多額の借金返済、光進丸の炎上…加山雄三がそれでも「幸せだなぁ」と言える理由

    人生の荒波をくぐり抜けてきた「永遠の若大将」の幸福論

    加山雄三が、海洋環境の清浄化を目指す「海 その愛基金 海洋環境クリーンプロジェクト」を発足させた。きっかけは、1年前に愛船「光進丸」が火災を起こしてしまったことだった。

    九死に一生を得た漂流体験、役員を務めるホテルの倒産に借金苦…。幾多の荒波を乗り越えてきた永遠の若大将は、4月11日に82歳の誕生日を迎える。

    「幸せに思う心があれば、何やってたって幸せなんだよ」

    ビニール袋で「餓死」するウミガメ

    ――3月に日本セーリング連盟とともに「海 その愛基金 海洋環境クリーンプロジェクト」を立ち上げました。長年、海を見てきて、環境の変化を感じますか?

    感じますね。肌で感じて、何かしなきゃいけないという気持ちをずっと持っていた。

    ウミガメはクラゲと間違えてビニール袋を食べちゃう。お腹に入っても消化されずに溜まっていく。お腹いっぱい食べてるつもりなのに、食欲がなくなって餓死してしまうんだ。

    クジラもそう。岸に打ち上げられたクジラの胃袋を調べてみたら、ビニールとかでいっぱいだったというケースもある。

    しかも、ビニールは海水にもまれているうちに細かくなっていく。マイクロプラスチックという非常に小さい粒子になって、水のなかに溶け込んじゃうっていうんだから。その話を聞いた時はショックだったね。

    このまま放っておいたら生態系が変わってしまう。我々人類にも影響が出てくることは間違いないよ。

    光進丸の焼失がキッカケに

    ――もともと海洋環境に危機感を抱いていたわけですが、昨年4月に光進丸が火災で焼失してしまったことにも背中を押されたとか。

    キッカケになったことは間違いないね。あれは天から警告をいただいたんだと解釈してる。

    光進丸は非常に楽しい思い出を提供してくれた。だけど、これからは遊んでる場合じゃない。海に関して、いままで得てきたものを役立てる時だと。

    海が、地球が汚染されていくなかで、自分の役割としてクリーンキャンペーンをできないか。そう考えたら、いても立ってもいられなかった。

    セーリング連盟の河野博文会長に相談して、基金を設立することになったんだ。コンサートとCD売上の収益の一部を積み上げて、役立ててもらおうと思ってる。

    必要なのは、一人ひとりの意識改革。毎日生活しているなかで、どれだけのゴミが出ているか。そのゴミはどこにいくのか。そういうことを、みんなで学んでいくべきなんだよ。

    10日ぐらい記憶がない

    ――光進丸は加山さん自ら設計を手掛けていて、焼けてしまった3代目も、1982年から30年以上、苦楽をともにしてきました。ショックは大きかったのでは。

    火災から10日間ぐらいの記憶がほとんどない。飛んじゃってる。

    もう死んだみたいに寝込んじゃって。カミさんが心配してお医者さん呼んでくれて、点滴してもらって。それだけショックだったってことだね。

    まず「なぜ」って思うよな。周囲に誰もいなくてよかった。でもだったら、なぜ燃えたんだろう…。考えているうちに、ああ船も年を取るんだなと。

    人間で考えたら100歳を超えてる。無理もない。「私はこれぐらいで失礼させていただきます」って自ら命を絶っていったに違いないとか、そんなことを考えながら寝込んでいた。

    全責任は僕のなかにある

    ――喪失感をどのようにして乗り越えたのですか。

    それはやっぱり、みんなの優しさだね。光進丸は静岡・西伊豆の安良里漁港に停泊していたんだけど、漁師さんや消防署、海上保安庁、警察、近隣の人たちが消火に奔走してくれた。

    造船所の社長や町の皆さんが「加山さん、大変だね」「船がかわいそうだ」って同情して、涙を流してくれて。みなさん一人ひとりに「ありがとうございました」って頭を下げたよ。

    感謝をもって見送ってやらなきゃ、船も浮かばれない。光進丸はみんなを楽しませ、役割を終えて死んでいったんだ。

    もとをただせば、すべての原因は自分にある。僕が設計しなければ、あの船はできなかった。自分の道楽でつくった結果、最後にあんなことになっちゃったんだから。

    それを全部背負って、お世話になった方にはお礼を言い、迷惑をかけてしまったところは謝る。

    全責任は僕のなかにあるんだと自分を戒めた時に、ようやくわかってきた。物事を人のせいにしたら、乗り越えることはできないんだよ。

    痛みを抱きしめて

    ――悲しみを引き受ける。

    その通り。悲しみを引き受け、痛みを乗り越えることができたら、それ以上の力を与えてもらえる。

    苦しみを乗り越えた人ほど、強く美しい。そこで人のせいにしてしまったら、後から10倍になって押し寄せてくると思うね。

    人間っていうのは、助力がなければ生きていけないの。周囲の人々の助力、家族の助力、大自然による助力…。すべてに助けられて、僕は生きてる。

    心臓、自分で動かしてますか? 意識してハアハア息してますか? 黙って、いつの間にかしてるでしょ。それは自然界がやってくれてるんだよ。

    神という言葉でなければ「サムシング・グレート」と言い換えてもいい。

    恐怖の漂流体験

    ――昔から、そういう考え方をしてきたのですか?

    違う、違う。自然と戯れるなかで、自然の厳しさ、恐ろしさを知ったんだ。

    実は大学2、3年生のころ、最初につくったモーターボートで3日間も漂流しちゃったの。伊豆大島を出て相当走って、本土とのちょうど真ん中へんでエンジントラブルが起きた。

    燃料タンクだけは3つも4つも積んでたんだけど、水もない。食い物もない。無線もなければ、レーダーもない。

    なぜか余った部品

    ――ヤバイじゃないですか。

    ヤバイですよ。エンジンのフタを開けてひとつひとつバラして、掃除して組み立て直して。さあ、これでOKだ!って思ったら、部品が1個余ってるんだよ(笑)

    エンジンかけても、ウンともスンとも言わない。もうダメだって、疲れ果ててボーッとしてるうちに夜がきてさ。また星がきれいなんだ。

    朝起きて、もう一度イチから組み立て直そうとするんだけど、体力と気力がどんどん弱ってくるんだよな。

    だんだんと誰か助けてくれないかな、船通れよって思考になってくる。でも、通らないんだよね、こういう時に限って。

    「水くれ、水、水!」

    ――絶対絶命。どうやって助かったんですか。

    漂流3日目の午前中、じっくり見直したら余った部品をはめるところが見つかって。最後に渾身の力でグッとやったら、エンジンがかかったの。

    止まるな、止まるな。頑張れ、頑張れって、どんどん岸に近づいていったら銚子でさ。これが本当の銚子っぱずれだよ。そこから自宅の茅ヶ崎へ向かって岸沿いを走って。

    東京湾を横断して、相模湾に入った時は、家の庭に帰ってきたような気持ちだったね。全力でスロットル倒したまま突っ走って、そのまま上陸した。

    「水くれ、水、水!」って言いながら家に駆け込んで。お袋が「あんた、どこ行ってたのよ」って聞くから、「漂流してたんだ」って答えたら、「バカだね」で終わりだよ。

    人生に「まさか」あり

    ――そうやって九死に一生を得たのも「サムシング・グレート」?

    守られている、という以外にないよね。ご先祖様かもしれないし、サムシング・グレートかもしれないし。

    自分一人で生きてるわけじゃない。だからこそ生きてることに意味があるし、もしかしたら、それぞれの役割があるのかなと。

    人生、山あり谷あり。上り坂があれば、下り坂も「まさか」もあるんだよ。

    負債総額23億円

    ――「まさか」と言えば、1970年に役員をしていたパシフィックパークホテルが倒産した時も大変だったのでは。

    大変ですよ。あの年は激動の年だよね。お袋が死んで、会社が倒産して。経営していたのは叔父貴で、僕は「名前を貸せ」って言われて監査役についていた。

    届出債権が43億円。仰天したよ。どんなことをやってもそんな金出てこない。法学部に通っていてよかったのは、その時に「会社更生法」ってあったはずだと思い出して。

    それでどうにか一息ついたけど、手形とかを相殺しても最終的に負債総額23億円が残った。

    名前ばかりの監査役だし、本当は関係ないんだよ。だけどホテルがあれだけ有名になったってことは、自分のせいだよな。人のせいにしたって何も解決しない。

    「痛みを引き受ける」っていう考え方は、このころからかもしれないな。

    人間不信よりもっとひどい

    ――周囲の人も次々に手のひらを返して。

    チヤホヤしてた連中が1人去り、2人去り、いつの間にか誰もいなくなる。人間ってこういうもんかと。人間不信よりもっとひどいな。人間に落胆したよ。

    あんなにいいヤツだったのに、僕の言うことに何ひとつ耳を傾けてくれない。そりゃないだろって。

    その時に「寂しいのは、お前自身の心のなかにも同じ精神があるからだ」って、自分に言い聞かせたんだよね。

    祖母との修行の日々

    ――去っていった人が悪いんじゃないんですか?

    去った人が悪いんじゃなくて、その人たちと同じ心が僕自身のなかにもある。自分だって去るだろうなと思ったら憎めない。そういう風に考え方が変わったんだよ。

    高校の時、おばあちゃんと大雄山って山に行って座禅組んで修行したの。その時に「荷が重いんじゃない、自分の力が足りないんだよ」って言われたのを思い出したね。

    おばあちゃんは日めくりカレンダーの格言か何かを見て言ったんだと思うけど。

    妻と卵を分け合って

    ――借金返済に苦しんでいた時期に、奥さまと卵ひとつを分け合って、卵かけご飯を食べたという話は本当ですか? ちょっと想像がつかなくて…。

    本当の話だよ。食うものないんだもん。

    当時、カミさんのお母さんが四谷の割烹料理屋で働いていて、余り物にありつけるだろうって期待して店に行ったりもしてた。

    そこのお客さんが「おう、加山雄三じゃねーか。この間の『落ちぶれ果てて』って曲いいな」なんて言うもんだから、いやいや『追いつめられて』だよって。

    「似たようなもんじゃないかよ」って言われたら、「はい、すみません」って言うしかないよな。実際、そこで余った料理をちょっとずつもらって食ってたからね。

    光進丸も差し押さえ

    ――光進丸まで差し押さえられて…。

    3回ぐらい、国税局に行って交渉したもん。船って定期的に動かしてメンテナンスしないと、廃船になっちゃうから。

    「週に1度は動かさなきゃダメになる。売ってお金を返すための差し押さえなのに、二束三文になったらどうするんですか。メンテナンスしてくれるんですか」と掛け合ったら、「じゃあ、ご自分でどうぞ」と。

    それで、堂々と光進丸に乗れることになった。差し押さえの「赤紙」が貼られた上からサメの写真をベタッと貼ってね。

    人間、切羽詰まって真剣に考えたら、アイディアが浮かんでくるもんなんだ。人任せにしてたら、こんなこと思いつかないよ。

    結局、借金は10年で返しきった。

    すべて自分の責任。嫌な経験だろうが、いい経験だろうが、僕がここに生きてるから起こる。

    それを乗り越えられるかどうかっていうのは全部、自分自身にかかってるんだよね。

    それでも「幸せだなぁ」

    ――加山さんと言えば「君といつまでも」の「幸せだなぁ」の名ゼリフ。様々な荒波をくぐり抜けて、いま幸せですか?

    幸せです。幸せを幸せに思う心がなければ、幸せではない。僕はそう思う。

    幸せは状況じゃない。状況だとしたら、常にほかと比較しなきゃならない。そうじゃないんだよ。自分が幸せだと思えれば幸せなんだ。

    僕には家族がいる。子どもが4人で孫も4人になった。たった2人が8人に増えちゃうんだから不思議だよな。

    すべては思う心ひとつ。心願っていうのかな。心の願いが大切なんだ。

    この人を愛してよかった、それで幸せ。ケンカしたって幸せでしょ。幸せに思う心があれば、何やってたって幸せなんだよ。

    〈かやま・ゆうぞう〉 1937年、神奈川生まれ。1960年、慶応大学法学部卒。映画「男対男」で俳優デビュー。翌年、「大学の若大将/夜の太陽」で歌手デビューも果たす。2017年、生誕80周年を記念して「加山雄三のすべて〜幸せだなぁ。ベスト&レア音源集〜」を発売。82歳の誕生日を迎える4月11日に、東京国際フォーラムで「若大将 フェスティバル 2019」を開催。6月5日には、岩谷時子作詞の楽曲を集めたベストアルバムとBOXセットをリリースする。