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共に泣いて、笑って、子どもを育てて。それなのに…「同性婚訴訟」初弁論で語られたこと

同性同士の結婚を認めないのは憲法に反しているとして、全国13組の同性カップルが国に損害賠償を求めた訴訟の「第一回口頭弁論」が4月15日、東京地裁で開かれた。

「私は、結婚にただ憧れてこの訴訟を起こしたわけではありません」

「(パートナーと)共に泣いて、笑って、悩んで、喧嘩もして、共に子供を育ててきました。それなのに、なぜ法律で家族であると認めてもらえないのでしょうかーー」

同性同士の結婚を認めないのは、憲法が保証する「婚姻の自由」や「法の下の平等」に反しているとして、全国13組の同性カップルが国に損害賠償を求めた訴訟。

双方が初めて法廷でお互いの主張を交わす「第一回口頭弁論」が4月15日、東京地裁(田中寛明裁判長)で開かれた。

国は「原告らの請求をいずれも棄却する」と主張し、争う姿勢を見せた。詳しい反論は、次回以降するとした。

なぜ私たちの家族は法律で守ってもらえないのか

原告となった計13組のカップルのうち、東京地裁で裁判を起こしたのは6組。

このほかに、7組のカップルが計3地裁で一斉提訴しており、15日午後に札幌、19日に名古屋、26日に大阪でそれぞれの裁判が始まる。

東京地裁では15日、原告の小野春さん(40代)と佐藤郁夫さん(60)が意見陳述をした。

小野さんはパートナーの西川麻実さんと14年間生活を共にし、それぞれが異性と結婚していた頃に授かった子ども3人を育ててきた。

だが、同性カップルのふたりには結婚するという選択肢がないため、一緒に暮らすお互いの子どもたちの共同親権を得ることができない。

小野さんは陳述で、3年前に自身に乳がんが見つかったときのことを振り返り、こう語った。

「法律で守ってもらえない家族を支えるため、なんとかここまで頑張ってきたけれど、自分にがんが見つかるとは全くの想定外でした」

「がんだけでも十分すぎる恐ろしさなのに、(パートナーの)西川が家族として認めてもらえるのか、手術の同意書や入院の身元引き受け人に西川を書いて大丈夫か、手術室までの見送りはできるのかと、次から次へと不安が襲い、自分が潰れてしまいそうでした」

「男女だったら、こんなに悩まなくて良いのにと考えると、歩いていても涙が止まりませんでした」

死ぬまでに、夫夫になれれば

「同性同士の婚姻が認められることは、私が若い頃に持っていた、自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくても良い社会にすることなのです」

そう語ったのは、同じく15日に意見陳述をした佐藤郁夫さん。今年、還暦を迎えた。

佐藤さんは38歳の時、自分がHIVに感染していることを知った。

「私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています」。法廷でそう述べた佐藤さんは、こう続けた。

「死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません」

「天国に行くのは私の方が先だろうと思っていますが、最期の時は、お互いに夫夫となったパートナーの手を握って、『ありがとう。幸せだった』と感謝をして天国に向かいたいのです」

裁判は定員約100人の大法廷で行われ、早朝から傍聴券を求めて多くの人が並んだ。

意見陳述の間は、傍聴席からすすり泣く声が漏れていたという。

小野さんと佐藤さんの意見陳述の原稿全文は、以下の通り(プライバシー保護のため、一部内容を編集しています)。


小野春さん

小野春と申します。このような場でお話をさせて頂き、感謝しています。

私はここに座っている原告の西川とともに、かつて男性との婚姻でそれぞれが産んだ子ども3人を育ててきました。

私は西川に会うまで、自分のことを異性愛者だと思っていました。私が育った時代にはLGBTという言葉はなく、異性を好きになる以外の情報はありませんでした。

かつての結婚が壊れ、一人親として追い詰められていた頃、西川に出会いました。

西川の人柄に触れるにつれ、西川を好きになり、一緒に生きたい、共に子どもを育てたいと思いました。

私達には結婚という選択肢がないため、共同親権がなく、西川は私の子との関係を証明することができません。

私の産んだ子が4歳のころ、病気が判明し、西川が入院手続きに行きました。

しかし、病院からは、同性パートナーでは手続ができない。離婚している元夫でいいので、血縁の親を連れてきてくださいといわれ、入院手続きができませんでした。

病院は、私と生活を共にしている西川よりも、当時、面会交流もなかった元夫が必要であると言ったのです。

3年前、私に乳がんが見つかり、抗がん剤治療と左胸全摘の手術をしました。

法律で守ってもらえない家族を支えるためなんとかここまで頑張って来たけれど、自分にがんが見つかるとは全くの想定外でした。

がんはリンパ節にも転移し、目の前が真っ暗になりました。

がんだけでも十分すぎる恐ろしさなのに、西川が家族として認めてもらえるのか、手術の同意書や入院の身元引受人に西川を書いて大丈夫か、手術室までの見送りはできるのかと、次から次へと不安が襲い、自分が潰れてしまいそうでした。

男女だったら、こんなに悩まなくてよいのにと考えると、歩いていても涙が止まりませんでした。

抗がん剤の治療は精神的にも肉体的にも厳しいものです。今でも再発の不安は消えません。

しかし、私は同性カップルなので、パートナーの扶養に入るという選択肢もありません。

また、死を身近に感じても、西川に相続権はなく、西川に私の子供に対する権利や義務はありません。

このような状況で西川に子どもを託していくのかと思うと、死んでも死に切れない思いです。

私は、結婚にただ憧れてこの訴訟を起こしたわけではありません。

共に泣いて、笑って、悩んで。喧嘩もして、共に子どもを育ててきました。

それなのに、なぜ法律で家族であると認めてもらえないのでしょうか。

私にとっては男性と結婚していた時と、全く変わらない暮らしをしているだけなのに、なぜ世の中の男女の夫婦の家庭だけが、家族であるとされるのでしょうか。

私は子育てをするLGBT家族を支援する「にじいろかぞく」という団体を8年まえに立ち上げ、全国にいるたくさんのLGBT家族、そしてその家庭で育つ多くの子どもたちを見てきました。

先週、友人のレズビアンカップル家庭の子どもが小学校の入学式を迎えました。

家族で嬉しそうに笑う写真に、この子にも法律で守られた家庭で育つ権利があると思い、涙が出ました。

私たちのような家族は、特別なのではありません。

北海道から沖縄まで、全国のあらゆるまちに暮らしています。知られていないのは、子どもたちのために、目立たないように静かに暮らしているからです。

すでにいる多くの家族のことを、無視しないでほしい、いないものにしないでいただきたいのです。


佐藤郁夫さん

私は今年、還暦になったゲイ男性です。年下の同性のパートナーと丸15年間、同居しています。パートナーは会社員、私はNPO法人で働いています。

普段、帰り時間を合わせ、スーパーで夕食の食材を買い、時には外食もします。映画や録画したドラマを観たり、ユーミンなどのライブに行きます。

私たちの日常は、男女の夫婦と何一つ変わりません。

私は38歳のとき、HIVに感染していることを知りました。

それ以来、好きな人ができても、病気のことを伝えると離れていってしまったので、「これからの人生は一人で生きてゆくしかない。」と思うようになりました。

そんなときに出会ったのが今のパートナーです。

病気のことを知っても、「あなたのことが好きだから、病気は関係ない。」と言ってくれました。

彼は、かけがえのないパートナーです。

交際10年目に、HIV検査のイベントで結婚式を挙げました。

HIV陽性者の先輩として、HIV感染が分かってから日が浅い人たちに,「治療をすれば長生きできるし、幸せになれるよ。」と励ますつもりでしたが、多くの方々に祝福されて、逆に自分たちがエールをもらいました。

今年の1月に、地元の区役所に婚姻届を提出しました。

区役所の方は、「たぶん不受理になると思います。」と言う一方で、「記念に結婚記念カードを発行できますがどうしますか。」とも言ってくれました。

せっかくなので頂くことにしたのですが、私はこのカードを見て、まるで結婚が認められたような気持ちになり、とても幸せを感じました。

いつか本当に婚姻届が受理されたら、きっと感動して泣いてしまうだろうと思います。

自分がゲイであることに気づいたのは中学生の時です。

当時、学校では同性愛について何も教えられず、インターネットもありません。

テレビで、男性を好きな男性が「おかま」と呼ばれてあざ笑われている姿を見て、自分がゲイであることは誰にも言えないと、思うようになりました。

ゲイであることは恥ずかしいことではない、笑いものにしたり差別をする社会がおかしいんだ、と考えられるようになったのは、30代になってからです。

同性同士の婚姻が認められることは、私が若いころにに持っていた、自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくてもよい社会にすることなのです。

同性同士で結婚できないことによる不都合はたくさんあります。

万が一パートナーが意識不明になった場合、病院は、私ではなくパートナーの親族に連絡をしたり手続きをさせたりするでしょう。

パートナーの最期の時に、私がパートナーの手を握ることは許されないかもしれません。

パートナーがなくなった場合、私は葬儀に参列すらできないかもしれません。

パートナーは、周りに対してゲイであることを伝えていないので、これらのことは私にとって現実的な懸念としてのしかかっています。

私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。

死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません。

天国に行くのは私の方が先だろうと思っていますが、最期の時は、お互いに夫夫となったパートナーの手を握って、「ありがとう。幸せだった」と感謝をして天国に向かいたいのです。

私のパートナーは、今日、原告席には座っていません。それは、会社や家族に、ゲイであることを打ち明けていないからです。

パートナーが書いたコメントを紹介します。

「顔出しをしないで原告になっていますが、本当はパートナーと一緒に、いつも通りに並んでいたいのです。ただそれができないのが現状です」

「でも、この裁判で勝って、最後には顔を出して、笑って終わりたいです」