桑田佳祐の頬に残された「偉大なキスマーク」 サザンが紅白で見せた夢舞台

    歌手別トップの視聴率45.3% 国民的バンドの音楽史に輝く「伝説の夜」

    平成最後のNHK紅白歌合戦。大トリのサザンオールスターズのステージは、歌手別で最高となる45.3%の瞬間視聴率を記録し、多くの人々の心に深く刻まれた。

    「希望の轍」に続いて披露された「勝手にシンドバッド」では、桑田佳祐、北島三郎、松任谷由実という、昭和から平成にかけての音楽史を代表する巨頭が並び立った。

    ユーミンは桑田の頬に口付けし、「胸さわぎの腰つき」の歌詞に合わせて、桑田とふたり妖しく腰をくねらせてみせる。

    「偉大なキスマークですよ」

    本番を終えた桑田は、右頬に残された「ルージュの伝言」に手を当て、気恥ずかしそうに笑った。

    「国民的バンド」の看板

    「国民的バンド」という言葉で検索をかけると、サザンの記事がずらりと表示される。有名バンド、人気バンドは数あれど、「国民的」の看板を引き受けられるバンドはそうそうない。

    そんなバンドが、紅白という日本最大の音楽の祭典を締めくくる。

    それだけ聞くと至極当前のことのように思えるが、サザンの歩んだ40年の足跡を振り返れば、決して「当たり前」ではなかったことがわかる。

    1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューした当時、サザンは間違いなく異端児であり、亜流の存在だった。

    沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を掛け合わせた奇抜なタイトル。

    「何を言っているのかわからない」と言われた速射砲のようなボーカルも相まって、コミックバンド扱いされた。

    「ザ・ベストテン」(TBS系)の出演時、黒柳徹子の呼びかけに、上半身裸でジョギングパンツ姿の桑田が「目立ちたがり屋の芸人で〜す!」と答えた場面はいまだに語り草になっている。

    #第69回NHK紅白歌合戦 間も無く、サザンオールスターズの出番です✨皆さま、一緒に盛り上がりましょう😊よろしくお願いします🍀 https://t.co/GdtPNIIBgl #サザンオールスターズ #サザン #桑田佳祐 #原由子 #関口和之 #松田弘 #野沢秀行 #NHK紅白 #紅白歌合戦 #紅白 #希望の轍 #勝手にシンドバッド

    「切なさの日本基準」

    サザンが実力派ミュージシャンとしての地位を確立するまでには、翌年の名バラード「いとしのエリー」の発表を待たねばならなかった。

    一音にいくつもの言葉を詰め込む譜割りや、日本語詞に英語のような響きを持たせる桑田の作曲術は、日本語ロックの文法を革新し、後続のアーティストたちにとってのスタンダードとなった。

    「さよならベイビー」(1989年)、「涙のキッス」(1992年)、「TSUNAMI」(2000年)、「東京VICTORY」(2014)など、サザンは80、90、00、10年代と4つの年代を股にかけてシングル1位を獲得。

    40年にわたって、常に一線を走り続けてきた。音楽評論家の渋谷陽一は、サザンを「切なさの日本基準」と評する。

    「昭和最後の紅白」と比べると…

    「国民的バンド」の称号は所与の前提などではなく、サザンがパイオニアとして新たな地平を切り開いてきた結果、ついてきたものだ。

    大衆の心に寄り添い、ヒットを連発し続ける陰には、長距離歌手の孤独と懊悩があっただろうことは想像に難くない。

    サザンの紅白出場は2014年以来、4年ぶり5度目。NHKホールでの歌唱は、実に35年ぶりである。

    音楽界の鬼っ子として登場したサザンが、紅白という大衆音楽の殿堂で大トリを務める。しかも歌うのは、発表当時あまりの革新性ゆえに賛否両論を巻き起こした「勝手にシンドバッド」だ。

    1988年、「昭和最後の紅白」では、紅組のトリを小林幸子が、白組のトリを北島三郎が務めた。いまその位置にサザンがいることを考えると、感慨深いものがある。

    北島三郎から受けとったもの

    2番に入ると、出場歌手がこぞってステージに上がり、大合唱になった。石川さゆりも、嵐も、ゆずも、郷ひろみも、星野源も。さしずめ、サザンオールスターズ&オールスターズだ。

    「今 何時?」で北島にマイクを向け、「ありがとう、サブちゃーん」と歌う桑田。2人が手を取りあう場面は、北島から桑田へバトンが受け渡されたかのようにも見えた。

    桑田が一人で流行歌をカバーする人気ライブ「ひとり紅白歌合戦」は昨年11〜12月の第3回をもって完結したが、そこでも桑田は北島の代表曲「与作」を歌っている。

    紅白の舞台でも、「まつり」を歌う北島の後ろに、メンバー総出で応援に駆けつけるなど、大先輩への敬意を欠かすことはなかった。

    古き良き歌の心を継承し、日本の音楽界をこれからも牽引していく――。

    ロックミュージシャンでありながら、歌謡曲のDNAをも血肉化してきた、桑田の志と矜持を感じた瞬間だった。

    紅白最大の「事件」

    今回の紅白で最大の「事件」が起きたのは、その直後のこと。ユーミンがやってきて、おもむろに桑田の右頬へキスしたのだ。

    「ラーラーラーラララ、ユーミンさん」

    「ラーラーラーラララ、桑田くん」

    70年代から日本の音楽シーンをリードしてきた2人が、即興のデュエットを繰り広げる。

    2人の競演は、1986、87年に放送された「Merry X'mas Show」(日本テレビ系)のテーマソング「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」を共作して以来ではないだろうか。

    過日の「ひとり紅白」でも、桑田はユーミンの「真夏の夜の夢」と「ひこうき雲」を歌い上げている。思わぬ形で実現した、リスペクトの応酬が小気味いい。

    幻の「胸さわぎのアカツキ」案

    「胸さわぎの腰つき」よろしく、2人が腰をくねらせて踊る姿には、泣き笑いを禁じ得なかった。

    「勝手にシンドバッド」のレコーディング当時、ディレクターからは「そんな言葉はない」と指摘され、「胸さわぎのアカツキ」「胸さわぎのムラサキ」「胸さわぎ残しつつ」といった代案が出されたという。

    結局、桑田が意見を押し通して、現在の形に落ち着いたわけだが、この時ほど「胸さわぎの腰つき」でよかったと思えたことはない。

    そうでなければ、桑田佳祐と松任谷由実の豪華すぎる「胸さわぎの腰つき」を拝むことはできなかったのだから。

    大衆文化の「粋」が結集

    歌い終えた桑田は「夢のなかにいるようでした。まさかユーミンさんやサブちゃんとご一緒できるなんて…ありがとうございます。最高です」と顔をほころばせた。

    音楽史を織りなす縦糸と横糸。その結節点に陣取るサザンという存在の大きさをまざまざと見せつけられた思いだ。

    大衆文化の「粋」が結集した、多幸感と祝祭感に満ちあふれるステージだった。

    「平成の最終回」

    平成最後の紅白を締めくくるにふさわしい華やかな舞台に、ネット上には「最終回感」を指摘する投稿が相次いだ。

    《紅白が豪華すぎて、最終回感ハンパない…》

    《紅白、平成の最終回感がすごかった》

    平成に入って5ヶ月あまりがすぎた1989年6月、不世出の歌姫・美空ひばりはこの世を去った。この時、「昭和の終わり」を実感した人は少なくないはずだ。

    同じように数十年後、人々が「平成の終わり」を回想する時、きっと紅白の「勝手にシンドバッド」を思い浮かべるに違いない。日本の歌謡史に燦然と輝く、記念碑的な一夜として。

    #サザンオールスターズ 第69回 #NHK紅白歌合戦 2018年の締めくくりとして #勝手にシンドバッド #希望の轍 を披露させていただきました🎊 ご覧頂いた皆さま、 #サザン を応援して下さった皆さま、本当にありがとうございました🍀 新年も、皆さまにとって素晴らしい一年でありますように🌈 #NHK紅白

    希望の轍の行く先は

    いま桑田の眼前には、どんな光景が広がっているのだろう。最後の「ひとり紅白」では、桑田のこんな決意表明が読み上げられた。

    《歌は世につれ世は歌につれと言うが、世はあまり歌につれなくなった》

    《弱さ、醜さ、狡さ…それら人間の業を肯定するのが流行歌なのだとしたら、私たち大衆音楽作家は、ここ数年いったい何をやって来たのだろう?》

    《大衆とほどよくがっぷり四つに組み、新たな音楽を作り続けていくことを、私は辞めないだろう》

    夢を乗せて走り続けるサザンの、「希望の轍」の行く先を見届けたい。