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同意なく行われた手術。偶然知った、自分の身体に隠された「嘘」

「誰か一人でも本当のことを教えてくれていれば、私の人生は100パーセント違っていた」

朝4時。イレーヌ・クツェンコは寝つけなかった。まったく眠くならない。気を紛らわそうとYouTubeを開くと、ある動画が現れた。前にも目にしたが、その時は特に見ようとは思わなかった。だが今回は何かに促され、見てみることにした。

「これが私の人生を大きく変えることになるとは思いもしませんでした」。クツェンコはモスクワにある自宅の寝室でそう振り返る。2015年のあの日、動画を見たのもこの部屋だった。

動画は「What It’s Like To Be Intersex」(インターセックスってどういうこと?)というタイトルで、BuzzFeedが制作したものだ。インターセックスとは新しいジェンダーアイデンティティなのだろう、とイレーヌは思った。インターセックスとは、生物学的に通常の男性や女性の範疇に収まらない身体の状態をいう。イレーヌはそんなことは知らなかったし、まさか自分に関係があるとも思わなかった。こうしたすべてを知ったとき、イレーヌはそれまで何年も自分を苦しめてきた、隠された事実を知ることになるのだった。

イレーヌはずっとうそをつかれてきた。知らないうちに手術で臓器を摘出されていた。一番身近な、一番信頼していた人が、イレーヌに真実を隠していたのだ。

それまで、自分は普通じゃない、「女の子になりきれないモンスター」なんだ、と思ってきた。だが、この動画を見てから真実が明らかになっていく。

動画をきっかけに、イレーヌはさながら隠された自身の秘密を解く探偵になった。答えを求め、証拠を見つけ、真実を隠した人物を追及した。結果的に親との断絶ももたらしたが、それによって本当の自分を知ることができた。

そして、まったく新しいコミュニティを知ることにもなった。

「インターセックス」という呼称には、実に多様な身体的特徴が含まれる。インターセックスとは、生殖器官、性器、染色体、性ホルモンなどが一般的な男性や女性のつくりから逸脱している状態を指す。例えば、外見からは完全に男性に見える人でも、子宮があったり、染色体がXX(女性)だったりする場合がある。

イレーヌにとって、こうした事実を知ったのは始まりにすぎない。自分を理解してくれる人などいないと思っていたが、そうではないことも知った。実は世界中に――イギリス、アメリカ、ロシア、アジア、南米に、子ども時代に事実を隠されたまま、同意もなく、医学的な必要性もないにもかかわらず、「矯正」させられていた人が大勢いたのだ。この種の外科的手術は何度か繰り返し行う場合もあり、生涯にわたる傷を残すこともある。乳児期に処置を施した結果、のちにもう一方の性へ転換しなければならないケースもある。

手術を受けていた人の中には、子どものころに親や医師が事実を伏せ、「がんが見つかったから手術が必要」などとうその説明をされていた例が無数にあった。真実を知らされないまま手術を受け、20年、30年後に大人になってからたまたま知った人もいた。生涯、事実を知らないままの人もいる。

どのタイプまでを含めるかによって違ってくるが、インターセックスのスペクトラム上にある人は1~2パーセントにあたると推定される。医師による処置が行われた件数については、明確な統計は乏しい。BuzzFeed Newsがイギリスの国民保健サービス(NHS)に取材したところ、この種の手術を受けた乳幼児の数については把握していないと回答があった。

この3年間、イレーヌは失われた時間を取り戻そうとしてきた。そして、自分と同じような人の力になろうとしている。イレーヌが歩んだ道のりを語ることは、彼女自身が耐えてきた残酷な体験を伝えるだけでなく、これまで世界でも取り上げられてこなかった人権侵害を白日の下にさらすことにもなった。すなわち、インターセックスの幼子を「ノーマルにする」という理由のもと、手術が行われてきた現実だ。

ロシアで声を上げれば、危険をともなう可能性もある。だがイレーヌの意志は揺らがない。選択の余地はない、とイレーヌは言う。「うそ、沈黙、そしてこうした手術は、阻止しなければならない」からだ。

イレーヌと接して、何より驚くのはその声だ。わずかにロシア語の影響が聞き取れるほぼ完璧な英語だから、ではない。声のトーンと、話の内容の落差に驚かされるのだ。どうやって生きていけばいいのだろうと途方にくれた、暗く苦しい過去を語るときでさえ、その話しぶりは誰が見ても快活だ。笑顔を絶やさず、身振り手振りをよく使う。熱っぽいエネルギーがたえずほとばしり出ている感じ。その理由が浮き彫りになるまでには、しばらくかかった。

生まれたとき、疑問の余地はなかった。イレーヌはまぎれもなく女の子だった。思春期がくるまで特に変わったところはなく、ごく普通の生活を送っていた。「標準的な中流家庭」だった一家は、モスクワとウクライナ西部の町リヴィウを行き来していた。

イレーヌの身体は、周りの少女たちと変わらないように見えた。頭がよく、「おてんば」風の服を着るのが好きだった。本や映画では、だいたい少年や男性の登場人物に共感を覚えた。そして12歳になるころ、同級生の女の子たちは胸が発達し、生理を迎えた。だがイレーヌには何も起きなかった。

「大丈夫よ」母親と祖母はそう言った。「そのうちくるから」。ふたりはのんきに構えていたが、根拠はなかった。

「どうしよう、と不安に襲われました。胸が全然出てこなくて。気にしていました」。13歳がすぎ14歳になっても身体に変化は起きず、生理もこないままだった。やがて口の上に毛が生えてきたのに気づき、助けを求めた。ウクライナにいる祖母に、近くの専門医に診てもらいたいと頼んだ。

婦人科を訪れると、超音波検査をして身体の内部を調べてみましょうと勧められた。結果は、一応希望の余地があった。イレーヌの身体には卵巣にあたるものが見あたらず、その機能を果たしていないように見えるものの、何かの刺激で機能し始める可能性はある、という。何が問題なのか、医師はイレーヌに説明せず、はっきりした診断も下さなかった。

だがこんな施術を受けた。「台の上で横になって、お腹に電極を取り付けます。だんだん温かくなってきたら、重さのあるクッションみたいなものを上にのせます。その状態で40分横になっているんです。そういうセッションに何ケ月か通いました」。効果はなかった。

今、振り返ると、このときのウクライナの医師はインターセックスという存在自体を知らなかったのだろうとイレーヌは思う。イレーヌの身体がどんな状態なのか、おそらく考えも及ばなかったのだろう。「インターセックス」や、それに類する概念(以前は「hermaphrodite:半陰陽」という用語が一般的に使われていた)に医師が触れた記憶はない。

15歳になっても女性らしい変化は表れず、施術を受けても何も変わらない。イレーヌはモスクワで専門医に診てもらうことになった。父親に連れられ、何人かの医師を訪ねた。

「あらゆる検査を受けました。結果を説明してもらったことは一度もありません」。何度か病院を訪れたが、イレーヌはいつも部屋の外で待たされた。同行するのはいつも父親だった。父だけが車を運転できたからだ。「医師から部屋へ呼ばれるのは父だけでした」。イレーヌは同席できなかった。「自分のカルテや検査結果は一度も見ていません。きちんと診断をしてもらったこともありません」

それでも、当時のイレーヌは気にならなかった。その必要を感じなかったからだと振り返る。自分を気にかけ、尽くしてくれる大人を信頼していたからだ。親や医師が何か隠しているなど考えもしなかった。

ロシアでは、15歳未満の子が医療行為を受けるにあたって本人の承諾は不要だ。15歳以上であれば、すべての医療行為について医師が本人の同意を得るよう定めている。

イレーヌは病院でのあるやりとりを覚えている。その日、父親は医師に呼ばれ、長い間話し合っていた。イレーヌはいつものように部屋の外で待っていた。出てきた父親は、手術をしなくてはいけない、と切り出した。説明は「卵巣に問題があって、がんかもしれない」というものだった。

手術のほか、ホルモン投与もすると医師から説明があった、と父親は言った。イレーヌは希望を感じた。そうすれば15歳にしてようやく、他の子たちと同じように女らしくなれるかもしれない。

「不安はありませんでした」。イレーヌは当時の心境をこう表現する。「何でもいいから早くホルモン投与してよ。そうすればやっと胸が大きくなれるんでしょ」

ただ、自分の身体のどこが問題なのか、どんな治療をしようとしているのかは理解していなかった。はっきりした説明はされないまま、たぶん多嚢胞性卵巣症候群みたいなものなのだろう、と考えた。ホルモン異常や妊娠しにくさにつながる、よくある疾患だ。友達から何の手術を受けるのかと聞かれたが、「自分でもよくわかっていなかったのでちゃんと説明できなくて、卵巣に嚢胞があるんだって、とごまかしました」

卵巣の手術では、機能していないところを少し摘出するのだろう、くらいに思っていた。

胸がまったくないことは、常に気に病んでいた。「周りはみんな胸が出てきているのに、自分だけがないのは……。胸は大人のしるし、“本物の女”であるしるし、と思っていたんです。ばかみたいだけど、当時はそう思っていました」。学校の体育の授業にはほとんど出なかった。思春期の少女たちにとって、互いの視線が気になる究極の試練ともいえる場――更衣室での着替えを避けたかったからだ。

でも、やっと病院で治してもらえる。何週間か学校を休んでモスクワまで行かなくてはいけないけれど、そうするだけの意味はある。

10代だったイレーヌにとって、手術前にはちょっと残念なことがあったが、それも受け入れた。手術室へ向かうと告げられたのが直前だったせいで、友情のしるしに友達と揃いでつけていた、自分で編んだたくさんのミサンガをほどく時間がなかったのだ。病院のスタッフにはさみで切られてしまった。

すぐに手術室へ連れていかれた。着くとベッドに寝かされ、手足を固定された。「麻酔でぼうっとしていて、身体は動かせないし、裸だし。すごく妙な感じでした」

手術の現場では、こうしなくてはいけない理由が何かあるのだろう。イレーヌはそう考えた。例えば傷を触ってしまったり、自傷行為をしないようにするためとか――。とはいえ、説明してもらえないので本当のところはわからなかった。術後は回復のために1週間入院し、その後ウクライナへ戻って学校へ復帰できるようになるまで、さらに2、3週間モスクワに滞在した。

手術後、すぐに気づいた変化が、性的な気持ちがなくなっていたことだ。「それについて深く考えたわけではなくて、ただ、そうなんだな、と受け止めていました」

いずれにしても、イレーヌの場合、卵巣が機能していなくてホルモンに異常が生じ、テストステロン(男性ホルモン)レベルが高く、エストロゲン(女性ホルモン)がない状態だった。手術を終え、ホルモン療法の薬を処方されたのだから、もう心配はいらないはずだった。

イレーヌはそう思っていた。「すごく楽しみでした。ついに私にも胸ができるんだ、これでやっと全部うまくいくんだ、って」

しかしイレーヌの期待ははなかなか現実にならなかった。胸には何の変化も起きない。やがて1年が過ぎ、自分には何か重大な、他の人にはない重大な異常があるのではないかと思い始めた。きっとそうに違いない。手術もして、薬ものんだ。何か効果があるはずなのに、何も起きない。17歳のときに生理がやってきて、いくらか希望がみえたものの、胸に変化はない。

不安が広がり、自分自身を見る目も変わっていった。自分の身体と、自分を取り巻く世界との関係が崩れていった。人と接したり人前に出たりするのが怖くなった。「自分はおぞましくて汚れた、恥ずべき人間だ、と心の奥底で思っていました。自分が何かの化け物のような気がしていました」

ホラー映画を見ては、人間の主人公ではなく不気味な化け物に感情移入した。

「深いうつの状態に沈んでいって、恥と自己嫌悪の意識がどんどんふくらんでいきました」とイレーヌは振り返る。こうしたストレスと困惑は、現実感の喪失というもうひとつの心理的反応を引き起こした。これは解離と呼ばれる症状の一種で、トラウマに対処するための心のメカニズムの一形態だ。心が切り離された状態になり、自分自身や自分の生活、存在、さらにはまわりの人の存在など、すべてが現実のことに感じられなくなる。自分の身に起きていることなのに映画を見ているように感じたり、別の誰かが体験しているできごとに思えたりする。

「起きていることを脳が理解できなくなっていました。生き続けるために、自分の人生がすべて現実なんだと受け止めるのを脳が放棄したんです」

当時は知るよしもかったが、イレーヌの内面にあった潜在意識はいろいろな点で正しかったことになる。周囲が築いた彼女を取り巻く「現実」は、虚構だったからだ。大学へ進んだが、自分からも周りからも疎外されている感覚がすべてに悪影響を及ぼし、常にイレーヌを苦しめ、悩ませた。

「とにかく自己嫌悪が積み重なって、自分を表すあらゆることを恥だと思っていました。発言も、することも、考えることも。すべてが恥なんです」。当時、自分を嫌う気持ちから離れようと、こんな方法を試みた。「ニュートラルな、害のないフレーズを頭の中でひたすら繰り返すんです。こんにちは、元気?とか。自分の心の声を聞かなくてすむように」

友人も家族も力になろうと手を差し伸べた。日々生きていくのが耐えがたいと話すと、両親も親友も支えてくれたが、誰にも真に理解してはもらえなかった。いじめにあわなかったのだけは恵まれていた、とイレーヌは言う。「そうなっていたら、もう生きてはいけなかったと思います」。それでも、自分と周囲の大人の女性との間には明らかな違いがあった。

そして2015年の夏。イレーヌは22歳になり、大学を卒業した。眠れない夜を過ごしていたあるとき、時間をやり過ごすためYouTubeを開いた。そしてインターセックスを取り上げたあの動画が現れた。

「ふーん、まあ見てみるか。そんな感じでした」。動画には何人かの当事者が登場する。その中の一人に、エミリーというインターセックスの女性がいた。「彼女は精巣があるのだと言っていました。ものすごく衝撃を受けました」

動画ではこんな説明がされていた。外見上、どちらかの性に見える人でも、そうではない性別の染色体を有する場合があるのだという。つまり女性でも、通常のXX染色体ではなく、XY染色体を持つ人がいる、ということになる。

イレーヌははっとした。不安、疑念、欠落のすべてがにわかにぶつかり合い、一つの方向を示した。

動画が終わるとすぐ、イレーヌはベッドを出た。「母もまだ起きていたので、走っていって今見たことを話しました。『ねえ、信じられないんだけど。こういう人たちを指す呼び方もあるんだって。私も何か人と違うところがあるんじゃない?調べて突き止めようよ』」

そのあとすぐ、定期的に受けている診察の予定が入っていた。イレーヌは先に電話で医師に疑問をぶつけることにした。「私が受けたのはどんな手術だったんですか?私の身体には何があったんでしょう?染色体の組み合わせは?精巣はあった?」

医師がその場でカルテを見ずに答えた内容もあった。イレーヌは電話をスピーカーにし、となりに立っている母親と一緒に聞いた。

「私の身体に何が備わっていたのかはっきりはわからない、でもやったのは性腺摘出手術だ、と言われました」

15歳のとき、これから受けるのは卵巣の一部を摘出する手術だと説明された。しかし実際には、性腺を完全に切除する手術だった。性腺とは通常、女性なら卵巣、男性なら精巣の形をとる。

ただし、イレーヌには卵巣はなかった。医師の話を聞いたイレーヌは、過去の記録をすべて見せてほしいと頼んだ。そして知ったのは衝撃的な事実だった。

イレーヌの身体には、右側に精巣があった。左側は「線状性腺といって、精巣にも卵巣にも分化していない状態でした。でもそこには卵巣組織が少しだけあったんです。つまり、精巣と卵巣、両方の細胞組織を持っていたわけです」

カルテからはさらに別の事実も判明した。手術では卵管も切除されていた。通常は左右に計2本あるが、1本しか残されていない。「子宮だけは残してありました」。したがって、卵子の提供を受け、体外受精をすれば子どもを産むことは可能になる。

未知の事実はまだあった。染色体が男性の持つXYだったのだ。

「染色体の検査を受けたのは覚えていました。ウクライナにいた10代のときです。結果は教えてもらっていません。でも特に何か質問しようと思ったこともないんです。誰かが何か隠してるかもしれないなんて思いもしなかったので」

長年ずっと封印されてきた真実をすべて知らされ、イレーヌは打ちのめされそうになった。「すごくショックを受けました。こんなこと、今まで知らずにきたなんてありえない、何で誰も私に話そうとしてくれなかったわけ?って」

自分がインターセックスであるという事実そのものには、それほど不安はなかった。「そのこと自体を悩んだりはしませんでした。やった、そうか、こうして説明がつくんだ!という感じで。事実を知って、自分だけじゃないんだと知ることができて、目の前が晴れた気持ちでした」

それでも、真実を知ったことによって、すぐには抱えきれない複雑で多岐にわたる影響が生じた。ついに診断内容を知り、自分の身に何が起きたのかを把握できた安堵は、ほどなく戦慄に変わった。なぜこんなことが許されたのか。そして、知っていたのは誰なのか。

「父親に、なんで私に隠してたのかと聞きました。父ははじめ、『なんだ、おまえは全部知ってると思っていたよ』と言ってきました。でも私は知らなかったし、母も知りませんでした。母は事実を知って大きなショックを受けていました」。このとき、両親は既に離婚していた。「最初、母はこの件について私と話をすることもできませんでした。あまりに衝撃でおぞましかったんでしょう」

父親に初めて切り出してから数ケ月後、どうして話してくれなかったのかともう一度聞いてみた。すると前回とは違う答えが返ってきた。わかっていてすべて秘密にした、と認めたのだ。「それを聞いて、父にこう返しました。『私の人生をめちゃくちゃにしたの、わかってる?』」

父親は娘に謝りたくないようだった。児童心理学の専門家二人から本人には知らせない方がいいと言われた、という。イレーヌものちに知ったが、ロシアでも他の国でも、この方針は広く勧められてきた。

父親はさらにこう言った。診療の記録は捨てておけばよかった。そうすればイレーヌが事実を知ることもなく、俺を非難することもなかったのに。

だが娘は真実を知ったのだ。イレーヌは父を追及し、なぜそうしたのか答えを知りたいと迫った。「そのうち、連絡しても応えてくれなくなりました。それで、父とは縁を切ったんです」

そう告げる声は超然として、迷いはうかがえない。心の痛みが再び表に出てくるのを断ち切るかのようだ。「それ以来、父とは話していませんし、向こうから連絡もありません。会いたいとは思いません。後悔は一切ないです」

父親は、イレーヌが10代以降、どれだけ悩み苦しんできたかを知っていた。そして真実を知ればイレーヌが楽になれたかもしれないのに、隠し続けてきた。それは許せない裏切りだった。父親がとった行動はインターセックスのケースでは一般的だと知ったが、だからといってイレーヌの受けた傷が軽くなるわけではない。

「父と最後に会話をしてから数日間、この先どうやって生きていけばいいのか、本気で途方にくれていました。誰か一人でも本当のことを教えてくれていれば私の人生は100パーセント違っていた、それを受け止められませんでした」

「何も知らずにずっと苦しみながら生きてきた10代の自分を思うと、ただただ悲しくなりました。実は自分は一人ではなくて、正常で、私のような人にもそういう人のコミュニティにもちゃんと名前がついていることも、15歳のときに知ることができたはずなのに」

知っていたらすべてが違っていたはずだ。そう思うのは、事実を知って以来、イレーヌの人生は花開き、それまでとは見違えるほど変化したからだ。今、イレーヌの人生は二つに分けられる。真実を知る前の自分と、知った後の自分だ。

「自分がインターセックスだと知ったのは、宝箱を見つけたり宝くじに当たったりするみたいなものでした。当初、多少ショックはありました。特に染色体については。でも、基本的にはとにかくすごくうれしくて、自分に対するとらえ方もすぐに前向きに転じていきました」

友人たちに打ち明けると、支えになってくれた。インターセックスであるとは医学的、社会的にどういうことなのか、ロシア語、英語ではどんな情報がオンラインで手に入るのか、精力的に調べた。さらに、同じインターセックスの仲間を探した。

「ロシア語ではほとんど情報がありませんでしたね。人権関係で活動している人が2、3人いたのと、インタビュー記事が何本か、小さいフォーラムが1件、それだけです。これは変えなきゃいけない、と思いました」。そこでインターセックスの関連記事や動画、ニュース類を集め、ロシアで人気のソーシャルメディアVKにページを立ち上げた。

ソーシャルメディアを通じ、少しずつインターセックスの人とつながるようになり、数ケ月後には初めて自分と同じインターセックスの女性と実際に会った。これが次のターニングポイントになったという。「インターセックスであるとはどういう感じなのか、ほんの少しでもわかる人が他にもいるなんて考えもしませんでしたから」

それ以降、世界各地で開かれているインターセックス関連のイベントや会議に出るようになった。北アイルランドや、最近ではアルゼンチンへも行った。

2016 年には、まさにイレーヌの人生を変えた一人、エミリー・クインと対面した。冒頭の動画に出ていたインターセックスの女性だ。ブダペストで開催されたインターセックスのカンファレンスだった。「彼女を前にして、思わず声を張り上げていました。『オーマイゴッド、BuzzFeedの動画に出てた方ですよね!お会いできるなんてすごくうれしいです!あれは本当に衝撃でした』」

やがてイレーヌはインターセックスのための人権擁護団体、Intersex Russiaを共同で立ち上げた。目的は明確だ。「この先、インターセックスの子どもたちが私のような経験をしなくてすむようにしたいんです。インターセックスの子には事実を知らされる権利があります。取り巻く状況を変えて、救いの手を差し伸べたいのです」

このほか、欧州のインターセックス団体を総括する組織OII Europeの役員と、インターセックスの子どもの権利団体InterACT Youthのメンバーも務める。InterACT YouthにはBuzzFeedの動画に出演したうちの4人も加わっている。

仲間と出会うにつれ、これまでインターセックスがしてきた体験をより深く知ることになった。

「事実を隠されたりうその説明をされる、医学的な処置を無理に施される、人権侵害行為をされる、不必要な手術や医療行為を受けさせられる、といった経験をしてきた人がとても多いんです」

国連の拷問等禁止条約や、世界保健機関(WHO)、その他人権団体等では、インターセックスの子どもに対する不必要な手術を非難し、禁止を呼びかけているが、実態はそれに反していることになる。司法上、こうした行為を人権侵害と認める方向へ調整を進めたり、既に違法と定めたりした国や地域も増えている。マルタ、ウルグアイ、ポルトガル、米カリフォルニア州はその例だ。

東アフリカの一部地域などでは、インターセックスの乳児を産んだ母親が魔女扱いされるケースがある。南アフリカでは、インターセックスの赤ちゃんが捨てられたり殺されたりすることもある。ロシアでも、取り組まなければならない課題は山積みだ。

「ほとんど認識がされていないんです」とイレーヌは言う。「本人の合意もない不必要な手術は重大な人権侵害なのに、医師も政府も認識していなくて、むしろそうした子どもたちを適合させることで救っている、ととらえています」

「こうした手術について、メディアで公然と語る医師も大勢います」とイレーヌは指摘する。「去年、イタリア人医師がロシアへ来て、インターセックスの3歳の女の子に手術デモンストレーションをしたんです。その様子がカンファレンスの大きなスクリーンで上映されたんですよ。会場にいた50人の参加者がじっと見つめて、自分のスマートフォンで撮って。手術の様子を撮っている人たちの写真が私の手元にあります」

それでも、インターセックス当事者が助け合いながら、政治家や医師や社会に向けて現状を発信していこうとする活動はロシア国内外で広がっている。

希望の持てる動きもある。イギリス政府は昨年、インターセックスの人権活動家や専門家から早急に対処すべき問題点を挙げてもらい、実態を把握するためのプロジェクトを立ち上げる意向を示した。法的、社会的、医学的に違反や侵害を犯していながら、黙殺されてきた行為を洗い出すという。

イレーヌにとって、人生は順風満帆ではない。今でも恥の意識や現実感の喪失に襲われたり、過去の自分の影がふと立ち現れたりする日もある。だがそれも徐々に減ってきた。「昔の自己嫌悪がフラッシュバックしたときは、こんなふうに思うようにしています。へえ、前はそんなふうに感じてたんだ。今は違うけどね」

イレーヌはふと沈黙し、急に幼いころの面影をのぞかせた。つかの間、暗がりに隠れていた少女のころに戻ったかのように。そして続けた。「今のように自信が持てる日がくるとは、想像もできませんでした」。そう言って、自分の部屋を見回した。自分が何者かを知ったのはこの場所だった。「これだけたくさんの人と話して、自分の歩んできた人生についてオープンに語るなんて思いもしませんでした。今、すごくついていなくて最悪に落ち込んでいるようなときでも、あのころのどんな日よりもマシです」

それを聞いて、なぜ彼女がこんなふうに快活でいられるのかがわかった。苦しい過去を振り返って話すのは、そうした日々を生きるのに比べれば、何でもないことなのだ。

イレーヌは眉をひそめ、目を細めるようにしている。すべてを大きく変えたのがいかにシンプルなことだったのか、改めてかみしめているみたいに。

「真実を知ること、それがすべてでした」

この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan