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HPVワクチン「捏造」訴訟の論点は科学ではない 問われているのは取材手法

科学の論争でも、”反ワクチン”との戦いでもありません。そして、地裁判決への対応は、筆者と出版社で分かれました。

HPVワクチンを推進する発信で知られる著名人が、裁判で負けた。ネットでは「推進派の敗北」「反ワクチンによるサイエンスの敗北」というような言葉が飛び交う。

だが、争点はそこではない。BuzzFeed Japan Medicalは判決文を入手し、論点を整理した。

元信州大学医学部長の池田修一氏がHPVワクチン接種後の体調不良に関する研究で、雑誌「Wedge」に研究内容を「捏造」とする記事を書かれたのは名誉毀損に当たると筆者の村中璃子氏や出版元などを訴え、勝訴した裁判。

敗訴した出版元の株式会社ウェッジと当時編集長で記事の編集を担当した大江紀洋氏は判決を受け入れることを決めた。

一方、村中氏は控訴し、新たな弁護団を結成したことを自身のブログで明らかにした。

謝罪広告は、5月20日に発売される雑誌「Wedge」6月号や同誌のウェブ版「WEDGE Infinity」に判決の内容に沿って掲載される予定。判決に基づいて近く記事の一部が削除される。損害賠償もウェッジが330万円を全額支払う。

現・ウェッジ編集長の塩川慎也氏は「判決を真摯に受け止めつつ、今後の記事制作と取材にこの教訓を生かしていきたい」と話している。

なぜ、編集部と村中氏の判断は分かれたのだろうか?

研究内容ではなく、取材手法や記事の表現について争った裁判

まず、押さえておきたいのは、これは研究内容について問題があったかどうかを争う裁判ではなく、取材手法や記事の表現について争った裁判ということだ。

問題とされたのは、池田氏が班長を務める厚生労働研究班の研究について、村中氏が2016年6月に月刊誌「Wedge」やウェブ版「WEDGE Infinity」に書いた記事。

「池田班」はHPVワクチンの成分が脳に障害をもたらす「薬害」を仮定して行ったマウス実験について、2016年3月16日に厚労省の成果発表会で中間報告をしていた。

この発表会で示された画像について、村中氏らは研究班の分担研究者である信州大教授・塩沢丹里氏の依頼でマウス実験を担当したA氏の証言をもとに、池田氏が自説に都合の良い画像データだけを恣意的に選んだと指摘し、「重大な捏造である」と書いている。

2019年3月26日の東京地裁判決は、「画像が何枚もある中から、自分の仮説に都合の良い本件スライドだけを公表して、チャンピオンデータで議論をしているという事実を認めることはできない」と認定。

「A氏の発言を鵜呑みにするのではなく、より慎重に裏付け取材を行う必要があった」と取材の不十分さを指摘し、池田氏の主張を全面的に認めた。

どんな取材をしたのか? 本人に確認せず記事を作成

それでは、村中氏らはどのような取材をしていたのだろうか。東京地裁判決や裁判資料を見てみよう。

村中氏は発表会後の2016年3月22日、このマウス実験などについて池田氏に質問項目を書いたメールを送付した。

池田氏は翌日、「マウスの実験は私ではなく、信州大学の他の研究者が発案して実施しております。(中略)実験結果の詳細は、研究のoriginalityと論文作成のためお話しすることはできません」などの返信を送った。

その後、村中氏や大江氏、取材協力者の3人は6月3日、実際にマウス実験を行ったA氏に面談でインタビューをした。

村中氏らは、このA氏の証言を支えにマウス実験について書いているが、A氏に取材した内容を、池田氏に対して改めて取材で確認することはしなかった。

これについて、村中氏らは取材を始めた3月の時点でメールでの回答を拒否されたため、回答を得ることは困難と考え池田氏の取材を行わなかったと主張している。

だが、裁判長は「(返信メールは)回答できる範囲で、質問に回答する姿勢を示していることが認められるから、同年6月上旬の時点において、原告がいかなる取材に対しても回答しないことが明らかであったということはできない」と、池田氏に取材で確認をしなかった不備を指摘している。

結果的に回答を拒否されるとしても、疑惑を追及する相手に疑惑の内容をぶつけて本人の見解を質す努力をするのは取材者として基本的な手続きだ。

今回記事を書くに当たって、BuzzFeed Japan Medicalは、改めて村中氏にメールでなぜ池田氏に確認取材をしなかったのか、また新たな証拠や証言を用意しているのかを尋ねたが、「これからの裁判の進め方に関わるものですので、現時点ではお答えできません」との返信だった。

証言したA氏と池田氏の間にいた教授も取材を拒否

また、「複数の画像データから恣意的に1枚を選んだ」という行為の物証となる、元の画像データを提供するように再三求めた村中氏らに対してA氏は結局、「出さなければならない理由はない」と述べて、画像の提供を拒否した。

これを受けて、一緒に取材していた大江氏は、A氏に実験を依頼した塩沢氏に対し、A氏から聞いた証言内容を示した上で、1匹のマウスでしか得られていない仮説に都合の良いデータであったことを前提とし、塩沢氏がどこまで事前に知っていたのか確認する2点の質問を書いたメールを送り、こう書いた。

「次の2つの質問について、明日6月8日の正午までにご回答をいただきますようお願い致します。(中略)期限までにお答えがない場合、実験デザイン、進捗のご報告を受けていた塩沢先生は、1、2ともにご回答は『YES』であったと理解して記事化させていただきますのでご了承ください」(2016年6月7日午後4時35分の大江氏のメール)

塩沢氏は直後に、「どなたか知りませんが、デリケートな質問を勝手にメールで送り付け、返答しない場合はそちらの勝手な答えを掲載するという行為は一種の脅迫であり自分にはちょっと信じられません」と返信。

その後、大江氏は再び、塩沢氏に電話やスカイプによる取材を申し込んだが、塩沢氏から返信はなかった。

A氏は村中氏らの取材に対し、複数の画像があり、その中から池田氏が選んだと思われると語っているが、A氏が直接、池田氏に複数の画像を渡したとは明確に述べておらず、A氏が画像を渡したのは塩沢氏だったと解釈できる発言もあった。

裁判長は「A氏が誰に、何を渡したのかについて明確に確認しなければ、その説明の信用性について判断できなかったというべきである」として、池田氏に複数の画像データが渡っていたかの裏付け取材が不十分だったと認定した。

村中氏は控訴 雑誌側は「判決の指摘を受け入れる」

あくまでも争点は、「捏造」と表現するに足る証拠があったか、それを裏付ける取材が十分になされたのかどうかだが、村中氏はあくまでも実験内容に問題があったかどうかに焦点を当てているように見える。

3月26日には、ブログ「判決へのコメント」で以下のように述べた。

この度の裁判では、池田氏が「子宮頸がんワクチンを打っていないマウス1匹」の実験結果をもって、子宮頸がんワクチンに関するフェイクニュースを流布したという事実に関わらず、「N=1とは知らなかった」「捏造ではなく他の研究者の実験結果の引用」などとする原告の言い訳を受け入れ、公共性と科学を無視した判決が下されたことを残念に思います。

さらに、4月10日に更新したブログ「控訴のお知らせ」では、以下のように述べ、控訴したことを明らかにした。

近しい人たちからは、わたしや家族を心配し、控訴をやめるようアドバイスする声もたくさんいただきました。それでもわたしを支えてくれる人や家族とよく話し合い、自分でもよく考えたうえで、控訴を決めました。

医者には、個人の名誉よりも裁判の勝ち負けよりも大切なことがあるからです。

それは、人の命と科学を守ることです。

一方、判決を受け入れたウェッジの現・編集長、塩川慎也氏は「結果として、共に控訴をしなかったことを重く受け止めています」としながらも、取材に不十分な点があったと判決で認定されたことについてはBuzzFeed Japan Medicalの取材にこう述べた。

「判決で指摘された点について、受け入れるということです」

裁判とHPVワクチンの安全性や効果は無関係

ただし、裁判では勝訴したが、この池田氏の実験で、HPVワクチンの成分と接種後に訴えられている体調不良の因果関係が明らかになったわけではない。

また、村中氏の指摘がなければ、この研究や成果発表の内容の問題は気づかれなかった可能性もある。

この研究や成果発表の問題点が村中氏の記事で指摘された直後、信州大学は池田班の研究について、調査委員会を設置した。報告書で、研究内容に不正はなかったとしたものの、以下のように池田氏の発表方法を批判し、修正を求めた。

「スライドには、本件マウス実験の結果を断定的に表現した記述や抗体の『沈着』という不適切な表現も含まれていたことから、後になって本件マウス実験の結果が科学的に証明されたかのような情報として社会に広まってしまったことは否定できない」

厚生労働省も報告書が出た直後に、「池田氏の不適切な発表により、国民に対して誤解を招く事態となったことについての池田氏の社会的責任は大きく、大変遺憾に思っております。また、厚生労働省は、この度の池田班の研究結果では、HPVワクチン接種後に生じた症状がHPVワクチンによって生じたかどうかについては何も証明されていない、と考えております」とする異例のコメントを出した。

一方、厚労省は今年度から再び、池田氏を主任研究者とするHPVワクチン接種後の体調不良に対する診療体制整備についての厚生労働科学研究に研究費をつけることを決めた。

こうした騒動とは無関係にHPVワクチンの安全性効果を示す研究結果は、国内でも続々と示されている。それでも厚労省は2013年6月から6年間も積極的に勧めるのを中止したままで、接種率は1%未満に落ち込んでいる。