今日は母の日。母親が健在なうちに、あと何度会えるだろう? 親元を離れて暮らしている人のなかには、そんな風に思い巡らせる人もいるかもしれない。
たとえば、あなたに60歳の母親がいて、1年に2度ほど帰省するとして…。寿命にもよるが、顔を合わせる機会は50回に満たない可能性もある。
シンガーソングライターの岡本真夜さんは、生まれてすぐに両親が離婚し、祖父母に育てられた。母親がわりの祖母を「お母さん」と呼び、月に1度、花を贈っているという。
『Mother~あなたに花束を~』という曲をつくった岡本さんに、「お母さん」への感謝と、18歳の息子を持つ「母」としての思いを聞いた。
両親が離婚、その後に…
――昨年10月に発表した『Mother』(アルバム『Happy Days』収録)には、モデルがいるそうですね。
祖母ですね。育ての親です。
両親が私を産んですぐ離婚して、母方の祖父母の養女になりました。「お父さん」「お母さん」と呼んでいて、高校卒業まで高知県で一緒に住んでいました。
父はもう他界しましたが、96歳の母はいまも高知で暮らしています。
「花を見ると笑顔になるんよ」
――《毎月15日には あなたに花を贈ろう 笑う顔が見たいから》という歌詞は、実話ですか。
はい。去年の夏から花を贈っています。10月15日が母の誕生日なので、毎月15日に贈ろうと。
母はここ数年、体調を崩して入退院を繰り返しているのですが、高知のおばが面倒をみてくれています。
年々、記憶力が薄れていて、日によっては私やおばのこともわからない時もある。でもある時、おばから「花だけは大好きで、花を見ると笑顔になるんよ」と言われて。それからですね。
もう96歳ですし、いつどうなるかわからない。私もしょっちゅう帰れるわけではないので、1年に1回じゃ足りないなと。それで毎月、お花を選んでいます。
やっぱり1日でも長く、笑顔でいてほしいなと思って。
枯れた後も手元に
――お母さんも嬉しかったでしょうね。
喜んで、1日中手に持って歩いていたそうです。枯れてしまった後もずっと手元に置いていたと聞きました。
おばが捨てようとしたら「捨てんといて!」って。ちょっとジーンときちゃいましたけど。
買ってもらった中古ピアノ
――子どものころのお母さんの思い出は。
母が元教師で、父は元警察官。だから結構、厳しい家庭ではありました。
私は勉強嫌いだったんですけど、母はよく参考書片手に勉強を教えてくれました。私のことも教師にさせたかったみたいです。
貧しい家ではあったんですけど、小学生の時に中古のピアノを買ってくれて。たぶん、すごく頑張ってくれたんじゃないかな。嬉しかったですね。
「養女」ネタにいじめられ
――反抗期はありましたか。
小学校の高学年、中学時代ぐらいにいじめに遭ったんです。学校の書類に「養女」と書かれているのを隣の席の男の子に見られて、ネタにされちゃった。
「お前んち、なんでお父さん、お母さん来ないんだ?」みたいなノリがすごく嫌でした。
どうして養女なのか、理由もわからないままモヤモヤして。それが原因で親に反抗して、家出しそうになったこともありました。
結局、どこにも行くところがなくてやめたんですけど。家出未遂ですね(笑)
反対押し切り上京
――高校卒業後、歌手を目指して上京します。ご両親の反応は。
最初は反対されました。「教師になってほしい」という思いもあったでしょうし、華やかな世界、しかも東京に出るということへの心配もあったと思います。
私も音楽に関しては曲げないタイプなので、反対を押し切って上京しました。
――いつの時点で納得してくれたのですか。
『TOMORROW』でデビューが決まって、ドラマの主題歌として流れ始めたぐらいかな。
上京からデビューまで2年半ぐらいかかったんですけど、実はその間にデビューが3回ぐらい延びていたんです。
何回も延びるから、両親も友達も「絶対だまされてる!」って言ってました(笑)
私自身はのんびり屋さんなところがあるので、気にしてなかったんですけど。その分レッスンもできるし、曲もつくれるし。夢をあきらめて高知に帰ろうと思ったことは一度もありません。
『TOMORROW』生んだ父の言葉
――『TOMORROW』はどのようにして生まれたのでしょうか。
上京して1年ぐらい経ったころに、父が「やるからには頑張りなさい」と手紙をくれたことがあって。私の曲げない性格をよくわかっているので。
手紙の最後に「涙が多いのが人生だよ」と書かれていたんです。その言葉がキッカケで、「涙の数だけ強くなれるよ」という『TOMORROW』の最初の1行が生まれた気がします。
涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために
父は警察官を退職した後に事業に失敗したり、人に騙されたり、いろんな経験をしていて。
私は小さいころから横目で見ていたので、「涙が多いのが人生だよ」という言葉がすごく響いたんですね。
あったかい光
――お母さんからもらった言葉で、印象に残っているものはありますか。
一番うれしかったのは、デビュー10周年の時に「よく頑張ってきたね」って言われたこと。
あんまり、そういうことを言う人じゃないので、何気なく電話で話している時に声をかけられて、ホロっときました。
今年でデビューから24年になりますけれども、決して順調なことばかりではなくて、つまずいたり、落ち込んだりしながらやってきました。
人間関係がうまくいかない。思いもしないことに巻き込まれる。人間不信になって、疲れてしまった時期もあって…。「やめよう」と思った瞬間もありました。
そういうことを直接、母に言うわけではないんですけど、優しくそっと見守ってくれて。いつも、あったかい光があったなと感じますね。
友達のような息子
――岡本さん自身も、18歳のご長男の母親です。子育てで印象に残っていることは。
まだ小さいころ、クッキングスクールに通わせていた時期があって。
ある朝起きたら、ダイニングテーブルの上に、ご飯とスクランブルエッグと切ったキュウリが並んでいて、感動しつつビックリした覚えがあります。
ちょっと変わった親子で、物心ついてからの関係性は友達に近いですね。
疲れて帰った時とかも「今日こういうことがあって…」と、仕事のことも含めて友達みたいに何でも話しちゃう。社会勉強になればいいのかなって。
息子の前では笑顔でいたいと思うんですけど、時には笑顔になれないこともある。でも、そういうのって一瞬でわかっちゃうみたいで。
ご飯をつくっている時に、フッと横にきて「大丈夫?」って言ってくれたり。中学生、高校生のころかな。やっぱり、一番近い存在だから。いま話していても泣けてきちゃうんですけど。
お弁当づくりで知った母の偉大さ
――親の立場になって、改めて気づいたことってありますか。
一番感じたのは、小中高と毎日お弁当をつくってくれた母の偉大さ。自分も息子の幼稚園から高校卒業までつくって、そのありがたみがわかりました。
特別なものは入ってないんですけど、唐揚げだとか、普通のおかずがうれしいし、おいしかった。たいしたものはつくれないけど、私もこの子のために頑張ろうっていうのは、すごく思いましたね。年に何回かは寝坊しましたけど(笑)
明日、いなくなるかも
――息子さんに伝えたいことは。
最近、震災や災害を受けて楽曲を取り上げていただくことがあって。愛しい人を亡くした、という方からお手紙をもらうことも多くあります。
自分自身もそうだし、まわりの人も含めて、いつ何が起こるかわからない。命の尊さをものすごく感じていて。「明日、自分はいなくなるかもしれない」って思いながら生きています。
息子はこの春から大学生になって巣立っていきましたが、そんなことを手紙に書いて渡しましたね。
――寂しさはないですか。
最初の1週間寂しかったんですけど、いまは平気です。自由時間も増えましたし。もちろん、心配はありますけどね。
私自身、好きなように生きてきた自由人。息子のやりたいことを応援したいなっていうのは昔から決めていたので。
おばあちゃんになっても
――お母さんの歌に続いて、そのうち息子さんへの応援歌も…。
ストックには、そういう曲もありますよ(笑)
シンガーソングライターとしては、来年の25周年に向けて動き始めています。みなさんを勇気づけたり、優しい気持ちになれたりするような曲を1曲でも残していきたい。
mayo名義でピアニストとしても活動しているのですが、こちらはまだ3年。最低でも10年かけてちゃんと認識していただけるように、地道に続けていけたら。
おばあちゃんになっても世界でライブをするというのが最終目標なので、そこに向けて頑張っていきたいですね。
〈岡本真夜〉 1974年生まれ、高知県出身。1995年に『TOMORROW』でデビュー。200万枚の大ヒットに。広末涼子、中山美穂、沢田知可子らへの楽曲提供も多数。2015年、デビュー20年周年を記念して『岡本真夜20th anniversary ALL TIME BEST』を発売。翌年にmayo名義でピアニストとしてデビュー、昨年3月にはインストアルバム『Good Time』を出した。岡本真夜としての最新アルバムは昨年10月発売の『Happy Days』。今年10月からコンサートツアー「The road to anniversary ~25周年への道~」が始まる。