「普通の女の子に戻りたい!」――。
1977年7月17日、日比谷野外音楽堂のステージでそう叫んだ彼女が、40年以上の時を経て再びマイクを握る。
人気絶頂で解散したアイドルグループ、キャンディーズの「ランちゃん」から、ドラマや映画に欠かせない名女優へ。
華麗な転身を遂げたはずの伊藤蘭はなぜ、今また歌うことを決めたのか。ソロデビューアルバム『My Bouquet』を出した伊藤に、疑問をぶつけた。
ラストチャンス
――なぜ、もう一度歌おうと決めたのですか?
事務所の社長からちょこちょこと打診はされていたんですけど、去年「そろそろどう?」と言われた時に「ラストチャンス」の気配を感じまして…。
あと何十年も長く活動できるわけでもないし、できるうちに尻込みしない挑戦してみようと。
夫・水谷豊と長女・趣里も後押し
――逆に、これまであえて歌ってこなかった理由は。
お芝居の方に気を取られていたというのもありましたし、子育てしていたりということもありました。
子どもが仕事を始めて手を離れて、主人は相変わらずエネルギッシュに活動している。そういうことに触発された部分もありますね。
――再び歌うことに関して、夫の水谷豊さん、長女で女優の趣里さんはどんなリアクションでしたか。
主人も娘も「いいんじゃない?」なんて言ってました。「早く聴きたい」って。
「一切ないです」
――『あかり』はすごく素敵なバラードですね。
優しい歌ですね。《「君だけだよ」って言って ただ優しく笑って》という歌詞とか、人生を重ねた2人だから言えるセリフなのかなって思います。
日々の暮らしのなかにある、小さな喜び。ささやかな幸せがあればいいのよっていう。
――なんとなく、伊藤さんと水谷さんを当てはめて聴いてしまいました。この歌のようなロマンチックなやりとりもあったりするのでしょうか。
一切ないです(笑)
途中まではあったような気もするんですけど、覚えている限りでは、そういうのはもう全然ないですね〜。
井上陽水、トータス松本ら参加
――井上陽水さん提供の『LALA TIME』、トータス松本さんの『ああ私ったら!』など、作家陣も非常に豪華です。
『LALA TIME』は曲はもちろん、とにかく歌詞があまりにも素敵で。突き抜けた、垢抜けた感じ、というんでしょうか。
ひとりふわっとした午後を過ごしているんだけど、心のなかにはちゃんと思う人がいる。そんな世界観が素敵だなと思いました。
『ああ私ったら!』は、トータスさんの歌でデモテープを聴いた時にとてもかっこよくて。
2番の歌詞も面白くて、《I love you どんな時も ずっと ずっと 年下のあなた》と出てくるんです。『年下の男の子』のアンサーソングじゃないですけど。
てへぺろ感
――トータスさんは、もともと大のキャンディーズファンですもんね。ウルフルズ『バンザイ』のカップリングも『春一番』ですし。
年下の男性と結婚したんだけど、お誕生日だとか記念日だとかを忘れがちな女性の「てへぺろ感」がかわいく描かれている曲です。
――伊藤さんの口から「てへぺろ」という言葉を聞くのはちょっと新鮮です。
そうですか? てへぺろな感じです(笑)
『微笑がえし』返し
――「アンサーソング」ということで言うと、『Let's・微・smilin'』はキャンディーズの『微笑がえし』返しですよね。作詞も同じ阿木燿子さんで。
まさにそうだと思います。微笑の「微」をちゃんと入れてくださって。つないでくださっているって私は思いましたね。
アルバムのなかで一番、最後にレコーディングした歌だったんですよ。阿木さんは(作曲の)宇崎竜童さんとご夫婦でレコーディングにいらして。
仮歌の冒頭に笑い声が入っていて、これやるのかな?と思いつつ、お二人がいらっしゃるまでは入れずにおいたんです。
最終的に宇崎さんからリクエストをいただいて、何パターンか笑い声を録りました。阿木さんが「蘭さんはいつも、フフフ、ハハハって笑ってるイメージなの」とおっしゃって。
衝動的な真実の叫び
――キャンディーズ時代のこともお伺いします。解散宣言の「私たち、これから皆さんの目には触れないところで、孤独と闘いながら生きていきたいんです。普通の女の子に戻りたい!」という言葉は、事前に考えてあったのでしょうか?
ほとんど衝動的な言葉ゆえに、真実の心の叫びだったんだと思います。
3人で話して、解散しようという風にはまとまっていたのですが、それを黙っていることができなくなった、ということですかね。
このままどこへ行くんだろう?という気持ちが、当時は強くありました。
ファンの支えで有終の美
――1977年7月に野音で解散宣言をしてから、翌年4月に後楽園球場で解散するまで、9ヶ月近くありました。
その間、テレビとか色んな仕事があったんですけど、関係者の方が「え、私たちの世界は『普通』じゃないってこと?」みたいな微妙な空気になってしまって。
いやいや、そういう意味じゃないんですっていう(笑)
――そこからファンが盛り上がって、ラストシングルの『微笑がえし』で初めての1位をとって。
有終の美を飾らせてくれた。キャンディーズをつくってくれたのは、間違いなくファンの人たち。いい形で終わらせてもらえたのは、彼らの心意気のおかげだったと思います。
山口百恵や安室奈美恵も
――時代を象徴するスターが人気を保ったまま引退を表明するという意味では、山口百恵さんや最近だと安室奈美恵さんの例もありました。キャンディーズはある種の先駆けだったのかなと。
確かにそうですね。
――後に続いたアイドルや歌手の解散・引退の報に接して、思うところはありましたか。
特にグループの人たちが解散する時とかは、「そうだよね、わかる」っていう心情になりますね。
若い子たちがもっと人生を充実させたい、今とは違う体験がしたい、と思うのは当たり前のことですから。
戻りたかった「普通」って?
――「普通の女の子に戻りたい」と言ってから、本当に普通に戻れたのでしょうか?
おかげさまで、気分はそれからずっと普通です。女優の仕事で表に出ることはありますが、そのほかは普通。今も普通な気分です。
――「普通」ってどういうことですか。
人が人として感じる当たり前の気持ち。おかしなことはおかしい、正しいことは正しいと感じられる心っていうのかな。
――特別になりたい、という人は多いですが、実は「普通」って尊いことですよね。
そうですね。こういう仕事をしていたり、巻き込まれ始めてくると、できそうでできないものなのかもしれません。
でも私は、普通の感覚を忘れたくない。俳優は様々な人を演じていくわけで、必要な部分だと思います。
解散してすぐに自由な時間を得たということもありますけど、主人と出会って、子どもを持てて、母親をやって…そういう暮らしができたことも大きいのかな。
スーちゃんと今も対話
――2011年、「スーちゃん」こと田中好子さんが亡くなりました。
寂しかったですね…。今でも時々、話します。気持ちのなかで会話をするというか。
「なんでいないの?」とか、そういうこと。こうして一人で歌うことになると余計に、「不在」を強く思いますね。あの時はいてくれてよかったなって。
――キャンディーズ再結成の話はなかったのでしょうか。
具体的にやらないかっていう話はありませんでした。誰もOKしないだろうと思われたんでしょうね。みんなそれぞれ、仕事もしていましたし。
ただ、本当に仲のいい仲間だったので、時々会っては楽しく過ごした思い出があります。
友人同士の「再結成」
――内々では何度も友人同士として「再結成」していたと。
はい。時々、主人も参加して4人になったりもするんですけどね。
食事したり、お茶したり。ウチに来ると朝までずっと語り明かしているような感じでした。
多分、人として相性がよかったんですよね。それぞれキャラクターがあまり強くなくて、協調性があったから居心地がよかった。3人とも大人だったからか、もめ事とかもなくて。
――ソロ歌手デビューについて、ミキさん(藤村美樹さん)はなんとおっしゃっていましたか?
ミキさんに報告したら、「それは素敵なお知らせね」ってLINEが来ました。
ゆかりの地でコンサート
――アルバム発売後には6月11、12日にはTOKYO DOME CITY HALLでのライブも控えています。奇しくも解散コンサートのあった後楽園球場のすぐ近くで。
近いですね、狙ったわけではないんですけど。
――往年のファンの方々、気合い入れて紙テープ持参で来ちゃうかも…。
懐かしいですね、紙テープ。でも、今どきは使えないらしいです(笑)
――では、「紙テープ禁止」と書いておきますね(笑) 最後にファンの皆さんへ一言、お願いします。
『My Bouquet』は一曲一曲バラエティーに富んだ、まさにブーケのようなアルバム。飽きずに聴き続けられる楽曲が揃ったと思うので、ぜひ聴いていただきたいと思います。
コンサートは2時間弱ぐらいになるのかな。短い間ですけど、久しぶりにお会いする方も、初めて会える方も楽な気持ちで来ていただければ。
いい時間が過ごせるように頑張りますので、いろんなことは大目に見てください(笑)
〈伊藤蘭〉 1955年、東京生まれ。1973年、キャンディーズのメンバーとして『あなたに夢中』で歌手デビュー。1978年、キャンディーズ解散に伴い、一時芸能活動を引退。1980年、映画『ヒポクラテスたち』に主演し、本格的に女優復帰。以降、映画・テレビ・舞台などで活躍を続ける。2019年5月、『My Bouquet』でソロ歌手デビュー。6月11、12日にTOKYO DOME CITY HALL、14日にNHK大阪ホールでコンサートを予定している。
UPDATE
一部表現を修正しました。