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なぜ私たちは校則を守らないといけないの? 「黒染め強要問題」から考える不合理さ

そもそも校則とは何なのか。憲法上の権利を侵すものって、何なのか。

髪の毛が生まれつき茶色いにも関わらず、教員から黒染めをするよう強要された公立高校の女子生徒。

精神的苦痛を受けて不登校になったとして、大阪府に対して起こした裁判がきっかけとなり、「ブラック校則」に注目が集まっている。

同じような体験をしている人たちは少なくない。なぜ、そのような不合理なルールが存在するのか。どうして、それを守らないといけないのか。

BuzzFeed Newsは、校則と子どもの人権に詳しい同志社大の大島佳代子教授に話を聞いた。

ーーそもそも学生は、なぜ校則を守らないといけないのでしょうか。

公民館や図書館といったある程度人が集まる公的施設などには、土足禁止、飲食禁止、携帯電話のマナーモードなど、一定のルールがありますよね。

学校も生徒たちが集団生活の中で教育を受けるということになるので、一定のルールが必要になります。

ただ、一概に校則と言っても、さまざまなものがあります。

そもそも名称も「生徒心得」「学校のきまり」などさまさまで、学校によって表現が違うので便宜上「校則」と一括りにしている。

さらにその中には、「あいさつをしましょう」「廊下を走るな」から、「パーマ、染髪禁止」「アルバイト禁止」まで、いろいろな種類のものが混ざり込んでいます。

人としての心得から法的性格をもつもの、さらには憲法上の権利を侵しかねないものまでが、一緒くたになっているのが特徴だと言えるでしょう。

全てをひっくるめて、校則は従うべきか従わざるべきか、という議論は乱暴です。個々のルールを場面に応じて考えないといけません。

ーー憲法上の権利を侵すもの、とは何でしょうか?

たとえば、同じ髪型のルールでも、体育の実技、理科の実験や家庭科での実習などの場面において、前髪を留めること、髪の長い子は結ぶこと、といったルールは、それなりに合理性がありますよね。

今回のケースは、生来の髪の毛の色を黒く染めるよう強要されたことが問題です。つまり、生まれ持った身体的特徴を強制的に変えろと言われている。

これに関しては、憲法13条で保障される人格的自律権(自己決定権)が侵害されていると言えるでしょう。生命や身体をどう処分するのかに関しては、公権力から干渉されない、という権利です。

丸刈りや黒染めを強制されるなど、「強要」の要素があると、憲法上の権利を侵害していると言っても良い。「パーマや染髪を禁止する」とは性格が大きく違います。

身だしなみの乱れは生活の乱れという「神話」

ーーそれにしても、厳しすぎませんか?

保護者側がそういった管理を望んでいるという側面もあります。

1980年代の初め頃に、道路交通法上は16歳で原付バイクや自動二輪の免許が取れるのに、校則で禁止する動きが「3ない運動」として広がりました。

オートバイの「免許を取らない」「乗らない」「買わない」の3つの「ない」ですね。

この運動の背景には、暴走族の社会問題化があり、言うことを聞かない時期にいる子どもたちを「学校側に止めてほしい」として、一部の保護者やPTAが校則の強化を支えていたのです。

身だしなみの規制についても、例えば、なぜパーマや染髪がいけないかを説明するより「校則で決まっているんだからダメ」と言う方が簡単だとか、「しつけとして意味がある」として、一部の保護者が支持しているともいえます。

ーー染髪やパーマの禁止など「身だしなみの自由」を制限する校則の合理性とはどこにあるのでしょうか?

学校側からすれば、いろいろな選択肢を認めるより、一つのルールを作ってしまい、一律に規制するほうが「楽」という意味合いがあるのでしょう。

その背景にあるのが、本当かどうか分かりませんが、「身だしなみの乱れは生活の乱れ」という神話です。

また「日本の中高生は髪の毛が黒くて真っ直ぐで、瞳も黒い」というステレオタイプが残っているとも言えるでしょう。

さまざまな人種やバックグラウンドの人たちが増えている今の時代においても、そういった姿を強要しているんです。

学校は生徒たちの人格形成のために生徒指導を行いますが、日常生活についての指導・助言が、その枠を超え、行き過ぎた指導になっている場合もあることに注意しなくてはなりません。

学校という「可視化されづらい社会」

ーー「厳しいと知ってて入ったんだから文句を言うな」という批判もあります

私立の場合は、私立学校の教育の自由が認められ、建学の精神に基づいたルールづくりは許されると言えるでしょう。もちろん、人権侵害は許されませんが。

公立の学校を選ぶときは、校則だけで選択するということはあまり考えられませんよね。学力や、住む地域も大きく影響するでしょう。

それに、厳しいと知っていたからといって、「おかしいものはおかしい」と声をあげることは間違ったことではありません。

ーーどうやって校則を変えていけばよいのでしょうか?

学校側は、自らその検証をしようとはしません。おかしいと思っている生徒たちが声をあげ、まわりの大人たちがそれを支持していくしかありません。

しかし、生徒にとっては評価に響くという萎縮効果が働いてしまいますよね。

文句を言って目をつけられて、調査書(内申書)にネガティブなことを書かれるくらいなら黙ってしまう。大学生になれば自由にできるし、この数年間が我慢の期間だ、と。

裁判も難しい。日本では「抽象的違憲審査」が認められていないので、不利益を被った人しか裁判が起こせないからです。

このような状況の中で、合理性のない人権侵害をしている校則があったり、そういう風に校則を運用してしまう指導者がいたりするのが現実です。

学校は、非常に可視化されづらい社会です。したがって、憲法や人権が軽視されやすい土壌があります。

ーー「ブラック校則」に悩んでいる人たちが、まずできることって何なのでしょう。

「先生がそう言っているから、それが正義」というわけではありません。

「学校のルールだからダメ」「校則だからダメ」ではなく、まず疑問に思う、というところから始める必要があるのではないでしょうか。

おかしいルールをおかしいと言える環境づくりが大切なのかもしれません。


生まれつき茶色い髪の毛を黒く染めろ。そう教師から強要された女子高校生が裁判を起こしました。この件に限らず、教育の場には、生徒の個性や多様性、自主性を奪うルールが存在しています。

BuzzFeedでは、みなさんが経験した「おかしな校則やルール」を募集します。年齢を問わず、Twitterで「#こんな校則いらない」「#ブラック校則」をつけて、校則の内容と体験談をお寄せください。一部を記事で紹介します。

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