不朽の名作『あしたのジョー』が連載開始から50周年を迎えた。巨匠ちばてつやが明かした、漫画家としての原点と伝説のラストシーンの裏側。海賊版サイトや表現規制の問題など、漫画界の「あした」についても語った。
名作が生まれた屋根裏部屋
ちばの自宅の屋根裏には、「ネーム室」と呼ばれる5畳ほどの部屋がある。漫画の設計図であるネーム(絵コンテ)を考えるための作業場だ。
資料や画材がところ狭しと置かれ、机の上には描きかけの原稿。洗面所や仮眠スペースも完備されている。
お気に入りの本やDVD、落語のテープに囲まれた「お城」だが、締め切りに追われている時は「座敷牢」へと変貌する。
『ジョー』『おれは鉄兵』『のたり松太郎』...。数々の名作がここから生まれた。
「狭いし、日当たりも良くない。でも、こういう場所の方が落ち着けて、悶々と創作するのに適しているんです」
天井が低く、こじんまりとした仕事場の雰囲気は、幼いころに過ごした満州の屋根裏部屋での思い出と重なるという。
原点は満州での体験
ちばの父は戦前、奉天(現在の瀋陽)の印刷会社に勤務しており、一家6人が社宅で暮らしていた。
しかし、終戦と同時に、日本人と中国人の立場は逆転する。反日感情が爆発し、暴徒と化した中国人が次々に日本人を襲撃。命がけの逃避行が始まった。
過酷な引き揚げのさなかに一家をかくまってくれたのが、父親の友人の中国人、徐集川さんだった。一家は徐さん宅の屋根裏部屋で息を潜め、半年近く暮らすことになる。
6歳のちばは、外に出られず退屈する3人の弟たちのために絵物語をつくり、読み聞かせた。
「親父の印刷会社でいらなくなった『ヤレ紙』に絵を描いて、弟たちにお話をしてあげたんです。絵本や紙芝居みたいなもの。いま思えば、あれが漫画家としての原点だったのかな」
電気アンマ事件
高校時代に貸本漫画を描き始めたちばは、卒業後、少女漫画家として雑誌デビューを飾る。そのころ訪れた最大のピンチが「電気アンマ事件」だ。
『ママのバイオリン』(1958年)の最終回の締め切りが迫り、講談社の別館でカンヅメになっていると、様子を見に来た編集者が、なかなか筆の進まないちばに説教を始めた。
うなだれたちばが顔をあげると、弟のちばあきおがウィンクしている。「合図」を察知し、編集者の股間に「電気アンマ」を仕掛けた。
「あきおが羽交い締めにして、私が両足を抱えこんでね。いまの子どもたちはこんな下品な遊びしないでしょうけど(笑)。仕事で何日も閉じこもってたから、ストレスが溜まっていたのかもしれません」
奇襲攻撃を受けた編集者は、思わずちばを蹴り飛ばしてしまう。ちばは反動で頭から窓ガラスに突っ込み、利き手の右手首の腱が切れる大けがを負った。
「ほら、ここに傷跡がありますよ。病院で『漫画家です』と言ったら、お医者さんに『かわいそうに。もう右手は使えないかもしれない』と言われましたね」
トキワ荘の面々が助太刀
あわや漫画家生命を絶たれかねない大惨事。しかも原稿は下書きまでしか終わっていない。
編集者は若手漫画家たちの梁山泊となっていたトキワ荘に原稿を持ち込み、ペン入れを依頼した。
「石ノ森章太郎さんや赤塚不二夫さんたちが全部、仕上げてくれた。自分たちの仕事が終わって、やっと寝られるという時に私の原稿が持ち込まれて、大変だったでしょう。本当に助かりました」
実家住まいで夜中にひとり黙々と漫画を描いていたちばは、新人たちが切磋琢磨し合うトキワ荘の環境に憧れを感じることもあった。
「同じ夢を持つ新人同士が集まって『この映画は参考になるね』『あの漫画は面白いね』と語り合う。ああ、うらやましいなあという思いはありましたね。この一件をきっかけに、私も仲間に入れてもらったのですが」
「生かすか、殺すか」で通報騒ぎ
『あしたのジョー』の連載が始まったのは、週刊少年マガジンの1968年1月1日号。『ジョー』と『巨人の星』の2大連載を擁するマガジンは売れに売れ、子どもばかりでなく学生や大人も貪り読んだ。
「右手に(朝日)ジャーナル、左手にマガジン」と言われ、1970年によど号ハイジャック事件を起こした赤軍派は「われわれは、"明日のジョー"である(原文ママ)」という声明を残した。
数ある名シーンのなかでも、当時特に話題を呼んだのが、主人公・矢吹丈の宿命のライバル、力石徹が試合後に息絶える場面だ。
「人気キャラクターの力石が死ぬのは困る」。テレビアニメ化が決まった矢先で、局側からはそう告げられた。
「だけど、力石はものすごく大変な減量をしているし、リング上でも熾烈な闘いをしていた。これはちょっと死ぬんじゃないかと思いながら描いてたわけです」
「力石を生かすか、殺すか」。六本木のバーで原作者の梶原一騎(高森朝雄)と話し合っていると、勘違いした店員に通報されてしまったという。
「声を潜めて話していたんだけど、余計に怪しまれたのか、パトカーを呼ばれちゃって。梶原さんはサングラスに白いマフラーで、知らない人が見たらちょっと怖い感じだったから(笑)」
力石の葬儀に衝撃
力石の死後には、実際に葬儀が執り行われた。寺山修司の指揮のもと、講談社の講堂で開かれた式には800人以上の弔問客が訪れ、ちばと梶原も参列した。
『ジョー』はもはや、社会現象だった。
「平日だというのに子どもだけじゃなく大人たちもたくさんいて。学校や会社を抜け出してきたんでしょう。喪服の人もいれば、お花や香典を持って涙ぐんでいる人もいました」
「これだけ夢中になって読んで、自分の身内のように真剣に悼んでくれている。帰り道、梶原さんと『もう漫画じゃないね。うっかりしたものは描けないね』と話した覚えがあります」
力石を殺してしまった後遺症で、ジョーは対戦相手のテンプル(こめかみ)を打つ度に嘔吐するようになる。
もがき苦しむジョーに思いを重ねるうち、ちばさん自身も体調を崩し、十二指腸潰瘍で入院。約3ヶ月の休載を余儀なくされた。
伝説のラストシーン
物語の終盤、ジョーはパンチ・ドランカーの症状にむしばまれながらも、チャンピオンのホセ・メンドーサに挑む。
《燃えたよ‥‥真っ白に‥‥燃え尽きた‥‥真っ白な灰に‥‥‥‥》
15ラウンドに及ぶ壮絶な死闘を終え、つぶやくジョー。コーナーでぐったりとたたずむ姿は、絶命しているようにも、まだ息があるようにも見える。
ちばによれば、梶原が用意した結末は、試合の数日後、ジョーがヒロインの白木葉子邸で日向ぼっこをしている――というものだった。
「いいラストだと思ったのですが、力石の葬式に来てくれたファンの人たちや、その後に登場したカーロス・リベラとかのキャラクターのことを考えた時に、どうしてもちょっと違うなと」
「ラストを変えさせてください、と梶原さんに電話したら、『いままで好き放題変えてきたクセに、今更なんだ。任せる!』ってガチャっと切られちゃいました(笑)」
ジョーに思い重ね
任されたはいいものの、なかなかいいラストが浮かばない。
悩み抜いた末、編集者の助言で思い起こしたのが、カーロス戦の後にジョーがもう一人のヒロイン、林紀子とデートする場面だった。
《矢吹くんは‥‥寂しくないの? 同じ年頃の青年が海に山に恋人と連れ立って青春を謳歌しているというのに》
紀子の問い掛けに、ジョーはこう答える。
《ほんの瞬間にせよ まぶしいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そして後は真っ白な灰だけが残る‥‥燃えカスなんか残りやしない‥‥真っ白な灰だけだ》
「『あしたのジョーの核がここにある』と編集者さんに言われてね。そこを読み返した時にラストシーンがふっと浮かんだんです。あれだけ苦しんだラストシーンはありませんでした」
「当時、私は30代で、このままオッサンになっていくのかな、という焦りがありました。下手をすると死んでもおかしくないような、仕事ばかりの生活で。だから紀子の問い掛けは、私自身の自問自答でもあったんです」
ジョーの生死は...
ラストシーンのジョーは生きているのか、死んでいるのか。いまだに論争が絶えない、永遠の謎だ。
梶原は自伝『劇画一代』(小学館)で、「リングに死すの結末となり」と明言している。一方で『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』(講談社)には、ちばのこんな言葉が紹介されている。
《少し下を向いて満足そうに微笑んでいるジョーを見て、大人はジョーが燃え尽きて死んでしまったんだと理解し、子供たちは、ジョーはただ目をつむって休んでいるだけで、明日はまたサンドバッグを叩いて世界タイトルを目指すんだろうな、と考えられるように描いたんです》
ちばは言う。
「命のエネルギーをすべて、最後の一滴まで出し切って、ただ抜け殻が座っている。何にも残っていない、真っ白い灰になったジョーというイメージ。描いた時は生死のことまで考えていませんでした」
「私自身も、疲れて参っている時に見ると、ああ死んじゃったのかなと思う。だけど、ちょっと元気な時に見ると、いやジョーは微笑んでいるし、生きているのかな、という気がしてくるんですよ」
海賊版サイトに危機感
ちばは2012年、日本漫画家協会の理事長に就任した。
海賊版サイトの利用の広がりを受け、協会は2月、「全く創作の努力に加わっていない海賊版サイトなどが、利益をむさぼっている」などとする声明を発表した。
「本が売れなくなれば、作者は自信をなくし、出版社も体力を奪われます。いい芽を持って、いい根っこを張って、いい花をつけるはずだった新人たちが枯れてしまう」
「海賊版サイトの読者の人たちには、タダで読むことが作家の可能性や作品の命を奪い、色んなものを殺してしまうことに気づいてほしい」
海賊版サイトよりも使い勝手のいい公式サービスがあれば、わざわざ海賊版で閲覧する人は減るかもしれない。
「読みやすく、使いやすいものができるように、出版社も我々も頑張らないと。いいところはうまく勉強したほうがいいと思います」
自由に描けるからこそ
自民党は青少年健全育成基本法案の今国会への提出を目指しており、漫画やアニメなどに対する表現規制の強化を危ぶむ声もあがっている。
ちばは1993年に発表した漫画『-と、ぼくは思います!!』のなかで、『ジョー』の流血シーンや『蛍三七子』のキスシーンが規制される悪夢を描き、こう喝破した。
《セックスとか暴力とかだけの内容のない作品は はじめは興味をもたれても いずれはあきられて自然淘汰されていく》
《絶対に絶対に法律などで規制すべきものではないっ‥‥-と、ぼくは思います!!》
漫画やオタクへの偏見は薄れてきたとはいえ、いまだに凶悪犯罪の容疑者が逮捕されると、自宅から発見された漫画やアニメを槍玉にあげるような報道が相次ぐのが実情だ。
「私はよく富士山に例えるんです。富士山は綺麗だけど、美しいだけじゃない。裾野の青木ヶ原にはゲジゲジや蛇もいれば、骸骨だって転がっている。でも、それも富士山の一部なの。そこを削ってしまうと、富士山自体が崩れちゃうんですよ」
「黒い部分があるから、白い部分が輝いて見える。汚い部分は全部取ってしまえ、という発想はとても怖いです。自由に描けるからこそ、日本の漫画は世界のコミックと違う魅力があるんだと思います」
ちばてつやと50年目の矢吹丈
〈ちばてつや〉 漫画家、日本漫画家協会理事長。1939年、東京生まれ。2歳で旧満州に渡り、終戦後に日本へ引き揚げ。代表作に『ハリスの旋風』『紫電改のタカ』『あしたのジョー』『あした天気になあれ』など。2001年に文部科学大臣賞、2002年に紫綬褒章。
連載開始50周年を記念した「あしたのジョー展」が4月28日~5月6日、東京ソラマチ5F スペース634で開催される。『ジョー』を原案とする新作テレビアニメ「メガロボクス」も、4月からTBS、BS-TBSほかで放送が始まる予定だ。
※この記事は、Yahoo! JAPAN限定先行配信記事を再編集したものです。