• heisei31 badge

SNSがしんどい、あなたに。インターネットがなければ、私は詩を書いてはいなかった

詩人・最果タヒ。映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」やLUMINE、高島屋とのコラボ広告、横浜美術館での初めての個展などと活動の幅を広げている彼女の原点には、インターネットがあった。SNS時代のいま、「言葉」に求められているものとは何なのか。

その特徴的な名前は、同世代ならば誰でも耳にしたことがあるはずだ。 最果タヒ。1986年生まれの、作家。

駅前にでかでかと掲げられた広告、デパートの階段、偶然手にしたファッション誌、そして映画にインターネット。ここ数年のあいだに、あちらこちらで彼女の詩を目にするようになった。

どんな意味があるのかは、一見しただけではわからない。なぜそんな言葉を、街中にあふれさせているのだろう。 当の本人は、何の気なしにこうつぶやく。

「あのころにインターネットがなかったら、私は詩を書いてはいなかった」

窮屈になった「言葉」

小さいころから、言葉が好きだった。「らくがき帳」がカラフルでぐちゃぐちゃな絵ではなく、文字だけで埋まってしまうような子どもだった。

「4歳とか5歳とかだったかな?もうちょっと前だったかな。ちっちゃいころから言葉が面白くて、たくさん書いていたんです。でも、だんだんそういうのが薄れてきて……」

成長するにつれ、いつしか言葉を使ったやりとりに窮屈さを感じるようになった。友人とのコミュニケーションが密になり、「共感」と「わかりやすさ」が求められるようになったからだ。

「友達と『たまごっち』とか『ポケモン』の話をしたり、安室奈美恵の話をしたりっていう小学生時代がきて。空気を読まなきゃいけない、その場のノリのために言葉を発しなきゃいけないみたいなことが、増えてきたんです」

「ウケなきゃいけないとか、わかりやすくて共感される話をしなきゃいけないとか。思ったことを思ったままに言っていけない状態が、すごくめんどくさくて窮屈で……」

そんな中で出会ったのが、インターネットだった。

思い出した「らくがき帳」

彼女がパソコンに初めて触れたのは、ちょうど「Windows98」が世に普及し始めたころ。

動画や画像ではなく、言葉でのやりとりが中心だった。SNSもなければ、「いいね!」も拡散も炎上もなかった。

「私が最初にインターネットを触りはじめたころには、侍魂っていうテキストサイトが流行っていて。まだブログという言葉もなくて、レンタルのウェブ日記とかがあった時代ですね」

そこにいたのは大人たちばかりで、同級生たちはいなかった。現実社会での「窮屈さ」を感じていた彼女にとって、とても心地のよい空間だった。

「ネットの言葉って、全部独り言みたいだなと思ったんです。それぞれが好き勝手に喋っている。見にくる人は好きに選んでいる。言葉が一方通行的に書けるっていう空気、距離感がすごくいいなって」

ウェブ日記を始めようと思ったが、書きたいことがあるわけではなかった。

「中学生が学校のことを書いてもなにひとつ面白くないし、なんの意味もない」と感じていた。吐き出したいような悩みもない。

彼女が思い出したのは、「らくがき帳」のことだった。

「ちっちゃいころ、らくがき帳に書いていたみたいに、思いつくままに1行書いて、その次の行を書いて……みたいなのをやってみようと思ったんです。単純に、言葉で遊ぶみたいな」

「そうすると、反射神経で言葉を書くから、だんだん自分の考えよりも先に言葉が出るようになるんです。言葉が、自分がしがみついていた我を突き放して、真っ白な状態に戻してくれるような。伝えるとか、表現とかじゃなくて、他人の顔色を気にしない言葉を書くことが気持ちよかった」

言葉が「自分を射抜いていく感覚」だった。

得体の知れない、インターネット

顔が見えるわけでもないし、リプライがたくさん飛んでくるわけでもない。それでも当時のネット上には、常に有象無象、誰かの気配があった。

「ジャングルを歩いているみたいな、強い気配がありましたね。液晶画面の向こうにどんな人がいるかわかんない、不思議な感じ」

人の気配のする場所で書くことは、彼女が言葉を連ねる原動力にもなった。

「私、日記とかを書いても全然続かないタイプなんです。誰かに読んでほしいとかではないけれど、人が見るかもしれないって状況じゃないと、言葉がどうしても書けなかった」

「ひとりで書く言葉って、死んでる気がするというか。言葉って人と人の間にあるものだから。部屋に閉じこもった独り言と、渋谷の交差点での独り言って、言うことがきっと変わりますよね。そんな違いです」

感想を寄せてくれる人がいることには、素直に驚いた。それでも強く意識をすることはなく、淡々と言葉を重ねた。

自分の記している言葉が「詩」であると教えてくれる人が現れた。それまで馴染みがなかった「詩」と出会い、雑誌への投稿を勧められるようになった。

そんなインターネットの「雑多さ」と、「得体の知れなさ」が好きだった。

わかりやすさへの反発

彼女が「詩人」と呼ばれるようになって、13年が経った。ウェブ日記の時代はとうに終わり、いまではSNSでのコミュニケーションが主流だ。

誰がどこにいるのかわからない「ジャングル」のような空気感は消え去り、みんなの顔が見える整然とした場所になった。

「中学生のころにSNSがあったら、すごくしんどかったかもしれません」

「人とのやりとりをするのが嫌でインターネットに引きこもってた側からすると、いまのSNSは現実と同じ形をしている。言葉が、全部コミュニケーションの一部だと受け止められてしまうのが、怖い」

反応のリアルタイムさが意識されるようになったSNSで、重視されるのは「わかりやすさ」だ。

「発言して、すぐに『いいね!』がつくかどうかとか、そういうことを気にするのは、友達の顔色を伺って、言葉を選んでいた学生時代に似ているなと思います。SNSは、対象が友達ではなく、世界そのものだったりするのかな、とか」

「わかりやすく、そして期待した反応がもらえるように、自分の言葉を整理していく。必要以上に話し上手になっていく、それをよしとする流れがあるのかなと思います。どこかコメンテーター的な部分を持とうとしているというか」

わかりやすい言葉、共感のための言葉。それは彼女が小学校のころに窮屈と感じていたものだ。

「わかりやすくするって、自分が思ったことを、四捨五入して、はみでた枝葉をそぎ落としてしまうことでもある。落としたことはすぐ忘れてしまうかもしれないけれど、そこにこそ、その人自身のまなざしや、人生が反映されているようにも思うんですよね」

彼女が詩を書く理由のひとつが、そんな「わかりやすさへの反発」だ。

「わかってもらうことを目的にした言葉ではないから、だからこそ読んだ人の中で、忘れていたものとか落としてきたものを思い出したり、解放したりするきっかけになるかもしれない」

「わからなくても何か好きだなぁって思う言葉とか、わかんなくてもいいなぁっていう感覚が残り続けたら、わかってもらおうとして捨ててきた自分の枝葉が、ざわざわ動き出すのかもしれないし。誰かにとって、私の詩がそんな存在になるなら幸福なことだと思います」

「みんなも、それぞれに自分の詩があればいいな、とも思う。友達と話して疲れた時に、家に帰って、みんなに合わせてチューニングした言葉ではない、自分ひとりの言葉を書く時間があれば、すごく素敵」

詩を「モノ」として展示する

「わからない言葉」と触れてほしいからこそ、彼女は「街に詩があるといい」と願う。

「わかりやすい言葉に慣れすぎると、わからない言葉に対する拒否反応がどんどん強くなってしまう。わからなくちゃいけないって構えて、読み進めることができなくなる。そういうのを、ぶち破る瞬間というか」

「言葉が不意打ちでやってくる、詩が不意打ちでやってくるみたいな状態がつくれたら、わからなくても、理解するより先に感じ取るみたいな現象が起こせるんじゃないかなって」

詩との、突然の出会いを生み出すために。LUMINEの階段に、ファッション誌に、高島屋のバレンタインカタログに、彼女は詩を載せる。

横浜美術館で2月に開いた初めての個展「最果タヒ 詩の展示」でも、同じだ。「言葉が染み込んでいく場所をつくりたかった」という。

天井からたくさんの言葉がぶら下がり、揺れる森のような展示室。風や人の動きで言葉が入れ替わり、一瞬一瞬で、現れる詩は異なっている。「その場所に、そのときにいなければ出会うことのできない言葉」だ。

紙に印刷されたり、画面に表示されたりすれば完結するように見える詩を、なぜ「モノ」として展示するのだろう。

「自分は言葉を書いているだけ。それを詩にしてるのは読んでる人だっていう感覚がすごく強くて……。言葉の中から、詩を見つけてくれてる、詩にしてくれてるって思うんです。読書ってとても能動的なもの」

「私の詩は具体的な描写はそんなにないし、詳細に心情を書き込んでいるわけでもない。でも、だからこそ、読む人の日常やそのときの感情と重ねて読むことができたらいいなと思うんです。読むという行為は、書き手から読み手に言葉が一方的に届けられるのではなくて、読み手の人こそが、作品を完成させているのではないかって。今回の展示は。そうした読むという行為が、際立つように作っています

生活の匂いを求めて

インターネットとともに育ち、詩を書き連ねるようになった彼女はいま、こうして現実の街に言葉をあふれさせようとしている。

いつか渋谷のスクランブル交差点を詩でいっぱいにさせたい。そんな想いも膨らむ。

自らが詩作をするとき、リアルの世界に身を委ねることも増えた。インターネットにかつての「雑多さ」がなくなったからだ。

「気配を感じるために、むしろうるさい喫茶店とかに入ったほうがいいんです。ラーメン屋に並んでる時とか。iPhoneがあれば書けますから」

いろんな人がいれば、いろんな気配がある。

「どんな日々を生きてるのかわからない人たちが集まって別々の方向見ているとか、全然関係ない話を列ごとにしてるとか。ネットは自分が見る範囲だと、どうしてもいまはみんな同じ方向や、同じ話題を話しているように見えるから、ほんとうにバラバラな人の気配を感じたくて外に出ます。そこは生活の匂いがするし、昔のネットの感じがする。心地いいんですよね」

「Instagramはちょっと、そんな雰囲気がまだ残ってる感じがします。写真はやっぱり、混ざりこむ生活臭みたいなものがある。それぞれの生活があることを象徴してる感じがして面白い。よく見ています、猫とか、服とか……」

言葉は変わっていく

あのころのインターネットがなければ、いまの「最果タヒ」はいなかった。

しかし、居心地のよかったインターネットの世界も、そこで使われる言葉も、変わった。

「変化しなくなったらネットって、おしまいじゃないですか。今生きる人がたくさんいる場所だから、とめどなく変わっていくのだと思うし。ネットと言葉の関係性だって、変化を見てきた側だからいろいろと感じているだけで、若い子からしたら当たり前かもしれない」

たとえ自分にとって窮屈になったとしても、変化は当たり前だと、彼女は受け入れる。

「SNSがなかったころを知っているから、世界に向けて誰でも発信できることが、すごく夢のあることに感じてしまう。でも、若い人はそうでもないのかな、そこまでSNSに夢をみてはいなくて、もっと現実的なツールとして捉えているのかなと思います。そうやってネットに対する態度や、捉え方が変わっていくのは、見ていて面白いです。それはネットが息づいている証拠だとも思う」

「それは言葉も同じですよね。変化する言葉に対して、『こんな汚い言葉遣いはダメだ』と上の世代が言うことがあるけれど、変化しない言葉は、死んだも同然だと思う。今を生きる人とともに息づいている存在だから、変わっていくのだし、たとえ変化についていけなくなっても、その事実はとても素敵なことだと思っていたい」

言葉を生業とする彼女が、なぜそうも思えるのだろうか。

「人が何かを伝えたいとか、伝わらなくてもいいから発信したいという欲求があるから、だから言葉は変わっていくのだと思います。たとえ完全にわかり合うことはできなくても、そうして自らを精一杯、言葉という形で差し出そうとするそのときの、言葉はとても美しいと思う。言葉は、人と共に、生きているのだと思います」


《最果タヒ Tahi Saihate》

1986年生まれ。2006年、現代詩手帖賞受賞。2007年、第一詩集『グッドモーニング』(思潮社)刊行、同作で中原中也賞受賞。2014年、詩集『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア)刊行、同作で現代詩花椿賞受賞。2016年、詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(リトルモア)刊行、同作は2017年に映画化(監督:石井裕也)。『愛の縫い目はここ』(リトルモア、2017年)により詩集三部作が完結。2014年~16年には『Web Designing』誌とのコラボレーションにより、詩とデジタル技術を融合させた「詩句ハック」シリーズを発表。また、清川あさみとの共著『千年後の百人一首』(リトルモア、2017年)では、百人一首を詩のかたちで現代語訳する試みを行った。最新の詩集に『天国と、とてつもない暇』(小学館、2018年)がある。2019年2月には横浜美術館で初の個展「最果タヒ 詩の展示」を開催。

連載「平成の神々」

「平成」が終わる、いま。この時代に生まれ、活躍する人たちが見る現在とこれからを、BuzzFeed Japanがインタビュー。新しい時代を迎える「神々たち」の言葉をお届けします。