面積約5千平方キロと、千葉や福岡とほぼ同じ広さの北方領土。その行方がどうなるのか、常に注目が集まってきた。
BuzzFeed Newsは、千島歯舞諸島居住者連盟から当時の写真の提供を受けた。10枚で、北方領土の歴史を振り返る。
これは、歯舞群島のひとつ、「勇留島」で開かれた神社祭。5つの島に5千人以上が暮らしていた。
これは、「多楽島」の小学校であった大運動会の様子だ。終戦時、北方領土には39校の国民学校などがあり、約3千人の児童が通っていたという。
北方領土は豊富な水産資源に恵まれ、漁業は主要産業のひとつだった。これは1930年の色丹島。鱈干しの様子だ。
同じく、色丹島。海苔すき作業の様子。
海苔を干している様子もある。色丹島の名前の由来は、アイヌ語で「大きな集落のある地」という意味だという。
択捉島。捕鯨場で鯨を解体処理している様子も伺える。
いずれも、70年以上前の姿だ。
いま、北方領土に日本人は自由な行き来をすることができない。外務省によると、現在の人口は約1万7千人。もちろん住んでいるのは、ロシア人だ。
雰囲気は、がらりと変わった。当時の写真と、近年の写真を比べてみる。
1956年の日ソ共同宣言には、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すと明記されている。ただ、これは両国の間に平和条約が結ばれたあとのことだ。
以来60年間、平和条約は結ばれていない。日本政府は、4島の帰属問題を解決することを目指しているが、今回の首脳会談で、果たして進展はあるのか。
読売新聞と日本テレビのインタビューに対し、プーチン大統領はこう答えたという。
「ロシアには、領土問題はまったくないと思っている。ロシアとの間に領土問題があると考えているのは日本だ。しかし、それについて我々は話し合う用意はある」