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一人暮らしを始めたものの安心して働けない 障害福祉制度の壁を崩す

病院生活から地域で自立生活を始めた筋ジストロフィーの猪瀬智美さんと矢口教介さん。働いて生活費を稼ごうとしたところ、立ちはだかったのは福祉制度の壁でした。

重度障害がある国会議員が誕生し、注目されている障害福祉制度の課題。

議員二人に対しては参議院が介助派遣(ヘルパー)の費用を負担することを決めたが、同様に仕事中、勉学中に介助派遣が使えなくて困っている障害者が全国にいる。

10年、20年にわたる病院生活から抜け出し、地域で自立生活を始めたさいたま市の猪瀬智美さん(30)、矢口教介さん(31)も、生活費を自分で稼ごうと働き始めた時、そんな制度の壁に阻まれた。

インタビュー連載2回目は、二人がその壁をどう崩して、全国で初めて勤務中の介助派遣の公費負担制度をさいたま市で実現させたかを伺った。

【前編】国会議員だけへの適用で終わらせないで 難病で障害があっても社会の中で生きたい

介助時間、常に必要

長年住んでいた病院を出て、地域で自立生活を始めた二人。当然、自宅には医師もいなければ看護師もおらず、住んでいる自治体に介助の必要性を申請して、公的介助を支給してもらう必要がある。

2012年の10月に23歳で一人暮らしを始めた猪瀬さんは、当初、何にどれぐらい介助が必要なのかよくわかっていなかった。

「助けを求めれば常に誰かが周りにいる病院生活から一人になる時、毎月どれぐらいの時間、介助者に来てもらうことが必要なのかピンと来なかった。だから最初は役所の人と相談して、夜間は介助派遣なしでスタートしたんです」

ところが、介助者が午後10時に帰ってしまうと、ベッドに寝たままもう何もできなくなる。翌朝8時に介助者がきてくれるまでトイレにさえ行けない。

「そのうち一人暮らしに慣れてくると、病院にいた時のように早い時間にベッドに入らなくてもいいし、お腹がすかなければ決まった時間に夕飯を食べる必要もないということがわかってきました。2か月でギブアップして、夜間も介助派遣を受けられるように変更申請しました」

矢口さんの方は、人工呼吸器を使っていたこともあり、1日24時間の介助が最初から認められた。

電気、ガス、水道と同じく、介助派遣は二人のライフラインだった。

仕事が見つかったら、介助派遣が受けられなくなる

一人暮らしのためにある程度、貯金していた猪瀬さんだが、貯金は生活必需品を一通り揃えていくうちにあっという間に減った。

就職活動を必死に頑張り、半年後の2013年5月に在宅でパソコン入力をする仕事が決まった。病院にいる時とは違い、自宅住所があると面接にこぎつけるのもスムーズになっていた。

喜びもつかの間、役所の人に就職したことを報告すると、驚くようなことが言い渡される。

「仕事時間中は介助派遣を受けられないんですよ」

呆然とした。猪瀬さんはその頃、既にペットボトルは持ち上げられなくなり、服も自分では着替えられず、トイレも介助なしではできない状態だった。

「介助者が私の代わりにパソコンのキーボードを打つわけではないんですよ。日常生活に必要なトイレに行くことや、コップにお茶を注いでもらうこと、寒ければ上着を着ることは仕事中も必要です」

「みんな普通、仕事中にトイレも行くだろうし、水分もとるでしょう。そんな風に健常者が自分で自然にやっていることが私は制限されることになったのです」

仕方なく、勤務時間中は水分を取らず、トイレも必死に我慢した。喉の渇きを抑えるために、飴をなめて口の中を潤してしのいだ。

「体調を崩して、近所に住む介助者に助けを求めたこともありました。なぜ、働かないで家にいる時間は介助派遣が受けられるのに、自立しようと働いている時に介助派遣が認められないのか、理不尽に感じました」

役所に毎年訴えても聞き入れてくれない

なんとか仕事中も介助派遣を認めてもらえないかと、さいたま市に毎年掛け合った。さいたま市に要望書を提出しようとして、一度は受理さえも断られたことがある。その度にこう言われた。

「法律が変わらないと無理なんですよ。自治体ではどうにもできません」

重度訪問介護の利用要件を定めている厚生労働省告示では、「通勤、営業活動等の経済活動に係る外出、通年かつ長期にわたる外出及び社会通念上適当でない外出を除く」という制限を設けている。

この規定によって、仕事中や学校で勉強中、施設を利用中などは介助派遣を利用できないこととされてきた。

そして、厚生労働省は、雇用主や教育機関などが、介助派遣の費用を負担するように求めてきた。「就労で恩恵を受ける雇用主が支援を行うべき」「障害者差別解消法に基づく合理的配慮は雇用主や教育機関などが行うべき」という方針だ。

今回、参院議員となった舩後靖彦さんや木村英子さんに対し、参議院が当面、介助派遣の費用を負担することを決めたのは、この国の方針に沿ったものだ。

だが、受け入れ側に費用負担の責任を負わせれば、経営に余裕のない民間企業などでは介助派遣代を負担することを避けることは容易に想像がつくし、コストが上乗せされる障害者を雇わなくなることさえ考えられる。

障害者の方も、介助費用を自費で負担するか、介助派遣なしで命の危険をおかすぐらいならば、働くこと自体を諦めてしまうことが懸念される。

舩後さんや木村さんが自分たちだけの費用負担ではなく、あくまでも制度改定を訴えているのは、全国の障害者の置かれたこんな不条理な状況を変えようとしているからだ。

さいたま市は独自の就労支援事業を創設

途方にくれた猪瀬さんらは、自立支援をしてくれた地元のNPO法人くれぱすに相談した。くれぱすは障害福祉に熱心な市議を紹介してくれた。

この市議は「それはおかしいですよね」とすぐに市議会で取り上げてくれ、障害支援課長との面談や要望書の提出も実現した。

さいたま市はまず国の制度を動かそうと動いたが、「就労中の障害者の支援については、就労で恩恵を受ける企業自身が支援を行うべき」などとして結論が先送りされたのは別の記事で伝えた通りだ。

2018年2月に広告デザイン会社でインターンとして働き始めた矢口さんも訴えに加わり、その年の3月の議会で、全国に先駆けてさいたま市独自の制度として、仕事中の介助派遣費用を全額公費負担する就労支援事業を2019年度から創設した。

「さいたま市は市内に住む重度障害者75人に働く意思はあるか、この制度を使いたいかアンケートを取ったのですが、働いているのは僕ら2人だけでした。でもこの制度が始めることを知って、もう一人働くことになったそうです。制度が就労意欲を生み出したのかもしれません」と矢口さんは言う。

誰もが安心して生きられるように国の制度に

そして今、二人はそれぞれ介助派遣を受けながら毎日、働いている。

矢口さんは「僕はマウスピースが外れたら自分で咥え直すことができないから命に関わりますし、たん吸引などの医療的ケアもしてもらっています。トイレや水分補給はもちろん、体の姿勢を整えたり、マウスを持つ手の位置を調整してもらったり、働く上で欠かせない介助です」と話す。

猪瀬さんの方は介助派遣を受ける事業所の準備が整い次第利用を開始する予定だ。制度が出来たことで安心が得られたという。

「これから病状が進行しても、身の回りの介助がしてもらえるならば、仕事を諦めなくて済みます。これまで人に与えられてばかりの生活でしたが、仕事をして人の役にたてるのが嬉しいし、社会参加することで自分の視野も大きく広がった」

「もちろん働けないほどの重度の障害者も生きるための介助は必ず必要ですが、パソコンや技術の進歩で働けて、働きたいという意思があるならば、自分の能力を最大限発揮したい。さいたま市だけでなく、国の制度として広がって、全国どこでも勤務中に介助派遣が利用できるようにしてほしいです」

重度障害がある二人が、国会に進出したことは二人の希望となっている。

「当事者でないと気づかないことを当事者の声として伝わる効果を期待しています。幼い頃から健常者と分離されないインクルーシブ教育や、自立支援も含めて共生社会が実現することを願っています」

(終わり)

【前編】国会議員だけへの適用で終わらせないで 難病で障害があっても社会の中で生きたい