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当事者が語る意味 つまづいた人に優しい社会を目指して

世田谷一家殺人事件で妹一家を失った入江杏さん。10年以上、体験を語り続けてきて、伝えることの難しさを一層感じています。それでも伝え続けるのは、どんな意味を見出しているからなのでしょうか?

世田谷一家殺害事件で妹一家を失ってから、様々な喪失体験を持つ人たちとつながって、生と死を考え抜いている入江杏さん(61)。

毎年事件の起きた12月にグリーフケア(悲嘆のケア)の集い「ミシュカの森」を開き、世田谷区の委員としてグリーフサポートを広めたり、全国で喪失体験を分かち合う集まりを開いたりして、講演や執筆活動も熱心に続ける。

「喪失の悲しみを語ることは、亡き人を愛(かな)しみ、出会い直すこと」

そう語る入江さんが、喪失体験を伝えることの意味をどう考えているのか、そして、聞き手に伝わるためにどのような工夫をしているのか。さらに掘り下げたい。

語ることは快感? 聞く側との距離感は縮められるか

殺人事件の被害者遺族として活動していると、犯罪被害者以外の人ともつながりを広げている入江さんは、聞き手に疑問を投げかけられることがある。

「なぜ障害者やスティグマについて語るんですか?と聞かれることがあるんです。事件の起きた12月のイベントとして語ることとしてはふさわしくないのではないか、もっと犯罪被害の悲惨さを語った方が焦点が絞られ、共感を得られるのではないかと言われることもあります」

一番、ショックだったのは、「被害者遺族は少し気持ち良さそうに語っている」と言われたことだ。

「大きなメディアの編集委員だったのですが、『加害者は口を閉ざすが、被害者は話すことで快感を得ているんじゃないか』と言われたんです。加害者が語れないのは、加害の記憶を否定し、忘れ、操作をしようとするから。積極的に隠蔽する場合もあるから語らないんです。それは違うと思ってショックを受けました」

「被害者は亡き人との出会い直しの場として癒される時間、ケアされる時間として自分の物語を伝えています。聞き手に差し出したり、受け取ったりして交流の癒しはあるかもしれない。それが『気持ちよく語っている』と受け取られてしまうのかもしれませんが、むしろとても疲れますし、受け入れられるように語るのにとても苦労しています」

自分は遺族としての経験を話していて意味はあるのか? 人の役に立っているのか? 

聞き手の反応を見て、そんな迷いを感じ続けてきたが、東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野准教授の熊谷晋一郎さんが「スティグマ(負の烙印)」について語った講演を聞いて光が差し込んだ。

「熊谷先生も身体障害の当事者ですが、いわゆる車いすの一日体験や、目が見えない人などの疑似体験をするだけでは、むしろ『大変ですね』『立派ですね』と言われながら、至近距離に近づくと拒まれて、社会的な距離を広げてしまうと話しています。その距離を縮めるためには、当事者の語りに触れることが大切だという先生の言葉に励まされました」

「何事もなかったかのように」の裏にある感情

また、昨年、富山市で開かれた被害者のグリーフケアを考えるイベントでは、交通事故の被害者遺族の講演の感想文を書いて最優秀賞をとった高校生の言葉にも深く考え込まされた。

「『被害者の遺族が何事もなかったかのように話していて、前を向いているんだなという印象を受けた。これほど大変でも何事もなかったかのようにされているんだなと驚いた』という言葉でした。それと共に、加害者も何事もなかったかのように振舞っていることに戸惑っているという内容でした」

そのイベントの直前には、富山市の交番で警察官が、拳銃を奪おうとした男に殺害されたというショッキングな事件が起きていた。しかし、足元で起きたばかりの事件について、会の主催者は一切、触れようとしなかったのにも入江さんは違和感を覚えていた。

「粛々と進行し、まさに『何事もなかったように』被害者のグリーフケアについて語り合うわけです。なぜ現在進行形で起きている事件について誰も語らないのか」

「高校生が、大きな悲しみがある人が世間が思うような悲しみの姿を見せるわけではない、ということを知ってくれたことはよかったのですが、何事もないように語るのでは悲しみに蓋をしてしまうことになり、悲しみが伝わらない可能性があると感じました」

さらに、入江さんはこうも感じた。

「コミュニティの中で封印せざるを得なかった傷つきの深さを表しているのではないかとも思いました。何事もなかったかのように封印しないで、かつありのままを受け入れ、弱さの発信に耳を傾けることのできる社会を作るにはどうしたらいいのか考え込みました」

受け入れられ得る物語とは?

どう語れば、傷を抱えた人の悲しみが伝わるのか?

これは入江さんのように体験を語る被害者や遺族の大きなテーマにもなっている。

「聞き手の癒しになるような伝え方をしないと受け入れられません。そして、聞き手に受け取ってもらえないと、話す者はさらに傷ついてしまう。ですから、自分の感情そのままを話すというよりは、受け入れられるように相手の感情に訴える語り方をする場合がある。それは自分の承認欲求のためというわけではないのです」

入江さんが交流している、同級生に娘を殺された母親は、殺した男性の母親を赦し、自分の体験を紙芝居にして講演の時に語っている。その母親が常々、入江さんに話すのは、「演じていると思われないように気をつけている」ということだ。

「私たちはすぐに『悲劇の主人公』と言われかねませんから、感情に飲み込まれてしまうことは避けないといけません。時に感情に飲み込まれそうになりますが、常に聞き手に受け入れられるのはどういう伝え方なのかを意識して話さなければいけないのです」

被害者に冷たい世間

抱える悲しみだけでも大変なのに、なぜ伝えるのにそこまで苦労しなければならないのか。

「それは、世間の常識は必ずしも被害者に味方しないからです」と入江さんは驚くようなことを語る。

「世間は被害者に常に同情的ではありません。被害感情にも否定的で、何かあれば、『被害者にも落ち度があるのではないか』と考えるのが世間です。同情されることが目的ではないにしろ、世間から疎外されたり、共感を得られない語りは、被害者や遺族を孤立させてしまい、再生を阻みかねません」

それは最近の報道を見ても、よく感じることだ。

「学校のいじめ問題にしても、性犯罪被害者にしても、被害者に同情的どころか、被害者の落ち度を責めたり、社会の規範を揺るがせたと批判したりする世間の声が目立ちます。被害者は守られているわけではないのです」

「被害者や遺族は、事件や喪失体験で一度社会への信頼を失っている」と入江さんは言う。それを乗り越えて、再発防止や真実の追求のために声をあげる時、被害者や遺族の怒りの声はバッシングを受けることさえある。

「ですから、被害者は大変です。自分の辛い体験を、組み立て直して聞き手に受け入れられる物語にする必要がある。しかし、あまり感情を消し去っても、『何事もなかったかのように』生きていると誤解される。常にジレンマがあります」

悲しみを分かちにくい時代だからこそ

入江さん自身、亡くなった4人との日々を絵本で出版した時、亡くなったみきおさんの父親から「そんな風に美化したくない」と言われた。それと同時に一家が殺害された家を「事実を美化しないでそのまま残す博物館にして保存したい」とも言われ、気持ちは理解しつつも、「さすがにそれはできない」と抵抗もした。

一方、入江さんの母親は人に語ることさえ反対し、入江さんはその意向を受けてしばらく話すこともできなかったのはこれまで伝えた通りだ。

家族の中でも悲しみやその表し方はバラバラで、それが悲しみを外に向けて語り、分かち合うことの難しさにもつながっている。

「私は家族でも同じように悲しむ必要はないと常々言っていて、それぞれがその人なりの悲しみを語ることが必要だと思うんです。先日相談を受けたケースでは、精神疾患を持ち、自死した妹さんがいた女性は、夫や息子から『いつまでも悲しんでいる暇はない』と言われ、傷ついたと語っていました」

家族の中でさえ分かち合うことは難しい悲しみ。

さらに、入江さんが毎年、グリーフケアの講義をしている上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進さんは、「悲しみを表しにくく、悲しみを受け入れにくい世の中になっている」と言う。

入江さんはそれを「経済優先、利益優先の社会になっているからなのではないか」と感じている。

「いのちが大切と言いながら、いのちを長さや量といった数字で図ろうとしています。どれだけ長生きできるか? どれだけ健康であるか? その結果どれだけ成功できるか? どれだけ幸せか?へ」

「理想の状態が欠けてしまうことを過度に恐れ、悲しみから目を背けているのが現代社会だと思います。私自身も、事件に遭う前はそんな価値観に縛られていました。そういう意味では事件の前は恐れるものが多かったですよ」

しかし、事件の後にそんな気持ちは変化した。

「事件を経て、もし悲しんで立ち止まってしまっても、人は悲しみから学ぶものは大きい、としみじみ思える自分がいます。『そんな目にあったからそう思うのよ』とも言われますが、それでも伝えていく意味があると思うんです」

「誰かの悲しみの物語に耳を塞ぐのではなく、聴いて分かち合えたことで、心通わせることができたと思う人がいる。悲しみはマイナスばかりをもたらすわけではありません。悲しみからつながりをつくって、支え合っていく。それは悲しみを被った人だけではなく、誰にとっても、そんな潤いのある社会になれば、きっともっと未来は明るくなるはず。そう願って伝え続けたいと思っています」

(終わり)