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新1万円札の渋沢栄一ってどんな人? 5千円札の津田梅子、千円札の北里柴三郎は?

3分でわかる「新しいお札」の基礎知識

政府は4月9日、2024年度をめどに紙幣を刷新すると発表しました。

1万円札の肖像画は現在の福沢諭吉から渋沢栄一に、5千円札は樋口一葉から津田梅子に、千円札は野口英世から北里柴三郎に切り替わります。

3人はそれぞれ、どんな人たちなのでしょうか?

渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)1840〜1931年

「日本資本主義の父」とも呼ばれる実業家。

1840年、現在の埼玉県深谷市に豪農の長男として生まれる。

尊王攘夷運動に参加し、高崎城の乗っ取りや横浜の異人館焼き打ちを企てるも中止。京都で一橋(徳川)慶喜の家臣となる。

27歳の時に、慶喜の弟・徳川昭武に随行し、パリの万国博覧会をはじめヨーロッパ各地を訪問。

明治維新後、新政府で貨幣・金融・財政制度の改革に尽力。退官後の1873年、第一国立銀行(現みずほ銀行)を開業。

「道徳経済合一」の理念のもと、東京ガス、王子製紙、東京海上、キリンビール、サッポロビール、帝国ホテルなど500社以上もの設立・育成に携わり、91歳で死去した。

津田梅子(つだ・うめこ)1864〜1929年

津田塾大学の創設者。

1864年、佐倉藩士で農学者の津田仙の次女として、江戸・牛込に生まれる。

日本初の女子留学生として、6歳で岩倉使節団に同行して渡米(資料によっては「7歳」「8歳」との記載も)。キリスト教の洗礼を受け、11年にわたって米国で過ごす。

17歳で帰国し、華族女学校の教授に。24歳で再び渡米し、ペンシルバニア州のブリンマー大学で生物学を学ぶ。

ヘレン・ケラーやナイチンゲールとも面会。日本女性の高等教育のため、1900年に女子英学塾(のちの津田塾大学)を開校する。

1929年、鎌倉の別荘で死去。享年64歳。

北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)1853 〜1931年

細菌学者。「日本の細菌学の父」「近代日本医学の父」とも称される。

1853年、現在の熊本県小国町で庄屋の家に誕生。18歳で熊本医学校(現・熊本大医学部)に入学。その後、東京医学校(現・東大医学部)にも学ぶ。

卒業後は内務省衛生局に入り、ドイツへ留学。細菌学の権威ロベルト・コッホに師事し、留学中に破傷風菌の純粋培養に成功。血清療法を発表する。

帰国後の1892年、伝染病研究所を設立。2年後に香港でペスト菌を発見した。

1914年、伝染病研究所が東京帝大の下部組織へ移管されることに反対し、私財を投じて北里研究所を創設。1917年には、慶応大の医学部開設にあたって医学科長に就任した。

1931年、78歳で脳溢血により死去。没後の1962年、北里大学が創設された。

UPDATE

政府が正式発表したので前文を修正しました。

UPDATE

北里大学の公式見解にしたがって「きたざと」を「きたさと」に改めました。