ゴールデンボンバー鬼龍院翔、2度の挫折と新時代への思い

異能のトリックスターが語り尽くした、音楽シーンへの愛と憎

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ゴールデンボンバー鬼龍院翔、2度の挫折と新時代への思い

異能のトリックスターが語り尽くした、音楽シーンへの愛と憎

音楽界の鬼っ子は、新たな時代にどんなヒット曲を生み出すのか――。

楽器を演奏しないエアーバンド「ゴールデンボンバー」は、4月1日に新元号が発表されるやいなや、即座に新元号ソング「令和」を発表した。

平成のJ-POPを全身に浴び、受け継ぎ、革新してきたリーダーの鬼龍院翔が、音楽への愛憎相半ばする思いを語った。(※取材は3月中旬)

新元号ソングを即日制作

新元号ソングの制作過程は、何から何まで異例ずくめだった。

新元号の発表前にそれ以外の部分をつくっておき、4月1日に発表され次第、新元号部分を追加レコーディングする。同様にミュージックビデオも追加撮影。しかもその模様をスタジオからネットで生配信する。

発表から数時間でYouTubeにMVを投稿し、その日のうちに音源を配信。10日にはCDをリリースするという強行スケジュールだ。

「去年、キュウソネコカミが『ギリ平成』というアルバムを出したんですよ。じゃあ新元号の曲は誰が最初に出すんだろうと考えた時に、ウチが頑張ったら一番早く出せるんじゃない?と思ったのが始まりです」

「いろんなアーティストが同時に出してきたら寒い空気になると思ったので、2ヶ月ぐらい前に大々的に情報解禁しました。みんなが制作に入る前に発表しておけば、思いついた人もやめるだろうと。牽制と優しさの両方を兼ねて(笑)」

何文字でも大丈夫

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Zany Zap official / Via youtu.be

ゴールデンボンバー/令和 Full size

本当にこんなスケジュールで曲を出せるのか。新元号の文字数もわからないのに、どうやってメロディーに乗せるのか…。

発売前に疑問をぶつけたが、鬼龍院の表情に不安の色はまったくなかった。

「メジャーレーベルは大きい分、小回りのきかないところもある。このスピード感で出せるのはインディーズの強みですね」

「文字数は、何文字でも大丈夫。長くて字余りになったとしても、それはそれで面白くなりますし。あと一度、皆さんに制作現場を見てもらいたくて。ひとつのイベントとして、こういうのもアリかなと」

初恋で知った「愛しい」の意味

鬼龍院はいま、34歳。物心ついた時から、呼吸するようにJ-POPを聴いて育ってきた。

好きな音楽との最初の出会いは、小学校2年生のころに触れた、とんねるずの『がじゃいも』(1993年)。親戚にカセットテープに録音してもらい、擦り切れるほど聴いた。

初めて買ったCDは、奥田民生の『イージュー★ライダー』(1996年)だった。小6でアコースティックギターを購入。そのころ経験した初恋をきっかけに、少しずつ音楽にのめり込んでいく。

「恋愛というものを知って、『君』『あなた』とか『好きだ』『愛しい』という歌詞の意味が、ようやく理解できるようになった。それまで何となくの音の羅列でしかなかった歌の歌詞が、ズバズバ入ってくるようになったんです」

Mr.Children『シーソーゲーム』(1995年)、スピッツ『チェリー』(1996年)…。チャートを賑わせるラブソングが、新たな輝きを伴って胸に響くようになった。

メンバーいらねーじゃん

中学生になると、作曲にも精を出し始める。GACKTも在籍したヴィジュアル系バンドMALICE MIZERに夢中になり、そこから影響をたどってバッハなどのバロック音楽に傾倒していった。

一方で、将来はお笑い芸人になろうと心に決めていた。友達を笑わせるのが大好きで、「いかにボケるか」ばかりをいつも考えていたという。

いずれ芸人になるのだから、高校時代は目一杯、バンドに打ち込もう。そう息巻いて軽音楽部に入ったものの、現実は甘くなかった。

メンバーの意識は低く、練習はサボるし、無責任に脱退していく。バンドの人間関係にほとほと失望させられた。そんな時、音楽教師に教えられたのが「DTM(デスクトップミュージック)」。打ち込みによる作曲法だった。

「あのタイミングでコンピューターミュージックを知ることができて、本当によかった。これさえあれば、メンバーいらねーじゃんって思いました」

「人間は大変ですよ、練習しないですし。高校の軽音部って、バンドでライブをやるっていうスタート地点にも立てない人たちが集まるんです」

のちのエアーバンドでの成功にもつながる原体験だった。

そしてお笑いへ

バンド活動の集大成として、高校最後の文化祭の後夜祭にすべてをかけていた鬼龍院。腕の立つメンバーを集めてオーディションに臨んだが、落選の憂き目に遭ってしまう。

「誰よりもウケたのに、何で落ちるんだろう。悔しさ、怒り、絶望を感じて、25、26歳ぐらいまであの時のことを夢に見ました。憎んでましたね」

落選したその晩、鬼龍院は父親に告げる。

「俺、お笑いやろうと思ってるから」

もともと芸人は中学生のころからの夢。オーディションの一件もあって、音楽とは距離を置くことを決めた。

2度目の挫折

吉本総合芸能学院(NSC)の東京校に入学し、のちに「しずる」で活躍する池田一真とコンビを結成。しかし、方向性の違いから解散してしまう。

同期のしずるやハリセンボンが頭角を現していくなか、くすぶり続ける日々。「もう無理なんじゃないか」。不安に駆られるなか、追い打ちをかける出来事が起きる。

芸人たちが競い合うイベントで、鬼龍院が「同期で一番面白い」と思っていたコントグループが、あっさりと敗退してしまったのだ。

「その人たちが負けたのを見て、僕が面白いと思うことは、とことんズレてるんじゃないかと思ったんですよ」

19歳の春、当時の相方に電話口でこう伝えた。

「俺、お笑いやめる。音楽でもやってみるわ」

2度目の挫折だった。

失恋にショック「もう死んじまおうか」

20歳のころ、現在のメンバーでもある喜矢武豊らとゴールデンボンバー(金爆)を結成する。

レンタルビデオ店でアルバイトをしながらの貧乏暮らし。「音楽でもやってみる」という言葉の通り、バンドに全身全霊を捧げているとは言い難い状況だった。

音楽に本気になりきれないでいた鬼龍院を変えたのが、そのころ出会った一人の女性だ。バイト先の客として訪れた女性に一目ぼれして告白。短期交際の末、こっぴどく振られてしまう。

「失恋のショックで、もう死んじまおうかと思ったんですよ。でもそこでちょっと思い直して、どうせならこのバンドを思いっきりやってみてから死んでもいいんじゃないかと」

それまで月1回ほどだったライブの回数を、一気に9回まで増やした。

金爆のライブでは「笑い」の要素も欠かせない。どうやってお客さんを楽しませるか。来る日も来る日もネタづくりに明け暮れた。

「狂ったようにライブをしてましたね。失うものは何もない。もうヤケクソです。体がボロボロになろうが、借金取りに追われて埋められようが構わない。そのうち段々と何かが掴めてきて…。ギターの喜矢武さんもよくついてきてくれました」

「俺がいる意味あるの?」

2007年に歌広場淳、2009年に樽美酒研二が加わり、現在の4人体制となった金爆。実は最初からエアーバンドだったわけではない。

はじめは喜矢武もギターを弾いていたが、技術的な問題もあり、次第に用意した音源に合わせて「当てぶり」する形へと移行していった。

鬼龍院が「エアー」を持ちかけた当初は「俺がいる意味あるの?」と頑なだった喜矢武も、やがてパフォーマンスでウケをとる快感に目覚め、提案を受け入れたという。

エアーバンドで「音楽宗教戦争」

それにしてもなぜ、エアーバンドなのか。7年前に取材した際に、鬼龍院がしきりに口にしていたのが「音楽宗教戦争」という言葉だった。

「みんな、本当に音楽が好きで聴いているのか? SNSのプロフィール欄にアーティスト名をいっぱい書いとけば、オシャレだと思ってるんじゃないか?と疑問を感じて」

「もし、当てぶりのまま『生演奏』だと騙すことができたら、大して音楽が好きじゃないヤツをあぶり出せるだろうと考えたんです」

音楽誌に断られ

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ゴールデンボンバー「女々しくて」【OFFICIAL MUSIC VIDEO [Full ver.] 】

過激なやり方は反発も招いた。

「何でそんなことをするんだ!」

「こんなバンドが売れるようじゃ音楽業界は終わりだ」

正式なバンドと認められず、音楽誌から掲載を断られたこともある。

「とにかく、全方位が怒るんですよ。その構図が、まるで宗教と一緒だなと思って。そこに戦争を仕掛けるんだから、音楽宗教戦争だと。当時、よく言ってましたね」

「音楽がなきゃ…」風潮に疑問

音楽宗教論は単なる天邪鬼ではなく、「音楽とは何か」を徹底的に突き詰め、考え抜いた末にたどり着いたものだった。

レンタルビデオ店時代に交際した女性が聴覚に障害を持っていたことも、鬼龍院の音楽観に少なからぬ影響を与えた。

「『音楽がなきゃ生きていけない』というような文化が大嫌いだったんですよ。じゃあ、(耳の聞こえない)聾の方はどうするんだって。なんか、その言葉に気持ち悪さを感じて」

『女々しくて』お蔵入りの危機

批判や逆境もはねのけ、2009年に発表した『女々しくて』はロングセラーに。

2012~2015年にかけて、NHK紅白歌合戦にも出場した。同一楽曲での4年連続出場は、夏川りみ『涙そうそう』に並ぶ最多タイ記録だ。2013年度の著作権使用料の分配額が多かった楽曲として、翌年のJASRAC賞も受賞している。

そんな大ヒット曲が、一度はお蔵入りになりかけていたことはあまり知られていない。

「メンバーからダセー、ダセーと言われて。確かにヴィジュアル系の曲としてはダサイんですけど」

あわや封印の危機。しかし、ライブで演奏したところ、客席が爆発的な盛り上がりをみせ、なんとか発売にこぎつけたという。

曲を聴かずにMV撮影

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ゴールデンボンバー/ガガガガガガガ Full size

この一件を機に、音楽面は鬼龍院に任せるというバンド内での役割分担が明確になった。

「もちろん、責めはしないですし、ほら見ろ!とも言わないですが(笑) それまではメンバーが『やりたくない』って言ったらちゃんとお蔵入りにしてたんですよ。最近では『やりたくない』すら言われなくなりました」

「2月に出した『ガガガガガガガ』なんて、MVの撮影時点でもメンバーは曲を聴いてなかったですからね。まあ演奏シーンがないので、聴く必要もないんですけど」

CDの栄枯盛衰

国内のCDの生産金額は1998年の5878億円をピークに減少の一途をたどり、2018年は1541億円まで落ち込んだ(日本レコード協会調べ)。平成の音楽シーンはCDの栄枯盛衰とともにあったと言える。

2010年代に入ると、CD不況を背景に、握手券など様々な特典をつけ、1人に複数枚のCD購入を促す手法が拡大していく。こうした特典商法は、音楽チャートを歪める行為として批判を浴びた。

そんな時代にあって、金爆は音楽業界のタブーに踏み込む果敢な問題提起を続けてきた。

複数売り「誰が喜ぶの?」

金爆もかつては複数バージョンのCDを売り出していたが、『ローラの傷だらけ』(2014年)は一切の特典を廃し、真っ白なジャケットで発売した。

『死 ん だ 妻 に 似 て い る』(2015年)では、CDが「主」で特典が「従」という関係性を逆転させ、メンバー4人の体臭がついた「ボディースメルフレグランス」をメインの商品に。CDチャートに載らない「雑貨」として販売する奇策を講じた。

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「ゴールデンボンバー/死 ん だ 妻 に 似 て い る Full size(音声モノラル64kbps)」【GOLDEN BOMBER】

「もともと複数売りが疑問だったんです。バンドマンはたくさん買わせて申し訳ないという気持ちになるし、ファンの方も出費がかさむ。いったい、誰が喜んでるんだろうって」

「そもそも、CDを買うとバンドのためになるという前提が間違いなんですよ。CDは利益率が悪いし、グッズを買ってもらった方がバンドの応援になる。そういう認識のスレ違いが本当に意味ないなと思っていて」

CD購入を楽しいものに

『#CDが売れないこんな世の中じゃ』(2017年)では、「ミュージックステーション」出演時に楽曲を無料ダウンロードできるQRコードを公開、視聴者の度肝を抜いた。

「CDが売れている時代に青春時代を過ごしてきたので、同じCDをたくさん買わせることに悲しみを感じていたんでしょうね。そういうやり方をぶっ壊したかった」

「結局、『CDを売る/買う』ってことに対して、僕もお客さんも事務所も、なあなあになってたんじゃないか。改めて全員に考えさせるには、ああするしかなかったと思うんです」

CDの売り上げは下がったが、後悔はない。

「CDを買う行為を、もう一度楽しいものにしたかった。そのためには、雑な売り方をしちゃいけない。いろいろやってみて、僕自身にとっても、お客さんにとっても『CDを売る/買う』ことの重みが変わったと思います」

90年代フォーエバー

「歌は世につれ世は歌につれ」というが、リスナーの趣味嗜好は細分化され、老若男女が口ずさめるようなヒット曲は生まれづらくなってきた。

新しい時代に、鬼龍院が目指す音楽像とは。

「僕は1990年代 J-POPの再生を目指しているので、新しい元号になろうが、2020年代になろうが、90年代の音楽が一番であるっていうことを証明する活動をしていきます」

「音数が多くて、サビのメロディーがわかやりすい。ああいう音楽が、きっとまた流行ると思うんです」

平成CD文化のレクイエムを当てぶりでかき鳴らしたエアーバンドが、平成の序盤を彩った90年代 J-POPの再興を誓う。

矛盾でもなんでもなく、鬼龍院の思いは首尾一貫している。

「90年代に思春期を過ごし、あの時代の文化を愛しているからこそ、CDを含めて雑に扱われるのが嫌なんです」

〈編集後記〉
《いつか僕も「音楽が好き」と素直に言えるかもしれない》

2012年に出した自叙伝『ゴールデンボンバーのボーカルだけどなんか質問ある?』の最後には、こう綴られていた。

いまの鬼龍院からは「音楽宗教戦争」を掲げていたころの、ギラギラした野心は感じない。

「当時は音楽シーンも世間も、あからさまな敵でした。いまはさほど、憎しみがなくなってきた。お前ら、目に物見せてやる!っていう気持ちはなくなりましたね」

発声時頸部ジストニアの発症(2012年)や声帯ポリープの手術(2016年)など、商売道具の「声」を失うかもしれないピンチを乗り越えたことで、音楽との向き合い方も変わった。

「あのまま何の問題もなく歌えていたら、きっと調子に乗っていた。病気があって、すごく大変なリハビリをしたお陰で、ライブの1秒1秒を楽しい、ありがたいと思えるようになりました」

平成が生んだトリックスターは、軽やかに、しなやかに、私たちの期待を裏切り、驚かせ続けてくれることだろう。

〈鬼龍院翔〉 歌手
1984年6月20日、東京・浅草生まれ。東京都立向丘高校を卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入学。お笑いの道を断念し、2004年に「ゴールデンボンバー」結成。新元号ソング「令和」を4月1日に発表。全国ツアー「地方民について本気出して考えてみた~4年以上行ってない県ツアー~」を開催中。


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※この記事は、Yahoo! JAPAN限定先行配信記事を再編集したものです。