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先天性風疹症候群の野球少年らの実話が問いかけること 「また私たちは繰り返すのですか?」

風疹をなくそうの会「hand in hand」が企画した演劇「遥かなる甲子園」の公演が東京で開催。東京オリンピックと同じ年に、沖縄での風疹大流行で生まれた先天性風疹症候群の子供たちが主人公の演劇で風疹の予防を訴えました。

風疹の流行が止まらない。風疹が怖いのは妊娠早期の女性がかかると、子どもの目や耳や心臓に障害が残る「先天性風疹症候群(CRS)」をもたらす可能性があることだ。

風疹の予防を呼びかけて活動している当事者や親の会「風疹をなくそうの会『hand in hand』」は2月24日、先天性風疹症候群の子供たちが主人公の演劇「遥かなる甲子園」(関西芸術座)を東京の国立オリンピック記念青少年総合センターで上演した。

1964年に、沖縄での風疹大流行で生まれた聴覚障害を持つ学生たちが、甲子園を目指して野球に打ち込む実話をもとにした物語だ。

クラウドファンディングを呼びかけて、大阪と東京でこの公演を実現させ、自身も先天性風疹症候群の娘がいる大畑茂子さんは観客500人にこう問いかけた。

「1964年、東京オリンピックがここで開催されました。華やかに開催されているその時を同じくして、沖縄の流行で600人以上の先天性風疹症候群の子どもが生まれた事実がある今、また2020年にオリンピックを迎えて風疹が流行っています」

「また、先天性風疹症候群の子供を私たちは見るんですか? どれだけの命がなかったことにされたら(中絶されたら)、私たちは子供たちの命を守ることができるのでしょうか?」

「壁に穴を開ける」 障害者を閉ざす世間の壁

物語の舞台は、1964年の沖縄での風疹大流行で聴覚障害を持って生まれた子供たちのために一時的な措置として作られたろう学校高等部だ。

当時、アメリカの統治下だった沖縄で、基地を通じて持ち込まれたとされる風疹。いわゆる本土との行き来も自由ではなかったため、沖縄だけの限定的な流行となった。

1981年、主人公の一樹は、甲子園に憧れて野球部を作る。ところが、ろう学校であることを理由に、日本高等学校野球連盟(高野連)への登録ができず、公式試合への参加はおろか、練習試合もできない壁に阻まれる。

校長や顧問の教師、親からの応援を受けて練習に邁進しながらも、壁を作っているのは外部だけではないのが印象的だ。同じ障害を持つ同級生の茂からは、グランドに小石を撒かれるなど、練習の妨害さえされる。

「健常者やろうあ者を分け隔てする必要はないさ」と、前向きに野球に誘う主人公に、茂は言い捨てる。

「小さい頃から身に染みて感じているだろう? 耳の聞こえない俺たちは閉ざされているんだ」「門前払いさ、俺たちは。耳の聞こえる連中からは相手にされないんだよ」

手話は使わず、普段は口話だけで話す優等生の弥生も、当初、主人公たちに冷ややかな態度を取る。

しかし、ありのままの姿で壁を打ち破ろうとする彼らに接するうちに、幼い頃から両親に口話の特訓を強制され、手話を使わないように手に包帯さえ巻かれた過去があることを打ち明ける。

「両親は私を耳の聞こえる普通の娘のように見せようと必死だったの」

そして、作文コンクールの授賞式で、周りの期待通りにスピーチをしようとしていた自分を投げ捨て、野球部のことを取り上げてほしい、高野連へ登録できるようにしてほしいと会場に向けて叫ぶように訴える。

最終的に高野連の登録を判断されるため試験試合をすることになった野球部に、茂や弥生も加わった。

「努力」という手話は「壁に穴を開ける」身振りで、「信じる」は「一つの心を持つ」という身振りだというセリフが語られる。

クライマックスの試験試合では、心臓手術を控えた仲間がピンチヒッターに立ち、最後のバッターボックスには主人公が向かう。心を一つにして、壁に穴を開けることができたのかーー。

「感動で終えてはいけない」 防ぐことができる病なのだから

公演に先立ち、1964年に沖縄で生まれた国立感染症研究所の砂川富正さんが挨拶をした。

「1964年から65年にかけては沖縄で風疹が大流行し、その結果、600人に及ぶ先天性風疹症候群の方々が生まれました。通っていた中学校の同じ校舎に聾学校、盲学校があり、目の不自由な方や耳に障害のある人と同じ通学路を歩いていたことが日常の光景でした」

「そしてまたオリンピックが近づいているときに風疹が流行ってしまう。その中でhand in handが熱心な活動をされ、遥かなる甲子園はシンボルのような形で多くの力になったのは間違いない事実です」

「精力的な活動で国を動かして、39歳から56歳の成人男性の予防接種が始まるのは本当にあっぱれな出来事だと心から感動しております。その背景を作り出したこの公演をぜひ心に留め、新しい定期接種を成功させ、風疹をなくしていくための活動に皆様のお力添えをいただきたい」

公演後には、大畑さんが再び、挨拶をした。

「今日は感動のお話だけで帰っていただくわけには行きません。彼らの耳の聞こえない原因は何だったでしょうか? そうなんです。お母さんが彼ら、彼女らがお腹にいたときに風疹にかかってしまったんです。そして、彼女たちは耳の聞こえない世界に生まれてきてしまいました」

「決して遠い昔のお話ではありません。今もまだ風疹が流行ってしまい、2013年の流行の時には45人もの先天性風疹症候群の子供たちが生まれました。そしてまた、この夏からの流行で、1例目の先天性風疹症候群のお子さんが生まれたのです。とても残念です。防ぐことができたのですから」

そしてこう訴えた。

「今日、舞台を見ていただいて、風疹の怖さ、恐ろしさと、予防の必要性を知っていただきましたら、この国から社会から、風疹がなくなるように私たちも頑張っていきますので、皆様のお力をお借りしたいと思います」

「自分のせいで娘を先天性風疹症候群にしてしまいました」

hand in hand 共同代表の可児佳代さんは先天性風疹症候群で亡くなった娘の写真を持ちながら、接種を呼びかけた。

「私の娘は18年前になくなっています。風疹が原因です。そして、何人もの命が生まれる前に諦められている命がいっぱいあるんです。ワクチンさえ接種していれば、こんな辛い思いをする必要はありません。みなさん、本当にワクチン接種を周りの人におすすめください、お願いします」

もう一人の共同代表、西村麻依子さんは先天性風疹症候群の娘さんと一緒に登壇した。

「私は、自分のせいで娘を先天性風疹症候群にしてしまいました。だけど、お腹の中にある命をなくすことはできませんでした。どんな障害が出るかわからないからといって、おろしなさいと言われましたが、ここにいる娘は今こうして元気に歩いています」

そして、娘と向き合って、こう優しく語りかける。

「生まれてきてくれてありがとう」

そして再び、会場に向き直り、こう静かな声で訴えた。

「だけど、この子はこの子で、ちょっと難しいところも、人よりちょっと頑張っているところもあります。それは私が風疹にさえかからなければ、感じなくていいことだったのです」

「どうか、この日本から風疹がなくなるように、お一人お一人がワクチン接種をして、少しずつ前進していければいいなと思います。ぜひみなさん周りの方達に風疹のワクチンをうつようにお話ししてください。私たちも頑張ります」


hand in handの活動などが実り、流行の中心となっているワクチン不徹底世代(1962年4月2日〜1979年4月1日生まれ)の男性は2019年4月から3年間、公費で抗体検査や予防接種が受けられるようになった。

4月以降、該当者には自治体から無料クーポン券が届く。

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