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池江璃花子選手の「白血病」 16歳で血液がんを経験した小児血液内科医「そっと見守ってあげて」

「彼女の勇気に我々ができる最大の応援は、余計な詮索をせずに優しい気持ちを届けて静かに見守ることです」

競泳の池江璃花子選手がTwitterで2月12日、「白血病」であることを告白した後、SNS上では池江選手の闘病を応援する声が広がっている。

一方で、白血病の種類もわからないまま、医師が病気や治療法の解説をし、病状を詮索したり、代替療法を勧めたりする声も上がっている。

16歳で血液がんの一種、悪性リンパ腫を経験した、東京都立小児総合医療センター血液・腫瘍科医師の松井基浩さん(32)は、この騒ぎを心配しながら見守っている一人だ。若年性がんの団体「STAND UP!!」の代表も務め、若くしてがんになった仲間同士で、悩みを分かち合う活動もしている。

「医師が『白血病』という病名だけで池江さんと結び付けて病状や治療を語るべきではないし、混乱の中で病気を報告した池江選手の勇気に応える最大の応援は、優しい気持ちを届けて静かに見守ることだと思います」と語りかけている。

著名人ががんを公表する度に募る違和感   

松井さんが池江さんのがん告白を知ったのは、ネットのニュースでだ。

「スポーツ全般が好きで、ずっと大会を追って応援していた選手でしたから衝撃でした。自分が経験した血液がんや今の仕事とは結びつけたわけではなく、ただファンとして驚きました」

その後、早速、医師によって池江選手の病気や治療法を解説する報道も出ているが、それには血液がんを専門とする医師の一人として違和感を覚えた。

「池江選手は、『白血病』と報告したのみですが、白血病と言っても、急性、慢性、リンパ性、骨髄性とで病状も治療法も大きく異なります。年齢やリスク分類などでも治療法は多岐にわたりますので、白血病という言葉だけで池江さんの病気に関して推測することはできないのではないかと思います」

「そもそも専門家は正しい知識を伝える責任がありますから、本人を診ずに、特定の個人に結び付けて病状を解説や推測するのは正しい姿ではないのではと思います」

一般人の病状の詮索も同様だ。

「ご本人も『未だに信じられず、混乱している状況です』と書いている状態で、白血病だということを報告するだけでもすごい決意だったと思います。その決意や勇気に我々が示すことのできる最大の敬意は、彼女が出してくれた情報以上を探ろうとせず、優しい気持ちを届けて見守ることだと思います」

周りから取り残される不安 「なぜ自分だけがこんな目に」

松井さん自身、16歳でがんを告げられた直後は、動揺と混乱で現実を受け止めきれなかった。

体調を崩したのは高校1年生の秋。風邪気味かと思っていたら、学校のマラソン大会の選抜レースで息苦しくなり、学校帰りに自分で近くの病院を受診した。すぐに両親が呼ばれ、がんセンターを紹介された。

「がんという言葉に当時は死のイメージしか浮かばなかったので、自分は死ぬのかと一晩中泣いていました。『なぜ自分がこんな目にあうのか』とばかり考えていました」

翌日から8か月の入院生活と、抗がん剤治療が始まった。

病状に対する不安は、主治医が病名や治療方針を先の見通しも含めて丁寧に説明してくれたことで収まっていった。抗がん剤の副作用で髪が抜け、吐き気や食欲不振に悩まされたが、同じ年頃の入院仲間が「この時期気持ち悪くなるよね」と共感してくれることで救われた。

もっとも辛かったのは、日常生活から急に切り離された不安だ。

「同級生は普通の生活を続けて、どんどん先に進んでいってしまうのに、自分だけ取り残されてしまうという焦りがありました。見舞いに来てくれた友達が届けてくれた学校の課題の多さについていけず、置いて行かれるような不安がありました」

そして、こうした不安は、世界の舞台で競い続けてきたトップアスリートの池江さんはより強いだろうと想像する。

「20代ぐらいでがんになり、働いている仲間が多いSTAND UP!!でも、何か目標に向けて走ってきた人たちは、そこから病気でストンと切り離されると、強い焦りを感じます。大きな目標に向けて走っていた池江さんの気持ちは、どれほどのものかと思います」

「夢を追えること自体が幸せ」 医師という新たな目標

松井さんは退院後も通院での抗がん剤治療が続き、治療は1年半に及んだ。いざ、退院して学校に戻っても、勉強は遅れ、友人関係にもスムーズに入れず、体力も落ちて元の自分に戻れない焦りが続いた。

支えとなったのは周りの人や病気を患って生まれた新たな目標だ。

「母にはかなり当たってしまいましたが黙って受け止めてくれましたし、小児病棟で出会った小児がんの子供たちの姿を見て、子どもたちを支える医師になりたいという新たな目標ができました」

入院当初は塞ぎ込んでカーテンを締め切っていた松井さんのベッドに、子どもたちは遠慮なくカーテンを開けて「遊ぼうよ!」と入り込んできた。根負けして、自然にゲームなどの相手をしているうちに、自分の病気を受け止め、明るく過ごそうとしている子どもたちの強さを感じた。

「『なんで自分だけがこんな目に』という気持ちが、子どもたちと接しているうちに薄れていきました。自分を憐れむ気持ちがなくなると、今度は僕がこういう子どもたちの気持ちを理解しながら、支えられる人になりたいと思ったんです」

それでも退院後、勉強についていけなくてくじけそうになる自分を励ましてくれたのは、かつての入院仲間だった。

当時18歳と20歳の年上のがん仲間たちは、「絶対に医者になれ」「松井君にしかできないことがある」と叱咤してくれた。退院後も、泊りがけで仲間の家に遊びに行くと、こんなことを言ってくれた。

「『病気を治すのは自分なんだ。だけど支えることができるのは医者。患者の気持ちを理解して接する医者が必要なんだ』と言われたんです。彼らはまだ闘病中でした。僕は学校で追いつけなくて苦しかった時期なので、ハッとしました」

闘病仲間の言葉を胸に猛勉強して現役で浜松医大に入学した。医学生として勉強している間に、自分が医師になることを願った二人はこの世を去った。

「苦しいけれど、夢を追えること自体が幸せなんだと気づかせてくれました。彼らから大事な願いを託された気がして、彼らの分も一緒に生きているイメージなんです。どれだけ大変でも、頑張ろうと思えます」

応援は迷惑か、支えか?

松井さんや池江さんのように、15歳〜30代のAYA(Adolescent and Young Adult)世代と言われる年代でのがんは、進学や就職、恋愛、結婚、出産など人生の転機を迎える時期と重なり、特有の問題を抱えることが注目されている。

松井さんは医学生時代の2009年に若年がんの患者がつながり、支えあう団体「STAND UP !!」を設立。「がん患者には『夢』がある」をスローガンに、前向きに治療に臨めるような内容を発信するフリーペーパーを発行している。

「若い世代でのがん患者は年間2万人程度と圧倒的に人数が少ないので、周りに同年代の患者がおらず、孤独に闘病しがちなんです。一人じゃないよと伝えたい」

そして、血液がんの医師として、日々、子どもを支える仕事をしている。

「成長し、活動的な年代でのがんは、受け入れること自体にエネルギーがいりますし、がんや治療を自分の人生に組み込んで、自分のペースを見つけていくまでの時間も人それぞれ。最初は混乱して自分を見失うこともあると思いますが、まずは焦らずにゆっくり自分のペースを見つけることが大事です」

そんな時に周囲は何ができるのだろう。

池江さんのがん報告後、「絶対に治る」「頑張って」と、応援や励ましの言葉を送ることに批判の声も強まった。「がん患者が既に一番頑張っているし、不安なのに、自分の不安を解消するために安易な言葉を送るな」と。

松井さんはこの反応には疑問を感じている。

「自分の時もいろんな励ましの声をかけてもらい、1番の親友からは『お前が死んだらどうしたらいいんだ』と手紙をもらいました。言葉の内容よりも、彼の気持ちのこもった言葉が素直に嬉しかったし、受け止める側の気持ちもそれぞれ。関係性も影響すると思いますが、思いを込めて伝えた言葉なら『頑張って』もありなんじゃないかと思っています」

ただし、根拠のない治療や代替療法を勧めるのは、命を左右するので論外だ。

池江さんの病気公表以来、骨髄バンクへの問い合わせや登録が増えている。松井さんは「関心が高まるのはありがたい」と語った上で、「骨髄提供には一定のリスクが伴うので、よく理解した上で協力していただきたい」と願う。

静かに見守るのが何よりの応援

池江さん自身も「私は神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」とTwitterで記している。

「人は病と戦う時も、これまでの人生の姿勢が反映されるのではないでしょうか」と松井さんは言う。そして、ファンが池江さんの闘病に「頑張って」と応援の声を送るのも、競技で選手がそれまでの自分を乗り越えるのを応援する時のような気持ちなのではないかと想像する。

「ただ、病気を乗り越えるための情報は本人や家族や医療者が持っていればいいものであって、ファンが応援するためにその情報はいりません。これから治療が始まって、大変な時期に入る彼女を応援するには、余計な詮索をせず、静かに見守るのが一番のはずです」

そして、自身の経験から、新たにがんになる若い患者には、「闘病を中心に置かない生活を見つけ、前を向いてそれぞれの夢を見つけること」を願っている。

「キャリアががんによって中断されると、病気が人生の全てのように感じてしまうかもしれませんが、病気は自分の人生の一部に過ぎません。焦らずゆっくりペースをつかんでいけば、そのうち、その先がきっと見えてきます」

「僕にとって病の経験は、小児がんの子どもを支える医師を目指す今の自分を語る上で欠かせない存在になりました。全てがプラスには転じられないかもしれませんが、病気に自分の人生を支配されることはありません。その先の未来を信じて、病の経験を少しでも自分の人生の糧とできるように、支えていきたいです」