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一歩引いても後退はさせない 受動喫煙対策、ちゃんと前に進んでいくように仕掛けた仕組み

2017年に国会提案も見送られた受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案。妥協を重ねて骨抜きにされたように見えましたが、あちこちに前進する仕組みを入れた官僚の狙いは?

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、必ず日本が強化しておかなければならなかった受動喫煙対策。

強硬に反対を続けた自民党案と折り合いがつかず、一度は国会提案を断念した改正健康増進法を、どうやって復活し、成立までこぎつけたのでしょうか?

妥協を重ねて、骨抜きにされたように見える改正法ですが、その中には、着実に受動喫煙対策が進むような仕掛けをあちこち仕込んだと言います。

2018年8月まで厚生労働省健康課長として、法律改正に関わった現・環境省審議官の正林督章(とくあき)さんに伺いました。

ただでは妥協しない 後退しないように考えた様々な縛り

ーー100平方メートルという案は、厚労省側から見るとどうだったのですか?

その数字だけ見たら広い感じがしますが、次の加藤勝信大臣と様々な対策を考えたんです。ある程度議員の先生方の意向を踏まえないと国会で法案を可決頂けない、しかしながら確実に前進できる対策としなければいけない。

喫煙可能とした場合は20歳未満は立ち入り禁止にするとか、例外的に経過措置で喫煙とするのは既存のお店だけという規制を提案しました。新規店舗はルール通りやってもらうという仕組みを導入したわけです。

ーー厚労省が押し返した形というわけですね。

押し返したかどうかはわかりませんが、その仕組みさえあれば、例外措置を設けても、受動喫煙対策はちゃんと前に進んでいくだろうと考えました。

スタート時点では、客室面積100平方メートル以下は喫煙可能とするというと広く感じるかもしれませんが、日本の飲食店はだいたい、2年ごとに2割弱入れ替わっているんです。

2割弱変わっていって、そこが禁煙か喫煙専用室がないとだめとすれば、お店が入れ替わっていくうちに禁煙店が増えます。それならちゃんと前に進んでいくからいいじゃないかと考えました。

ーーそれは正林さんのアイディアですか?

それは加藤大臣だったと思います。

例外は既存店だけ、20歳未満は喫煙エリアに立ち入り禁止

ーー加藤大臣は、塩崎大臣よりも引き気味のように見えていましたね。

いえ、たばこから国民の健康を守らなければという思いは同じぐらい強かったです。だけど、このまま法律ができなかったら最悪だとも思っていました。それは、事務方もみんな同じ認識で、「最初で最後のチャンスだな」という決意がありました。

2020年までのオリンピックまでに規制強化しないと、二度と規制はできないと考えていました。

大臣が就任すると必ず、総理から指示をもらうわけですが、加藤大臣への指示の中に「オリンピックに向けて法律を通せ」という文言がありましたから。その指示は結構重たくて、それが2017年の夏でしたから、準備期間も考えて逆算すると2018年の国会で、法案を出して成立させない限り実現しない。

「半年で何がなんでも法律出せよ」というメッセージです。原案にこだわって出せませんでしたという選択肢はなしで、でも、後退はさせてはいけない。

そこで、みんなで考えて、例外は既存店だけというのは加藤大臣のアイディアで、20歳未満の喫煙エリアの立ち入り禁止というのはみんなで考えました。

ーー新規店舗は例外の経過措置なしというのはどこからアイディアを思いついたんですかね?

加藤大臣自ら、ある時、「こういうのどうだろう?」という話があった。おそらく、ご自身で考えたのだと思います。加藤大臣は頭のいい方で、こちらが1言ったら10ぐらいわかる方です。

必ず前進するという確信 増進法成立時の成功体験

ーー当初案を知る者からすると骨抜きではないかと当時取材したら、「飲食店は2年で2割、5年で3割ぐらい入れ替わるから、必ず前進する」と、正林さんが説明されていました。

法案が通った時に、記者レクをしているのですが、その時に、自分の体験談を話しました。

およそ20年前に健康増進法を作った時に、受動喫煙防止について書いた25条の条文を義務規定にするか努力義務規定にするかものすごく悩んだことがあります。

だけど、義務規定で提案したら、絶対通らないなと思ったので、努力義務規定で出したわけです。結局はそれが理由で通ったようなものなのですが、当時はやはり、実効性がないという批判もありました。

ところが、通ったらどうなったかというと、2003年に施行したら、世の中一変したんですよ。

ご記憶かどうかわかりませんが、それ以前は厚労省の建物の中でもみんな吸っていて、バスやタクシー、電車でも、みんな普通に吸っていた。それが健康増進法が施行されてから、世の中が一気に禁煙モードに変わりました。

どこもかしこも、「健康増進法に基づき館内は禁煙です」という張り紙や立て看板を掲げて、世の中が一気に変わったという成功体験があります。

ですから、厳しい規制にこだわって法案出せないで泣き寝入りするよりは、一歩引きながら、だけどちゃんと前に進むということが可能だと思いました。

100平方メートルは仕方ないが、既存店だけにする。20歳未満立ち入り禁止にするというのは、例えばラーメン店であれば、禁煙店にするか喫煙店にするかどちらかを選ばないといけない。

例えば、家族連れで来るお店だったら子供が当然来るので禁煙にせざるを得ないし、ビールを飲みにくる大人ばかりというならば、子供を締め出して、喫煙可能店にする。どちらかを選ぶわけです。

従業員を重視か、店に来る客を重視か?

ーー受動喫煙の健康被害を論じる時に話題になるのですが、受動喫煙の健康被害は、飲食店で働く人が長時間煙にさらされることによって起きますよね? 客のように、一時的に訪ねてくる人は短い時間の滞在だから害は少ない。

お客さんが不快に思うかどうかはマナーの問題で健康被害の問題ではないという意見も聞かれます。そのあたりは健康増進のための法案を作っていた厚労省としては、健康増進の対象は誰がメインだったのですか?

どっちも大事です。もちろん、長時間煙に晒される従業員を守らないといけないから、従業員向けの条文も入れています。

ーー時間分煙を許さない、などですかね?

そうですね。「従業員を守るために」というのも条文としてちゃんと書いたし、20歳未満の従業員だったらそこは喫煙専用室にも入れてはいけないことにした。入れさせたら保健所から指導が入るし、時間分煙も認めなかったですしね。

職業を選択する時に煙が嫌な従業員だったらそこで働かなければいいわけですから。今まではそれがわからないで働いていたから、これからは募集時にちゃんと明示しないといけないようにしました。

ーー今、どこでも人手が足りないですから、飲食店のバイトを雇うのも争奪戦ですね。喫煙可能とすることでそれが不利になるかもしれないということですね。

そうです。

ーー私も医療記者ですから、受動喫煙対策というと健康被害が議論の中心になります。たまに横で吸う人の煙を吸い込むぐらいだったら、量の問題でがんにはならないという指摘もあります。お客さんの不快さの問題はマナーの問題ではないかという指摘がなされていて、客については健康被害は実際にあるのかという声もあります。

そこは、がんだけを念頭におくとそうなってしまうかもしれませんが、たばこによる健康影響はがんだけではなくて、ぜんそくの人がそこに行けば、微量でも発作が起きて、場合によってはすごく重篤になる可能性もあります。それは時間は短かろうが長かろうが健康影響は出るという前提で考えています。

ーー吸える店が減れば、喫煙者も吸いにくくなれば、喫煙者も禁煙する方向に向かうのではないかと副次的な効果も言われます。それも考えていましたか?

狙ったつもりはないです。あくまでも望んでいないのに吸わされる人を守る、でしたが、結果的に喫煙者に対する抑制にはなるかもしれないなとは思っていました。

教育機関、医療機関の敷地内でなぜ吸える?

ーー一歩引いてでも前進させた方がいいとして、今回の改正案を成立させました。ただ、飲食店の面積規制が緩くなっただけでなく、学校の敷地内で喫煙ができるようにしたのは問題ではないかと批判もされています。

子供の頃から吸う大人を見ているのは教育上も望ましくないし、法案が発する健康増進のメッセージとも矛盾しています。教育機関では、そこは妥協しない方がよかったのではないでしょうか? がん患者団体からも強く批判された部分です。

広大な敷地を持っている学校や病院からは、ちょっぴりそういう例外を設けてもらわないと困ると強く言われていました。みんなが門の外に出ていかないと吸えないとしてしまうと、一般住宅の前で吸うことになるとすごいクレームが来ると。

敷地が広いと校門まで歩いて10分というところもあって、敷地を全部禁煙というのはやや非現実的ではないかという指摘はずっとありました。むしろそれをあまり強硬にやられると、陰で吸う人が出てきて、かえって危ないこともあるからという陳情を山のように受けたのを覚えています。

ーー誰がそんな陳情をしたのですか?

医療関係者、学校関係者です。病院協会などはマスコミも取材できるオープンなヒアリングの場でも主張していました。

その時に言っていたのは整形外科の患者さんは元々元気なので、喫煙者だと、入院中にどうしても吸いたくなると。その人たちが門の外に出て行って吸われても困るということでした。

ーー加熱式たばこも徐々に有害物質や健康被害の報告が増えてきています。日本で普及も進んでいますし、これも紙巻きたばこよりもゆるい規制にしたことに批判があります。

加熱式たばこは市場に出てまだ間もないことから健康影響について科学的根拠が十分ではありません。根拠が十分でないものに対して、規制をかけるべきという意見と、規制をかけるべきでないという意見の両方がありました。

有害物質が入っていることは間違いないことから今回は規制の対象とはするものの、紙巻たばことは異なる位置づけとし、どちらの立場の方からもある程度ご理解頂けるようにしました。

徐々に感じているポジティブな影響

ーールノアールやサイゼリヤが禁煙と言い出して早速効果が出ているなと驚きました。東京都が健康増進法より厳しい条例を出したのは大きいでしょうけれども。

串カツ田中」もですね。居酒屋が禁煙に踏み切った影響は大きいなと嬉しかったですね。

ーー改正法が成立して、じわじわと影響は出ていると感じますか?

それは感じますね。ただ、実際の施行はまだ先ですから、本格的な影響はまだこれから来るのでしょうけれども。でも先取りして早速禁煙にする店がどんどん、特にチェーン店系で出てきていますね。

ファミリーレストラン系が禁煙に踏み切るのはわかるのですが、居酒屋系がそうしてくれたのはインパクトがあったなと思いました。

実際、串カツ田中の社長さんに会いに行ったんです。まさに先見の明のような感じで、「これはうちが一番にやらなくちゃ」ということをおっしゃっていました。最初に踏み切れば、マスコミにいっぱい取り上げてもらえるし、家族づれもたくさんくるだろうし。店側にもメリットがあるのですね。

ーーちょっとずつ手応えも感じていらっしゃるわけですね。

感じていますね。

ーー2020年4月が全面施行ですが、そうなれば加速するでしょうか?

それを期待しています。さらにスタートしてから徐々に徐々に進んでいく仕組みを作ったので、後退はしないだろうなと自信を持っています。

(続く)

【正林督章(しょうばやし・とくあき)】環境省大臣官房審議官(水・大気環境局担当)

1989年3月、鳥取大学医学部卒業。都立豊島病院での勤務を経て、1991年2月厚生省(当時)入省。厚生省大臣官房厚生科学課長補佐(ロンドン大学留学)、WHO(世界保健機関)出向などを経て、健康局結核感染症課新型インフルエンザ対策推進室長、結核感染症課長、がん対策・健康増進課長、健康課長を歴任。2018年8月に国立がん研究センター理事長特任補佐、2019年7月、現職。