調査などを行うことができないままだった。

    劣化ウラン弾とは、米軍が1991年の湾岸戦争などで使った特殊な弾で、それによる健康被害の可能性が指摘されていた。

    「人質の状態だと幽閉生活のようだった。結局、何もせずに帰ってきて現地も見ていない」

    「みんな忘れ物を取りに行くと思うんだけど、自分の一部というか、自分の大切なものを拾って来るという感じのイメージ」

    武装勢力にカメラも破壊されたため、当時の写真もないという。

    事件から数年経って大学を卒業したころには精神的にも落ち着き、「イラクを訪れたい」という思いが出てきていた。しかし、イラクの情勢も不安定だったため、訪れることが出来ずにいたという。

    今回の渡航の大きな目的は、現地での難民や若者の支援の現場を視察することだった。

    2004年、武装勢力から一緒に拘束された高遠菜穂子さんは、事件後もイラクでの人道支援活動を続けている。

    その高遠さんに「日本以外の現場も一度、久しぶりに見た方がいい」と勧められたことも、再訪のきっかけとなった。

    今井さんは、高遠さんの案内で、イラク最北部に位置するドホーク近郊にある国内難民キャンプや少年院を訪れた。

    ドホークなど今井さんが今回、足を運んだイラク北部は、強い自治権と独自の軍事組織を持つクルディスタン地域政府が管轄している。クルディスタン地域政府のエリアは、イラクでは例外的なほど、治安が安定している。

    日本の外務省は首都バグダッドの大部分やイラク中部、西部では、退避勧告を出しているが、ドホークなどクルド地域の大部分は外務省が設けた4段階の基準では下から2番目の「不要不急の渡航は止めてください」というレベルに留まっている。

    これはバングラデシュ全土などと同じレベルの危険度判定で、注意すれば滞在は可能だ。このためイラク支援を続けている日本のNGOも、クルド地域を中心に活動を続けている。

    今井さんは現在、大阪を拠点に、不登校や経済的困難などの問題を抱える若者の支援を行うNPO法人「DxP」(ディーピー)を運営している。「久しぶりに海外の支援の現場を見て、日本の支援の現場を俯瞰的に見たかった」という。

    「金がなかった」「誘われたから入った」


    今井さんが訪問中で最も印象的だったのは、ドホークにある少年院を訪れた時、イスラム過激派「イスラム国(IS)」の少年兵だった若者と交わした会話だという。

    精神科医とともに17才の少年2人に話を聞き、ISに参加した理由を訪ねた。少年たちは今井さんに「お金がなくて誘われたから」「学校も面白くなく友達もいなかったから」と言った。

    「ISに加わる理由は様々で、拉致など強制的なケースもあるけど、誘われて入る子は、孤独や貧困など、周りの環境が原因になってしまう」

    環境は違えど、日本で支援している、ちょうど同年代の若者たちが脳裏に浮かんだ。

    両国で置かれた若者の現状


    国内難民キャンプを訪れた際にも、現地の若者たちに出会った。

    今井さんが日本で支援するのは、不登校や引きこもりなどの問題を抱える10代の若者たちだ。こうした日本の若者とイラクの難民キャンプの若者には、全く異なる部分と、似通った部分の双方があった。

    まず共通するのは、彼らが抱える問題は、環境によって引き起こされる部分が多い、ということだ。

    一方で違うのは、家族との絆だ。

    イラクの難民キャンプはだだっ広く、テントが延々と拡がっている。断熱力が弱いテントの中は強い日差しで入っていられないほど暑い。教育施設なども整っていない。人々は厳しい環境で生活しているが、「家族との強いつながり」を感じたという。

    「日本では、例えばひとり親で面倒を見てもらえず、学校でもいじめを受けていたり、先生からもサポートがない子が珍しくない。親がいても、虐待を受けていたりお金を払わないなど、苦しい子ほどすごく孤立している。相談したくてもする人がおらずできない」

    「一方でイラクは家族関係が強く、まだセイフティーネットが残っている」

    「日本の孤立した若者は自由があるようでない。皆、想像できていないだけで同じ。もしかしたら、日本で孤立している子の方が、しんどいかもしれない。その状況を、日本のみんなはちゃんと気づいているのかと疑問に思う」

    戦争の爪痕が残る海外での支援現場を見て、強く抱いたのは「DxPの事業をより一層広げていきたい」という思いだ。

    「一人一人いろんな可能性や才能を持っている子たちが、環境とか、たまたまの偶然で学校いけなくなったり、いじめを受けたりするのはすごくもったいない。そのような子たちをサポートできるような仕組みをつくりたい」

    イラクで少年兵になった若者や難民キャンプで生活する子ども、そして日本で生きづらさを抱えDxPに助けを求める若者の多くが、周りの環境が原因で問題を抱えてしまっている。

    「今後の未来を創っていくときに、未来を作れる環境でない。日本での事業をしっかりしていかないとと強く思った」

    現在、DxPでは900人をサポートしており、通信・定時制高校と提携して授業を行なったり、食事の無償提供、インターンシップ機会の提供、進路相談などをしている。

    活動は全て個人や企業による寄付によって支えられており、寄付者は単発も含めるとこれまでに1000人以上に上るという。

    孤立し、相談できる人がいない若者に向けてLINEでの相談も始めた。Twitterなどからその情報を見つけた若者から、毎日のようにLINEでの相談が送られてくるという。

    「不登校でこれからどうしていこうか」という相談など 長文メッセージで来る子もいれば、ぽつりぽつりと絞り出したSOSを送って来る子もいる。LINEでの相談は場所を選ばないために、地方からの相談もあるという。

    DxPの活動も年々大きくなっており、これまでにサポートした若者の数は4500人にも上る。

    活動を通して一番嬉しいことは、DxPの行う授業などを卒業した生徒からの連絡という。

    「不登校だったのが卒業できたり、生活保護受けていた子たちが仕事見つかったりと、卒業した子からよく連絡がくるんです」。そう今井さんは笑顔で話す。

    「子供の未来は希少価値。地方を含め、学校との連携やオンラインでの仕組みを強くするなど、もっと活動を強くしていきたい」