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「医療的ケア児」知ってますか? 誰もが地域で安心して子育てできるように

医療技術の進歩で年々増えているのに、支援が追いついていません。

先天的な病気や障害を持って生まれ、人工呼吸器や経管栄養など医療的なケアを必要とする「医療的ケア児」。適切なケアが受けられれば地域で普通に暮らしていけるのに、保育の受け入れ先がなく、親が仕事を辞めて付きっ切りで世話をしなくてはならないという問題が生じている。

全国で1万7000人以上に増えた医療的ケア児のいる家族は何に困り、どんな支援を必要としているのか。鼻から入れたチューブで栄養を取り、身の回りの介助が必要なケンタ君(3)と母親のミカさん(42)(二人とも仮名です)にお話を伺った。

東京・世田谷区の住宅街にある「障害児保育園ヘレン経堂」に子供用車いすに乗って来てくれたケンタ君は、自分で歩くことはできないが好奇心は旺盛だ。手作りの蹄鉄型クッションに寝かされていても、目は常にキョロキョロ周りを見渡している。

ヘレンは、障害児専門の保育園で、看護師や研修を受けた職員が常駐し、経管栄養やたん吸引などの医療的ケアに対応できる民間施設。現在、都内5か所に作られている。

「この保育園に通い始め、いろんな人から刺激を受けるからか、とても反応がよくなっているんです。笑ったり、声を出したり、表情も豊かになっていますね」

ミカさんは目を細めてケンタくんの足をさする。保育園探しに奔走した日々、こんな時間が過ごせるなんて思ってもいなかった。

生まれる前に病気が判明

「脳室が大きいですね……」

妊婦健診でエコー検査の画像を見ていた主治医から言われたのは、2013年の夏、妊娠6ヶ月か7ヶ月の頃だった。CT(コンピューター断層撮影法)による精密検査でお腹の中の赤ちゃんの脳内を見たところ、右脳と左脳をつなぐ神経の束「脳梁」が生まれつきない「脳梁欠損症」であることが判明した。

「脳梁欠損症」の症状には個人差があるが、身体や知的能力の障害、てんかん発作などの症状が起きることが多い。

生まれてすぐにケンタ君はNICU(新生児集中治療室)に入院し、夜中に呼吸停止を繰り返した。安定した1ヶ月後に退院したが、生後3ヶ月頃からは、しゃっくりのような動きをするようになった。てんかんの発作を起こしていた。

それでも1歳ぐらいまでは、食事もミルクだけだったので、時折、短い時間、体を震わせるてんかんの発作や首が据わらないことを除けば他の子と変わるところはなかった。現在はペースト食を口から食べるのが半分、経管栄養半分で栄養を取っている。

ミカさんは、ほぼフルタイムで働く非常勤の公務員。1年の育休後、上の娘二人と同じく保育園に預けて仕事に復帰しようと考えていたが、ただでさえ待機児童が多い世田谷区。認可保育園にはなかなか内定しない。

「上の娘二人を預けていた認可外の保育園にも相談して、そこでも断られた時はがっくりきました。『安全に預かる自信がない』と言うのです。ケンタのてんかん発作は、医療的な対応が必要なわけでも、命に関わるものでもなく、自然に治まるのを見守るしかないのですが、不安だということでした。仕方ないので、両親に週3日、片道1時間半かけて家に来てもらいながら仕事に復帰しました」

保活を重ね、ようやく順番が回って来た保育園も拒否

それでも、足腰が弱った70代の両親にいつまでも頼れないし、息子に友達と一緒に過ごす経験もさせてあげたい。

1歳になる直前の2014年9月、日本で初めて、障害児保育園ヘレンが荻窪にできたことを知り、一時、杉並区に引っ越すことも考えた。

「そうなると、せっかく認可外保育園に預けられている上の娘二人の保育園探しをまた1から始めないといけない。それは非現実的です。障害児の保育園が私たちの住む世田谷にもできないかと区長に4、5ヶ月に1回、要望メールを出すことを始めました」

保活5回目だったろうか。ケンタ君が2歳になった時、ようやく区の保育担当課から連絡が入った。ケンタ君の状態を確認したいというので、期待して行ったところ、「申し込んだ認可保育園の枠は空いているが、発作などの状況から預かれない」と告げられた。

「『てんかん発作が起きたら見守るだけでいいし、0歳児として見てもらえればいい』と必死にお願いしたのですが、園内を走り回る2歳児たちの中で、面倒を見るのは難しいし、危険だと言われました」

「最終的には、『あなたが辞退しないと次の待機児童が受け入れられないから』と自分から申し込みを取り下げることを求められました。私は預けたいし、保育園側の受け入れ態勢が整っていないだけなのに、どうしてこちらから辞退しないといけないのか。悔しくてたまりませんでした」

誰にも頼れないという思いが胸を刺し、ケンタ君が社会の中で生きていくことを拒まれている気がした。

世田谷区にも障害児保育園が 社会の中で育つ安心 

すくすく成長するケンタ君は現在、体重も14キロになった。面倒を見てくれていたミカさんの両親も、体を自分で動かすことのできないケンタ君の世話をするのに限界を迎えるようになっていた。

「親が腰を痛めても辛いし、ケンタを落とされても困るし、どちらのことも心配。上の娘たちを預けている保育園が昨年から週1回、午前中だけ預かってくれるようになり、ギリギリつないできた感じでした。それでも、今年保育園が無理なら仕事を辞めるしかないかと諦めかけていた時でした」

そんな時、ヘレンが世田谷にも設立されることになり、すぐに申し込んだ。開設した今年2月から週5日、午前9時から午後5時半まで預けられるようになり、生活が大きく変わった。

「一緒に育ててもらっている安心感が何より嬉しかったです。ケンタについて何か判断する時に、日常生活を見てくれている保育園のスタッフの方々の意見を聞けることで、家族以外の客観的な視点を得られます。家族では気づかない部分を教えてもらえ、子育ての面でも治療の面でも助けになり、気持ちが楽になりました」

ケンタ君の発達についても、家族は「できないだろう」と諦めていたことが、「これはできているんですよ」と保育士さんに言われることもある。ケンタ君の可能性をより信じられるようになり、家族も接し方が変わってきた。

ヘレンでは、看護師、医療的ケアの研修を受けた保育士が常駐し、理学療法士や作業療法士が、一人一人の子供の状態に合わせた遊びや、アロマや音楽、光を発する装置などを使って、五感に刺激を与える保育プログラムを組む。

ケンタ君もヘレンに通うようになって、笑ったり声を出したりして、表情も豊かになった。保育園では、バランスボールの上で保育士さんが体を弾ませてくれ、みんなで歌を歌い、様々なスタッフがかわるがわる声をかけてくれる。帰宅すると疲れ果てて、夜もよく眠るようになった。

「家で家族と一緒にいると、家事をしている間など、つい寝転がしたまま放置する時間が長くなりますし、この子はずっと家族しか知らずに過ごすのかと思うのは切ない。親が知らない場所があって、楽しい時間が1日の中でたくさんあるというのは本当に嬉しいことです」

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NPO法人フローレンス

障害児保育園「ヘレン」の紹介動画

増える医療的ケア児 現状と合わぬ制度

ミカさんやケンタ君と同じ思いをしている親子は全国で増えている。

医療的ケアを必要とする子供(20歳未満)は、2015年で約1万7000人となり、10年前の約2倍。新生児に対する医療技術の向上で、かつて生まれてすぐに命を落としていた赤ちゃんを救えるようになり、経管栄養や人工呼吸器を使えば、家族と一緒に地域で暮らせるようになった。

ところが、こうした子供の存在を想定していなかった日本の障害児分類基準では、たとえ医療的ケアが必要でも、自分で歩けて、知的障害もない場合などは障害児と分類されない。つまり、公的な支援制度の対象とならない。

ヘレンを経営するNPO法人フローレンス障害児保育事業部の石川廉さんは、「従来の法制度からこぼれ落ちている医療的ケア児への支援は非常に遅れています。経管栄養や、吸引などの医療的ケアができる看護師や担当者さえいれば保育所にも通えるのに、そういう体制をとっている保育所は全国でも数えるほどしかありません」

その結果、多くの場合は母親が仕事をやめ、24時間子供につきっきりで世話をせざるを得なくなる。健常児の母親でフルタイムで働く人が34%いるのに対し、障害児だと5%になるという調査もあるほどだ。

こうした問題意識から、従来あった障害児の療育制度と、訪問型の保育制度を組み合わせるという苦肉の策をとって、障害児を長時間預かることのできる障害児保育園ヘレンが設立された。

どんな障害があっても、どこに住んでいても保育が受けられるように

こうした新たなニーズに対し、国も手をこまねいているわけではない。2016年の児童福祉法改正で、地方自治体は医療的ケア児が適切な支援を受けられるよう体制整備に努める義務が明記された。

それでも、まだ医療的ケア児を受け入れることが可能な施設は全国でも限られている。医療的ケアができる人材をそろえると、人件費がかさむためだ。

厚生労働省は、先月、医療的ケアが必要な子供を受け入れる施設に対し、看護師らの配置などに応じて、報酬を加算する方針を決めた。

さらに、地域の通所施設や保育所、学童保育や学校などで医療的ケアができる人を養成する研修や、支援のためのコーディネートをできる人材の養成、障害児通所支援事業所に通う医療的ケア児が、保育所や学童保育にも併行して通うのを後押しするモデル事業に、来年度予算を要求する方針だ。

ただ、具体的な動きはこれから。石川さんは、「支援を手厚くするためには、まず世の中の人に医療的ケア児の置かれている現状を知ってもらい、理解が広がることが必要」と訴える。

ケンタ君が保育園を卒園して小学生になったら……。その時、ヘレンのように預かってくれる施設があるのか、働き続けることができるのか。ミカさんの胸には今も不安が残る。

「保育園に預かってもらってからの成長ぶりを見ても、やはり家族だけの生活には限界があると実感しました。ケンタの世界が広がってくれたことが一番嬉しい。これからも、同じ年頃の仲間や家族以外の人たちと過ごせる場所が広がってくれたらと願っています」