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医師の残業上限「1860時間」という新たな案に激論

賛否に分かれて激しい議論になったが、「1860時間」を容認する空気も

3月のとりまとめに向けて佳境を迎えている厚生労働省の「医師の働き方改革に関する検討会」。

地域医療を守る病院に対する特例として、時間外労働の上限を「年間1900〜2000時間」とする案が医師たちからの批判を浴びていたが、2月20日、「1860時間」という新たな案が厚労省から提示された。連続勤務時間は28時間までに制限し、勤務間に9時間のインターバルを置くようにする。特例は2035年度末まで。

「1860時間を出した根拠は?」

「当初の1900〜2000時間に戻してほしい」

「急激な変化で医療現場に混乱が生じるのは好ましいことではない」

激しい議論が交わされたが、1860時間を容認する姿勢を見せる構成員は多く、次回から、最終報告書のとりまとめに入る見通し。

副座長の渋谷健司・東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室教授は、「1860時間の出し方に納得いくロジック(論理)がない。とりあえずそこしかない、というのは納得できない」として辞意を表明した。

研修医や専門医を目指す医師ら、一定の期間、集中的に技能を向上させる診療が必要な若手医師についても特例枠が示され、上限1860時間が提案された。一般医師は960時間が上限。

新たな残業上限案「1860時間」とは?

厚労省はこの検討会で、医師が現状どれぐらいの時間働いているのか推定するために、2016年度に行われた「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」のデータを分析。

「1900〜2000時間」はこのデータの上位10%の医師の勤務時間をもとに提案されていたが、「長過ぎるのではないか?」という前回までの議論を踏まえて見直された。自己研鑽など上司の指示がない時間を減らし、新たに「1860時間」を算出した。

その上で、この基準1860時間を超える診療科別の医師の割合を見ると、産婦人科が20.5%と最も多く、「卒後3〜5年目」(19.4%)、「外科系」(14.2%)、「救急科」(14.1%)がそれに続いた。

年代別に見ると、20代が17.7%、30代が15.7%と若手ほど上限ラインを超えていた。

さらに、1860時間を超える医師がいる病院の割合を病院の種類別に見ると、大学病院は88%、救命救急機能を持つ病院が84%、救急車受け入れ1000台以上の病院が52%となった。

「1900〜2000時間に戻せ」 病院団体から 

続いて、馬場武彦構成員は、病院団体「四病院団体協議会」の緊急調査を紹介。

大阪府内の主な二次救急医療機関26病院の当直医の延べ人数のうち、非常勤医師の割合は約39.5%だった。

馬場氏は「比較的医師の数が恵まれている大阪府でさえ、夜間救急の多くを大学病院から派遣されている非常勤医師で支えている」「非現実的な労働時間上限設定をすると、即、非常勤医師派遣の大幅な縮小を招き、患者の生命に直接関わる」と主張した。

さらに、「医師にとっても兼業は重要な収入源」「非常勤医師の確保ができなくなったら、常勤医を増やすため周辺自治体から医師を奪うことになり、地域間格差がさらに強くなる」として、「1900〜2000時間」の上限に戻すように訴えた。

「1860時間の根拠は何か?」「患者さんの命を人質にして医師の過重労働を議論するな」

一方、渋谷健司副座長は、まずここまで医師の過重労働を放置してきた医療界の姿勢を強く批判した。

「頑張る人が頑張れるようにするためには適切な労務管理が必要だし、頑張れる人が頑張れなくなるまで放っておくのは、頑張っている人の思いを無にするだけ。本来、医療界で自らこうした過労死対策をたてなければならなかったにも関わらず、それをしてこなかった。だからこそ刑事罰で抑止しようということになっている」

その上で、残業の上限時間を押し戻そうとする病院団体の姿勢に反論した。

「医師の時間が限られた資源であることを理解しないで、患者さんの命を人質にして神風特攻隊的な話ばかり。現状維持と経営者の視点で、そこには医者とか患者の姿がない」

さらに、1860時間についても、「なぜ上位10%にするのか。なぜ1860時間になるのか、そのロジック(論理)を教えてほしい」と厚労省に問うた。

厚労省は、上記の資料の他、様々な対策で今後、勤務時間を減らす計画を描いた前回の会議資料を提示して、こう答えた。

「今回提案した上限は、労働基準法上罰則のかかる上限という性質があります。地域医療を確保する観点から実現できるギリギリのものだと考えております」

渋谷副座長はこう反論した。

「医療機関が24時間365日対応する使命と特殊性と、医師を過重労働させるという使命を全うさせるための必要条件を全く同じように考え、患者の命を人質に、後者を軽んじている。『大変だ』『苦しい』ばかりで、全然定量的なデータがない。10%の論理が全くわからない」

医師会は1860時間を容認 「医療現場に混乱を生じることは好ましくない」

今村聡・日本医師会副会長は、「急激な変化が起きて、医療現場に大きな混乱を生じるということは好ましいことではない。まずは少しずつ上限を設定して、特例をなくすスピードを現場の努力で早めていく努力をする必要はあるが、スタート時点は少し余裕を持った方がいい」と1860時間を容認する姿勢を示した。

また、もう一人の医師会構成員である城守国斗・常任理事は渋谷副座長にこう反論した。

「現場の人間からすると、医療というのは一度提供体制が崩れるともとに戻すのに数十年以上かかる不可逆性がある」

「事務局が頭をひねっていただいて、前回の資料からもこういう時間設定をしてもなかなか難しいのだという説明をいただき、苦労してやってきたという、ストーリーを根拠として受け入れる必要があるのだと思います。他に根拠がないわけですから」

容認の立場 「まずは進めよう」

病院コンサルタントで医師の裵英洙さんは、 検討会の目的を改めて整理した。

「これまで医師に無制限の強制労働をさせてきた実態に対してメスを入れる。そのメスを強く入れると、当然副作用もありますし、出血多量になってしまう。じゃあどういう風に、メスを入れるのかという塩梅を議論しているところです」

その上でこう事務局案を容認する姿勢を見せた。

「何もせず放置するということが医療界をますます悪化させるのは間違いない事実。特に若い先生、長時間労働をされている先生にフォーカスを当てて、やれるアクションプランをやっていくという現実的な視点も必要と思っています」

患者家族代表の豊田郁子さんは、「どの数字がいいのかは難しくて出せない。現状では1860時間にしないと患者さんを診てもらえなくなるんじゃないかと思う一方、先に体制を変えていけば、(一般医師に適用される)960時間だって多すぎるのではないかと考える人が多いのも現状」と迷いを見せ、こうも呼びかけた。

「タスクシェア・タスクシフトなど準備することがあまりにも多いので、みなさん進めて行きませんかというのが私が言いたいこと。全ての人が意識改革をしていかなければいけないので、早く進めていくことが大事だと思います」

「納得いかない」「歯を食いしばって前に進めましょう」

渋谷副座長が「納得いかない。これを前に進めるのであれば、僕じゃない人を副座長に選んでいただきたい」として辞任の意向を表明すると、厚労省の迫井正深審議官はこう説明した。

「渋谷先生は、エビデンスに基づいて政策提言を行うべきという視点から話され、私共も全くその通りだと思います。その上で、医療は様々な要因が絡んでいて、現に動いているものですので、そういうものを断片的なものも含めてしっかりしたエビデンスを出していくことは難しい」

そして、こう理解を求めた。

「地域医療を守るということと、医師の健康を守るということは本来、別々の課題であって、それぞれ議論すべきこと。ただ、一方で政策制度として形にする、ということが求められているので、元々両立させることが難しい。労務管理を徹底させ、しっかりやろう、歯を食いしばって前に進めましょうという話です」

座長の岩村正彦・東京大学大学院法学政治学研究科教授は、「1860時間という数字の根拠は何かという議論もありましたが、エビデンスに基づいたものではないだろうと思っている」とした上で、こう意見を述べた。

「私個人は最も長時間働いていて、最も過酷な労働条件である方にまずターゲットを絞って、そこで絶対的な上限を定めた上で、健康確保措置と組み合わせた形で、医師の方々の健康と生命を守る。他方で、地域の医療体制の整備で対応して行く。それで考えるしかないと思っています」

その上で、次回から最終報告書に向けての議論を進めていく方針を伝えた。